石獣庭園 -Wing on the Wind-

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2000年8月1日の投稿1件]

後日譚

No. 71 〔24年以上前〕 , 銀王宮年代記,後日譚 , by otowa NO IMAGE

第01章:戦場

「カヂャの動きに変わりはないか?」
 剛直な声が砦を囲む城壁であがった。
 見張りの兵士が振り返り、砦の主人の姿を認めた。
「ハッ! 依然として、動きはありません」
「ご苦労だな。もうすぐ朝食もできるだろう、順に交替して休んでくれ」
 夜通し見張りに立っていた兵士を(ねぎら)うと、砦の主人アルマハンタ将軍は丘の向こうに張りついて砦を包囲している敵軍を睨んだ。
「なぜ、動かん? いくらこの砦を包囲しても、あと七日もすれば副都から援軍がくる。兵糧攻めをしている時間などないだろうに」
 春の声を聞く前に隣国が領内に攻め入ってきたとはさすがに慌てたが、百戦錬磨のアルマハンタにとっては、目障りな蠅が目の前を飛び回る程度のことであった。
「早馬がもうすぐウレアに到着するはず。……一~二日のずれがあったとしても間違いなく援軍はくる。そんなことが判らぬはずもあるまいに」
 カヂャがここリーニス砦を幾重にも取り囲んだのは二日前だ。
 早急に攻城戦が展開されるものと読んでいたトゥナ軍にしてみれば拍子抜けだ。まったくもって敵の考えていることが判らない。
「閣下!」
 石段を登ってくる足音にアルマハンタは振り返った。
 自分の盾持ちをしている若者が呼びかけている。どうやら朝食ができたらしい。手をあげて答える将軍を確認すると若者は軽い足取りで石段を駆け下りていった。
 もう一度だけ敵軍を見渡すと、アルマハンタはゆっくりとした足取りで城壁を後にした。




「な……んだ……?」
 アルマハンタは急激に身体に拡がる痺れと目眩によろめいた。
 足が鉛のように重たい。全身から冷や汗が噴き出す。
「何が……」
 自分の身体になにが起きたというのだろうか。
 朝食を摂ったあと、昨日と同じように軍議に向かう途中だった。突然の体調の変化に戸惑う。
 助けを求めようと周囲を見まわしたが、辺りに人影は見えない。
 いや、人影どころか、人の話し声や物音すら聞こえてこない。何かがいつもと違っていた。
「どうして……急に……」
 鈍い動きしかできない身体では思うように先に進むこともできない。だが、人のいる場所までいけばなんとかなる。
 額から滴り落ちる汗にもかまわず、アルマハンタは窓辺に寄り、開け放たれた窓から城門前の広場を見下ろした。いつもここには人がいるはずだ。
「……! な……」
 広場の様子は明らかにおかしかった。
 持ち場についているはずの兵士がだらしなく座り込んでいたり、身体を丸めて横たわっていたりしている。耳を澄ますと微かな呻き声が聞こえた。
「ま……さか、砦の……人間すべて……なのか!?」
 苦しい息の下からアルマハンタは声を絞り出した。
 その時、待ち構えていたように城門の外から鬨の声があがった。敵軍が攻めてきたのだ。
「こ、こんな……ときに……。……あ……、ま、まさか……!」
 ようやく将軍は事態を飲み込んだ。
 カヂャの密偵が昨夜までに砦に潜り込んでいたのだろう。その密偵が砦の食料庫か飲み水に毒を盛ったに違いない。
 砦中の人間が朝食を取り終わった頃合いを測って攻め入ってくる敵軍の様子から見ても、その考えに間違いはなさそうだ。
 鉄杭で城門を叩き壊している音が辺りにこだましている。だが、その音に反応する者は城内には一人もいない。
「お、己……カヂャめ……。よくも……。卑怯者め……」
 動くこともままならない兵士たち相手であれば、どれほど腕の悪い軍人でも簡単に砦を落とせよう。
 まんまと敵の罠にはまってしまった。
 だが戦で敵陣に毒を盛るなど卑怯な手段だ。第一、毒の混入に失敗すれば、砦に自軍が入城したときに飲み水などは使いものにならなくなっている場合もあるのだ。
 この後の砦の使い道を無視した敵軍のやり口に、アルマハンタは憤りを覚えた。こんなやり方は軍人のやることではない。
 だが、身体の痺れはどんどん酷くなる。もう立っていることすら難しい。
「くぅ……お、王陛下……。シャッド・リーン様……」
 力尽きて跪く将軍を待っていたかのように城門が悲鳴をあげ、城内に敵兵を吐きだした。
 けたたましい笑い声をあげて駆け込んでくる不格好な甲冑姿の騎士がアルマハンタの目に入る。
「ハハハハッ! 見よ、この虚け者めらの姿を! さぁ、者ども、狩り尽くせ! 一人残らず焼き殺してくれるわっ!」
 耳障りな笑い声がアルマハンタの鼓膜を叩く。
 最後の気力を振り絞って、アルマハンタは立ち上がろうともがいたが、鋼のように鍛え上げられた彼の体躯はついに最後までその主人の思いに答えようとはしなかった。
 掠れていく将軍の視界の隅に、赤い色彩が躍った。
 『(パタゴス)が……』
 古びた石廊下の床に崩れ落ちていく彼の目が最後に捕らえたのは、火をかけられた砦のなかに揺れる真紅の蛇の紋章だった。




「王子! 敵補給部隊の護衛が鶴翼の陣を敷いています」
 斥候役の騎士が馬蹄も荒々しく近寄ってきた。
「数は!?」
「当小隊の倍数近く。およそ百騎ほどかと」
 まわりに詰めていた側近たちが息を飲む。
 多い。まさか、これほどの数の敵兵が展開していようとは。
 待ち伏せは覚悟の作戦であったが、兵力の差を技量で補うのも限界がある。ましてや、こちらには……。
「カヂャめ。さすがに尻に火がついたことに気がついたか。旗印は誰のものか!?」
 この作戦において敵兵の数は重要だ。相手にこちらの動きを封じられては、一巻の終わりなのだから。
「はっ。旗は立てておりません。しかし盾には青銅の“(パタゴス)の紋”が……」
「パタゴス!? ふん……邪なるゼンゲン家の者か」
 考え込む王子を騎士たちが注視する。
 ゼンゲン。この名を聞いたときから騎士たちは顔を曇らせた。勝つためには味方すら見捨てるというカヂャの一族だ。報告によればリーニス砦を陥とした者もゼンゲンの一族の者だったという。
 今回の百騎という数から見ても本気でトゥナの奇襲隊を潰すつもりだ。二倍の兵力差は補いようもない。撤退もやむなし。皆がそう思っていた。
「背負っている紋が一つならば、指揮官は一人。それだけの数の隊となると指揮官の指示が届かぬ場所があるな。我が隊は紡錘形に陣をとる。敵陣の翼部を一度揺さぶって指揮官をいぶり出すぞ。将だけを狙え! 他の騎馬に構うな」
「御意!」
 自らの気弱さを叱責するように騎士たちは指揮官に敬礼をとった。自分たちの前に立っている者は誰か? 今まで自軍を勝利へと導いてきた者、トゥナ軍の指揮官ではないか!
 騎士たちは甲冑を打ち鳴らしながら愛馬に跨ると、自分たちを率いる王子の背を護るように轡を並べた。




「全員、敵陣を抜けました!」
「敵弓隊が下がります!」
「王子! 敵将の位置が判りました。右翼の中央です!」
 混戦のなか、次々ともたらされる報告のなかに、狙う敵の位置が報告されると、王子の瞳はギラリと光った。
「突撃する! 俺に続け!」
 軍馬を駆り、一陣の黒い風のように疾走する王子に遅れまいと、トゥナの騎馬たちは雄叫びをあげて、そのあとに続いた。
 敵騎兵は自軍の右翼にまっしぐらに喰らいついてくる一団の先頭に立つ人物に気づいて青ざめる。
「トゥナの黒太子! 魔神の子だ!」
「なんでこんな場所に!」
 逃げ腰になっている者もいる。
 だが、弱気な彼らを叱責する声が飛ぶ。
「退くな! ……見よ! 我らの勝利が見えるではないか! トゥナの黒い魔神を討ち果たせ! 奴の首級(くび)を挙げた者の恩賞は思いのままぞ!」
 その声に勇気づけられでもしたのか、カヂャの一部の騎兵たちが各々の得物を手にトゥナの王太子に群がる。
 この王子を討ちさえすれば、リーニスの覇権はカヂャの手に落ちたようなものだ。血に飢えた猛禽の叫声に似た喊声が戦場に響き渡る。
 だが、カヂャの騎兵の剣や槍のほとんどは、トゥナの先陣に立つ人物に届く前に、打ち落とされ、叩き折られたあと、その持ち主ごと軍馬の鞍から蹴り落とされる。
「貴様らに我らの盟主が討てるとでも思っているのか!」
「退がれ! 我らの主にその汚い指一本触れるな!」
 銀の甲冑に身を包んだトゥナの騎兵たちは、自軍の指揮を取る王子のまわりに群がるカヂャ軍に痛烈な攻撃を加えていく。
 両軍の軍馬が入り乱れ、血と汗の臭いが鼻を突く。
「ゼンゲン! この臆病者! 俺の前に出てきてみろ!」
 左右を味方の騎士に固められ、自身が大剣を奮う余地がなくなると、トゥナの王子はジワジワと退いていく敵軍の中枢部に向かって叫んだ。
「臆病風に吹かれたか! この腰抜け!」
 痛烈な誹謗を立て続けに叫ぶと、王子はその黒い兜の面当を跳ね上げた。まだ混戦は続いている。それなのに敢えて危険を冒して相手を挑発しているのだろうか。
 兜の下から人のものとは思えない暗い翠の瞳が覗く。
「どうした、腰抜けゼンゲン! 言い返すこともできぬか! お前のような奴は、兵士の後ろに隠れて震えているのがお似合いだ!」
 獣の咆吼に似た唸り声が上がると、カヂャの兵士たちを押し退けて一人の騎士が現れた。
「トゥナの小倅(こせがれ)め! よくも儂を愚弄してくれたな!」
 大きな体躯と言えば聞こえはいいが、太りすぎて甲冑が悲鳴をあげているその身体の持ち主は、嗄れた声で喚いた。華麗な装飾の甲冑がかえって滑稽だ。
「ゼンゲン閣下……! 危のうございます!」
 カヂャの軍中からの制止の声を無視すると、ゼンゲンと呼ばれた男は軍馬の鞍から投げ槍を外した。
 右手に投げ槍を、左手にハピラを握り、馬上で仁王立ちになるその顔だけは鬼神を思わせた。しかし太りすぎた身体で馬上での平衡を保つのは容易なことではない。
「いかん! 閣下をお守りせよ!」
 カヂャ軍からのその声が引き金になった。トゥナの騎士たちは怒濤の勢いで敵将に迫ると、その白刃を次々に相手に叩き込んでいく。
 瞬く間にゼンゲンはトゥナの白刃の下に息絶えるかと思われた。
 だが、カヂャの騎兵が自分たちの主を間一髪のところで引き戻す。トゥナの凶刃の下に悲鳴をあげたのは、ゼンゲンの愛馬だけであった。
「お、おのれぇ~! 儂の馬が! 殺せ! 皆殺しじゃ!」
 部下の馬にしがみついたままゼンゲンは吼え続けた。怒りにこめかみの血管が膨れ上がっている。
「王子のまわりを固めろ!」
 再び混戦は続き、人馬にカヂャ軍もトゥナ軍もない混乱が続く。
 ゼンゲンは馬を失ったことで戦線を離脱しかかっており、彼を護衛するためにカヂャの軍勢はその総数を減らしていた。
 指揮官の戦線離脱で士気を落としたカヂャ軍は、圧倒的に数の上で有利なはずだが、徐々に後退を始める。
「逃がすな! 追え!」
 トゥナ王子の声に呼応するかのように、カヂャ軍の右軍列が崩れた。
 トゥナの騎士たちが弱ったその隊列にさらなる攻撃をくわえる。鈍く輝く白刃の下で血煙が上がった。辺りの血臭がさらに濃くなる。
「こちらの隊列を崩すな! そのまま両側に……ぐぅ!」
 王太子の苦痛の声に両脇を固める騎士たちが振り返った。そしてそのまま凍りつく。
 馬上でのけぞるトゥナの王子は自分の顔を押さえている。その指の間からは鮮血が噴きだしているではないか!
「お、王子ぃー!」
 声を震わせる騎士の目の前で、王太子はもんどり打つようにして後ろへ倒れた。
 この瞬間を敵も味方も息を飲んで見守る。すべての音が消えた死の空間。だが空白の時間はその渦中の人物自身によって終わりを告げた。
 トゥナの王太子は倒れたその勢いで跳ね起きると、顔の右半分を朱に染めたまま、突き立った矢を引き抜いた。空気を奮わす咆吼が王太子の口から迸る。
 そのまま血で濡れた矢を地面に叩きつけると、王子は大剣を引き抜き、雄叫びをあげた。赤黒い血がこびりついた刃……。いったいその剣は、何人の戦士の血と魂を吸い上げてきたのだろう。
 血に濡れた鬼神の形相。黒太子のその顔に敵ばかりか味方も鼻白む。
 混戦のなかで矢を放った者は、その悪魔の顔に悲鳴をあげた。だが魔神の叫びに自身の軍馬が怯えて動かない。
 自分の逃げる方法が徒歩しかないことを悟ると、悲鳴をあげて駆けだした。
 魔神の子は猛獣が獲物を狙う俊敏さで、背を向けて逃げる男を追う。徒歩と乗馬とでは結果は見えている。
 半狂乱の悲鳴をあげて逃げ惑うその兵士の首を大剣が捕らえ、あっさりと胴体から薙ぎ払う。殺された男の悲鳴が胴から離れた首の転がる先へと続く。
 カヂャ軍から悲鳴が上がり、雪崩をうって後退を始めたのはそのときだった。
 だが自分を傷つけた男を屠っても王子の怒りは止まりはしなかった。
 前方を後退していく敵本隊に悪鬼の形相を向けると、再び咆吼をあげて軍馬を駆る。
 トゥナの騎兵がその後を次々に追う。
 その様子を遠目に眺めていたゼンゲンの顔色が変わった。
 予備の軍馬に跨っていた彼は、味方を速やかに退却させることもせず、一人馬に鞭を当てて遁走し出した。
 将が逃げているのに、残って戦おうとする兵士などいない。一度後退した隊列は、もはやその形を完全に崩して、カヂャ軍は我先にと逃げ出した。
 自軍よりも少数の敵に完膚無きまでに叩きのめされたカヂャ軍は、ほんの一握り、死を免れた兵士以外リーニスにその変わり果てた骸を曝した。
 戦いが終わったあとに転がるその骸のなかに豪奢な甲冑をまとった将らしい男の遺体があった。
 その首は切り落とされ、手足はあり得ない方向へねじ曲がっており、太りすぎの特徴のある体躯だけが、カヂャのゼンゲンと呼ばれた男のものであることを証明していた。
 しかし、どうしたらこれほど無惨な死に方ができるのか、彼の骸から想像することは難しかった。




「まったく! どれだけ人を心配させれば気が済むのですか、あなたという人は! いい加減にしてください!」
 ウレアの城郭を背に張られた軍の天幕から、若い男の金切り声が響いた。
 軍医が叫び声をあげる男のほうを振り返って、患者を庇うように声をかける。
「そう怒鳴られるな、ウラート卿。傷は思いの外に軽いものでしたし……」
「傷が軽かろうが、重かろうが、そんなことは関係ない! リュ・リーン! あなたは大軍を率いている将としての自覚に欠けすぎています。あなた自身が騎馬小隊を引き連れてカヂャ軍と交戦するとは何ごとですか! 今回は無事に済みましたが、あなたの首級(くび)を獲られたら、この戦は負けなのですよ!」
 さらに大声をあげるとウラートはリュ・リーンを睨みすえた。
 勝手に兵を引き連れて行き、近郊で略奪を続けているカヂャ軍と直接に剣を交えるなど、大将のやることではない。
「すまん。以後気をつける」
「いいえ! もう聞き飽きました! 何度言っても同じことばっかり。そんなに死にたければ勝手にしなさい!」
 憤然とした様子でウラートは天幕を後にした。
 その後ろ姿を見送るリュ・リーンに軍医が厳かに言い渡す。
「殿下。傷は思いの外軽うございましたが、決して楽観できるものではありません。今しばらくはご静養をしていただきます。それから右の頬の上辺りには一生傷が残りますぞ」
 ため息を吐きながら、その言葉を聞いていたリュ・リーンは困ったように眉を寄せた。
「それは聞けそうもないぞ、侍医。俺が戦列を離れることはできない」
 リュ・リーンの返答を予測していたのか、今度は軍医がため息をつく。
「そうでございましょうとも。あなたという方はいつも無茶ばかりなさる。まったくどなたに似たのやら……。ウラート卿の心労は当分続きそうですな」
 遠慮なく自分を批評する軍医の言葉に苦笑するとリュ・リーンは包帯に包まれた身体を起こして、軍服に袖を通す。
「もう働きにいくつもりで? 今日一日くらいは休んでも誰も文句は言いませんぞ、リュ・リーン様」
 手当に使った道具を片付けながら、軍医は主を見上げた。
「休んだ分だけカヂャを追い落とす時期が遅くなる。親父がグンディの欲惚けじじいの裏工作をしているが、今年中にリーニスからカヂャを追い払わないと、来年以降の作物の収穫に影響がでる」
 気忙しく喋る若い主人の背中が口出しをするなと言っている気がして、軍医はそれ以上は口を挟む気になれなかった。
 身なりを整えたリュ・リーンが王家の紋章が縫い取られたマントを羽織る姿を軍医は眩しそうに見つめた。
「背が随分と高くなられた」
 リーニスに援軍を率いて到着したときのリュ・リーンは同年代の若者よりやや小柄であった。
 父親が体躯の大きな男だけにコンプレックスを感じているらしい彼の手前、側近の者はそれを口にすることはなかったが、王都の貴族のなかで彼をよく思わない輩は陰で随分とそれを謗っていた。
「ウラート卿とたいして変わりませんな。鎧職人が嘆きますぞ、そんなに伸びられては。それこそ一ヶ月に一度新しい甲冑を作らねばなりますまい?」
「……そうか? 喜んでいるかもしれんぞ。俺がこの一年間にやつらに支払った金貨が何枚になることか。財務大臣が知ったら卒倒しそうだ」
 この数ヶ月でリュ・リーンの身長は急速に伸びていた。まるで春に芽を出した若芽が夏の陽射しをいっぱいに浴びて悠々と伸びていくように。
 常に先陣を切って軍の指揮をとる彼にとって甲冑は必需品だが、あっという間に身体に合わなくなっていく甲冑は何度も修繕に出され、その度に代わりの新しい甲冑が作られた。
「いずれはお父上に追いつかれましょうな。……あの方も昔は小柄なほうでしたから」
「……! 親父も!?」
 父親とたいして歳も変わらないこの軍医ならば、昔のトゥナ王のことも知っていよう。だが、父親とそんな話をろくすっぽしたことのないリュ・リーンにとって今の話は非常に興味のあるものだった。
「えぇ。王陛下も昔は小柄でしたよ。……そうですね。やはりあなたぐらいの歳の頃でしたかねぇ、急に伸びられたのは。それまではお母上によくからかわれていらっしゃいました」
「は……母上に、からかわれた!?」
 記憶に薄い母の印象はただ美しいだけで、そんな生臭い人間臭を帯びてはいない。父親のことを“親父”と呼ぶくせに、母のことはどうしても”母上”としか呼ぶことができないのがそのいい証拠だ。他人から聞く母の姿は現実離れした感じが拭えない。
「……俺も背が高くなるのか?」
 酷く心許ない気分でリュ・リーンは問うた。
 物心ついたときから父は見上げるほどに大きく、息子の自分の前に壁のように立ちはだかっていた。父の跡を継ぐとは決めていたが、その父の後継者として相応しい人間になるには、自分の器量が貧相に見えて仕方がなかった。
 少しでも父に近づけるものならば……。どんな些細なことでもよかった。
 血の繋がりを否定しているわけではないが、もっと目に見えるもので確証が欲しかった。それでなくても、淡い金髪に海色をした碧眼の持ち主である父と、黒絹を思わせる髪と暗緑色の瞳を持つ自分とは外観上似ていない部分が多い。
「えぇ、そうやって王家の紋を負う姿はお父上にそっくりです」
 穏やかに微笑む軍医に少し照れた笑いを向けると、リュ・リーンは足取りも軽く天幕を後にした。
「殿下!」
 その大天幕を出るとすぐにリュ・リーンに声をかける者が姿を現した。
「アッシャリーか。カヂャの動きに変化があったのか?」
 アッシャリー将軍。リュ・リーンが援軍を率いてくるまで、独りでリーニスに駐留していたトゥナ軍を統括していた男だ。
 元々この将軍はリーニスの出身だ。この地は勝手知ったる庭のようなものだから、カヂャといえども彼を屈従させることは叶わなかった。
「相変わらずこちらの小出しの小隊に振り回されていますね。同じ手に何度でも引っかかる。バカじゃないですかね、あいつら」
 敵を言下に酷評してみせると、アッシャリーはニヤリと口を歪めた。悪戯っぽい視線をリュ・リーンに送り、伸びた無精髭を無骨な手で扱く。
「先ほどは随分こっぴどく説教をされましたな」
 天幕でウラートががなり立てている声が聞こえたのだろう。
「当分は口を利いてもらえないかもな」
 肩をすくめるとリュ・リーンはつまらなそうに嘆息した。
 自分の天幕から離れ、軍義を開くときに使用している建物へと移動しながらリュ・リーンは辺りの様子を観察した。
 いつも通りに兵士たちは各々の役割を果たしているようだった。
 ここへ来た当時からウラートはリュ・リーンが先陣に立つことを嫌がった。王の後継者らしく後方から的確に指示を出していれば充分だと主張しているのだ。
 だが、リュ・リーンの考えは違っていた。
 リーニスの南東部地域を失って士気が地の底まで落ち込んでいるときに、総大将が後方から叱咤したところで下士官たちが王家に忠誠を誓うはずがない。自分が誰よりも先に危険に立ち向かい、自らが彼ら以上の働きを見せる必要がある。
 論より証拠と言うわけではないが、ここのところリュ・リーンが自らが立てた作戦を、自らが指揮する軍勢で先頭切って行うとき、彼の指揮する隊に志願する騎士の数はうなぎ登りに増えている。
 民のためにその命を投げ出せ。と騎士たちは自分たち独自の精神学で学んでいるが、人間いざ命を投げ出すとなると、どこかに躊躇いがあるものだ。その彼らの気後れを払拭するためには、彼らすべての上に立つリュ・リーンがそれを実証してみせなければならないのだ。王の後継者だから、などと奥に引っ込んではいられない。
「まぁ、そのうちに機嫌も直りますよ。そうそう、武勇伝を部下から聞きましたぞ。あの状況で落馬しなかったばかりか……」
「もういい! アッシャリー。その話をするな。またウラートの機嫌を損ねる」
 先の戦闘で負った傷を手当したばかりのリュ・リーンの顔は半分を包帯に覆われていて痛々しいばかりだが、子供地味た不機嫌さに歪む表情は豊かだった。
 幼い頃から自分と一緒の時を過ごしてきたウラートにリュ・リーンは頭が上がらない部分がある。他人からは、臣下に遠慮しているような姿は覇気がないように映るかもしれないが、リュ・リーンはわざわざウラートとの仲を悪くしてまで、主従の関係を確認したくはなかった。
 アッシャリーがどう思ったかは知らないが、笑みを噛み殺したように歪んだ口元がさりげなく彼の心情を物語っているようだった。
「失礼を。ところで、殿下。今夜もいつものように下士官たちと食事を?」
「あぁ。無様な格好だが、顔を出すつもりだ」
 リュ・リーンがここへ来てから習慣にしていることに夕食は部下の下士官たちとともに摂る、ということがある。夜間の作戦を入れない限り、リュ・リーンは欠かさずその席に顔を出し、余裕があるときは彼らに僅かばかりではあるが酒を振る舞った。
 下士官たちの間でのリュ・リーンの評判は以前からそう悪いものではなかったが、この習慣ができて以来は特に平民出の下士官の間では熱狂的に支持を受けるようになっていた。
「酒は厳禁ですな。傷に響きますから」
 アッシャリーに言い渡されなくても、一緒に顔を出すウラートが許しはすまい。だが、それを敢えて口に出してアッシャリーに笑われることもないだろうから、リュ・リーンは沈黙でそれに答えた。
「しかし、ウラート卿が補給部隊を請け負うようになってから、我が軍の物資は随分と豊富になりましたなぁ。今では食料や武器の確保に奔走していたことが夢のようで……」
 建物の前に到着するとアッシャリーは先に立って扉を開け、恭しくリュ・リーンに先を譲った。
 それに軽く手をあげて答えながら、リュ・リーンは我がことを褒められたように晴れやかに微笑んだ。
「あいつは俺にはもったいないくらいの奴だよ」
 肩で風を切り、部隊長たちが待つ部屋へと入っていくリュ・リーンの後ろ姿を見守るアッシャリーの顔には満足そうな笑みが浮かんでいた。




「ウラートの奴、遅いなぁ」
「補給物資が先ほど届いたそうですから、分配しておられるのでしょう? ……すぐに見えますよ」
 スープをすくう動作を止めて隣を気にするリュ・リーンに同席している下士官の一人が苦笑しながら答える。
 いつもなら隣の席にはウラートが陣取って、野菜を残すな、酒を飲み過ぎるなと口うるさく世話を焼くのだが、今日は未だに姿を見せていない。
 昼間にかなりウラートを怒らせてしまっている。
 もしかしたら愛想を尽かされたのかもしれない。そんな埒もない考えが頭をよぎり、リュ・リーンは小さく嘆息した。
 夕食を下士官たちと摂るよう進言したのはウラートだった。
 軍属の者の間でも”魔の瞳(イヴンアージャ)”と呼ばれているリュ・リーンの瞳の色はあまり好もしくは思われてはいない。
 だが初陣から連戦連勝の彼の武勲が辛うじて兵士たちの拒否感を和らげ、軍人としての彼の支持を支えていた。
 その危うい立場を確かなものにするために、ウラートは下士官たちの輪のなかに入っていくことをリュ・リーンに勧めた。
 将軍などの地位の高い軍人とはトゥナの王宮にいたときから親交がある。だが戦で直接的に戦闘にかかわる下士官たちとの接点は王太子であるリュ・リーンには少ない。
 下士官たちの支持を得なければ、今回のような大戦で強権を駆使することはできそうもなかった。ウラートの進言は的を得たものだ。
 しかし身内でも彼の瞳に嫌悪感を抱く者がいることを知っているリュ・リーンにはウラートのこの申し出を実行することは最初のうちはかなりの抵抗感を伴った。潜在的に今現在自分と親しくしている者以外を避けてしまう。
「殿下、お身体の具合が良くないのですか?」
 リュ・リーンの食があまり進んでいないのを、今日の戦闘で負った傷が痛むからだと思ったのだろうか。灰色がかった髪の若者が声をかけてきた。
 顔をあげて隣のテーブルに坐る若者を確認するとリュ・リーンは笑顔を向けた。確か、彼はリーニス地方の領主の息子だったはずだ。
「いや、身体の具合は悪くない。今日は少し暑かったからな。あまり食欲がでないだけだ」
 傷が痛まないわけではないが、耐えられないほどのものでもない。
「あまりご無理をなさっては……」
 領主の息子のついているテーブルの向こうから別の下士官が心配そうな顔をしてリュ・リーンを見つめている。
「侍医が大袈裟なだけだ。ここまで包帯を巻くこともないのにな」
 下士官たちの心配を払拭するようにリュ・リーンは苦笑いを浮かべて肩をすくめて見せた。
 ウラートの進言は間違ってはいなかった。
 初めて彼らと食事をしたときは、彼ら以上にリュ・リーンが緊張していてウラートがいなければどうなっていたことかと今でも思う。
 だが徐々に彼らに馴染み、ごく普通に会話できるようになってみると、今まで上からしか物を見ていなかった自分が見えてきた。
 以前のリュ・リーンであれば、下の者に気を使うなどということはなかった。
「大した怪我じゃない。まわりが大袈裟なだけだ」
 誰よりも自分に言い聞かせるようにリュ・リーンは続けた。
「……そうでしょうとも!」
 不機嫌な口調で背後から声がかかった。
 振り返ったリュ・リーンの視界に彼の守り役ウラートの姿が映る。
「ウラート! ……遅かったな」
 そのウラートが機嫌の悪そうな表情のまま自分の席までやってきた。チラリと主人の皿を覗く。
「野菜が残ってますよ、リュ・リーン」
 ウラートは相変わらず野菜嫌いな主に嘆かわしそうな視線を向けると、自分の席に着く。
「……今から食べようと思っていたところだ」
 頬を膨らませて抗議するリュ・リーンなど眼中にないといった風情でウラートはパン籠から大麦パンを取り出した。
 膨れたまま煮込み野菜を口に押し込むリュ・リーンと、それを横目で厳しく見守るウラートとを交互に眺め、下士官たちがやれやれといった顔をして互いに顔を見合わせた。
 食事のときに二人が繰り広げるやりとりにはハラハラさせられることが多いが、今日のウラートの機嫌の悪さは特別に酷い。いつもはこれほど気難しい顔などしない人物なだけに二人の間に何かあったのではないかと気を揉んでしまう。
 煮込み料理をよく噛みもせず飲み込んでいくリュ・リーンの視線は、その料理を平らげるまでとうとう一度もあげられなかった。さらに口のなかの野菜の味を消そうとスープを一気に飲み干す。
「コックがあなたの食べる様子を見たら泣きますよ」
 ようやく人心地ついたリュ・リーンの耳にウラートの毒舌が届く。
 ムッとしたリュ・リーンは、その毒舌を吐いた友人のほうを振り向いた。視線は険しい。
 だが、リュ・リーンの視界にウラートの横顔は映らなかった。視界一杯を占めるその物体に驚いてリュ・リーンは喉まで出かかっていた悪態を飲み込んだ。
 よく見るとそれは丸められた羊皮紙だった。すぐ目の前に鑞封が見えた。
 マジマジとそれを見つめていたリュ・リーンは、その鑞封の上に押された印章を確認して目を見開いた。
 “清花(カリアスネ)の紋”!
「ウ、ウラート……。いつ、これを?」
 顔の表情を変えずに自分を見つめる学友にリュ・リーンは問いかける。
「今朝あなたが勝手に出陣した後すぐに伝使が到着しました」
 淡々と答えるウラートをリュ・リーンは睨んだ。
「だ、だったら昼間のうちに渡してくれても良かったじゃないか!」
「すっかり忘れていました」
 だからどうした、といった顔つきでウラートがリュ・リーンを横目で見る。ふてぶてしいその態度にリュ・リーンのほうが鼻白んだ。
「ウラ……」
「受け取らないのですか? 読まないのなら、捨てますけど?」
 ウラートの冷淡な口調に慌てたリュ・リーンは学友の手に握られた羊皮紙をひったくった。冗談ではない、そんなことをされてたまるか!
 顔を引きつらせて羊皮紙の無事を確認するリュ・リーンの様子をため息混じりに見ていたウラートが投げやりに話しかける。
「食事が終わったのなら、自分の天幕に戻ったらどうです?」
 昼間のしっぺ返しを終えてウラートは満足したのだろうか。リュ・リーンに興味を失ったように自分の食事を再開させた。
 リュ・リーンはウラートの無礼な仕打ちも忘れて立ち上がると、下士官たちへの挨拶もそこそこに建物から飛び出していった。
「ウラート殿。国元からの危急の知らせでも?」
「まさか! 王宮からでしたら、早馬を使います」
「では……?」
「聖地から、ですよ」
「えぇ!?」
「聖衆王のご息女からの手紙です」
 それだけ言うとウラートは沈黙してしまった。
 まわりの下士官たちの間に小さなざわめきが拡がる。エンダル台地での出来事は、皆が噂に聞いて知っていた。
 自分たちの主の慌てように誰とはなく笑い声をあげた。
 その下士官たちの様子を盗み見ながら、ウラートは一人考え込んでいた。
 今日のリュ・リーンへの嫌がらせはちょっと度が過ぎただろうか? だが人の心配をよそに勝手をするリュ・リーンも悪いのだ。
 ……でも。もしかして自分は聖地の姫に嫉妬しているのだろうか?
 愚かしい考えが胸をよぎり、ウラートは顔を歪めた。
 今までリュ・リーンはウラートに頼りきっていた。
 リュ・リーンの癇癪癖などを考えると、彼の人格形成の上でそれは非常に拙い事態であることに気づいて、ウラートは最近はリュ・リーンの世話を焼く手間を徐々に減らしていた。
 しかし、それは寂しいものでもあった。
 自分を頼ってくる主人を邪険に扱い、彼がそれに馴れて自分で自分を律するようになる様を見るのはウラートに寂寥感を伴わせた。
 いつか、いや来年にでもウラートのリュ・リーンの守り役としての役割は、彼の結婚という節目とともに終わるだろう。
 だがリュ・リーンの新しい伴侶に彼を渡したところで、自分がお払い箱になるわけではない。有能な部下としての役割は残っているのだ。
 それでも寂しさは残る。
 自分の矛盾した考えに辟易すると、ウラートはため息を殺すために煮込み野菜を頬ばった。

〔 13157文字 〕 編集

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