石獣庭園 -Wing on the Wind-

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Last Modified: 2025/01/22(Wed) 19:55:31〔168日前〕 RSS Feed

第一幕:王道の恋

No. 63 〔24年以上前〕 , 銀王宮年代記,王道の恋 , by otowa NO IMAGE

第07章:告白

「いやだったら、いやだぁ~!!」
 リュ・リーンは傍らの大理石の柱にしがみついて抵抗した。
「わがままを言うんじゃな~い~、リュ・リーン~。ほらほら~。父はマシャノ・ルーンに会いに行くから、お前はついでにカデュ・ルーン姫と仲直りする~」
「いやだ~! どの面下げて会いに行けばいいんだ!!」
 奥宮に通じる回廊の端で父親にマントを引っ張られて暴れるリュ・リーンの姿があった。
 あのあと支配の言葉(ガルド)に拘束され内宮近くまできたが、すんでのところで我に返ったリュ・リーンは慌てて逃げ出した。
 だが結局は父親に捕まってここまで引っ張られてきてしまったのだ。
 聖衆王に偉そうに大言を吐いたときの決意も潰れた半泣きのリュ・リーンをトゥナ王は担ぎ上げるようにして歩き出した。左肩にリュ・リーンを、右手になにやら布に包んだ品物を抱えている。
「うわぁっ!! やめろ! ばか! クソ親父ぃ~!! 放しやがれ、畜生ぉ~!」
 悪態をつき暴れ回っているが、リュ・リーンの少し小柄な身体など大きな体躯のシャッド・リーン王にはどうということはない。
 案内も乞わずに奥宮へと進んでいくトゥナ王たちに、たまたま遭遇したアジェンの民たちは呆気にとられて見守るばかりだ。それを横目に見ながら、リュ・リーンは耳まで真っ赤になりながら、一層激しく暴れる。
「放せぇ~! ばか親父~!」
 背中で喚いている息子を無視するとトゥナ王は迷うことなくズンズンと奥へと歩いていき、とうとう内宮への扉の前に立ちはだかった。
 騒ぎが聞こえていたのだろう。扉の両脇に控えた衛兵たちは顔を引きつらせて二人を凝視している。
 災厄が来た、どうして自分たちが見張り番の時に現れるんだ、とその瞳が訴える。
「おぉ~! 久しぶりだな、お前たち。息災であったかぁ」
「ト、トゥナ王陛下……」
「お、お久しぶりで」
 身体をよじって振り返ったリュ・リーンと目が合うと衛兵たちは決まり悪げに目を逸らし、二人顔を見合わせる。
「よっこらしょっと……。のぅ、聖衆王陛下がおいでだろぅ? 通してもらうぞぉ」
「ちょ……。親父! 案内も乞わずに入れると思っているのか!?」
 かけ声とともにリュ・リーンを降ろすとトゥナ王は当然の権利のように扉に手をかけた。
 相変わらずマントの端を父親に握られたままなので、リュ・リーンも引きずられるようにして扉へと近づく。
「だぁいじょぉぶ~。余は特別~」
 なんの憂いもなさそうな笑みを浮かべるとシャッド・リーンは悠々と扉を開けた。両隣の衛兵たちがため息をつくのが判る。
「お、おい! お前たち!! 自分たちの王のいる場所に他人が勝手に入るのだぞ! 少しは警戒を……フガッ……」
「さぁ、行くぞ。息子よ~」
 シャッド・リーンの腕に首を掴まえられ、リュ・リーンは内宮へと引っ張り込まれた。見守る衛兵たちが申し訳なさそうにリュ・リーンを見送っている。
「うわぁ!! やめろぉ~、ばか親父!」
「王子……。ご愁傷様です……」
 自分を拝むように頭を垂れる衛兵の姿が閉じていく扉の向こうに消える。それでもリュ・リーンはわめき声をあげ続けた。
「わ~! うわ~! やめろぉ~! 放せ……あれ?」
 父親が立ち止まったことに気づいて、リュ・リーンは声をあげることを止めると、ようやくその視線の先の人物たちに気づいた。
「せ、聖衆王陛下……。ダイロン・ルーン……」
 眉間にシワを寄せて気難しい顔をした聖衆王の姿にリュ・リーンは生唾を飲み込んだ。
 ダイロン・ルーンも不機嫌そうな顔をしている。今の騒ぎが居室にまで届いたのだろう。
「やぁ~、マシャノ・ルーン。それにミアーハ・ルーン卿も一緒か~」
 二人の顔色など一向にお構いなしにトゥナ王はゆっくりと二人に近寄っていった。
「まったくうるさい親子だな、お前たちは」
 忌々しそうにトゥナ王に応えた聖衆王は顎をしゃくってシャッド・リーンを奥へと促した。
 それを当然のように受けてトゥナ王も歩き出す。そのまま数歩を歩いてから、シャッド・リーンはふと足を止めた。
「そうだ。リュ・リーン~」
 振り返って息子を手招きする。そして、聖衆王に遠慮しておずおずと近寄ってくる息子の肩を抱くと右手に抱えていた包みを押しつけてこう言った。
「リュ・リーン~。お前の荷物だ。持っていろ」
 中身も告げずに押しつけられた包みは適度な重みが心地よかった。触った感触はかなり硬い物が入っている様子だ。
「あぁ、それから、ミアーハ・ルーン卿~。リュ・リーンをカデュ・ルーン姫の元まで案内してやってくれ~」
 リュ・リーンとダイロン・ルーンの返事も待たずにきびすを返すと、トゥナ王はサッサと聖衆王の後について歩き去ってしまった。
 取り残されたダイロン・ルーンは険しい表情を二人の王の背中に向けている。その横顔を盗み見たリュ・リーンはこっそりと入り口へと後ずさった。
 いくらなんでも、ダイロン・ルーンが妹の部屋に案内してくれるわけがない。こういう込み入った話は後から出直してきたほうがいい。
 もっともリュ・リーンはそれを口実に逃げ出したいばかりなのだが。みっともなくてとてもダイロン・ルーンと顔を会わせてはいられない。
「逃げる気か、リュ・リーン」
 不機嫌そうな顔のままダイロン・ルーンが振り返った。リュ・リーンはすくみ上がった。ダイロン・ルーンに気づかれないうちに内宮を抜けてしまおうと思っていたのに。
「いや、あの……」
 しどろもどろに答えを返すリュ・リーンの側に滑り寄るとダイロン・ルーンはジットリと年下の友人を見下ろした。
「聖衆王陛下との交渉は上手く運んだようだな?」
 淡々とした口調で自分に話しかけるダイロン・ルーンの表情に不機嫌さ以外の感情は浮かんでいなかった。
「カデュ・ルーンに会うのは難しいぞ。今やっと落ち着いたところだ」
 当然であろう。判ってはいたが、リュ・リーンは肩を落とした。
「……済まなかった」
「今さら、だな。……リュ・リーン、少しつき合え」
 リュ・リーンの言葉に苦々しげに答えた後、ダイロン・ルーンは妹の居室がある方向とは反対の方角に歩き出した。
 リュ・リーンがついてきているかなど確認もしない。ついてきて当然だと思っているようだ。
 内宮から抜ける機会を失い、リュ・リーンはため息をついた。




「お前、本当に話を聞かされていなかったのか?」
 ダイロン・ルーンはリュ・リーンに煎れたての香茶を手渡しながら尋ねた。なんの話かを確認するまでもない。
「……知らない。“今年から春の朝献にはお前が行け”と言われた」
 手渡された器を両手で包み込んだままリュ・リーンは友人の問いに答えた。まんまと父親の謀略にはまってしまったのだ。情けなくて涙が出そうだ。
 連れられてきた部屋はカデュ・ルーンの居室と対になっているのか、そっくりな間取りだった。
 違いと言えば彼女の部屋が女性らしい色合いなのに対して、こちらの部屋は書物のほうが人間よりも大きな顔をして居座っているせいか味気ないほど生活臭がないところか。
 人の匂いのするものと言ったら、申し訳程度に置かれた古びた小さな書記机とそれに備え付けられている丸椅子、それから今リュ・リーンが腰掛けているやたらと坐り心地の良い寝椅子くらいのものだ。
 ダイロン・ルーンはため息とともに丸椅子に乱暴に腰を下ろした。
「お前もあの腹黒い王たちにはめられたわけか……」
「え? ……も、って。ダイロン・ルーン?」
 不愉快そうな表情を隠しもせず、ダイロン・ルーンは吐き捨てるように言った。
「聖衆王とトゥナ王に、してやられたんだよ、私たちは! あぁ、思い出しても腹の立つ! 五年がかりで罠を張りやがって、あのジジィども!」
「え……? え? な、何? 何がどうしたって!?」
 リュ・リーンは話がさっぱり見えてこず、頭を混乱させた。
「まだ気づかないのか!? 私たちは最初から試されていたんだよ、あの二人に! 高笑いをあげながら私に種明かしをして見せる叔父上の顔ときたら! 畜生! 人をなんだと思っているのだ」
 どうもまだ騙されていることがあるらしい。だが何をどうはめられたのか判らないリュ・リーンは、友の怒りに困惑するばかりだ。
 リュ・リーンは落ち着かない気分で身じろぎした。その拍子に父親から渡されていた包みが彼に倒れかかる。どうも安定が悪い品物のようだ。
 片手に香茶の入った器を持ったまま、リュ・リーンはそれを立て直した。だが思うようにいかない。
 手から滑り落ちた包みの先端が再びリュ・リーンの腕を叩く。
 今度は倒れた拍子に包みの結び目が緩んできたようだ。品物の端が僅かに覗く。
 どこかで見たことのある装飾に飾られた品……?
「……。げっ!」
「なんだ、おかしな声をあげて」
 リュ・リーンは包みから覗いている品物にはっきりと見覚えがあった。なぜ親父がこんなものを持ってきたんだ!?
「な、なんでもない! ……それより、教えてくれ。ダイロン・ルーンは何にそんなに怒っているんだ?」
 慌てて誤魔化すとリュ・リーンはダイロン・ルーンに向き直った。
「何にだって!? ……いいか、私たちが知らなかっただけで、お前とカデュ・ルーンはとっくの昔に婚約していたんだ!」
 一瞬目の前が真っ白になる。
「な……なんだとぉ~!!」
 すぐに我に返ると、リュ・リーンはこの日何度目かの叫び声をあげた。
「うわっち、ちっ!」
 叫んだ拍子に茶の入った器を取り落としたリュ・リーンはこぼれた香茶の熱さに飛び上がった。
 だが熱さにかまっていられない。
 今まで父親が散々持ってきた見合い話すべて、いかさまだったというのか!? リュ・リーンは顔を引きつらせた。
「私は十四で成人して養護院を出たのだが、そのときカデュ・ルーンを引き取るだけの財力がなかった。
 やむなく叔父上の養女として手続きをとって、二人してここに住まいを移したのだが……。クソ! そのときから、叔父上は準備を進めていたんだ!」
 リュ・リーンは目を見開いてパクパクと口を開閉させるが、驚きのあまりに何も喋ることができない。
「春と秋の朝献の度にトゥナ王がここ内宮を訪れることは知っていたか? 王宮内の人間の間では有名なことらしい。
 トゥナ王は来る度にお前の話をカデュ・ルーンに聞かせていた。王宮の外でも男と話をしたことなどほとんどないカデュ・ルーンには、それで充分だろう? 妹はお前以外の男のことなど考えないよう、仕向けられていたのだ!」
「お、親父はカデュ・ルーンと面識があったのか!?」
「あったかだと? あったに決まっているだろう! 叔父上に引き取られてすぐに紹介されている」
 先ほどはカデュ・ルーンの名を初めて知ったような口振りだった。よくも嘘っぱちで息子を騙してくれたな! あのクソ親父!
 だがそれで判った。なぜカデュ・ルーンが自分に好意的だったのか。
 顔を会わせる度にトゥナ王からかつて一度会ったことのあるリュ・リーンのことを聞いていたのだ。警戒心が薄い上に、良いことばかりを聞かされていたのだろうから嫌がられるはずがない。
 リュ・リーンはカデュ・ルーンのことを思い出して、急速に怒りが冷えていくことを自覚した。
 王たちの思惑通りであったとはいえ、自分が彼女に恋した事実は消えない。結局は自分が選び取った結果なのだ。彼女を傷つけてしまったことも。
 リュ・リーンは力尽きたように椅子に座り込んだ。
「……カデュ・ルーンはお前の好みの女だろう? リュ・リーン」
 低い唸るようなダイロン・ルーンの声にリュ・リーンは背筋を震わせた。
 自分を見つめる友の瞳は怒りに燃えている。返答できないでいるリュ・リーンになどかまわず、ダイロン・ルーンは喋り続けた。
「当然だな。知らないうちにそのように育てられてきたのだ。気づかなかった私も迂闊だった……」
 リュ・リーンの胸に友の言葉が炎の槍のように突き刺さる。居たたまれない。どうして父王たちはこんな手の込んだことをしたのだろう。
 リュ・リーンは恐る恐るダイロン・ルーンの顔を盗み見る。どうしても確認しておきたいことがあった。
「ダイロン・ルーン。親父は……知っていたのか? カデュ・ルーンの力のことを?」
「……知っている」
 リュ・リーンの怯えた声にダイロン・ルーンが眉間のシワを深くする。嫌々に絞り出すような声で答える友の顔が大きく歪んだ。
「お前にだけは、知られたくなかったよ……。だから……」
 顔を背けるダイロン・ルーンの顔は蒼白で、見ているこちらの胸が苦しくなってくる。
 なぜ……なぜ、俺なんだ?
 再び王の居室にいたときの問いが頭をもたげる。カデュ・ルーンの相手に自分が選ばれた理由が判らない。
 ダイロン・ルーンが反対していたらしいことは想像できる。それなのに、なぜ王たちは……。
「カデュ・ルーンは……生まれてすぐに母に殺されかかった」
 ポツリと呟いたダイロン・ルーンの言葉はリュ・リーンには衝撃的だった。リュ・リーンの反応など見もせずにダイロン・ルーンは続ける。
「妹は覚えてもいないだろうがな……。カデュ・ルーンのあの力は母には享受できることではなかったのだろう。父が止めに入らなければ、母の振り上げたナイフはカデュ・ルーンの額に振り下ろされていたはずだ。
 母の狂乱はすぐに叔父上に知れた。実姉が狂っていく様を見た叔父上は、父と二人、カデュ・ルーンの力を封印した。だが母の壊れかかった心は元には戻らなかった。
 ……その封印も父の死を契機に破られることになった。母は父の死がカデュ・ルーンのせいだと思い込んでいた。まだ四つになるかどうかの妹に、聞くに耐えない悪口雑言を浴びせ、自分で毒をあおって父のあとを追った。
 そのときのショックでカデュ・ルーンの枷は外されてしまった。それ以来妹は人に会うことを極端に怖れるようになった。……初めて覗いてしまった人の心が憎悪に満ちた実母の心。狂わなかったことが不思議なくらいだ」
 顔を背けたままダイロン・ルーンは話を続けてたが、そこでふと顔をリュ・リーンへと向けた。蒼白な顔がリュ・リーンをひたと捕らえる。
「お前が六年前、アジェンに留学してきたとき、お前の瞳の噂は瞬く間に学舎や養護院の子供たちの間に広まった。それまで外の世界に関心らしい関心を示さなかったカデュ・ルーンが、その噂にだけは興味を示した。
 私がお前と仲が良いと知って、カデュ・ルーンがお前に会ってみたいと言い出したときには我が耳を疑ったよ。妹が他人に会いたいと自分から言い出すなんて信じられなかったよ。
 カデュ・ルーンが変わったのは、お前に会ってからだ。積極的ではないにしろ、他人と話をしたり、他のことに関心を示すようになり、それまでの臆病な性格が嘘のようだった。だから……。だから、叔父上は、お前を、選んだ……。だから……」
 話し声が途切れるとダイロン・ルーンは呻いて頭を抱えた。肩が微かに震えている。
「力のことが知れたら、いくらお前でも妹から離れていくだろう。大事な妹や友人を災厄に巻き込む王たちも、聖衆王の娘だというだけで浮かれているお前も許せない! 私の大切なものをむしり取っていく権利が誰にあると言うのだ!?」
 ダイロン・ルーンの吐きだす言葉は逐一リュ・リーンの胸に突き刺さった。
 王たちの気まぐれや自分の浮ついた言動に翻弄されて、傷ついている友にかけるどんな言葉があるというのか。
「なぜ、妹に伴侶など与えようとする……? カデュ・ルーンは巫女にでもなったほうが幸せだ」
 ダイロン・ルーンの呻き声を聞きながら、リュ・リーンはふと思い出した。
 成人前、まだ十二~三のときだったろうか、父王から一つのことを訊ねられた。とても大切なもののうち、どちらか一方を取らねばならなくなったとき、お前はどうするのかと。
 あのとき自分は答えられなかった。いや内心では答えを出していた。
 だが自分で勝手にそれは不正解だと結論を出してしまっていたのだ。父親を失望させたくないばかりに、リュ・リーンは父の問いに沈黙で答えた。
 今その問いかけがもう一度彼の目の前に突きつけられている。今度は答えないわけにはいかない。
 逃げることは卑怯でとても許されることではない。
「ダイロン・ルーン」
 リュ・リーンは自分の声が意外にしっかりしていることにホッとした。
 ダイロン・ルーンが顔を上げる。血の気の引いた顔には怒りとも悲しみともとれる表情が張りついていた。
「俺は……ダイロン・ルーンやカデュ・ルーンに会えて良かった。
 カデュ・ルーンが俺に会って変わったと言うけど、二人に会って、いやダイロン・ルーンに会って変わったのは俺のほうだ。俺を孤独の淵から引っ張り上げてくれたのはダイロン・ルーン、あなたのほうが先だった。
 もし彼女が変わったというのなら、それは俺のせいじゃない。あなたが俺を変えてくれたからだ。今度は俺があなたやカデュ・ルーンの支えになる番だ。俺はまだ未熟でちっぽけな人間だけど、彼女の盾になる覚悟はできている。
 ダイロン・ルーン。カデュ・ルーンの人生を俺にくれ。あなた一人で背負い込むな。俺だって、彼女を護りたい」
 ダイロン・ルーンの唇がわなわなと震えていく様を、リュ・リーンは静かに見守った。
「お前……正気か? 災厄に自分から飛び込むなんて、いかれているにもほどがある」
 泣いているような表情で自分を見る友人にリュ・リーンは微笑みかけた。心は凪いだように静かだ。
 父の問いに出した答えは、これで正しかったのだろうか?
 どちらかを選べ、と問われたとき、リュ・リーンはどちらも選べなかった。どちらも選べない代わりにどちらも取る、それがリュ・リーンの出した結論だった。
「大神の名に賭けて、俺は正気だ」
 父はこの答えにどう応じるだろうか? 聖衆王は? 弱々しく首を振る友の姿を見守りつつ、リュ・リーンは二人の王の静かな視線を思い出していた。
「ばかか、お前は……。どうかしている。カデュ・ルーンはお前に秘密を知られて、傷ついたままだ。自分の秘密を知っている者を愛せると思っているのか? ……そんなに言うなら、妹に会ってこい! 会って、フラれてくるといい! この愚か者!」
 泣いているようなダイロン・ルーンの叫びのなかに怒りはない。
 リュ・リーンはゆっくりと立ち上がると、自分に背を向けたままの友を静かな眼差しで見つめた。
「ありがとう……」
 遠い日の言葉を、もう一度友に伝える。ダイロン・ルーンの微かな呻き声が届いた。
 リュ・リーンは父から手渡された包みを抱えると、静かに友の部屋を後にした。




 リュ・リーンは包みを抱きかかえたまま、カデュ・ルーンの部屋の扉の前までやってきていた。
 だが足は重く、それ以上の前進を拒んでいるようだった。
 大きく息を吸い、ゆっくりと吐きだした。緊張に心臓が忙しなく鼓動している。
「カデュ・ルーン」
 ノックとともに部屋の主に呼びかける。耳を澄ますと、衣擦れの音が小さく聞こえる。カデュ・ルーンに彼の声は届いているはずだ。
「カデュ・ルーン。開けてください」
「……いや!」
 今度は拒絶の返事が返ってきた。
「カデュ・ルーン……。顔を見せてください。話がしたいのです」
「いやよ。何も話すことなどありません! わたしのことは放っておいて……」
 震える小さな声がリュ・リーンの耳に届く。
「カデュ・ルーン」
「……」
 辛抱強く呼びかけるリュ・リーンの声に部屋の主からの答えはなくなった。それでもリュ・リーンは呼び続けた。
「お願いです。カデュ・ルーン、開けてください。あなたに謝りたい……」
「……」
「どうか、一目だけでも……」
 だが、閉ざされた扉が開く気配はない。
「カデュ・ルーン……」
 リュ・リーンは扉に取りすがった。その拍子に抱えていた包みが扉の表面をこする。硬い物同士がこすれる微かな音。
「……母上」
 リュ・リーンは小さく呟いた。包みの中身は母親が大切にしていた品物だ。今は母の形見となったその品は、かつて父が母に贈った物だと聞いたことがある。
 リュ・リーンは結び目をほどいた。
 たぶんここ聖地で造られた物だろう。繊細な装飾を施された竪琴(リース)がその優美な曲体を現した。
 楽の音を愛していた母ならではの贈り物だ。
 どんなきっかけで贈られたのかは知らないが、リュ・リーンのうろ覚えな記憶のなかの母は、よくこの竪琴を奏でていた。
 リュ・リーンはそっと抱きしめた。
 母が亡くなってから父は毎晩のようにこの竪琴を爪弾いていた。
 普段はふざけたようなことばかりしている父が、この竪琴を弾いているときだけは真剣な顔をしていたことを思い出す。
「カデュ・ルーン」
 リュ・リーンは再度、扉に呼びかけた。相変わらず、返事はない。
「カデュ・ルーン。あなたを傷つけるつもりはなかった……」
 彼女の返事を期待しないで、リュ・リーンは続けた。
「……明日俺はリーニスに向けて出発します。カヂャに踏み荒らされているトゥナの領土を救わなければなりません。大きな戦になります。次の冬まで帰ってはこれないでしょう」
 部屋からはなんの反応もない。
「あなたに嫌われたまま出立するのは辛い」
 彼女が聞いているのかどうかは判らない。だが何も伝えずにこの場を去ることはできなかった。
「カデュ・ルーン……」
 リュ・リーンは祈るように呼びかける。
「カデュ・ルーン……。あなたを……愛しています……」
 だがついに彼女から呼びかけに応じる声はあがらなかった。

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