手の中に収まっている冷たい感触をじっと見つめ、ヤウンは老いた男とのやり取りを思い出すともなく反芻していた。まだ未熟な部分が顔を覗かせ、相手にも王太子が取り乱していることが知れただろう。
「まだまだだとは思っていたけど、予想以上に半人前だ」
あの一瞬、確かに自分はあの老僧に呑まれた。王としてあってはならない失態である。弱ったふりをして、あるいは強硬に、あるいは無知のふりをして、欲しい情報を引き出す方法を知っていたはずなのに。
「己の優位を過信した者、恐れを抱いた者、それすなわち暗愚なり。ユニティアに史学で叩き込まれたはずなんだけどな。愚か者になり果てるところだった」
こちらを呑んだ男はあの一瞬だけで引いた。王太子を切り崩しにかかることもできたろうに。僧院により有利な条件を引き出すこともできたろうに。
「引いたことで貸しを作った、か。……いずれにしろ、僕は彼らの要求に応えねばならないだろうね。彼らなくしてはアルティーエを救えない」
掌中で輝く石は僧侶が置いていった青水晶だった。こんなに濁りがなく透明度の高い水晶は珍しい。しかも乾期の空のように突き抜けた青さを誇る輝きは、見る者の心を惹きつけずにはおかぬ誘惑をちらつかせていた。
僧院の施設に戻った老人が明日にでも残りの守護石になり得る石を持ってくる手筈になっている。これを手にしているヤウンは今夜限りの仮初めの主人というわけだ。姉の新しい護符を作る細工師を見つけておかねば。
掌上で転がし、指先で器用に水晶を摘み上げると、不意にヤウンはジャムシードのことを思い出した。彼なら今回の細工に適任だろう。
姉の新しい護符作りは周囲に知られないほうがいいのだ。口が固く、なおかつ王族が身につけるに相応しい彫金が出来る人物でなければならない。となれば、ジャムシード自身か彼に近しい細工師仲間を頼るのが安全だ。
「明日一番にでも連絡を入れさせ……いや、今すぐのほうがいいか。人目につかないように動くなら今夜のように月がない夜が最適だ」
そう囁き、王太子は鎧戸がぴったりと閉じた窓辺を振り返る。今夜が新月だということを彼は覚えていた。暗躍の夜に相応しいではないか。
「さてもさても、働きがいのある夜だよ。これが一瞬の敗北へのツケだというのなら甘んじて受けるしかないのだろうね」
ヤウンは穏やかに微笑んだが、その表情は逆に苦々しかった。
「坊主との話し合いは終わったようだな」
音もなく部屋に滑り込んできた声に王太子は今度こそ声をあげて笑いながら振り返る。相手の声に僅かに滲んだ不機嫌さを察したのだ。
「おおよその話はね。君のほうはどうなの? ターナと喧嘩はできたかい?」
「おれの行動もお見通しか。あいつ相手では喧嘩にもならないな。八つ当たりを真っ向から受け止めて正直に返してくるようじゃ、王太子の護衛なんぞ任せられん。あいつに今後のことを期待するのはやめにした」
「それは困ったね。君が側にいないとき異形が僕を襲ったらどうしようか」
ソージンの眉間に寄った皺が深くなる。異形の呪詛に操られた姉に襲われた現場に彼はいなかった。後宮区画の離宮であるから出入りできる人間に制限は設けてるが、特別に王太子の護衛として足を踏み入れることは可能である。
そんな大事なときに契約主の側を離れていた失態は、さしものソージンにも堪えたようだった。話し合いからも遠ざけ、一応の罰としたが、今もそれを引きずっているのかもしれない。
「呪詛を破る方法は見つからないままか?」
ヤウンの傍らには寄らず、ソージンはいつものように出入り口近くの壁に寄りかかった。近くに掲げられたランプの明かりに照らされ、彼の白い全身がよりいっそう夜の中に浮き上がる。東方人特有の地味でのっぺりした顔立ちながら、この男からは異様なほどの存在感を感じられた。
「呪詛そのものを消すことは難しいらしい。代わりに呪詛を抑え込むための守護結界を作ることになった。そのための護符をこれから作らせる」
王太子は指で摘んでいた青水晶を目の前に持ち上げ、ソージンからも見えるように揺らして見せる。燭台からの明かりにチリチリと蒼い輝きが放たれた。
「青水晶か。なるほど。それなら結界は上手く張れるだろう」
「随分はっきりと断言するね。その自信の根拠を教えてくれないかな」
「簡単なことだ。その青水晶は持ち主を選ぶものだ。以前も見たことがあるが、石にとって不本意な相手の元には留まらない性質を持つ。ただの貴石ではないんだ、それは。神石と言ってもいいだろうな」
壁に寄りかかり、腕組みをしたままソージンは語り始めた。
「神石は己を必要とする者の前に現れる。まるで意志を持っているかのように。その石が留まるというのなら使われる力は正しく働くはずだ」
逆に間違った使い方をしようとすれば失われてしまう。そう判断していいのだろうか。今の口振りからだとそう捉えることが出来るのだが。
ヤウンの戸惑いを読み取ったのだろう。ソージンが小さく頷き、王太子の考えを肯定した。言葉にしなくとも内心を読み取られるほどには、互いの言動に予測がつくほどの関係は築いてきた、ということか。
「君はその神石とやらに出逢ったことがあるわけだね?」
「神石にも呪詛にも出くわした。それが当たり前の世界がこの世にはある」
「その言い方だと呪詛をかけられたか、神石を所有していたか、と勘ぐるよ」
壁に寄りかかる男が足を組み替えた。ゆっくりした動作から目を反らせない。ヤウンは視線を交わらせたまま相手が口を開くのを待った。
「もちろん、そのどちらも経験済みだ」
ヒュゥ、と自分の喉が鳴るのを王太子は他人事のように聞くことになる。相手の言葉を噛み締め、胃の腑に落ちるまでにしばらく時間がかかった。
「どうやって呪詛を解いたの? 知っていたなら教えてく……」
「経験済みとは言ったが解いたとは言っていないぞ」
淡々とした口調で表情もいつも通り。ソージンから内心は推し量れない。
「と、解いたわけではないのなら、君は今も……その……」
「そうだ。おれにも呪詛はかかったままだ。だが、おれの呪詛は解くことができる。……そう。今ここでおれがその気になりさえすれば。だが勘違いするな。おれが呪詛を解けるからと言ってお前の姉の呪詛を解けるわけではない」
「だって、解き方が判るんでしょう? それなら、もしかしたらアルティーエの呪詛の解き方だって判るかもしれないじゃないか!」
青水晶を固く握り込み、ヤウンは勢い良く立ち上がった。掌に石が食い込んで痛かったが、それに勝る焦燥と怒りの前ではそれを忘れた。
「呪詛の解き方を教えてやることはできる。しかし、それを実行できるかどうかは本人次第だ。おれが教える方法は、先の戦でおれが異形の張った結界を解いたものより容易い。が、同時にもっとも難しい類のものだ」
「なんだっていいよ! 呪詛が解けるのなら!」
未だに腕を組み、交差させた足を再び入れ替えると、ソージンは王太子の焦燥を嘲笑うかのように肩をすくめて見せた。
「答えはいつだってお前の前に転がっているんだぞ、ヤウン。判らないのか?」
判らないのかと問われても、判らないのだから訊ねているのだ。それに答えを返せるわけがない。苛立ちに拳をさらに固くすると、掌の痛みが増した。
「たぶん僧院の奴らは幾つかの可能性を見いだしているはずだ。それをお前に教えていないということは、解呪が難しいという意味と説明が困難だという意味が含まれているのだろう。ヤウン、おれの話を冷静に聞けるか?」
ヤウンは頷こうとしたが逆に首を振る。今の自分が平静ではない自覚なら充分にあった。勢いで立ち上がり、食ってかかっていくなど、愚の骨頂である。
本当ならソージンの胸ぐらを揺すぶり、力尽くでも答えを引き出したかった。だけれども、それが通用する相手ではない。そして冷静に聞けるかとの問いが冷や水となり、頭に昇った血が引いた今、大人しく話を続ける自信は皆無だ。
「無理。無理だよ。今の僕はいつもの僕じゃない。君の話を最後まで聞く自信はこれっぽっちもない。絶望的な話だったら僕は自分がどうなるか判らない」
へなへなとその場に崩れ落ち、ヤウンは拳で眼許を覆う。
異形に操られた姉を眼にしたショックが今頃になって出てきた。いや、気を張りつめていたときはなんとか持ちこたえていたが、護衛のソージンが戻ってきたこの瞬間に一気に弾けてしまったのだ。
「国のためだと嘯いて政治に身を捧げた為政者はいずれ壊れる。王として誰とも分かち合えない責任を負うのなら、サルシャ・ヤウン自身をすべて差し出せる誰かか、何かを見つけねば、お前は目指すものに振り回されて潰れる」
拳から僅かに力が抜ける。しかし、眼許に押しつけたまま声に耳を傾けた。
「お前の姉は大切な双子の片割れだ。おれも双子だからよく判る。だが、これから先の人生を分かち合える相手ではない。彼女は王女で、お前は王太子だ。血の絆は存在しても、王家を背負うお前たちに魂の絆を期待するな」
自分自身を差し出せる誰かを見つけろと言ったばかりではないか。ソージンの言葉は矛盾に満ちている。何が言いたいのか判らなかった。
「王の地位を捨ててでも手に入れたい存在がお前にあるか? そういうものがあるのなら、お前はこれから先もっと強くなる。同じことは王女にも言える」
ソージンは重要なことを伝えようとしている。それが空気を通して伝わってきた。耳を塞いでしまおうか。絶対的な何かを聞いてしまったら、己の無力に絶望するしかない。しかし、王子はそうはしなかった。
ヤウンはゆっくりと掌を開き、そこから現れた蒼い輝きに視線を落とす。そうしている間にもソージンの声は続き、彼の鼓膜を震わせ続けた。
「お前たち双子はお互い大切な相手だろう。だが王家を捨ててまで取ることが出来る相手ではないはずだ。地位も名誉も財力も、何もかも無視してでも傍らに存在したいと思うものを手にした者ほど強い存在はない。王女の呪詛を完全に打ち破れるのはそういう強固な感情だ。……お前たちに出来るか?」
出来ない、と答えるしかない。アルティーエは確かに大切な存在だ。彼女から見たサルシャ・ヤウンも同様だろう。しかし姉が王太子の身代わりになる事態になり、それで命を落としたとしてもヤウンは前へと進む歩みは止めない。
今回の戦がその最たる例だ。王太子の身代わりになった姉が拉致され、それを必死に探し回ったが、ヤウンはどこかで覚悟をしていた。もしかしたら、姉の骸と対面することになるかもしれないと。
双子という存在で言えば姉は唯一無二のもの。だが、ヤウン自身の人生の中における不可侵の位置に姉は存在していない。もちろん母や他の王族の誰も。
他人から見たら、それは冷酷だと映るのだろうか。だが現実は変えようがなかった。王になり国を動かす、という目標はヤウンの命題である。
返事をしない王太子を予測していたのか、ソージンは淡々と話を続けた。
「呪詛をかける方法を考えれば解呪の方法もおのずと見えてくるものだ。大多数の呪詛は“言葉”によって相手に暗示をかけることから始まる。意識が混濁した状態の相手に“思い込ませる”ことこそが呪詛の本質だからな」
もともとが聡い王太子には相手の言いたいことがすぐに理解できた。これまでの話の内容からも姉の呪詛を解く方法が見えてくる。しかし、完璧な確信が持てず、彼は次に語られる言葉を待った。
「特定の相手を攻撃する、という呪詛はその典型的なものだ。呪詛を受けた本人の意識が目標物を特定するのだからなおさらだな。王女がこの呪詛を解く鍵は彼女自身が呪詛の囁きを無視できるかどうかにかかっているはずだ」
見おろした掌では青水晶が怜悧な輝きを放ち続け、王子の意識を反らすまいとしている。が、ヤウンの気持ちは冷たい石よりもソージンが語る内容のほうに引き寄せられ、視線そのものに力はなかった。
「守護結界を張る意味は、呪詛の囁きを遮断することと、“結界に守られている”という暗示を彼女に与えるためだろう。大陸の東北部のある部族には“病を得たと思えば病になり、病が治ったと思えば病は消える”という考えがある。意識をどこに向けるか、という点では王女の呪詛も同じようなものだ」
ゆっくりと顔を上げ、ヤウンは青水晶から視線を外す。首を巡らせ、壁にもたれかかったままのソージンを振り仰いだ。
「アルティーエが呪詛など存在しない、と思い込めば呪詛は消える、というわけだね。だから、もっとも容易く、もっとも難しいと……」
「まぁ、おおよそはその通りだ。他にも解呪の方法はあるがな」
王太子は静かに首を傾げる。冷静には聞けそうもないと思っていたが、相手の話し方が上手かったのか、それとも混乱を極めると逆に冷静になれるものなのか、ソージンは呪詛を解く方法を語り終わっていた。
「ソージン。あの……ありがとう。少なくとも一つは解決方法が見つかったよ」
「簡単とは言い難いがな。他にも方法があるが、聞きたいなら教えてやるぞ」
聞きたくないわけがない。解決方法は多いほどいいではないか。居住まいを正した王子の様子から内心を察したのだろう。ソージンは再び話し始めた。
「おれが知っている他の方法としては、魔力の強い者がかけた呪詛に多く見られることだが、呪詛と術者が繋がっている場合は術者の消滅をもって呪詛が消える。どの程度の繋がりがあるかで解呪に影響が出るがな」
腕組みを解いた白い手が指を一本立てる。次いで二本目が立てられた。
「あとは術者よりも強い魔力を持つ者が新しい呪詛をかけて前の呪詛を封殺する方法。王女の場合、王族を襲うという呪詛だから王族を王族と認識しないような呪詛か、殺意そのものが感情から欠落するような呪詛が必要だろう」
ヤウンは語られる内容から姉王女の様子を思い返す。今の時点では不可能な解決方法ばかりだったが、今後の参考にはなりそうだ。
「呪詛の上塗りは正直薦められたものではない。暗示は解けることがあるからな。一時しのぎにしかならんだろう。意識への負担も大きい。王女が呪詛に打ち勝つのがもっとも安全で確実だ。その補助として術者を抹殺する方法は有効かもしれんな。……どうやって術者を葬るかが大問題だが」
その通りである。異形を討ち果たす方法が判らないし、異形本人がどこにいるのかすら判らない今、それは現実的な方法からは外される。
結局、僧院の僧侶が守護結界を張る、と提案してきたのは、もっとも安全な方法であると結論づけるしかなかった。
「結界を張るとなると守護石の他に何が必要になるんだろう?」
ヤウンの呟きにソージンが眉を顰め、寄りかかる壁から身を起こした。
「おい、僧院の坊主は守護石以外のことは話していかなかったのか?」
王太子は頷き、不機嫌な声をあげた相手を見上げた。先ほどの老僧との話し合いでは守護石のことしか出ていなかったはず。何か聞き漏らしただろうか。
「守護結界は呪詛と同じく魔術だろうが。術者の消滅をもって消える代物だ。永続的に張り続けることは困難だぞ。王女が生きている限り張り続けるとなれば、それは術者を生涯その術に縛り付けることになる」
ヤウンは背筋に走った悪寒に身震いした。ソージンの言葉に僧侶との会話の端々から匂い立っていた悲壮感を思い出したのである。
困難な術への覚悟かと勘違いしていたが、あれは術を施す者を選出せねばならない葛藤ではないのか。結界を維持させる者の一生を奪うに等しい選定だ。
魔人と言えども人の心を持つ身。王女のためだけに生涯が決まってしまう者を選ぶ老師の内心はいかばかりであったろう。
結界を張ってもらわねばアルティーエは王城に戻ってこられない。だが、それによって確実に身を縛られる者が出てくるのだ。
だからと言って、僧院に姉を留めておくことも不安である。僧院では不埒な目的で姉を手に入れようとする者から守りきる自信がなかった。僧院の結束とて一枚岩ではないことは今日証明されたばかりである。
「ヤウン。守護結界も絶対ではない。結界に守られている間に王女の呪詛を完全に消し去る方法を考えろ。おれも手伝ってやる。もちろん、あの樹林の奥で無聊を慰めている奴もな」
王太子は強張った頬を引きつらせながら笑った。上手く笑顔を作ることが出来ない。こんなことは初めてだった。どうして出来ないのだろう。
滑るように近づいたソージンが目の前に屈み込み、ヤウンの顔を覗き込んだ。
「気を失いそうな顔をしてるぞ。今日は休め。動くのは明日からだ」
「でも、護符を作ってくれるようにジャムシードを呼び出さなきゃ。今夜は月が出てないから人目を避けて動くことができるし……」
「やめろ。人目がないからこそ目立つこともある。昼間に事業報告も兼ねて呼び出すほうが自然だろう? 焦るんじゃない。王女はそう簡単に壊れやしない」
白い手がヤウンの髪をクシャクシャにしながら頭を撫でる。無造作に置かれた掌の温もりを髪越しに感じ取り、王太子は細い吐息を吐き出した。
「やっぱり今夜の僕はどうかしてるみたいだね。情けないったらありゃしない」
「お前の年齢でなんでもかんでもこなす奴のほうが珍しい。自分を追い込むな」
白い掌が遠ざかり、頭頂の温もりが消えると、ヤウンは己がいつも通りに微笑んでいることに気づいた。顔の筋肉に先ほどの強張りは感じられなかった。
名前を呼ぶと、壁の定位置に戻りかかっていたソージンが肩越しに振り向く。
「君は、なぜ呪詛を解かないの? 解けるのならサッサと解いたほうが……」
「解く気はない。おれの呪詛は戒めであり、囮であり、希望だからな」
呪詛に希望があるとは思えない。それを言葉にすれば彼の内側に足を踏み入れることになりそうだ。呪詛の内容を訊ねてみたいが問うてもいいのだろうか。
逡巡していると、そこは経験の差なのかソージンはすぐにこちらの内心を察し、真っ直ぐ向き直って見据えてきた。
「おれもそう思えるようになるまでに随分とかかった。だが今は迷いはない。この呪詛を解くのはかけた本人だ。それ以外の者に解かせる気はない。たとえ、それがおれであったとしてもな。これが自身で出した結論だ」
きっぱりと言い切る相手の表情には曇りひとつ見当たらない。
「ソージン。僕は君の強さが妬ましいと今日ほど思ったことはないよ」
「お前がおれの年齢に達した頃には周囲がお前に抱く妬みはそんなものではないだろうよ。おれがお前の歳の頃はもっといじけていたさ」
片方の眉を器用に持ち上げた相手に対して、ヤウンは肩をすくめて見せた。
「やだな、それは絶対に信じられないよ。君なら子どもの頃から偉そうな男だったと言われても、さもありなん、と納得しちゃうね」
「お前は……。いったい全体、おれをなんだと思ってるんだ」
「うーん。傲慢さ紙一重の人間離れした超人?」
「阿呆。この程度の能力ならおれの一族皆が持っている。超人って奴はおれの一族の追跡を振り切った男のことを言うんだ」
「へぇ? それってどういう人だったの? 名前は? どこの人?」
今までの心許なさを忘れ、王太子はソージンという男やその一族に興味を示した。それはほんの少しの間だけでも現実から逃避しようとする無意識の行動だったかもしれない。しかし、誰がそれを責められようか。
「おれの一族カイリュウ族の男だ。三部族の一派“ナバ族”の跡継ぎだったが、それを拒否して一族の宝を持って出奔した。名は“ホウマ”。三百年も昔の話だが、今も宝は戻らず、おれもその宝を探している」
固有名詞の発音が少し聞き取りづらかったが、相手から返ってきた言葉を反芻し、ヤウンは奇妙な感覚に陥った。
音律に微妙な差こそあるが、ソージンが語る人物の名に聞き覚えがありすぎる。この国の者なら知らぬ者はいない。その名はかの始祖王の名に酷似していた。出奔した時期も合う。これはどんな符丁だろう。
「その宝が前に君が話をしていた探しているものなんだね?」
「あぁ、これと対で作られた太刀だ」
そう言いながら背から引き抜かれた剣。いや彼の言うところの太刀が、ランプの光を受けてテラテラと輝く。改めて見ると、持ち主同様に見る者を惹きつける存在感を与えていた。これが三百年前の品とは思えない。
そう言葉にすれば、柄や鞘は二十年ごとに作り替えられてきたのだと言う。つまりこの太刀の刀身は柄や鞘を作り替えてさえ使い続ける価値のある品物だということだ。その対となる品となれば……。
「刀身だけになっても対の品が判るのかい?」
「波紋に特徴があるからな。それにこの太刀が片割れを見逃すはずがない」
まるで太刀に意志があるような言い方である。そう思ったが、ヤウンはそのままそれを口にすることはなかった。
「宝を見つけたら故郷に持って帰るの? 見つからなかったらどうするの?」
「見つかるまで探すさ。そして、持って帰るかどうかは見つけてから決める。是が非でも持って帰りたいが、何百年も経っている。新しい持ち主に馴染んでしまっているかもしれないからな」
刀身を鞘に収め、──いつも通り鞘を背に背負ったまま刀身がすんなり収まるは天晴れだと思う──ソージンは常と変わらず飄々としている。
「とはいえ、もしも出逢ったなら太刀同士が惹き合うし、その持ち主が四六時中の鞘鳴りに耐えられるか見物だな。ガタガタとそりゃあ喧しいからなぁ」
姉のこととは別に、ヤウンの全身から血の気が引いていった。
もしも王太子の予測通りなら即位式のときに手に取る王家の剣とソージンの太刀は出逢った途端に騒ぎ出すことになる。そうなれば否応なく捜し物がどこにあるか知れてしまう。そのとき彼はどう動くだろうか。その瞬間を見てみたいような、見たら後戻りできないような複雑な気分である。
常以上に悩ましい問題だらけで、ヤウンは途方に暮れるばかりだった。
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