石獣庭園 -Wing on the Wind-

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銀夜の逢瀬

No. 68 〔24年以上前〕 , 銀王宮年代記,銀夜の逢瀬 , by otowa NO IMAGE

 星灯りだけが降り注いでくる夜だった。辺りの影は銀に染まり、まるで幻想画のように冴え冴えとした姿をしている。冷たい夜風に震える木立が覆い被さってくるような錯覚に立ちすくみそうだ。
 息を潜めて木々の枝の下をくぐり、下生え草に足を取られないように注意しながら進んでいくと、すぐ近くに人の気配を感じた。
「ミリア……?」
 恐る恐るといった感じの声がその気配に続いて聞こえてくる。
「シャッド」
 相手の名を呼び返してやると、あからさまにホッとしたため息が耳に届いた。
 黒い茂みをかいくぐると、そこは風が遮られていくらか温かい。
「ミリア……! 遅いよ。待ちくたびれた」
 寒風から逃れてホッとしたのもつかの間、声の主にしがみつかれてミリア・リーンは足下をよろめかせて尻餅をついた。
「痛いじゃないの。もぅっ! ちょっとどいてよ」
「やだ!」
「夜着が濡れちゃうでしょ!」
 夜着と聞いて相手が慌てて身体を起こす。
 ミリア・リーンはやれやれと起き上がったが、今度は腕を引かれて前へと倒れ込んでしまった。
 だが身体の下には地面とは明らかに違った柔らかな感触がある。見れば小柄な少年が自分を抱きかかえるようにして下敷きになっていた。
「ちょっ……シャッド!」
「えへへ」
 海色の瞳を悪戯っぽく輝かせて、嬉しそうに笑い声をあげる少年の顔にはどこかしら満足げな気配が漂っている。
「何してるのよ。服が濡れちゃうわよ!」
 慌てて身を起こそうと腕に力を入れるが、相手は意外なほど強い力で自分の細腕を押さえていた。体格は自分よりも小さいくらいなのに……。
「俺なら大丈夫。それに先にきて雪狐の毛皮を敷いておいたんだ」
 相手の身体の下を覗いてみると、確かに雪とは明らかに違う。まるで白い柔草のような風合いの毛皮はまさしく雪狐特有の豪奢なものだ。何匹分の毛皮であろうか、人が数人集まれば埋まってしまう狭い窪地のなかは大半が毛皮で敷き詰められていた。
「すごい! こんなにたくさんの毛皮、どうしたのよ」
「んふふ。出入りの商人に注文したんだよ」
 頭上で眼を丸くする少女の反応が楽しいらしく、少年は喉を鳴らして愉快そうに笑っている。毛皮の上に散っている彼の巻き毛は一匹だけ金毛の狐の毛皮を広げたように豊かに波打っていた。見る者を惹きつけるあでやかさだ。
 夜の闇のなかでも宝冠のごとくに輝きを放つその髪に少女がうっとりとした手つきで指を絡ませた。
「でも……シャッドの髪のほうが綺麗」
 一房その髪をすくい上げると、少女はそっと頬ずりする。
「何言ってるのさ。ミリアの栗毛のほうが俺は好きだよ」
 ゆるく三つ編みに編み込まれた少女の髪を愛しげに撫でながら、少年は少女の身体ごと身を起こした。少女よりも一回りだけ小柄な少年の体格では相手を抱きしめるというよりは、抱きついているといった格好になってしまうが。
「ミリア……。従兄弟たちに言い寄られているだろ」
 上目遣いに少女を見る少年の蒼い瞳に嫉妬が光った。
「あら、誰がそんなこと言ったの?」
「女官たちがコソコソと噂してたのさ。……で。ちゃんと逃げてるだろうな?」
 首を傾げて少女は首を振る。なぜそんなことをしなければならないのかと、不審そうな顔つきだ。
「どうして逃げなきゃいけないのよ。贈り物をもらったお礼だって言わなきゃいけないのよ。逃げていたんじゃ失礼でしょ」
「贈り物だって!? どうして断らないんだよ!」
 眉をつり上げ、声を荒げる相手にいっそう困惑して少女は眉をひそめる。そんなに驚くようなことだろうか? 貴族の間での贈答など、日常のことではないか。
「何を怒ってるの? 贈り物なんて昔からもらっ……きゃ!?」
 柔らかな毛皮の上に引き倒されてミリア・リーンは小さな悲鳴をあげた。いくら地面より柔らかいとはいえ、乱暴にされたのでは痛くないはずがない。
「何をもらったんだ!」
 文句を言ってやろうと見上げた相手は、恐いほど真剣な表情をしていた。思わず悪態を飲み込むと、素直に答えてしまう。
「は、花飾りと髪留めと……それから雪兎の毛で織った衣装と室内履き用の革の編み込み靴」
 ミリア・リーンの口からはスラスラと答えが返る。それを不機嫌そうに聞いていた少年が頬を膨らませた。
「それ、身につけているところを相手に見せたのか!?」
 少年の憤慨した様子に少女は跳ね起きて抗議する。
「失礼ね! そんなことしたら気があると誤解されちゃうじゃなの! ばかシャッド! 私をそこらの尻軽女と一緒にしないで!」
「み、見せてない……? 本当に……?」
「何よ! シャッドは私をなんだと思ってるのよ! だいたい……きゃあっ!」
 再び毛皮の上に倒されると、ミリア・リーンは自慢の栗毛を波打たせて相手を凝視した。生暖かい息が鼻先をかすめている。これほど間近で相手の顔を注視するのは久しぶりのような気がした。
 少年の金の巻き毛がすっぽりと二人の顔のまわりを覆い尽くして、眩い天蓋を作る。
「ミリア……」
 柔らかな感触が唇に触れ、幾度も甘い口づけを落とした。その繊細な愛撫を受けていた少女が少年の髪を優しく掻き上げる。月のない夜空から降り注ぐ銀糸に洗われる二人の姿は庭園を飾る恋人たちの彫像を連想させた。
「私……ふしだらな女じゃないわ」
 ようやく唇を解放されると、少女は囁きながら相手の肩に頬を埋める。それをしっかりと抱き留めながら、少年が小さく頷く。
「うん。……ごめん。ごめん、ミリア」
 繰り返される少年の謝罪の声をうっとりと聞き、少女は満足げな吐息をついた。
「いいわ。許してあげる」
 未だ少女の領域に身を置きながら、ミリア・リーンは艶っぽい大人びた瞳で相手を見上げると口元をほころばせる。宵闇のなかでもその微笑みに惹きつけられて少年が頬を染めた。
「あなたって本当におばかさんね、シャッド」
 再度毛皮の上に転がると、ミリア・リーンは喉の奥でクックッと笑い声をあげる。その声にシャッド・リーンが頬を膨らませて反論した。
「だって、ミリアはもう成年の儀を終えて大人扱いされてるんだぞ! 俺はまだ……あと少しだけど、まだ成年の儀を終えてない。ミリアに正式には結婚を申し込めなんだからな……不安になるじゃないか……」
 最後は悄然と肩を落としてシャッド・リーンは俯いてしまった。少女から顔を背けた彼の横顔は星灯りに青ざめて見える。
「シャッド……」
 少女の呼び声に少年はうなだれていた首をもたげて振り返った。そして少女が言葉の続きを紡ぐ前にそっと囁く。
「愛してる、ミリア……」
 晴天の下の海原を思わせる少年の瞳が濡れたように潤んでいた。すらりと鼻筋が通った整った顔のなかで、その蒼だけが恐ろしく鮮明な光を湛えている。
「私もよ」
 その言葉に清々しいほどに明瞭な答えが返った。
 ミリア・リーンが身を起こそう身体をよじる。しかし少年が覆い被さってその軌跡を塞いでしまった。
「どうして愛してるって言ってくれないんだよ」
 ふてくされた口調で腕のなかにいる少女を睨むと、少年が頬を膨らませる。
 シャッド・リーンの腕のなかでミリア・リーンの頬が真っ赤に染まった。いや、耳元までほんのりと赤みが差している様子が星光の下でもハッキリと判る。
 相手の腕から逃れようともがいてみるが、しっかりと抱きしめられていてどうやっても逃げられない。
「な、何よ。そんな恥ずかしいこと言わせないでよ!」
 上擦った少女の声に可笑しそうに笑い声を上げると、少年はいよいよ腕に力を込めて少女を抱きしめると、彼女の耳元に唇を寄せた。
 首を振って抗う少女の耳たぶをそっとついばみ、相手の耳元がさらに赤く染まる様子を楽しそうに見つめている。
「くすぐったいってば。やめてよ、シャッド!」
「やめな~い」
「ばかシャッド!」
「愛してるって言って!」
「いやったらいや! あぁん、もぅ! 本当にくすぐったいんだってば!」
 ジタバタと足を蹴り上げて抵抗しているが、それはあまり効果をあげていないようだ。そらした少女の横顔は火照りに首筋も耳元も赤く染め上がり、後れ毛が扇情的に張りついている。
「言ってよ、ミリア。でないと本当にやめないよ?」
 弱々しい抵抗を続けるミリア・リーンの腕を押さえつけてシャッド・リーンは耳元で囁き続けた。何度も耳たぶを甘噛みし、その度に喉の奥で笑う。
 だが少女は頑として相手の求めには応じようとしない。
 むずがゆさがその身体の表層を這い回っているだろうに、少女が小刻みな痙攣をくり返し、唇を噛みしめたまま顔を背け続ける。
「ミリアの意地っ張り」
 根負けしたのか、少年が身体を放してため息をついた。さも名残惜しそうに指先だけで少女の頬から顎の輪郭をなぞる。
 闇のなかに白く浮かんだ少女の胸元が忙しない息遣いで大きく上下していた。夜着の上にマント状の上着を羽織っているだけで、その上着の下からは夜着に包まれた女らしい円みを帯びてきた胸やなだらかな腹部が覗いている。
 解放された安堵に大きなため息をつく少女に艶を含んだ視線を送りながら、少年が悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「いいさ。次は絶対に言わせてやるから」
 シャッド・リーンの宣誓にミリア・リーンが恨めしそうな視線を投げかける。その懇願の雰囲気を無視すると、少年は自分の手元にあった少女の左手をそっと持ち上げてそれを優しく両手で包み込んだ。
「それとも……ミリアが言えない分だけ俺が何千回も聞かせてやろうか?」
 寝転がったまま少年の豪奢な巻き毛を見上げていた少女が気怠げに身体を起こした。ようやく息も落ち着いてきたのだろう。
「シャッドの意地悪!」
 口を尖らせるミリア・リーンに華やかな笑みを向けたあと、少年は少女の左手を持ち上げてそっとその指元に口づけを落とした。
「愛してるよ、ミリア」
 真摯な声に酔いながら、ミリア・リーンは瞳を閉じてシャッド・リーンに寄りかかる。
「私もよ……」
 いつか自分も答えを返そう。相手が言葉に込めている以上の想いを織り込んだ言葉を。でも今は駄目だ。今はまだそれを紡げるほど自分は成長していない。
 それでも、それは近い将来やってくる。そう……例えばもうすぐやってくる少年の成年の儀が執り行われる頃には。
 自分の自慢の栗毛を優しく梳る少年を見上げると、相変わらず鮮やかな色をした蒼い瞳がじっとこちらを見つめている。
「愛してる……」
 視線が絡まるごとに繰り返される少年の言葉に身を任せてミリア・リーンは口元に微かな笑みを浮かべた。
 その言葉を伝えたなら、きっと彼は驚くだろう。
 少年の蒼海の瞳がどんな風に見開かれるだろうかと想像しながら、少女は満足げな吐息をついた。
 もうすぐ伝えられる。そう、もうすぐ……。本当にあとほんの僅かな時の果てに。

終わり

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