石獣庭園 -Wing on the Wind-

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第一幕:王道の恋

No. 61 〔24年以上前〕 , 銀王宮年代記,王道の恋 , by otowa NO IMAGE

第05章:秘密と代償

 前を歩く侍従の背をもどかしく見つめながら、リュ・リーンは王城の奥へと向かっていた。
 ウラートを送り出してすぐにリュ・リーンは聖衆王に面会を求めた。
 早朝からの面会に長が応じるかどうかなど、かまってはいられない。リュ・リーンは自分が今ここアジェンにいることを最大限に利用するつもりであった。
 父王には時間的に無理でも、聖地にいる自分にならわずかではあるが、エンダル台地を通過する許可を求める時間の余裕がある。
 何もせずにボゥッと聖地にいるわけにはいかない。
「どうぞ。こちらでございます」
 長い回廊から回廊へと歩き続け、磨かれた大理石の床と重厚な彫刻が施された扉がそびえる一角へとリュ・リーンは案内された。
 巨大な扉の前には衛兵が二人、無表情なまま立っている。リュ・リーンはその巨大な扉が聖衆王を象徴しているような錯覚に捕らわれた。
 案内の侍従の合図にその重々しい扉はゆっくりと開けられ、リュ・リーンを奥へと誘うように口を開けた。
「え? 奥の案内は……?」
 ここまで案内してきた王宮の侍従はそれ以上奥へ入ってこようとはしない。戸惑うリュ・リーンに無機質な声のまま侍従が答える。
「申し訳ございませんが、わたくしが仰せつかった案内はここまででございます。奥へは廊下に沿ってお進みください。長の居室の前に案内の者がおります」
 呆気にとられるリュ・リーンを残して、侍従は下がっていってしまった。扉の両側に立つ兵の横顔を盗み見ても、彼らはまったくリュ・リーンに関心を示さなかった。
 長に会いたいとの言伝にあっさりと応じたかと思えば、今度は奥へは勝手に行けと言う。ここの警備はいったいどうなっているのか。
 リュ・リーンは心許ない心境で奥へと誘う赤い絨毯の上を歩き出した。その背後から扉の閉まる重たげな音が響く。
 壁にかかるタペストリーは荘厳な紋様が縫い取られているが、天上から下がる薄布が、端が解らなくなるほどに広い廊下を華やかに飾り立てていた。
 誰もいない廊下を進みながら、リュ・リーンは物珍しそうに辺りを見まわした。聖衆は旧い民の一族だと聞いたことがある。建物も古びたものが多い。だがこの一角の華やかさは今風で新しげに見えた。
 聖地には不釣り合いなほどの明るさにリュ・リーンは意外な思いがした。天上から下がる軽やかな薄布は王の娘の舞姿を連想させる。
 その彼の視線の先を銀の光がかすめた。リュ・リーンは一瞬身を固くした。
「……ダ、ダイロン・ルーン」
 広間ほどの幅がある廊下の端を足早に歩いてくるダイロン・ルーンの姿に心臓が飛び上がる。
 まだ相手は気づいていないようだ。俯き加減に廊下を進むその姿はかつての闊達な少年の印象からはほど遠い。
「……!」
 ダイロン・ルーンがため息とともに顔を上げた。リュ・リーンに気づいたようだ。露骨に顔を歪めると、何か悪態をついてやろうと口を開きかかった。
 しかし何を思ったかリュ・リーンの存在自体を無視すると一段狭い廊下へと足を向ける。
「ダイロン……! 待ってくれ!」
 リュ・リーンは当初の目的も忘れてかつての友の後を追った。
 自分を無視して歩み去ろうとするダイロン・ルーンの後を追いすがったリュ・リーンには、自分が踏み込んだ場所がどんなところかなど思い巡らす余裕はなかった。
「ダ……。カストゥール候! 話がある!」
 リュ・リーンの呼び声に初めてダイロン・ルーンが反応した。険悪な目つきのまま振り返り、リュ・リーンを睨みつける。
「その名で呼ぶと言うことは、カストゥール家当主に用があると言うことか?」
 視線の激しさとは反対に声音は冷え冷えと響いてきた。
「そうだ。……同盟者ヒルムガル家当主の息子として、カストゥール家当主に話がある」
 リュ・リーンは「同盟者」の部分を強調してみせた。
 かつてほどの強権は持たないが、聖地は近隣諸国を統括していることになっていた。そのためトゥナ王家のみならず、近隣国の王家は表面上は聖地に臣下の礼をとる。
 聖地からそれぞれの国の預かり統治しているという建前のためだ。よって、聖地の貴族と各国の王家は同列ということになっている。
「こちらには話などない、ヒルムガル家の息子よ」
「カストゥール候、今までの非礼は詫びる。この通りだ」
 トゥナの貴族たちが見たら卒倒しそうな光景だった。冷血漢と陰口をたたかれている王子リュ・リーンが他人にひざまずくなど信じられることではない。
 カストゥール領主の瞳にも動揺が走る。だが彼の前にぬかずくリュ・リーンにはその表情は見えなかった。
「今回の当家の申し込みが、貴候をなおざりにしたものであると申されるなら、我が当主に成り代わって謝罪の上、申し込みの破棄をお伝えしたい」
 父王や聖衆王となんの相談もなしに勝手に話を破棄して良いわけはない。良いわけではないが、今のリュ・リーンに考えつく謝罪法はこれしか思いつかない。
「その上で、改めて……貴候の妹君にお引き合わせ願いたい」
 虫のいい願いだと、内心で思いながらリュ・リーンは恐る恐る相手の顔を見上げた。
「どちらも断る、と申し上げたら……?」
 カストゥール家の当主は無表情を保ったまま、リュ・リーンを見下ろしていた。同列に扱われるはずの相手に立ち上がるよう促す気配など微塵も感じさせない。
「お許し頂けるまで、参上し続ける」
 断固たる口調でリュ・リーンは返答した。
 カデュ・ルーンのことを諦めるには、リュ・リーンは彼女に惹かれすぎてる。
「先の縁談が貴卿の預かり知らぬことであったことは、今我が王からお伺いしてきたところだ。その件の誤解に対してはこちらから詫びよう。
 だが妹の顔すら覚えていなかった貴卿に、結婚を申し込むどんな資格があると言うのだ。迷惑な話だ……」
「そのことには、いかような責めも甘んじて受ける。だが……それでも……」
 リュ・リーンの言葉を遮るように頭上から嘲りを含む声が響く。
「断れば当家へ押しかけてくる、か。愚かしい奴だ。……このまま引き下がったのでは、家名に傷がつくか? ならば、交換条件を出してやろう」
 カストゥール候の言葉がリュ・リーンの胸に突き刺さる。
「カストゥール候……」
「聞けば今トゥナは一刻を争う危機に直面しているらしいな。……助力が欲しかろう? 当家から聖衆王陛下にご助力賜るべく具申しよう。それで今回のことはすべて白紙に戻し、今後一切我が妹に関わるな!」
 リュ・リーンは愕然としてよろめいた。そして、そのまま躰を支えきれずに両手を床につく。
 聖衆王の耳の早さに驚くばかりだ。自分が今朝受けたと同じ報告を聖地の長も受け取っていたのだ。密使を使っている意味がない。
 我知らずリュ・リーンは呻き声をもらした。
 助力は欲しい。リュ・リーンはここへ聖地の支配者にその助力を乞いにきたのだ。弱みがどうとか言っている場合ではない。
 聖衆王の許可さえ下りれば、エンダル台地の通行は可能だ。許可さえ下りれば。
 長の甥であり、神殿司祭長であるカストゥール候の具申があれば、王から許可を求めることは格段に楽になる。だが、それでは……。
「それを選べと申されるのか、カストゥール候」
 躰を支える両手をリュ・リーンはきつく握りしめた。
「貴卿に選択の余地があるのか?」
「それは……」
 言いよどむリュ・リーンの様子など意に介さず、カストゥール候は踵で大理石の床を蹴った。虚ろな音が響くなか、候はさらに続けた。
「貴卿の申し出は不愉快だ。妹を振り回すのはやめてくれ!」
「……! カストゥー……」
 その時! リュ・リーンの声やダイロン・ルーンが床を蹴る音を掻き消すように、何かが砕け散る音が辺りにこだました。
「え? なんだ、この音は?」
「何……!」
 ダイロン・ルーンの顔に焦りの色が浮かぶ。
「しまった……!」
 彼はそのままきびすを返すと目の前に迫っていた廊下奥の扉へと駆け出して行った。
 破壊音は断続的に続いている。リュ・リーンはダイロン・ルーンの行動に引きずられるように扉へと向かう。
 開け放たれた扉の奥からダイロン・ルーンの焦り声が聞こえてきた。
「目を覚ませ! カデュ・ルーン……! カデュ・ル……うわっ!」
 切迫したその声にリュ・リーンは走り出した。飛び込んだ部屋の奥はほの暗く、調度品が黒い影を床の絨毯に落としている。
 奥のベッド下の床に銀色の色彩が見えた。
 フラフラとそれが揺れてベッドへと近寄っていく。それが床に倒れていたダイロン・ルーンが起き上がっているのだ、と気づくまでにリュ・リーンは二呼吸ほどかかった。
「ダイロン・ルーン!」
 思わず叫ぶとリュ・リーンは一歩踏み出した。
「来るな!」
 その歩みを押し止めるようにダイロン・ルーンのうわずった声が響く。
「来ないでくれ……、リュ・リーン!」
 友のただならぬ声にリュ・リーンは動揺した。こちらに背を向けているダイロン・ルーンの後ろ姿は何かに耐えているように痛々しく見える。
 どうしたらよいのか判らない。
 目のやり場に困ったリュ・リーンは辺りを見まわして、いっそう動揺した。そこかしこに砕けた水差しやカップの破片が散らばっている。
 床に落ちて割れたというには不自然な位置だ。それに砕け方が何かおかしい。
 なんだ、これは……?
 リュ・リーンは足元から這い上がってくる悪寒に身震いした。




「なんだ? いったい何が……?」
 リュ・リーンは全身の肌が粟立つのを感じた。不吉な感覚。こちらに背を向けているダイロン・ルーンの肩がガックリと落ちるのが見えた。
「に、兄様……。助けて……」
 苦しげな少女の声が聞こえてきた。間違いない。カデュ・ルーンの声だ。
「ここにいるよ、カデュ・ルーン」
 ダイロン・ルーンの声はまだうわずったままだ。まるで何かを怖れるように震えている。だが少女はそれが聞こえていないのか、囁き声で助けを求め続けた。
 ダイロン・ルーンがぎこちない動作でベッドの上にかがみ込む。
「カデュ・ルーン……」
 兄の呼び声に答えるように少女の悲鳴が小さくあがった。
「い、いや……! 助けて……。助けて……!」
 リュ・リーンはそれを茫然と見守るしかなかった。
 何がどうなっているのか、さっぱり判らない。夢にうなされているらしいカデュ・ルーンを抱きしめたダイロン・ルーンが肩越しにリュ・リーンへと視線を向けた。怯えたような瞳がリュ・リーンを凝視する。
「リュ・リーン……」
 かすれた声がリュ・リーンの耳に届いたが、それがダイロン・ルーンのものだと気づくまでかなりの時間がかかった。
 その厭な沈黙を破るように再び破壊音が辺りにこだました。窓を塞いでいる鎧戸が在らぬ方角へと弾け飛んだ。
「カデュ・ルーン! ……しっかりしてくれ!」
 悲鳴に近い声で妹に呼びかけると、ダイロン・ルーンは彼女を目覚めさせようとその躰を激しく揺する。
 眼前で起きた破壊の様にリュ・リーンの躰の震えが強くなる。
霊繰(たまぐ)り……?」
 リュ・リーンは恐怖とともにこの世でもっとも忌まれる種族の名を口にした。そのリュ・リーンの言葉にダイロン・ルーンの躰が激しく身震いする。
 窓から差し込む光が部屋の惨状をつぶさに照らし出していた。とても人間がやったものとは思えない。
 置かれている調度品の数々には引き裂かれたような傷跡や穴が穿たれ、壁を飾る絵画の木枠は大きく裂け飛んでいる。
 陶製の水差しは粉々に粉砕され、所々に金箔が押されていたらしいカップは原型を留めないほどに砕け散っていた。
 リュ・リーンは震える足を叱咤して、ようやく一歩を踏み出した。
 ダイロン・ルーンの肩が目に見えて震えているのが判る。その彼の腕に抱かれた娘の白銀の髪が陽光に煙るように輝いているのがチラリと覗く。
 重い足取りでベッドの傍らへ移動したリュ・リーンの目から妹を庇うように、ダイロン・ルーンが少女の頭を自分の胸に押し当てた。
 その動作が引き金になったのか、カデュ・ルーンが身じろぎする。目を覚ましたようだ。
「う……ん。兄様……?」
 ぎくしゃくとした動きでカデュ・ルーンが身を起こしかかる。
 それを押し止めるようにダイロン・ルーンが妹の躰を抱きしめる。そしてその姿勢のまま隣のリュ・リーンの顔を見上げる。
「出ていってくれ、リュ・リーン。頼むから……」
 囁き声だがはっきりと聞き取れるダイロン・ルーンの声にリュ・リーンは一瞬にして全身に鳥肌が立つのを感じた。
「リュ・……リー……ン……?」
 たどたどしい口調のまま少女が兄の言葉を反芻した。たったそれだけのことにリュ・リーンは一歩後ずさった。
 だが恐怖が躰を強ばらせ、それ以上の後退を鈍らせる。
 ゆっくりと、本当にゆっくりとした動きで少女の頭が上がり、その顔がリュ・リーンへと向けられる。
 ダイロン・ルーンもリュ・リーンも凍りついたように動きを止め、彼女の顔が上がるのを固唾を飲んで見守った。
 娘の白い顔の半分が陽光を受けて鮮やかに浮かび上がる。
「……! そんな……」
 リュ・リーンは驚きのために喘ぎ声をもらす。そして躰の支えを求めるようにベッドの天蓋の支柱に取りすがった。
 リュ・リーンは娘の顔から目を逸らすこともできずに茫然とその顔を見守った。いや、正確に言えば、その額の部分を。
 カデュ・ルーンの額には、在るはずのないものが存在していた。
「そんな……神の眼(サーガルアージャ)が……」
 娘の滑らかな額には縦に醜悪な裂け目が広がり、そのあり得ない空間にはまばゆいばかりに輝く黄金の色彩が満ちていた。
 リュ・リーンの茫然とした呟きにダイロン・ルーンが顔を背けた。泣いているようにその肩が震えている。
 娘はぼんやりとした顔つきのまま、リュ・リーンと兄の顔を交互に見比べる。
 その顔が徐々にはっきりとした意識の覚醒を思わせる表情を刻んでいくにつれ、娘は恐怖に顔を引きつらせた。
 恐る恐るといった動作で娘の右手が自分の額へと伸びる。
 そして、そこに人ならざる者の(まなこ)を発見すると、怖れに見開かれた娘の瞳がリュ・リーンの顔に向けられた。
 娘の躰がガクガクと震えている。
「いや……。いやぁ~!」
 リュ・リーンの視線に耐えられないとばかりに娘は兄の胸にすがりついた。病的とも思える痙攣が娘の躰を襲っている。
 小柄な少女の躰を覆ってしまうように抱きしめると、ダイロン・ルーンがリュ・リーンを睨んだ。
「出ていってくれ。もうたくさんだ! 出ていってくれ、リュ・リーン!」
 猛獣の雄叫びよりも激しい叫び声でダイロン・ルーンが絶叫した。リュ・リーンは躰の震えを押さえることができずにいた。
 何故、彼女の額に神の眼(サーガルアージャ)が刻まれている? 忌まれたる種族の刻印を刻まれた娘がなぜカデュ・ルーンなのだ?
 リュ・リーンは何か言おうと口を開いたが、唇は何の音も発しなかった。
 言葉を紡ごうにも、彼の頭のなかはあまりにも空虚で、言うべき言葉などどこにも見あたらなかったのだ。
 立ちすくむリュ・リーンの視線から妹を庇うダイロン・ルーンが、戸口の方角を振り返ったのは、次の瞬間のことだった。
「叔父上……!」
 ダイロン・ルーンの泣き出しそうな横顔にリュ・リーンは胸を痛めたまま、入り口を振り返った。
 いつからそこに立っていたのか。大地を睥睨する神のように聖地の支配者がそこに佇んでいた。冷徹で厳格なその表情からは、どんな感情も読みとれない。
 感情の片鱗すら見せずに、聖衆王はベッドへと近づいてきた。その足取りにはなんの躊躇いも、焦りもない。
 全身を震わせる自分の娘をチラリと一瞥すると、リュ・リーンの深い色合いの瞳を覗き込む。
「内宮に入ったと報告を受けたのに、一向に姿を現さぬから様子を見にきてみれば……。少々、勝手がすぎるな、トゥナの王子よ」
 リュ・リーンに向けられた王の声は冷たく、言いしれぬ不安を彼の胸に広げた。リュ・リーンの背に再び悪寒が走る。
「参ろうか? ここでは話もできぬ」
 相手の返事など求めていないのか、聖衆王はきびすを返すとサッサと扉へと向かった。娘や甥には一言もない。
 王の背中は他人の声を拒否する冷酷さがあった。逆らうことなど、できるはずもない。
 リュ・リーンは奴隷の如き鈍い足取りで聖域の支配者の後に従った。




 どうして彼女なのか?
 リュ・リーンは乱れがちな呼吸をなだめながら歩き続けていた。
 前を歩く聖衆王はリュ・リーンの心情などお構いなしに足早に歩いていく。後ろに従う者のことなど忘れてしまっているかのようだ。
 どうして彼女が?混乱した頭ではまともな答えが見つかるはずもない。
 だが確かなことは、彼女が“神の眼(サーガルアージャ)”を持ち、忌むべき“霊繰(たまぐ)り”の力が使えるということだ。
 なぜ彼女なのだ。自分の両眼が“魔の瞳(イヴンアージャ)”と謗られる以上につらい。彼女の第三の眼は人が持つべきでない代物だ。
 遙か昔、まだ神々が人とともに大地に住まいし時代、神と人とが交わり、神人が誕生したという。
 弱々しい人間の器に神の力を宿す者。神人たちは神の力に耐えきれず、自ら命を絶つ者、発狂する者、力が暴走して命を落とす者が続出した。
 その惨状に心痛めた神々は、遂に地上を離れたと神話は謳っている。
 “神の眼”はその神人の名残。滅びたはずの神人族の血脈を示す紋章。
 王朝の史書には何人かの神の眼の所有者の伝承が記載されている。
 その記述によれば、(まなこ)の持ち主の最期は大抵悲惨なものだ。神の眼は人の心を読み、獣たちと会話するという。
 知りたくもない他人の心を読み取ってしまう眼の力に人間の心のままでいることは辛い。心の奥底を覗き込む力など、人には不要なものなのだ。
 それなのに、彼女の額には神の眼が。あぁ、それに霊繰り。
 リュ・リーンはその恐ろしさに目眩がしそうだった。
 魔法、と呼ばれる類の力を操る者たちは大きく分けて三種類の種族に分かれる。
 一つ目は神殿僧や呪医たちが学ぶ、通称呪術(カシュラ)と呼ばれる治癒魔法。
 これは薬草や鉱物の知識を持つ者がその修行を積んで身につけたものだ。彼らの祈りの呪文によって発動し、庶民には一番馴染みのある力だろう。
 二つ目は魔導師や魔術学者たちが身につけている、通称魔道(インチャント)と呼ばれる魔法。
 こちらは古代文書や魔道書の知識を持つ者が研究を重ねて身につけたもの。呪符や力の言葉(ガルド)を使うことで発動される。
 彼らの多くは宮廷学者として招聘(しょうへい)された者たちで、魔道書などの文献を研究するうちにその力の原理を学んで魔法を使えるようになる。
 そして三つ目が霊繰り(ディー)
 この力だけは解明されていない。
 他系統の魔法が、伝承によって学び知識を蓄えてその魔法力を高め、薬草や古文書を媒体に魔法を発動させるのに対して、霊繰りの力は一切の言葉や物質などの媒体を使わず思念によって発動する。
 しかも、その力を宿す者に出生の法則なく、突然変異のように生まれてくる。
 言葉も呪符も用いない。念じるだけ。不可解な力。まるで魔神の戯れで生み出されたような者たち。神の眼と同じく神の(わざ)に通じる力。
 それ故に人々はその力を怖れた。そして、その力を持つ者を迫害し続けた。それは有史以来変わることなく繰り返されてきたことだ。
 理解の範疇から外れる力を持つ少数民をその力を持たぬ民は怖れるあまりに、汚辱を与え、見捨て、そして惨殺していった。
 数百年前、まだワーザス地方の大半が北海に沈んで半島となる前、この地は“海に浮かぶ広野(ムーアラ・チナ・シェル)”と呼ばれるアッシレイ大帝国があったという。
 帝国時代、霊繰り(ディー)たちへの迫害は凄惨を極めたと史書には記述されている。
 そこは生きたまま皮を剥がれ、焼き殺され、あるいは串刺しにされる霊繰りたちの阿鼻叫喚に満ちていた。
 だがその帝国時代に霊繰りたちへの残酷なまでの虐殺劇が開始されたのは、虐げられてきた霊繰り(ディー)たちの反逆が引き金になったと言われている。そうでなければ、これほど凄惨な殺戮は起こらなかったであろう、とも。
 以後の世代でも帝国時代ほどの苛烈さはなくなったが、霊繰りへの処遇は冷淡で陰惨なものがほとんどだ。
 人はそれほど霊繰り(ディー)の力を怖れたのだ。いや、もしかしたら羨望したのかもしれない。
 呪術や魔道は資質を問われはするが、何の力もなかった者であっても会得できる可能性があった。しかし、霊繰りの力は違う。
 生まれ落ちたそのきにすでにその小さな赤子に力は存在しているのだ。
 自分たちには決して持つことの叶わぬ力を、神の如くに操られる力を宿した者たちへの嫉み。
 もしかしたら初めはそんな些細な嫉妬心から迫害が始まったのかもしれない。
 だが今となっては知りようもないことだ。
 その二つの力を彼女は持ち合わせている。リュ・リーンは未だに己の目が見せた幻であって欲しいと願わずにはいられなかった。
 なぜ? どうして? 同じ問いかけばかりが脳裏に渦巻き、どうしようもない焦燥感だけがじわじわと募っていく。
 いつか彼女は狂ってしまうかもしれない。いやそれよりもその力のことが知れたなら、彼女がどんな仕打ちを受けることか。
 史書や伝承のなかで語られる超常力の能力者の末路を思い起こすと、リュ・リーンは震えが止まらなくなった。
 いやだ。いやだ。誰か、これは嘘だと言ってくれ!
 だがリュ・リーンの心の叫びに答えうる者は現れず、数歩前を歩む聖地の支配者は彼の内心にかまう様子どころか、振り返ることさえしなかった。

〔 8938文字 〕 編集

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