『やれやれ……。失敗を償う機会を与えてみれば、こうも易々と覆されるとは』
男は肩をすくめ、走り去った馬車の残映を見送った。周囲は元通りの猥雑さを漂わせている。その中で残忍な微笑みを口許に湛えた姿は異質だった。だが男の様子を観察する者はいない。彼は傍らに佇む連れを振り返った。
『どうだ? 懐かしかろう。呼び止めずともよかったか? お前が呼び止めたなら、この境遇から救い出してくれたかもしれないぞ?』
連れは女である。なよやかな物腰で馬車が走り去った方角を見送っていた。
騒々しい辻の端に佇む二人は東方人の特徴を持ち、この界隈でも人目を引く。が、眼を引くから顔を覚えられるわけではなかった。ポラスニア人には東方人は全員が同じ顔に見える。男女の区別すらつけられない者とて多いのだ。
『捕らえられた者をどうするつもりですか? 彼らの主人たる娘の処遇は?』
『質問に答えず問い返すか。相変わらず生意気な女だ』
『何を仰るやら。彼を呼び止めたとてどうなりましょうや。我ら一族は契約した身。彼は罪人で、我らはそれを狩る者。救うも救われるもありはしません。……それで。捕えられた者をどうするのです。もしや命を絶つのですか?』
『殺すのは容易い。が、番所の警邏どもがご丁寧に奴らの治療をしてくれるだろう。そうなれば、奴らは夜陰に紛れて戻ってくるさ。表では使えなくなったが、裏で仕事をしてもらおう。……奴らの主人のためにもな』
女は黙り込み、何を考えているか判らぬ無表情で辻の向こうを見続けている。己が問いかけておきながら、相手の返事に反応している感はなかった。
『しくじったからには次の手を打たねばならぬ。……お前、あの男を相手にできるか? いや、正面切っては戦えまい。お前は戦う術を知らぬ。しかし他人を出し抜く知恵くらいはあろう。小娘を盗んでこい』
『砂漠との繋がりがそれほど重要とは思えませんが』
『繋がりなどと。我が手で砂漠の民を操るだけよ。表向きの交易など所詮は仮初め。支配する側とされる側なら、私は支配する側だというだけのこと』
ようやくニタリと笑った男のほうを振り向き、女は無表情なまま頷いた。
『承知した、瀞蛾殿。だが、ゆめ約束をお忘れめさるなよ』
『お前が身の程をわきまえておれば忘れはせぬ。我が手にあるものならなんなりと使うがいい。そして精々、大婆殿の代わりに知恵を絞るのだな』
頷いた女の表情は動かない。男の側に付き従いながら、彼女は肩越しに馬車が消えた辻向こうの通りをそっと振り返った。
足にまとわりつく布地を器用にさばきながら、ヤウンはのんびりと町並みを見渡しながら歩き続けた。苦虫を噛み潰したような、どこか悲壮感を漂わせた顔をした従者が二人、彼の後ろに付き従っている。よくよく見れば、従者たちの顔はまったく同じ造りで、彼らが双子であることを周囲に知らしめていた。
「久しぶりに街を見たけど、避難民の生活はまだ完全には立ち直っていないみたいだね。それに都民の表情にも陰がある」
「奴隷たちの表情も、です。稼ぎがある奴隷はまだましでしょう。いつか己の身分を買い戻せる日が来ると信じられますから。ですが、農奴や船奴隷の下っ端などはひどいものですよ。家畜かそれ以下の扱いを受けています」
「なるほど。……確かに、荷駄を運ぶ家奴の表情は都民以上に暗いね」
「買われた先が悪かったと切り捨てるにはひどすぎます。殿下……」
ヤウンと会話をかわしているのは片方の従者だけである。が、黙々と歩いていた残りの片割れが、ヤウンの敬称を口にした途端に小さく唸った。周囲の耳がある場所で王太子の身分が知られるのはまずい。そう警告したいのだ。
「君の兄弟は心配性だね。心配しなくても大丈夫。僕のこの格好と君たちの格好を見れば、そうそう気安く近づいてくる輩はいないと思うよ。話し声が聞こえる距離には誰も入ってきていないから」
渋面をさらに深くした片割れをチラリと見遣った後、先ほどからヤウンの話し相手になっていた男が小さく首を振った。
「いえ。声だけでは不十分でした。口の動きを見ている者がいないとも限りません。用心に用心を重ねるのは当然のことです。特に、その……」
「こんな格好しているときは?」
ひらりと身体を一回転させて見せる。二人の従者は呻き声を発しそうなほど苦しげな表情をしていた。どう反応したらいいのか迷いに迷っている感じだ。
真面目に生きてきたであろう彼らに、今のヤウンの姿は冗談以外の何ものでもあるまい。ふわふわと腰で揺れる柔らかな布地と、顔の周囲を覆い隠す薄物を大袈裟に揺らしながら彼は声をあげて笑った。
「この姿を見て僕が男だと判別できる人はいないかもね」
揃って同じ顔で同じ複雑な表情を作る男たちを見上げ、ヤウンは肩を震わせる。それは二人の反応が可笑しいのもあるが、双子の姉を思いだしたことも関係していた。姉を傷つけた者どもへの怒りが甦り、震えが抑えられない。
「どうか落ち着いてください。怒りは平常心を奪います」
我に返り、王子は腕を組むような仕草で己の身体を抱きかかえた。端からは雨期最後の肌寒さに震えていたように見えたことだろう。
「ありがとう、オルドク。忠告は肝に銘じておくよ。……害虫を燻り出すための仕掛けなのに失敗したら何をしに出歩いているのか判らないからね」
自分自身ではいつも通りだと思っていても、ふとした瞬間に負の感情に強く支配されてしまう。自分を律することができず、一瞬でも我を忘れたら問題だ。
こんな格好までしているのである。なんとしてでも姉を陥れようとした輩を一掃しておかねば。まして、姉だけではなく母のことも関係してくるかもしれないと聞けば、失敗することなどあってはならないことだった。
「君たち二人で探ってみた感じはどう? 僕の姿を見て追ってきている者はいそう? 僕の読みではそろそろ出てきそうな気がするけど」
再び歩き始めたヤウンは薄物の奥から慎重に周囲を伺う。辺りを歩く人間からは彼の表情はハッキリと見えないはずだ。しかし、顔立ちの美しさはしっかりと見分けられるだけの布地を選んだのである。
王女を辱める罠を仕掛けた者たちが首尾を確認しようと施設の外で仲間が出てくるのを待ちかまえていたのだとしたら、何事もなかったように街に散歩に出る王女と思しき娘を見かけて後をつけないはずがなかった。
「二人ほど、後をつけくる気配を感じます。応援を呼ばれると厄介ですが」
今まで口を閉ざしていた双子の片割れが重い口を開く。肩越しに振り返ったヤウンは隣を歩くオルドクが頷き、弟の言葉を肯定するのを確認した。
弟ヴィドクを差し招いて素早く耳打ちした後、彼らはさも散歩が日課でもあるかのように一本の路地へと足を向けた。
「我らの感応力にも限界があります。私は眼が見えず、弟は耳が聞こえません。どうか成果を急ぐあまりの無茶はなさらないと約束してください」
「大丈夫。ひとけがないとはいえ狭い路地、命のやり取りとなれば短刀か棍棒だ。でも僕を姉だと勘違いしてるなら殺すより生け捕りにすることを選ぶはず。命を狙われるとしたら君たち二人のほうだ。充分に気をつけて欲しい」
ピリピリした空気が満ちている。すぐにでも襲撃されるだろう。そんな中をドレスの裾をさばきながら平然と歩くのは、やはり少し骨が折れた。
「三人に増えました。来ます! 前に二人、後ろに一人!」
思ったより少ないか。いや、油断しないほうがいい。ヤウンはドレスの裾を絡げ、懐から取り出した紐状の革を握りしめた。久々に手にする己の得物である。鍛錬を怠っていたせいで腕が鈍っているであろうがないよりマシだ。
眼が見えぬというのにオルドクは迷うことなくヤウンの前に飛び出し、短刀で二人の男と渡り合う。見えぬ分だけ勘が働くのか、それとも弟のヴィドクが眼にしている景色を感応力で読みとり、正確に状況を把握して動いているのか、その辺りのことはヤウンにもまったく判らなかった。
後ろを守るヴィドクも兄と同じく短刀をかまえて襲撃者と対峙する。互いの間合いに踏み込む機会を伺ってにじり寄る様子は鼠を追い込む猫のようだった。
先ほどヴィドクに耳打ちしたことを正確に実行してくれている。いや、耳の聞こえぬ彼が薄物越しに動く王太子の唇の動きを読み取った、と言ったほうが正しかった。耳が使えぬ分だけ他の器官は常人よりよく働くのかもしれない。
二人相手のオルドクのほうが苦戦していた。狭い路地を塞いで戦う彼の背がひどく緊張している。王子に怪我ひとつ負わせぬ気概で戦っているのだ。その心遣いは嬉しいが、無茶をするなと諫めた本人が無理をしてどうするのだ。
ヤウンは薄物の奥で顔をしかめ、小さく舌打ちする。
双子が必死になっているのは王太子の安全のためだけではなかろう。王女襲撃の失態を取り戻したい気持ちも多分に働いているに違いなかった。
「無理をすればどこかで綻びが出るものを……」
背後でヴィドクが斬り結ぶ金属音が響く。やはり彼も焦っているのか。もう少し時間を稼いでくれると思ったのだが。いいや、オルドクが二人相手で戦っている時点で予定が狂ってしまっていた。
「ばか者。僕を庇う必要はほとんどないと言ったのに!」
もう少しこちらを信用してもらいたい。自分たちだけで王太子を守りきろうとする彼らの姿が哀れに思え、ヤウンは湧き上がった苛立ちを飲み込んだ。
「仕方ない。僕から動くか……」
手にした皮紐をダラリと垂らし、王子はオルドクの背中に迫った。オルドクに邪魔されて襲撃者たちからはヤウンの動きはほとんど見えないはずである。
「オルドク! 屈め!」
鋭い一喝にオルドクが反射的に腰を屈めた。王族の命令には無条件に従う。それが僧院に留まる魔人が最初に身につける習性だった。
オルドクが今までいた場所がぽっかりと空く。何が起こったのか男たちには判らなかった。いきなり目の前が開け、目的の人物が目の前に立っているのである。呆気に取られていた。が、すぐに自分たちのやるべきことを思い出し、足許にうずくまるオルドクを無視して飛びかかってくる。
「愚か者どもめ。僕に触れられるとでも思っているのか」
空いた隙間にヤウンは掌中の皮紐を投げた。端を握りしめているため、皮紐は蛇の如くうねって虚空を飛ぶ。襲撃者二人の突進をヒラリと脇に避け、ヤウンは手に握り込んでいる皮紐を一閃した。
「オルドク! 立って後ろを取れ!」
しなった紐の先端が巻き戻され、吸い付くように襲撃者の一人の首に絡まる。勢いよく紐を引き戻せば、男は蛙が潰れるような声を発して顔から地面に激突した。首を絞められたまま、男は王子の前に這いつくばる。
傍らで体勢を立て直していた残りの一人はオルドクに背後を取られ、敢えなく地面に転がされて押さえつけられた。
ヤウンはぎっちりと紐を締め上げる。だが、男の息が止まらないよう調整し、背後にいたヴィドクのほうの戦いはどうなったかと振り返った。
まだ決着はついていない。いや、最初の作戦通りであれば、今頃は襲撃者の最後の一人は逃げ出していたはずなのだ。ヤウンは渋い表情で小さく舌打ちを繰り返し、ヴィドクの向こう側に見える景色を確認した。
数名の男が駆け寄ってくる姿が見える。見覚えのある顔だ。それも当然だろう。それが本来の作戦での捕獲者なのだ。
「ヴィドク! もういい。相手にする必要はない!」
本人に聞こえなくとも兄オルドクの聴覚を通じて感応力でヴィドクに届いているはずである。力を緩めた彼を振り切り、襲撃者は逃げだそうと身を捻った。しかし、すでに間際に迫っていた捕り方に二人がかりで押さえつけられる。
ヤウンがのし掛かる男は失神寸前だったが、他の襲撃者二人は応援にかけつけた者たちの当て身で強制的に気絶させられた。
三人に縄を打ち、王子はにわか部下に路地の表の様子を確認する。
どうやら王女を拉致した後は馬車で逃走する予定だったらしく、路地近くの人目に触れない場所に地味な馬車が御者とともに用意されていた。
その御者も捕らえたと報告を受ける。ひとまず誘拐劇は防がれたのだ。
「オルドク。ヴィドク。二人とも僕の側へ!」
犯罪者が用意した馬車に彼ら自身を押し込み、僧侶二人を御者役に仕立てる。こちらで用意した別の馬車に向かうヤウンは苛立ちを隠しきれなかった。
しおれた青菜のように肩を落とした双子がとぼとぼと王子の後ろをついていく姿は、狩りに失敗した猟犬が主人のご機嫌を伺っている姿によく似ている。
「僕が怒っている理由はよく判っているね? どうして予定通りに動かなかった? 僕は大丈夫だと言ったはずだが」
二人は頭を下げるばかりで弁解はしなかった。
「僕を信用できないというのなら、ここからは付き合わなくていい。この足で僧院なりどこへなりとも帰ってくれ」
「殿下を信用していないのではありません。我々は……」
「では二人で功を独占したかったわけだ。他の者たちが駆けつける前に片を付ければ、君たち兄弟の評価は格段に上がるだろうからね」
「違います! いえ、他の者が駆けつける前に終わらせたかったのは本音ですが、功を焦っていたわけでは……」
「それならどういうわけがあった? 僕に説明できないような後ろ暗いところでもあるのか? まさか、あの男たちと通じていたわけではないだろうね」
「殿下! あんまりです。そのようにお疑いになるとは!」
話をしているのはヤウンとオルドクだったが、ヴィドクも兄と同じ考えなのだろう。王子の言葉にひどく傷ついた顔をして唇を噛みしめていた。
「だったら説明してごらん。いったい僕の立てた作戦の何が気に入らなかった」
口ごもってしまったオルドクの態度に溜め息が出そうになる。ヤウンは目の前に迫った馬車の扉を開き、車体に手をかけたまま二人を振り返った。
「君たちのことで僕がこれ以上腹を立てることはないと思うね。だから素直に言ってごらん。話をしないのなら君たちに用はない。ここで帰ってもらう」
真っ青になったオルドクの隣でヴィドクがおずおずと顔を上げる。今まで大人しく沈黙を守っていた割に兄ほどには気落ちしてはいないようだった。もっとも、それも程度問題でヤウンの出方には怯えているようだが。
「殿下の意識を少しだけ読ませていただいたのです。刃物を使った戦いはあまり得意ではないと判っていたので、できるだけ殿下の負担を減らしたく……」
今度こそ王子は嘆息した。その行為に二人が恐れおののき、顔を強張らせる。
「判った。もういい。……二人とも馬車に乗ってついてきて」
それなりの年齢に達している双子だったが、街を歩き回る機会が少ないらしく、俗世の騒音や匂いにひどく過敏になっていた。馬車に乗り込む二人の動作は視覚や聴覚が不自由であることを差し引いてもぎこちない。
王子の機嫌を損ねたと怯える二人を後目に、ヤウンは馬車二台を出発させ、目的地を目指した。その間、目の前の双子に対して話しかけることはしない。
言い訳しない潔さとは反対にオルドクもヴィドクも哀れなほど怯えていた。
感応力で他人の心を覗く行為は彼ら自身の中では禁忌だったに違いない。それを破って王太子の内心を覗いたのだ。よほどの覚悟で行ったのだろう。
たぶん彼らは自分たちが功を得ることで僧院の失態を帳消しにしたかったのだ。同僚が偽神官を手引きして王女を襲う片棒を担ぐなどとんでもない。そのような醜聞は僧院そのものの存亡を危うくさせるのだ。
たとえ王族縁故の僧院でも、下手をしたら取り潰される可能性も出てくるとなれば、なりふりなどかまっていられない。そういう気持ちだったのだと、王子には彼らの行動を振り返れば判ってしまった。
ヤウンは二人の様子を視界の端に収め、吐息のような溜め息を漏らす。
……たぶん、この二人は典型的な“箱庭の子どもたち”だ。
暗澹たる現実に気分が塞ぐ。始祖王の時代から魔力を持つ者は忌まれる傾向にあった。彼らの存在を抹消するために僧院の機構は設立され、魔力を持つ者と持たぬ者との世界を隔離してきている。
僧院という狭い世界に押し込められたオルドクやヴィドクのような僧侶を、王族の間では“箱庭の子どもたち”と呼ぶのだ。その存在を間近に見て、ヤウンは自分たちがやっていることの現実に落ち込んだ。
……これでは奴隷と大差ないではないか。箱庭の子どもたちが真っ先に教えられることは王族に逆らわない、という絶対服従だ。それは産まれながらに奴隷として生きている者たちへの、“躾”という名の教育と同じものだった。
軍人が上官や命令に絶対的に従う行為以上に、箱庭の子どもたちや産まれながらの奴隷には服従が徹底されている。知識としては知っていたが、それを目の当たりにしてみて、それがどういうことかを思い知った。
王族は国家に隷属しているようなものだが、それでも心の自由はある。だが彼らにはそれすら与えられてはいないのだ。魔人だというだけのことで。
双子に改めて向き直り、ヤウンは彼らの名を呼んだ。表面的には平静を装っているが、内心では怯えている二人の態度には気づかぬふりをした。
「君たちが読み取ったように僕は剣技に長けてはいない。だが憶えておくといい。王族は暗殺者から身を守る術を学んでいる。僕がもっとも得意とするものは“鞭縄”と呼ばれる暗器だ」
ヤウンが使う暗器は、元々は警邏や法務官が犯罪者を捕らえるときに使った鈎縄を改良し、武器としたものである。近づいてきた暗殺者を逆に捕らえるために発達した武器だ。今回の作戦にもっとも向いている。
戦が起こる前は持ち歩かなかったが、父王亡き今は国王への即位を待つ身であり、また異形の存在もまだ明らかにされていない現状では、己の身を守るためには昔憶えた武術を使う状況を想定しておかないわけにはいかなくなった。
「暗器と呼ばれる武器が存在することは知っていました。ですが、それを眼にしたのは初めてのことです。よもや殿下がその使い手だとは……」
ヴィドクが囁くように声を漏らした。籠もったような発音は相変わらずで、馬車の車輪がうるさく騒ぐ中では彼の言葉は聞き取りづらい。
「そうだろうね。暗器使いが自らの武器を気安く他人に明かすことはないから。今回はそれを伝えていなかった僕の失態だろう」
「そのようなことはありません。我々が作戦通りに動いていたなら、殿下のご気分を害することなどありませんでした」
今度はオルドクが声を上擦らせた。王族が非を認めることなど、彼らの教えられた教育の中にありはしない。ただひたすらに王族と国家、そしてそれらが支配する僧院に仕えることが正しいと信じてきたのだ。
「それはもういい、と言ったはずだ。君たちに感応力があることを忘れていたのは僕なんだ。人を使う立場なら、そこにも思い至るべきだったよ」
それより、と話題を切り替え、ヤウンは王宮では当たり前になっているいつもの華やいだ微笑みを浮かべる。途端、ヴィドクの頬に朱が散り、それに引きずられるようにオルドクの顔にも血がのぼった。
馬車に乗って被り物を取り払ったが、さすがにドレスは脱げない。そのため、今の王子はどう見ても男には見えなかった。二人が戸惑っていることが判る。
つい悪戯心が芽生え、ヤウンは面白半分に姉の真似をして流し目を送ってみた。ヴィドクが目を反らし、オルドクが口許をひくつかせる。効果覿面だ。
二人の反応を見ていると笑い出したくなってくる。本当に笑ったりしたらさすがに気を悪くするだろうから我慢したが。
「今回の襲撃者たちから何か読み取れたかい?」
「はい。以前の偽神官と同じく、何者かに使われている者たちです。黒幕からの直接の命令で動いているのか、それとも背後にまだ何かあるのかまでは読みとれませんでした。背後関係を見るのは今の段階では難しいかと」
「口を割らせるさ。彼らに同情などしてやる価値はないんだから」
ヤウンは見ようによっては酷薄な印象を与える微笑みを浮かべた。しかし女性的な外見のせいで他者の眼にはどことなく艶めかしく映る。それを眼にしたヴィドクが狼狽えて俯き、連鎖してオルドクも挙動不審になった。
この双子の反応によく似た態度をどこかで見たことがある。どこでだっただろうか。ヤウンはそれを思いだそうと、薄く眉間にしわを寄せた。
「殿下。その、どこかで着替えをされたほうが……」
視線を反らしたままヴィドクが声をかけてくる。その姿に記憶が刺激された。
思わず声を上げそうになったが、すんでの所で飲み込む。口の端が引きつったのが見られなかったのは僥倖だ。こんな動揺を他人に知られたくはない。
記憶にある姿と目の前の双子の姿が重なった。本来ならあり得ない。しかし、双子とその人物の経歴の共通項を思い出した今なら、それはあり得ないと一蹴することはできなかった。いや、むしろ充分に可能性はある。
「目的地に着けば着替えはできるよ。それまではこの珍妙な姿を我慢してくれ」
「ち、珍妙などと思っているわけではありません!」
必死に抗弁するヴィドクをなだめすかし、ヤウンは目的地までひた走る馬車の窓から街の景色を眺めた。うっすらと曇っている空に気が塞ぐ。
思い出した人物の名はジャムシードだった。彼が時折見せる仕草が目の前の双子の態度とよく似ている。いつもなら見逃していただろう。
だが今日は街を歩き回り、僧院の魔人と奴隷の共通点を見つけた。絶対服従が前提とされる者とジャムシードの共通点を見いだし、戸惑いが沸き上がる。
騎士の息子から一時は奴隷へと転落した彼の過去に何があったのだろう。ただの昔語りとして聞いていたジャムシードの過去がひどく気になった。
歴代の王族は、底辺に追いやった者たちをどうする気だったのか。王族としてのあるべき姿に翳りを感じ、ヤウンはドレスの胸元をきつく握りしめた。
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