混沌と黎明の横顔

第20章:風杖をふるう者 6

 ほとんど強制的に馬車内の人となったジャムシードは、不機嫌を隠さないまま近づいてくる王城の尖塔を睨み上げた。
 王太子殿下には恩がある。彼が王議会を早めに開くというのなら、その時刻に合わせて参じよう。が、拉致されるかのように馬車に放り込まれては機嫌よく顔を合わせることなどできるはずがなかった。いくらなんでも横暴である。
 この半年ほどで数々の経験を積んできたジャムシードであったが、根本的に貴族階級の感覚が肌に合わないのには変わりがなかった。特にこちらの都合を無視した命令となると、蕁麻疹が出そうなほど嫌悪感が募る。
 王子サルシャ・ヤウンほどの人心を掌握することに長けた若者でも、こうまで強硬な命令を下すことがあるのかと考えると、今さらながら官吏の端くれに名を連ねている己に不安を感じずにはいられない。
 このまま炎姫公の下で働くことが良いことなのだろうか。公表できない取引を経て父の故郷ジューン島の領主に収まることを承諾したが、死ぬまで貴族にこき使われる身になるかと思うと憂鬱だった。
 が、この憂鬱に拍車をかけているのはタケトーの屋敷に置いてきた弟と精霊ファレスだ。彼らを二人で残してきたことが気がかりで仕方がない。
「ファレスの奴、サキザードに余計なことを吹き込んでなけりゃいいけど」
 今までもファレスはジャムシードの身体に危害が加わるような事態や人の身では余るような状況が発生すれば手助けしてくれた。だが、こと精神的な方面には気が回らないのか、あるいは助ける気がないのか、こちらが激しく落ち込んでいるときでも素っ気ないことが多い。
 たまに気遣ってくれたかと思えば、次に顔を合わせたときには冷淡な態度だ。以前の態度はなんだったのかと混乱するこちらにおかまいなしに振り回し、いっそう困惑するのを面白がっているのではないかとすら邪推したくなる。
「サキザードにまでそんな態度を取るようなら許さないからな……」
 ファレスは弟の過去を知っている。もしかしたら、人の身であるジャムシード以上に知っているかもしれない。記憶を失っている弟に過去を匂わせ、余計な気苦労をかけていはしないかと思うと気が気ではなかった。
 記憶がない状況がサキザードにとって良いのか悪いのか、今の状態では判らない。ジャムシード自身にも迷いがあり、弟にすべてを告げていいものか決心しきれていなかった。そんな現状でのファレスの介入は嬉しくない。
 どうしたら弟を守れるだろう。そして、どうしたら父の故郷の紛糾を収めることができるのか。いや、それだけではない。他にも考えねばならないことは山ほどあった。次から次へと噴出する問題に、途方に暮れている暇すらない。
「俺はどうしたら……」
 漏らした呟きは予想外に大きなものだったらしく、馬車の反対側の椅子に腰を下ろした若者が片眉だけつり上げながら「どうかいたしましたか?」と問いかけてきた。が、内心ではどうでもいいと思っているのが丸判りである。素っ気なさ過ぎる口調には感情が欠落していた。
「なんでもない。独り言だから気にしないでくれ」
 左様でございますか、と冷淡に切り返し、若者はジャムシードに興味を失ったかのように車窓から外の景色を眺める。だが、実際には意識の大半をジャムシードに向けていることは、そわそわと揺れる指先から容易く察せられた。
 王太子の命によりやってきた若者は王宮で時折見かけたことがある侍従の一人である。王子付きの侍従の中で一番年が若く、まだ見習いと言ってもいいくらいの年齢だった。たぶん貴族の子弟が経歴に箔を付けるために王子付きとなって働いているに違いない。その手の王宮の風習にも少なからず慣れてきた。
 きっと庶民の分際で王太子に近づく得体の知れない男がどんな輩なのか、気になって仕方がないのだろう。
 炎姫公の下で働いているとはいえ、サルシャ・ヤウンに呼び出されることはしょっちゅうで、王子付きの侍従には顔を覚えられていた。新参の侍従にとっては好奇心が刺激される対象であっても仕方がないのかもしれない。
 炎姫公配下の官吏として王議会の末席に名を連ねているが、ジャムシード自身には役人である自覚も、王太子と親しい間柄であるという自覚もなかった。時流に流されて、いつの間にか今の立場に立たされていたという感覚でしかないのである。それを好奇の目で見られるのは愉快なことではなかった。
 それでも、これらの視線を甘受せねばならないことだとは認識している。だからこそ、今もこうやって素知らぬ顔をして相手の意識をやり過ごしているのだ。でなければ、今頃は馬車から飛び出している。
 そっとため息をつき、ジャムシードも侍従の若者とは反対の車窓から外を眺めた。庶民の生活は早朝から始まっている。街はすっかり活気づいていた。
 だが、いつも見慣れているはずの人の流れが今日は奇妙である。何かがおかしい、とジャムシードの感覚に訴えてきていた。
 じっと目を凝らして人々の動きを観察してみると、どうやら街の外からの人の流れが途切れがちで、逆に外へと移動する流れが滞っている気配がある。
 何かが起こったことを直感で悟り、ジャムシードは視界の端に映る若者の気配を探った。年若い侍従はこのことに気づいていない。あるいは庶民の生活に興味がなく、街の異変に関心がないのかもしれない。
 これだから貴族は、と不満を漏らすほどジャムシードは大人げない人間ではなかった。若者には自身が属する世界で生きていくだけで精一杯なのかもしれない。それに、これまでに受けた教育でも関心事は変わってくるはずだ。
「なぁ、あんた。街で異変が起こっていることに気づいているか?」
 本当は話しかけるつもりではなかったが、沈黙したまま相手からの好奇心の矢を受けるより、真っ正面から向き合ったほうが気が楽である。少なくともお互いの意識がぶつかり合っているほうが内心が判りやすいのだ。
 貴族的な腹の探り合いが苦手なジャムシードには迂遠な会話術など不可能である。直接的な会話に一瞬目を剥いた若者だったが、問われた内容を確認するように街並みや人々の様子を眺め、首を傾げた。
「どこか変わったところでもありますか? 別にいつもと変わりないでしょう」
 いつもと変わりないと答える若者が日常的に庶民が行き交う区画に足を運んでいるとは思えない。人の流れを観察する機会がなければ、この異変には気づかないだろう。彼が悪いのではない。これまで生活していた環境とは違う世界の変事に気づけというほうが酷なのだ。
「王都の外から入ってくる人の流れが極端に少ないし、反対に街から出ていく人の流れが鈍い。街壁門で何か起こっている」
「門? あぁ、でしたら王太子殿下がすべての門を閉じるよう命じたからでしょう。……下々の者にはまだ触れ回っておりませんが、どこぞの貴族の娘がさらわれたそうで、その探索のために王都を封鎖する必要があるそうですよ」
 なんでもないことのように受け答えする若者の感覚が信じられず、ジャムシードは相手の顔をまじまじと見つめた。娘一人が拉致されたというのに、まるで自分には関係ないとばかりの口調である。
 王太子自らが都を封鎖するよう命じたとあれば、相当な家柄の姫君がさらわれたのだ。あからさまに庶民の生活を乱す今回の命令がかなり異常であることを若者は理解しているのだろうか。いや、理解してはいないのだろう。
 具体的に指摘したところで理解するとは思えなかった。彼らにとっては命令がすべてであり、自身で状況を判断して行動するのは不可能なことなのだ。自身で気づかねば先へとは進めない。
 小さく首を振り、ジャムシードはため息を噛み殺しながら窓の外へと視線を転じた。若者は会話が途切れたことにも気を留めず、相変わらずこちらを意識しながら流れ去る景色を眺めている。
 会議に出席する前から疲れが押し寄せてきた。こんな有様で王太子と対面するのかと思うと、いっそう憂鬱な気分が頭をもたげる。
 弟との話し合いを邪魔された気鬱がより増してきて、ジャムシードはどんどん落ち込んでいく気持ちを持て余していた。
 馬車は曇天の下を軽快に進み、神殿区画へと入ろうとしている。間もなく神殿が建ち並ぶ様子が見えてくるはずだ。その後は王宮区画へと入り、主立った中央貴族の屋敷が見え、最終的には王宮の壮麗な外観とそびえ立つ王城の偉容が見る者を圧倒する光景が広がるのである。
 かつて始祖王が王国を建国したとき、王宮区画はもっと狭く、宮殿は影も形もなかったらしい。王城だけがそそり立つ姿は他人を従え、前へと邁進する始祖王ナバト・ホーマに相応しい姿であったろう。
 いつしか王に仕える人間が増え、城だけでは手狭になって宮殿が建てられると、王宮区画は拡大の一途を辿った。いつの間にかひとつの里山が宮殿に呑み込まれ、都自体も当初の数倍の広さになったと聞く。
 それはまるで人の欲のように感じられた。際限なく貪欲に多くを欲し、飲んでも飲んでも渇きが癒えないかのようである。その強欲さは自身にも覚えがあり、ジャムシードは知らず唇の端を歪めた。
 もうすでに見上げると首が痛いほどの距離まで王宮は近づいている。到着次第、首輪をつけられたかの如き扱いで王子の前まで引っ張っていかれるのだ。抵抗しても無駄だと判っていても、どこかで抗いたい気持ちが捨てきれない。
 王宮全体の外観は何度見ても慣れなかった。細工師として働いていた頃は貴族の屋敷に出向いたことがあり、間近に王宮を見る機会もあったのに。今その場に足を踏み入れる立場に立ってみると、自身がそこに存在する違和感は拭いがたいシミとなって意識に広がっていた。
「俺も、随分と往生際が悪いみたいだな。未だに逃げ出したくなる……」
 自嘲を込めて呟いた声は馬車のたてる騒音に掻き消されたらしい。
 侍従の若者が車窓からチラリと振り返り、迫ってきた王宮を確認して安堵の息を吐く様子が視界に映った。ジャムシードには異質な、しかし若者には当たり前の世界が行く手には待ちかまえているのである。
 しばらくすると賑やかな車輪の音が大人しくなった。王宮の前庭に入ったのである。ここを突っ切れば車止めだ。
 規則的だった揺れが大きくなる。次いで馬のいななきが聞こえると、馬車は完全にその動きを止めた。すぐさま扉が開かれ、侍従が勝手知ったる態度で先に飛び降りる。急かされる前にジャムシードも馬車を降り、改めて目の前にそびえる王宮の偉容を見上げた。
 だが凝視している時間は与えられない。侍従に急き立てられ、しぶしぶ宮殿の廊下を進んでいくと、役人と思われる制服姿が忙しなく動き回っている姿が眼に飛び込んできた。いつもよりその数は多いようである。
「こちらです。本日はもったいなくも殿下御自ら前宮へと御足を運ばれたのです。これは格別のご配慮で、普通ならあり得ないことでございます」
 だから特別に感謝しろ、と言いたいのだろう。ジャムシードにしてみれば、鼻で笑ってしまうような恩の売り方であるが、それが王宮でのしきたりだ。ここは大人しく「ありがたいことです」と囁いておくのが大人の対応だろう。
 確かに王太子自らが奥宮から出てくることは稀だ。が、お忍びで城下に出ることもあるという王子にとって、宮殿のどこにいようが大差はあるまい。
 案内された部屋でかなり待たされると覚悟した。部屋は宮殿内では小さいほうだが、貧しい民が暮らす家一軒分よりも広い。普段は何に使っているのか判らないが、上流階級の者が住まう建物内の部屋だけに建材は高級品だ。
 待たされる覚悟をしていたのだが、どれほども待たずに扉を開けて滑り込んできた人影にジャムシードは訝しげに眉をひそめる。予想に違わず王子が現れたのだが、その格好は王子らしくない服装であった。
 王族の印である布冠セーパを巻かず、下級貴族の若者か高級官僚の子息といった出で立ちは町中では目立つだろうが、宮殿内では地味な部類に入る。しかも供の者すら伴っていなかった。
「すまない。急な呼び立てで気を悪くしただろう? だが側仕えの者たちを遠ざけるには、こういう小細工も必要になるんだ」
 王宮にいるためか王太子の口調は堅い。いや、一緒に旅していた頃は年齢よりも幼く感じる口調であったが、今は地位に相応しい調子で話しているに過ぎない。だが以前を知るだけに少し淋しかった。
「俺を強引に引っ張ってくるだけの理由があったのですね?」
「そうだ。君は気づいたかな、城下の様子がいつもと違ったと思うけど」
「街壁門を封鎖した件ですか? どこかの貴族の令嬢が誘拐されたと聞きましたが、今回の呼び出しはそれに関係があるのですか?」
 サルシャ・ヤウンの口許が満足げに緩むのを認め、ジャムシードは自分の問いが王子の意に沿うものだったのだと悟る。
「君の眼が確かなもので嬉しいよ。実は、拉致されたのは水姫公の娘だ。ナムルが養女に迎え、僕の正妃候補として今日にも王宮に差し出すはずだった」
 ジャムシードは淡々と語る王太子の瞳の奥に怒りが燻っているのに気づいた。
「殿下、もしやその娘と面識がおありでしたか?」
 王子が怒る理由が顔見知りを拉致されたことからくるものかと予測したのだが、皮肉げに片眉をつり上げた相手の表情に今度の予想が外れたことを知る。
「顔どころか名前すら知らない娘だ。今朝いきなり水姫家から極秘の使者がやってきて、早朝の散歩に出た娘が屋敷の奥庭からさらわれた、と連絡してきた。本日の顔合わせは延期して欲しいと添えてね」
 中止ではなく延期にする辺りが姑息だ、と呟くサルシャ・ヤウンの態度が解せず、ジャムシードは素直にその疑問を口にした。
「本人がいないのなら顔合わせはできないでしょう? だったら日時を延ばすしかないと思いますが。それより水姫家の令嬢を拉致した者に心当たりは?」
 ジャムシードの問いを王子は予測していたのだろう。皮肉げな笑みの中に切なさが混じり、しみじみとした表情で彼は口を開いた。
「実に君らしい見解だよ、ジャムシード。僕は君のそういう素直なところをとても愛してるよ。ジューン島に行ってもなくして欲しくない資質だ」
 愛している、などという予想外の単語が耳に飛び込み、ジャムシードは瞬時に顔をひきつらせる。王太子が男色を仄めかして口にしたわけではないことくらい理解していたが、義妹を亡くして以来、彼はその単語に敏感だった。
「すまない。また失言した。君が誰より愛おしんでいた者の死から完全に立ち直ってはいないことを忘れていたよ。他意はない。忘れてしまってくれ」
 忘れてくれと言われて素直に忘れられるものではない。だが確かに王子の言う通り、今の発言を忘れるのが一番なのだ。素知らぬ顔で聞き流すべきだった単語に過剰に反応した自分がいけないのだから。
「ところで、君の問いへの答えだ。非常に貴族的な考えに基づくことだから嫌悪感を感じるかもしれないけど教えておこう。娘がさらわれたという事実は普通なら公にはされないことなんだ。今回のように街を封鎖した理由が貴族の令嬢を取り戻すためというのは、実際には見せかけにすぎない」
 ジャムシードは貴族社会に渦巻くしがらみの一端がここで語られようとしていることを悟った。聞きたくないと遮ることも出来たが、非公式とはいえ王子が自分に語るのならば、そこには意味があるような気がする。
「水姫公は拉致した者らの目星がついているようだ。僕が街を封鎖するよう命じる前に、自身の乳母子を使者に仕立てて街から出している。それは姫が向かう先が判っているからこそできる芸当だ」
「でも……。使者が向かった先が拉致した者らの目的地だと言い切れないのではありませんか? 第一、拉致犯が向かう先が判っているのなら街を封鎖することにどんな意味があるというのですか?」
「拉致犯は街を出てはいないはずだ。それだけの時間的な猶予は与えていない。貴族の姫君を連れて街を出るとなれば、変装なり言い訳なりが必要になる。あるいは荷物として押し込めておくような偽装が。しかし、封鎖する前の状況を報告として上げさせたけど、それらしい人物は知らされていない。となれば、まだ街に潜伏し、探索の手が緩むのを待っていると考えられる」
 王太子の言葉にジャムシードは固唾を飲んで耳を傾けた。
「水姫公は王都に潜伏する犯人らを捕まえ、姫を取り戻す気だ。その上で拉致を指示した者に脅しをかけるために使者を送り出したと僕は読んでいる」
「それが判っていながら、殿下は水姫公の言いなりに街を封鎖したのですか?」
 サルシャ・ヤウンらしくない。この若者なら街を封鎖しただけでなく、自らが先頭に立って不届き者をあぶり出す算段をしそうなものを。
「僕が陣頭で指揮を執ることはラシュ・ナムルの娘を正妃にすると公言しているようなものだよ。そんな失態は犯せない。だけど、手をこまねいてばかりでは癪だからね。そのために君を呼び寄せたんだ」
 悪戯げに笑う王子の顔が年齢以上に感じられたのは気のせいだろうか。
「君への頼み事は後で話すとして。僕とナムルの綱引きはそれだけではない。彼が娘だと主張する姫は、たぶんこの国の者ではないだろう。いや、もっと有り体に言えば、ルネレー出身の娘だと推測できる」
 不敵な表情でとんでもないことを語る王子にジャムシードは唖然とした。
 敗戦国の姫が戦勝国の有力者の妻という名分を得て人質としてやってくる話は聞いたことがある。が、敗戦国の娘だという出自を隠して王太子の正妃候補として差し出されることにどんな意味があるのか理解できなかった。
「なぜそんなことが判るのか、といった顔だね。理由は順を追って話そう。ナムルの父には認知された庶子が数名いる。つまりナムルにとっては異母兄弟が。しかし、認知はされているけど、それは私生児ではないというだけで、王族として認められたわけではないんだ。それでもナムルに何かあれば陽の目を見ることもあろうかと、庶子たちは大公の死を望んでいる」
「そういう話は聞いています。ですが、水姫公は警戒を怠ってはいないでしょう。庶子らの野心が成就するとは思えません」
「だからこそナムルは庶子らへの牽制も兼ねて僕との繋がりを持ちたいし、僕への牽制のために敵国の娘を自分の娘に仕立てる必要があるんだ」
 サルシャ・ヤウンの話の先が見えず、ジャムシードは首を傾げた。その様子から内心を察したらしい王子が苦笑混じりに答えを返す。
「僕が彼の娘を正妃に据えれば、僕は知らなかったとはいえ共通の秘密を抱えることになる。痛くもない腹を探られるくらいなら、ナムルと手を組むほうが容易いという状況に追い込みたいのだろう」
 えげつない、と思ったのが顔に出たらしい。王子はこんなことは日常茶飯事だと言わんばかりに肩をすくめて見せた。
「敵国の娘を正妃に据えた場合の元老院の出方は僕の母への態度を見れば一目瞭然だ。その娘の存在は中央貴族の連中にとっては自分たちが蔑ろにされたと取られ、王家への敵対心を煽るだけだろう。自分も僕と同じ穴の狢だと同調しながら、ナムルは実際には僕を……ひいては王家を脅したいんだよ」
 そうそう、どうして娘の正体が判るのかと言う答えがまだだったね、と笑う王子の表情にジャムシードは慄然とした。微笑みは可憐ですらあるのに、仮面をつけているようにしか見えない、冷たい表情だったのである。
「敵陣に忍び込んだウラッツェの報告からルネレー軍には幼い姫君がいたことが判っている。僕の姉も敵陣に囚われている間、かの姫と言葉を交わしたことを僕自身が確認した。ところが戦が終わっても、その肝心の姫君の姿がまったく見えてこない。まるで煙になって消えてしまったように……」
 王太子の笑みがますます深くなった。それがいっそう冷たい表情に拍車をかけ、サルシャ・ヤウン自身が人形めいて見える。
「そして、時を前後して水姫公の周辺に娘の噂話が流れ始めた。どういう経路で姫君を捕らえたのかは知らないが、ナムルがルネレー軍にいた少女を使って僕を取り込もうとしている現実くらいは容易く想像できた」
「その敵陣にいた姫が水姫家にいた娘と同一人物である、という証拠はあるのですか? 憶測だけでは今までの推論は成り立ちませんよ」
「ウラッツェとアルティーエに敵陣の姫君の特徴を確認した。水姫家の奥で傅かれる娘の容姿と一致したよ。水姫家の屋敷に出向いて確認したのはウラッツェだ。散々こき使ったものだから少し前にも彼はぼやいていただろう?」
 悪びれもせず、ここ最近の黒耀樹公の嘆きぶりの原因を語った王太子にジャムシードは呆れた。最近のウラッツェの忙しさは尋常ではなく、継母と熾烈な争いの最中かと思っていたのに、ぼやきの原因はそれだけではなかったらしい。
「つまり、今回の拉致犯はルネレーの者だと仰りたいのですね?」
「そうだ。ナムルだけでなく僕も犯人を予想できたのだから、彼らが捕まるのは時間の問題だと言える。但し、ナムルに捕まるのと僕に捕まるのとでは、まったく意味合いが違ってくるのだけどね」
 ここまで言われたら、ジャムシードでも王太子の頼み事がなんなのか予測することは可能だった。だが自ら進んで協力したいとは思えない。貴族同士のもめ事に首を突っ込みたくはなかった。
「ジャムシード。そう厭そうな顔をしないでくれないか。僕もできれば君の手を煩わせたくはないんだ。しかし悠長なことを言ってもいられないのでね」
 サルシャ・ヤウンは口許に苦笑いを浮かべたが眼は決して笑ってはいない。王太子は本気だ。ジャムシードの人脈を利用して拉致された娘を探す気でいる。
「俺は組織を破門された身です。殿下のご期待に沿えるような情報は……」
「破門が解ければ組織に戻ると、以前言っていたよね? あの発言は君が未だに組織の者たちと関わりを持っていると取れる発言だった」
 ジャムシードは苦虫を噛み締めたように顔を歪めた。ジャミ盗賊団の襲撃から逃れた大河の畔で王太子と交わした言葉が、今になって枷となり、自らの上に降りかかってこようとは。