石獣庭園 -Wing on the Wind-

オリジナルのファンタジー小説をメインに掲載中

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2000年7月3日の投稿1件]

傭兵と道化【02】

No. 39 〔25年以上前〕 , Venus at the dawn,傭兵と道化 , by otowa NO IMAGE

「あんた莫迦(ばか)じゃないの!?」
「薫。昔の映画で“莫迦、と言う人が莫迦なんです”ってセリフを言っていた主人公がいたぜ?」
 容赦なく俺を罵倒する相手をかわして、俺は関係のない話題を持ち出した。こんなことで誤魔化せるとは思っていない。
 脱ぎ捨ててあったジーパンを拾い上げる。
「いいえ。あんた本当に莫迦だわ! どうかしてるわよ! なんであんたがそんな場所にいくのよ。解ってるの!?」
 ベッドの上に飛び起きると薫は俺の顔を見据えた。
「俺が行くのは内戦まっただ中の○○○○共和国だ」
「そんなこと訊いてない! ……日本へ帰りなさい。いいわね!?」
 イライラとした命令口調がいつもの調子で少し苦笑する。この話し方はずっと変わらない。
「なんで?」
 もっと怒らせたくなってわざと神経を逆なでしてみる。着替えのために動かしていた俺の手足がその一瞬だけ止まる。
「なんで、ですって!? あんたね! ご両親になんて言い訳する気よ。あなたがたの息子は戦争に行って、人を殺してきましたって言うつもりなの!? それに、私は医者よ! 戦争しに行くって聞いて、はいそうですかって言えると思うの!?」
 案の定、薫は顔を上気させて詰め寄ってきた。着たばかりのシャツの胸元を捕まれる。
「言わなきゃバレないって。俺はフリーのカメラマンだぜ? 報道写真を撮りに行くって言って出てきたさ」
 憤りに気を取られていて油断している彼女の唇を奪うと、俺はニヤリと笑った。
「……じゃあ、な」
 毒気を抜かれてぼぅっとしている薫が我に返る前に、俺は玄関へと歩き出す。
 ふと病院で会った女のことを思い出した。
 伊部(いんべ)の死を手紙で知らせてくれたのは彼女だった。
 手紙には伊部が俺に会えたことを殊の外喜んでいたこと、俺と会ったあと十日もしたころ容態が急変したこと、桜が見たいと言って医師が止めるのも聞かずに院内の庭に出て、そこで吐血して息絶えたことが書かれていた。
 手紙の書面の所々に涙がにじんでいた。もしかしたら彼女は伊部のことが好きだったのかもしれない。
 伊部のほうはどうだったのだろう。
 人を信用できないと奴は言っていた。最期まで、誰にも心を許さなかったのだろうか?
 ピエロのように顔には満面の笑みを湛え、相手には心の中まで覗かせないまま?
「こ、この……わからず屋! あんぽんたん! 莫迦野郎ぅ!」
 背後から叫び声が聞こえてきた。
 俺が玄関のドアを開ける音に、やっと我に返ったらしい。その声が涙声に聞こえたのは俺の中にまだ感傷が残っているからなのか。
 俺はその声を無視して玄関のドアを閉めた。
 友達以上、恋人未満。
 今のこのアンバランスな関係になる前から俺と薫とのつきあいは続いている。
 伊部が俺の前から姿を消してからすぐに彼女と出会った。俺一人が勝手に運命の出会いだったと思っている。
 薫は俺が死んだら泣くだろう。だがその涙は友人としてか? それとも恋人としてか? ……たぶん彼女はそのときでさえ、どちらをも選べないだろう。
 マンションから出て俺はタクシーを拾った。客を選ばず誰でも乗せるイエローキャブだ。
「”空港へやってくれ”」
 俺が日本人だと解るとドライバーはチップをはずんで貰おうと、ニッカリと愛想笑いを浮かべた。
 相手の笑みに同調する気になれず、俺は窓を薄く開け、シートに寄りかかると外の流れていく景色に視線を泳がせた。


 卒業式は無事に終わった。俺たち六年生は教室で担任から最後の話を聞いて解散ということになっていた。
 女子のなかには泣いている子もいたけど、ほとんどの奴はこのあとの春休みに気をとられていて、先生の話もろくに聞いていなかった。
 退屈なだけの先生の話を我慢して聞いたあと、俺たち卒業生は思い思いに校舎の外へと飛び出していった。
 余計な私物の持ち込みを禁止されていたけど、今日だけはみんなカメラを持ってきている。友達同士で撮りあうのだ。
「えぇ~、どうしてぇ。一緒に撮ってよぉ~」
「なんで? 伊部君、写真嫌いなの?」
 女子にまとわりつかれていた伊部のいる方角から声が聞こえてきた。二人で写真を撮りあっていた俺と誠二は、その声のほうへ振り向いた。
 伊部は校門近くの桜の木の下で、困ったような顔をしていた。
「写真は嫌いじゃないって。でも、時間がないんだ。もう準備しに帰らなくっちゃ!」
 校門へと歩きだそうとする伊部を押し止めようとするように女子がそのまわりにまとわりついていた。どうやら伊部は土日のサーカスの開演のための準備があるらしい。
 俺は恨めしそうに伊部を見上げる女子たちの外側から伊部に声をかけた。
「伊部。明日の準備間に合わないのか?」
 伊部が俺の声に救われたようにこちらを見た。
「あ……うん。団員の人数はたいして多くないから、僕も手伝わなきゃいけないし。今日は早めに帰れるって言ってきたから、遅れると他の人に迷惑かかる」
 カメラを持ったままそれでも伊部のまわりを離れようとしない女子たちにほとほと困っているようだ。
 俺は辺りを見まわした。
 折良く母さんが俺のほうへ近づいてくる姿が目に入った。
「お母さん!」
 俺の声に何か感じたのか、母さんは早足で近寄ってきた。
「どしたの、和紀? 何かあった?」
 俺は手短に伊部のことを説明すると広場まで車で乗せていってもらうよう頼み込んだ。
 俺の家は学校から遠かったから、今日は近くの有料駐車場まで車で来ている。
 母さんはチラリと伊部のほうへ視線を走らせると、軽くうなずいた。OKのサインだ。
「伊部! 俺ンところの車で送ってやる。約束の時間まであと何分だ?」
「え? そんな悪いよ。僕、走っていくから」
「だから、あと何分だよ!」
 俺のイライラした声に伊部は渋々返事を返した。
「あと……十五分、くらい」
 伊部の言葉に女子たちの間から驚きの声があがった。
「えぇ~! 全然間に合わないじゃん」
「広場まで車で十分以上かかるんだよぉ~」
「走っていっても間に合わないよ~」
 伊部の言葉に母さんは校門へ向かって小走りに走り出していた。車を取りに行ったんだ。
 俺は伊部のまわりを取り囲んでいる女子をかき分けると、伊部の腕を掴んで校門へと引っぱっていった。
「急げよ! 車なら間に合うだろ。約束、守るんだろ?」
 いつもは俺より早く走る伊部がノロノロと俺の後ろを走っている。その後ろを誠二と女子がついてきていた。
「でも綿摘君。記念写真撮ってたんだろ? いいよ、僕走ってくよ」
「だから! 走っても間に合わないって言ってるだろ」
 ごねている伊部を引きずるように校門の外へ引っぱりだすと、母さんの運転する車が門の前に横づけた。
「ワリィ、誠二。あとで取りに寄るから俺の荷物、お前ん家に置いといてくれ」
 誠二の返事も待たずに俺は伊部を車に押し込むと、乱暴にドアを閉めた。
「ちょっと~、もう少し静かに閉めてよ。この車ポンコツなのよ」
「解ったってば。早く出してよ」
 母さんはブツブツと文句を言いながらも、車を走らせ始めた。俺の記憶が辿れるくらい前から乗っている軽自動車は、エンジンをウンウン唸らせ、ステレオからはPOP音楽を流し、軽快に町の中心部に向けて疾走した。


「君はいつも自分に正直な男だったね」
 突然の言葉に俺は戸惑いを隠せなかった。
「僕には出来ない芸当だったよ。人を信用しようとしなかった僕には、君のその正直さは羨ましい……いや、妬ましい強さだった」
「そんなこと、ない」
 俺は精一杯の抵抗をしてみせた。
「そうかな? 今でもそれは変わらないみたいだけど?」
 女子の人気を一身に集めていたのは伊部じゃないか。卒業までのたった三週間のあいだ、お前はクラスの関心を一身に集めていたんだ。男も女も誰もが伊部の行動に注目した。そういうカリスマが伊部にはあった。
「僕はピエロだった。サーカス団での仕事だけじゃなくて、実生活でもピエロを演じ続けていたんだ」
 俺の目の前にいる今の伊部には……昔感じたカリスマはなかった。
「ゴメン、独りでベラベラしゃべって。気を悪くしたんなら、謝るよ。少し浮かれていた」
「いや、気にしてない」
 俺はそれ以上どう言えばいいのか思いつかなかった。
 彼がどうして俺なんかに会いたがったのか解らない。もしかしたら昔の知り合いなら誰でも良かったのかもしれない。
 短い沈黙のあと、伊部は俺に人当たりの良さそうな笑顔を向けた。


 広場までは車ならあっという間の距離だ。
 伊部はサーカスのとんがり頭のテントが見えてくると、安堵のため息をはいた。やっぱり自分で言っている以上に時間を気にしていたんだ。
「ありがと、綿摘君。でも、君けっこうお節介だったんだ」
「なんだよ。人が困っているのを助けるのはお節介かよ」
 伊部は話をする余裕が到着寸前になって出てきたらしい。緊張していた顔から力が抜けた。
 広場の駐車場に車が滑り込むと、伊部は窓から顔を出して警備員に一言二言話しかけていた。
「すみません、このままテントの裏へつけてください」
 窓から頭を引っ込めて、テントの右手を指さす。母さんは再びアクセルを踏み込むと、伊部の誘導でテントの陰へと車を移動させた。
「ありがとうございました。すみません。ここで待っててもらえますか? いま団長を呼んできます」
 車が止まると、伊部はシートから飛び降りて俺や母さんの返事も待たずに、テントの中へと駆け込んで行った。
「あ~ぁ、行っちゃった」
 母さんがハンドルにもたれかかったまま、ため息をはいた。
「俺、ちょっと見てくるよ」
 大人の団員は忙しくて、伊部を送ってきた俺たちに挨拶するどころじゃないかもしれない。
 車から降りてテントの入り口へと歩きかかると、伊部が飛び出してきた。
「綿摘君!」
 伊部は息を切らしている。
幸三(ゆきみ)、待ちなさい」
 ジーパンにカッターシャツ、頭髪を覆う赤と黄のバンダナ。一見すると若いいでたちだけど、伊部を追ってきた大人の人はけっこうな年齢のおじさんだった。
「団長! こっち」
 このおじさんが団長さんらしい。
「綿摘君とお母さんに送ってもらったんだ。ホラ、あの人!」
 俺が車のほうを振り返ってみると、母さんは車から降りていた。
 おじさんは車のほうへ歩み寄り、その大きな体を深々と前へ折った。
「うちの幸三が大変お世話になりました」
「いいえぇ~。和紀のお友達ですもの。当然です」
 母さんは家では出さないよそ行きの声と笑顔で、団長さんと挨拶を始めた。長くならなきゃいいけど。
「おい、伊部!」
 俺は隣で立っている伊部の脇腹を小突いた。
「なぁに?」
「あの人、お前のお父さん?」
 団長は伊部とはあまり似ていないけど、今”うちの幸三”って言った。”うちの団員”って言わなかったから、もしかしたらと思った。
「え~? う~ん。お父さん、ねぇ。お父さんだけど、お父さんじゃないなぁ」
「はぁ?」
 どういう意味か聞き返そうとしたところに、おじさんの声が聞こえてきた。
「幸三。こっちへおいで。お前もお礼を言いなさい」
 それ以上のことを聞くこともできず、俺は伊部のあとを着いていき、母さんの隣に並んだ。
「ありがとうございました。助かりました」
 良い子の顔をして、伊部が母さんに頭を下げた。元々、素直そうで、屈託のない性格の伊部は学校の先生からも受けがいい。
 その良い子の顔が俺にはむかつく。今どき、六年生にもなってそんな素直な奴はいない。
 良い子を望む大人には解らない。子供特有の敏感さで俺は伊部の良い子は作り物だと感づいていた。
 初めは、その化けの皮を剥いでやろうかとも思ったけど、伊部には伊部なりの事情があるのかもしれないし、卒業間際の時期にそんなことでクラスのなかを掻き回すのも厭だったので、放っておいたのだ。
 素直な子供は大人にとっては扱いやすい。母さんも無害そうな伊部を良い子だと思っているだろう。
 伊部は、そんなふうに大人に思われなければならない生活をしているのだろうか?
 俺は、ふとサーカスのテントを見上げた。
 色鮮やかな旗を風になびかせているテントの屋根は、伊部を覆い尽くす見えない力でもあるのだろうか。人の良さそうな顔の下にある本当の伊部の顔はどんな顔なのだろう?
「君もサーカスを見に来るかい?」
 テントを見上げている俺に団長が声をかけた。
「あ……はい。明後日、見に来ます」
「そうか。楽しみに待っていてくれよ。……じゃ、行くか、幸三」
 団長は伊部の頭の上に手を軽く乗せると、二人して俺たちにお辞儀した。
 それを合図に俺は車のドアをくぐった。母さんがセルをまわして、車のエンジンをかける。
「それじゃ、失礼します~」
 母さんは最後に一言、挨拶するとアクセルを踏み込んで車の速度を上げた。
 俺たちの車を見送る団長と伊部の姿は見る見るうちに小さくなっていき、広場の駐車場から出るとまったく見えなくなった。
 遠ざかっていくサーカスのテントはコンクリートの町並みのなかでは、そこだけ時間に取り残されたような違和感があった。


「今日はありがとう。会えて嬉しかったよ」
 やつれた顔に昔のような爽やかな笑顔を浮かべると、伊部は骨張った右手を俺に向けて差し出した。
 遠慮がちにその手を握る。俺の右手には病人特有の熱っぽい湿った感触が残った。
 俺は逃げるように病室を後にした。
 病室の外は、入る前と変わらない静けさが広がっていた。先ほどの女性の姿もどこにも見あたらない。
 俺は伊部を忘れていた。ようやく思い出した後でさえ、自分の時間をたった三週間だけの、たいして親しくもない級友のために割くことに腹立たしさを感じていたのだ。
 その後ろめたさから逃れるように俺は振り返ることもせずに病院の門を出た。
 しばらくの間、桜を見る度に伊部のやつれた顔を思い出して、俺は気分が滅入った。……俺があいつの死を知らされたのは、桜の季節が終わろうとしていた頃だった。
 あいつと初めて会った年から十二年が経っていた。


 ゾウの上に乗って登場した伊部に、女子が歓声をあげた。
 伊部はピエロの格好をしていた。
 顔にはピエロのメイクなど、なにも塗っていなかったけど、ブルーとピンクのストライプの衣装はまわりで踊っている大人のピエロたちと色違いなだけで同じ形だ。
 日曜日、俺は誠二と兄貴と一緒にサーカスを見に広場までやってきていた。
「きゃ~! 伊部くぅ~ん」
 伊部は気づいていないのか、それとも無視しているのか、ゾウの上で観客に手を振り続けている。
 下で踊っているピエロがゾウ使いの女性とステップを踏みながらゾウを誘導して会場を一周させると、BGMの曲調が緊迫感のあるものに変わった。
 ステージの中央に大きな玉が置いてある。
 ゾウはその玉のまわりをグルグルと回り始めた。
 ゾウの背中には伊部が乗ったままだ。
 ゾウ使いの鞭が地面を打つと、ゾウはゆっくりと玉に前足をかけた。
 さらに鞭の音が続くと、器用に後ろ足も玉に乗せ、ヨチヨチと玉乗りをする。ゾウの巨体は微妙なバランスを保ってステージ上を右へ左へと移動する。
 ゾウの背中から口笛が響き、伊部が辺りの観客へ拍手を求めて戯けてみせると、歓声と拍手の嵐が起こった。
 他にもスリリングな空中ブランコやアクロバットバイクの出し物が披露される。
 その間を縫って、伊部たちピエロは観客を笑わせに会場のあちこちへと出没した。俺たちの側にも伊部はやってきて、わざと転んだり、バク転をしたりして観客の歓声を浴びていた。
 ピエロを演じているときの伊部も普段と変わらない屈託のない笑顔を浮かべていた。それがいっそう普段の伊部を解らなくした。
 地のままでピエロを演じていると言えば、それまでだが、俺には学校での伊部もピエロの伊部も、どちらも嘘をついているように見える。
 俺は拍手を送りながら、伊部が一瞬でも本当の自分を見せないものかと目を凝らして、伊部を見続けた。


 ショーがすべて終わると、観客は潮が引くようにテントからいなくなった。
 女子のなかには伊部に会えないものかとテントの裏側へ回ろうとする奴もいたけど、関係者以外は立入禁止の立て札の前には警備員が頑張っていて、とても近づけそうもなかった。
 俺は兄貴と誠二の二人と広場を囲むようにして並んでいる屋台を冷やかしながら見て歩いていた。
「あ~、いかん。ヤニがきれた」
 兄貴が自分のポケットから取り出したタバコを覗いて、残念そうにつぶやいた。
「兄貴~。お母さんに見つかったら、大目玉だぜぇ? タバコなんか止めちゃいなよ~」
 大学へ進んでから、兄貴はタバコを覚えていた。まだ二十歳前なのに。
「正紀さん。タバコって旨いの~? 臭いだけだと思うけど~?」
 俺の言葉より誠二の言葉のほうが効いたらしい。兄貴はちょっと傷ついた顔をすると、俺たち二人を見下ろした。
「臭い? 俺、臭うか?」
「臭い! って言いたいけど、兄貴はコロンつけてるからあんまり臭わない。でもタバコ吸ってすぐには彼女とデートしないほうがいいと思うね。吸ったあとは臭いから」
 最近になって兄貴には彼女ができたらしい。母さんや父さんには内緒で夜遅くまで、携帯電話で話している声が隣の部屋から聞こえてくるから、俺にはバレてる。
 彼女ができるとそれなりに気を使うらしく、兄貴は今までつけたこともなかったユニセックスコロンを彼女とお揃いでつけている。これは俺の推論だけど。
「やっぱ、ガキには大人の味はわからんか」
「なんだよ、兄貴だってまだ二十歳前じゃんか!」
 プリプリ怒っている俺の頭を軽く小突くと、兄貴はタバコ買ってくると言い残してコンビニへと歩いていった。
「タバコって大人の味かぁ?」
 隣では誠二が首を傾げて兄貴の後ろ姿を見送っていた。
「んなワケねぇだろ! あれは屁理屈って言うんだよ、へ、り、く、つ!」
「そ~だよなぁ~。臭いもんは臭い。……あ、俺トイレ行ってくるわ。ここで待っててくれよ」
 誠二は俺の返答も聞かずに広場の公衆トイレへと走っていってしまった。
 俺は移動するわけにもいかず、近くの植え込みの縁に腰掛けた。
「あ~、綿摘君だぁ~!」
 俺を呼ぶ声に振り向くと植え込みの向こう側から、伊部が手を振っていた。まわりに取り巻きの女子はいない。
「なんだ、伊部じゃねぇか。テントの後片づけとか手伝わないのか?」
「うん。昨日から連日公演になったろ? だから、明日の準備イコール今日の片付けだから、終わるの早いんだぁ~。それに公演の最中にも片付けはしてたんだよ、みんなと手分けして」
 伊部は植え込みを乗り越えて俺の隣に座った。
「お前、こんなとこ女子に見つかったら身動き取れなくなるぞ」
 俺の忠告は伊部にはどこ吹く風なのか、笑って聞き流されてしまった。
 春祭りの会場は広場だけではないから、俺たちの座っている植え込みの一角などは人は少ないのだが、それでもまったく人が通らないわけではない。
 学校でも女子にあれだけ取り囲まれているんだから、校外で会ったら大変なことになりそうなもんだけど。
「みんな楽しそうだねぇ」
 道行く人をぼんやりと眺めていた伊部がぽつりと呟いた。
「え? あぁ、そうだな。春祭りは一ヶ月近く続くから、花見も兼ねて人出が多いからなぁ~」
「花見か~。僕は見飽きちゃったよ。毎年桜の開花を追いかけながらの公演なんだもん」
 伊部はつまらなそうに足元の小石を蹴飛ばした。近くの下水のマンホールの蓋の上を小石は転がっていった。
「人はピエロのようだね」
「え? ピエロのよう?」
 俺は伊部が言って意味が解らずにオウム返しに聞いた。
「うん。僕たちピエロはさ。どんな悲しいことや辛いことを抱えていても、公演のときは笑うんだ。お客さんたちを笑わせるために自分が笑って見せるんだ。人も同じだよ。春がきた、花見をしようって笑っている陰で、実は仕事に疲れていたり、家族や大事な人と喧嘩していたりする。滑稽だよ」
 伊部はいつものように笑ってはいなかった。まるで別人の顔をしている。
 あぁ、これが伊部の本当の顔か。退屈そうに行き交う人たちを見る冷めた目。
 伊部は自分を取り巻く人々をこんな目線で見ていたんだ。
 大人たちの理想の良い子を演じて見せる裏では、伊部はその大人たちさえも冷たい視線で捕らえていたんだ。
 決して良い子ではない。大人に反抗してやろうと、精一杯突っ張っている俺たちと同じ目をして伊部はそこに座っていた。
 俺はようやく伊部幸三という人間がはっきり見えた気がしてホッとした。
「お待たせ。……アレ? 伊部じゃん。お前、まずいぜ。すぐ近くを女子が彷徨いてるぞ。見つかったら大騒ぎだぜ?」
 誠二が伊部を見つけると今来た道を振り返った。
「女子に鉢合わせたのか?」
 俺が伊部に代わって聞いてみる。
「いるいる。まだトイレの辺りにいるよ」
 少し背伸びをするように後ろを見ていた誠二が返事をする。随分と近くにいるじゃないか。
「あ~ぁ、散歩も終わりか。じゃ、僕行くよ」
 伊部は砂を払って立ち上がるとトイレの方角にチラリと視線を走らせたあと、俺たちに悪戯っぽい笑みを見せた。
 俺はふと気になって、走りだそうとする伊部に声をかけた。
「伊部。ここの祭りが終わったら、また桜を追いかけていくのか?」
 伊部が何を当然のことを、いう顔つきで俺を見た。
「そうだよ。桜サーカスは春を追いかけていくサーカスだからね」
「じゃあ、春以外は? ……その他の季節はサーカスはやらないのか?」
「やってるよ。色んなテーマパークや祭りの出し物なんかで呼ばれてる。それがどうかした?」
 何を聞いているのかといった風情で伊部が首を傾げた。
「お前、ずっとピエロやってるんだろ?」
 頷く伊部の顔は相変わらず怪訝そうな表情を刻んだままだ。
「ピエロやる奴って頭がいい奴が多いって聞いたことある。お前、頭で考えすぎだよ。やりたいこと、やりたいようにやれよ!」
 俺の言葉を伊部がどう受け取ったのかは知らない。
 ただ俺の言葉に応えるように微笑んだ伊部の顔がなんだか泣きそうな顔に見えたのは俺だけだったのだろうか?
「そう、かもね……」
 小さく答えた伊部の声をかき消すように女子の歓声が背中から聞こえた。
 とうとう見つかってしまった。
 その歓声に弾かれたように伊部が駆け出した。
「ありがと! さよなら、綿摘君、木羽君」
 俺には去り際の伊部の声が少し震えて聞こえた。


 五月の薫風が車内に流れ込んでくる。
 二十分も車を走らせた頃、空港がその巨大な姿を前方に現した。
 俺を死地へと運ぶ、白亜のゲート。
「泣くなよ。俺は帰ってくるから、さ」
 もう彼女には聞こえない。だから、これは俺自身への約束。
 生きて帰るための呪文。愛しい、求めて止まない女の元へ帰ってくるための……陳腐な言い訳。
 タクシーを降り、空港の建物の扉をくぐる。
 巨大な待合室の椅子の一つから背の高い黒人が立ち上がり、こちらに手を挙げるのが見えた。俺も合図を返す。
「Mr.ワタツミ?」
 俺はたどたどしい日本語で話しかけてくる相手に右手を差し出した。
「“カズキでいい。あんたがマードックか?”」
「“OK、カズキ。俺がマードックだ。マードック・ラジュノバ。あんたとあっちでコンビを組むことになっている”」
 その俺の右手を握り返しながら、マードックはニヤリと笑いかけてきた。
「“コロンの残り香がする。シュシュのミスティナイト。いい趣味の女だな。今生の別れは済ませたのか?”」
 マードックの言葉に俺は口の端をつり上げて笑みを返した。傭兵として雇われる奴に、綺麗なしゃべりを期待するほうが愚かだ。
「“別れ? 抱きたくなりゃ、帰ってくるさ!”」
 薫との関係を説明する気にもなれない。
 俺の言葉にマードックは猛禽を思わせる顔に満足げな笑みを浮かべた。どうやら俺は気に入られたらしい。
 俺はにわか仕立ての相棒の反応を確認すると、顎をしゃくって彼をゲートへと促した。
 窓の外には日本の地方都市との姉妹都市提携のときに贈られたという桜の木が植えられている。とうに花は散り、薄い緑が枝を覆っていた。
 俺はその桜の木に伊部の死に顔を見たような気がした。
 ほんの一瞬咲き狂い、風任せに散り乱される薄紅色の花びらのような奴の人生。
(伊部。お前は俺に自分と同じ死の匂いを感じたのか? ……だとしたら、残念だな。俺は死なない。俺はお前とは違う)
 桜のように咲き狂い、何かに飢えたように逝き急ぐ。
 俺たちの生き方はどこか似ているのかもしれない。だが、違うのだ、伊部。
 俺たちは同じじゃない。
 お前は道化師。人に笑いと幸福を与える者。
 俺は傭兵。金で雇われ、人に死と恐怖を与える者。
 俺がお前でないように、お前は俺ではあり得ない。
 お前は天国からでも俺の生き方を笑って見ているといい。殺戮でしか己の存在を示せない、俺の愚かな生き方を。
 それでも俺は後悔だけはしないだろう。

 そして、これからもきっと、桜を見るとお前とのやり取りを思い出す――。

“人はピエロのようだね”

傭兵と道化。

交わるはずもない俺とお前の生き方。

あいつは満開の桜の下で逝ったという。

では、俺の死は……?

いずれやってくる俺の死に様はいったいどんなものだろう?

望めるのなら、俺は愛しい女の腕のなかで……死にたい。

終わり

〔 10519文字 〕 編集

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