カサブランカ
将校フリッツ・ヴィスタス・シュバルツァルトの話
 昔、俺の家の向かいの白い家に、貴族とは到底思えないじゃじゃ馬が住んでいたよ。
 顔は綺麗なほうだったが、性格は最悪だ。あれが俺の女に対する最初のトラウマだな。……あんな酷い女は他にいないと思ったもんだ。
 殴るわ、蹴るわ……。毎日ボコボコにされていたんだぞ。




 午前中の探検を終えて家の前に辿り着いた少年の前に、ほっそりとした影が差した。
「やいっ! へ〜みん!」
(げっ! マリーア!)
 顔を見れば喧嘩をふっかけてくる五つ年上の少女だ。
 家柄は貴族だと言っていたが、名前ばかりで金がないのだろう。庶民の住宅が建ち並ぶ一角に屋敷を建てていたし、大して裕福そうにも見えない家だった。
「うるさいっ。なんの用だよ、キツネブタ!」
 あからさまにムッとした表情をした相手が剣呑な目つきで見下ろしてくる。
 そう。見下ろしてくる、と言うのが一番ピッタリだ。なんせこちらは来月ようやく六歳になるが、あちらはとっくに十一歳。
 眉間によせたしわがピクピクと痙攣けいれんしている。キツネブタと呼ばれて相当頭にきているらしい。
 少女の顔立ちは決して不細工な造りではない。やや細いつり眼で顎も尖り気味だが、ふっくらとした口唇や贅肉のついていない体格は少女らしいまるさのあるものだった。まぁ、成熟した女性のまるみとは明らかに違うが。
「このガキァ……」
 とても貴族とは思えない乱暴な口調で口元をつり上げた少女が小さな少年に向かって腕を伸ばした。
 深窓の令嬢には似つかわしくない日に焼けた肌が彼女の活発な性格を表しているように素早い動きだ。
 だが少年はそれ以上にすばしっこい。伸ばされた腕の下をかいくぐると一目散に家へ入ろうと駆け出していた。
「へんっ! 誰が捕まるか……よ?」
 捨て台詞を残した家に駆け込んでしまえば、自身の身は安全であったはずだが……。生憎と相手は素直に逃がしてはくれなかった。
「このクソガキ! いつもいつも生意気なのよ!」
 襟首を掴まれ引き倒されると馬乗りにのしかかられてボコボコに殴られる。
「ぎゃぁ〜っっ!」
「参ったかっ、このチビ! 参ったなら、参ったと言え!」
 ポカポカと殴られながらも、降参するのが悔しいばかりに顔中傷だらけになってもついに謝りはしなかった。
「誰が参ったなんて言うもんかぁ〜! ちくしょー! この男女ーっ!」
 子どもなりの最後の意地というものだろう。
 殴り疲れて自宅へと帰っていく少女の後ろ姿を、地面に転がったまま見送る少年の顔は土埃で真っ黒だ。
「うぅ……。ちくしょーっ! 覚えてやがれぇ〜!」
 いつか仕返ししてやろう。ギッタギタに伸してやるのだ。
 そう思っている間に、少年は翌年には幼年学校へと編入して生まれ育った家から寮生活へと生活の場を移してしまった。




「あぁ、待っていたぞ。シュバルツァルト大尉。さっそくで悪いが、これから私の代理でアレン子爵の新築祝いパーティに行ってくれ」
 出勤早々に上司から呼び出され、何事かと出向いてみれば……。どこぞの貴族のボンボンが建てた新居の祝いに顔を出せと?
 しがない宮仕えの身分では断ることもできず、フリッツは不機嫌そうな表情で敬礼を返した。
「場所はアフトス地区β−1ブロックK−003番だ。……ご機嫌斜めだな、シュバルツァルト」
 上司が相手先の地図を書き記した紙をヒラヒラと振って意地の悪い笑みを浮かべた。
「いえ……別に」
「お前の貴族嫌いは相変わらずだな。まぁ、そうむくれないで旨い飯でも喰ってこい。どうせ向こうはお前が運んでいく祝い金が目当てなんだ。それに見合うだけのもの喰わせてもらってもバチは当たるまい?」
 退屈なデスクワークよりもマシだろう、と送り出す上司から仏頂面のまま祝儀の目録が入った封書を受け取ると、フリッツは公用の無音車サイレントカーに乗り込んだ。
 貴族は好きになれない。だが軍部が彼らの支持なくしては円滑に機能しないのも事実だ。勇猛で知られる軍とて動かしているのは人なのだから。
 不機嫌なまま乗り込んだ屋敷は豪勢で、真っ白な壁が眼に眩しい。
 案内された会場には貴族やその取り巻きの商人、軍関係者がウジャウジャと群れている。よくぞまぁ、真っ昼間から堂々とタダ酒を飲みにくるではないか。
 だが自分もその同類だと気づくとフリッツは自嘲的に口の端をつり上げて会場の片隅に避難した。もちろん、片手には好物のカクテル『ドッグノーズ』を忘れない。
 馴染めない雰囲気を外からぼんやりと眺め、外面ばかりにこだわる貴族たちの成金趣味な衣装を検分していくと、ふと鮮やかな深紅の布地の上に真っ白なオーガンジーの袖をあしらったドレスに身を包んだ女性と眼があった。
(……ん?)
 どこかで見覚えのある顔だ。どこで会ったのか?
 しっかりとした足取りでこちらに近づいてくる女の口元にはうっすらと笑みが浮かんでいる。
 不躾なほどに相手の顔を凝視していたフリッツは、相手が自分の目尻を指でつり上げてみせる動作に硬直した。
「マ……マ、マリーア・カサブランカ!」
 実家の向かい側に建つ白い洋館の住人。かつての自分の天敵が目の前に不敵な笑みを浮かべて立っている。
「久しぶりねぇ、フリッツ・ヴィスタス」
「マ、マリーア! なんであんたがここにいる!?」
 思わず後ずさる彼を追いつめるようにマリーアが婉然えんぜんと微笑んだ。子どもの頃にはなかった色気があるが、その顔の下にある強気な気性は相変わらずのようだ。
「あぁら、今日はうちの新築祝いだもの! 女主人がここにいるのは当たり前でしょ。ほほほっ」
「何ぃ!?」
 相手の高笑いに怯んでさらに後ずさるフリッツの側にマリーアがにじり寄ってきた。端から見れば恋の駆け引きでもしているように見えるのだろうが、子どもの頃の記憶を引きずるフリッツには蛇に睨まれた蛙のようなものだ。
「まさか、ア……アレン子爵夫人……?」
「おほほほっっ! そうですとも。おつむの悪いあんたもようやく飲み込めたようね」
 勝ち誇ったように笑う女の身体からは甘い柑橘系の香りが匂い立ってくる。
 子どもの頃もマリーアは決してお洒落をしないわけではなかったが、長い年月がやはり磨きをかけているのだろう。上質な絹で出来ているらしいドレスは彼女の黒絹の髪をいっそう引き立たせていた。
「まぁ、でもあんたが知らなくても仕方ないわね。わたしが結婚したのは十年前くらいになるけど、確かその当時ってあんた士官学校に入ったばかりで実家に顔を見せてないでしょ」
 壁に貼りつくフリッツに更ににじり寄るとマリーアがさも愉しそうに口元をつり上げた。
「それにしてもあのチビのフリッツ・ヴィスタスが随分と大きくなったものだわね。見違えたわよ」
 女の顔は見つけた獲物をどうやって料理してやろうかと思案している猟師のようだ。
「マリーア!」
 その女の向こう側から苛立った声がかかる。
「何をそんなところで油を売っている!」
 つかつかと歩み寄ってくる男の表情は怒りにどす黒く染まっていた。歪んだ怒りが体中から発散されている。
「私に恥をかかせるつもりか!?」
「あら、ステファン。すぐにそちらに参りますわよ」
 余裕の笑みを浮かべた女が振り返り、その視線の呪縛から逃れるとフリッツは大きく吐息を吐いた。
「フンッ! その男をお前のツバメにでもするつもりか?」
 さも軽蔑した視線をマリーアと自分に向ける男の態度にフリッツはあからさまに不快感を示す。
「なんだ、その生意気な眼は。軍人のくせに!」
 驕り高ぶった相手の態度にフリッツのこめかみに青筋が立つ。眉間のしわがいっそう深くなった。
「我々に飼われているくせに、人妻に手を出そうとするとは、なんて奴だ」
 上司の代理できていることも忘れて身体が動いたのは、その相手の一言を聞いた後だった。我慢ならない。
「フリッツ・ヴィスタス!」
 女の制止を振り切って、ふんぞり返っていた目の前の男めがけて突進する。
 相手が避ける間も与えずに、握りしめていた拳を相手の顎へと叩き込み、床に転がったところを蹴り上げようとした。
「止めなさい! フリッツ!」
 さらに大きな女の声にフリッツはようやく我に返って動きを止めた。恐る恐る殴りつけた相手を見下ろす。
 足下で転がっている男は殴られた拍子に口の中を切ったのか、口の端から血を滲ませていた。もはや後の祭りである。フリッツが公衆の面前で貴族を殴りつけた事実は消えない。
「フリッツ・ヴィスタス!」
 厳しい女の声に思わずフリッツは振り返った。いつの間にか目の前にマリーアが立っている。目をつり上げ、突き上げるように自分を見上げてくるマリーアの顔には先ほどの笑みは欠片も見えない。
 口唇を噛みしめる女からは憤怒の感情しか読みとれなかった。
 派手な音をたててフリッツの頬が鳴ったのは、彼が女と向かい合った次の瞬間のことだった。
 遠巻きに眺めていた招待客たちの間からどよめきの声があがる。
「マリ……」
 平手で打ち据えられた理由も判らずフリッツが抗議の声をあげかけると、マリーアはいっそう鋭い視線で彼を睨みつけてきた。
「よくもわたしの夫を殴ったわね。……許さなくてよ」
 フリッツの言い訳になど耳を貸す気は毛頭ないらしい。怒りに燃える女はそれでも女主人としての自覚があるのか、フリッツを無視して周りの取り巻きを見渡した。
「どなたか! この方を別室へお連れ願えませんかしら?」
 冷ややかな態度で軍関係者がたむろする方角へ声をかけたマリーアに応えるように、群衆の中から一人の軍人が進み出る。
「アレン夫人。小官がその役目、お引き受けしましょう」
 軍人にしては柔和な物腰と知的な瞳をした男だ。どちらかといえば、貴族的な風貌だろう。長く伸ばした黒髪や薄い灰色をした瞳、長身で細い体格は軍服よりも貴族たちの身にまとう衣装のほうが似合いそうだった。
「お願いしますわ、メルリッツ大尉」
 アレン夫人に恭しく腰を折って敬意を表すると、メルリッツと呼ばれた軍人がフリッツの腕を引いた。
「行こう。……さっさと退散したほうが身のためだぞ、シュバルツァルト大尉」
「どうして俺の名前を……」
 驚いて相手を見返すが、メルリッツは不可思議な笑みを小さく口元に浮かべるばかりでそれ以上取り合おうとはしない。
 そんな二人を後目しりめにアレン夫人は床に座り込んでいる夫の側に寄るとかいがいしく助け起こしていた。
 忌々しそうに舌打ちするアレン子爵が歪んだ表情のままフリッツを見上げる。
 メルリッツに引っ張られ、その二人に背を向けたフリッツに小さな声が届いた。
「……クズが」
 アレン子爵のものだ。再び湧き起こった怒りにフリッツが振り返る。その剣呑な光を湛えた琥珀色の瞳に子爵が思わずたじろいだ様子で後ずさった。
「行こう、シュバルツァルト」
 再びメルリッツに急かされてフリッツは今度こそパーティ会場を後にした。貴族を殴りつけてしまったのだ。その場に留まっていることなどできはしないだろう。




「無茶をする男だな、君は。まぁ、それが取り柄なのだろうが。……そうそう、彼女。アレン子爵夫人に礼を言っておきたまえ」
 フリッツを連れて屋敷の廊下を歩みながらメルリッツは小さくため息を吐いた。どうしようもない奴だとでも思っているのだろうか?
「なんで礼なんか言う必要がある? 平手打ちを喰らって礼を言うなんておかしいじゃないか!」
 不愉快そうに口元を曲げたフリッツの態度に今度は大仰にため息を吐くとメルリッツは立ち止まった。
「まだわからないのかね? まったく……もう」
 困った奴だと苦笑いを浮かべるメルリッツの態度にフリッツはますます不快そうに口元を曲げる。
「まぁ、ちょっと考えてみたまえ。彼女があそこで卿の横っ面を叩かなかったとしよう……。その後、君はどうなっていたと思うね?」
 同年代らしいメルリッツがいかにも生徒に語りかける教師のような態度を取るのでフリッツは面白くない。しかし問われたことには答えようとじっと考え込む。
「あ……」
 貴族とやり合った将校たちの処分は大抵は謹慎処分や降格処分などだ。その取り調べをする場所は……。
「憲兵たちと留置場ブタバコ行き?」
「まぁ、そんな所だ。……そんな散文的な言い方じゃなくて、もう少し言い方があると思うがねぇ」
 肩をすくめるメルリッツが急かすように再び歩き始めた。
「おい……。玄関はあちらだぞ。どこへ行くつもりだよ」
 てっきりこの屋敷から退散するものだと思っていたフリッツは玄関ホールとは別の方角へと向かうメルリッツに戸惑って声をかけた。
「こちらでいいんだよ。さっさとついてきたまえ」
 もうここまで来たら破れかぶれだ。憲兵に連行されるのが早いか遅いかの違いだろう。降格処分か……あるいは左遷か。どっちにしろ明るい未来は待っていない。
「……で。彼女に礼を言う理由だがね」
 一つの扉の前で立ち止まったメルリッツがドアノブに手を掛けて振り返った。
「あの場で君を叩いたことで周りの人間は気勢を削がれ、憲兵を呼びにやることも忘れてしまったわけだが。それ以外にも、あの平手打ちで夫の面子めんつも守ったわけだよ」
 言っていることが判るか? と首を傾げるメルリッツの態度がますます教師じみて見え、フリッツは不機嫌そうな表情になった。
「俺を公衆の面前で叩くことがどうして夫の面子めんつを守ったこ……あ!」
 ふてくされていたフリッツにもようやくマリーアの行為が及ぼした効果を理解したようだ。
 本来なら自分よりも身分の高い貴族を殴りつけたのだ。すぐさまその場で憲兵に引き渡されていただろう。それが未だに自由の身でいられる理由がもう一つある。
 たとえ貴族とはいえ、女のマリーアが大の男を打ち据えたのだ。普通なら公衆の面前で殴られた男のほうは屈辱で怒り狂っているはずだ。
 彼女の幼なじみで相手の気性をよく知っているフリッツならばこそ、打たれても大騒ぎしなかっただけの話で、本当ならもっとややこしいことになっていた。
 彼女は怒ったフリをして、二人の男の面目を保ったわけだ。
 メルリッツはフリッツの様子を確認すると、真新しい扉を押し開いてフリッツを室内へといざなった。
 入った部屋は趣味の良い応接間のような場所だった。
 たぶん出入りの商人などとの商談に使われるものなのだろう。玄関ホールからそれほど離れていないし、屋敷の奥部からはまだまだ遠い位置にあるようだ。
「大した女傑だと思うがね。たったあれだけのことであの場を納めてしまったのだから」
「あぁ……確かにそうだ」
 かつてのマリーアは自分の感情に任せて相手を振り回すだけの少女だった。それがいつの間にか計算高い女になっている。
 落ち着かない様子で窓際に佇んでいるフリッツとは対照的にメルリッツは優雅に足を組んで応接セットのソファに腰を降ろしていた。
 これからどんな目ににあうのか判らないフリッツには、彼の悠々とした態度は忌々しいばかりだろう。
 サラサラと柔らかな衣擦れの音が廊下の方角から聞こえてきた。
 扉を振り返り、無意識のうちに身構えていたフリッツの視界に深紅の色彩が踊る。屋敷の女主人の登場だ。
「ありがとう、メルリッツ大尉。助かりましたわ」
 いつの間にかソファから立ち上がっていたメルリッツが優雅に腰をかがめる。
 そつなくなんでもこなしそうな、この器用な男にフリッツは不機嫌な視線を向けたが、自分に近づいてくるマリーアに気づいて彼女へと向き直った。
「どうやら少しは落ち着いたみたいね」
 目の前に立った彼女はよく見れば自分の肩ほどの身長しかない。昔見上げるようにして睨み合っていたときにはなんという大女かと思ったものだったが……。
「マリーア……」
「短気なところはチビの頃と変わらないわね。本部へ帰ったら、上司から大目玉でしょうに」
 サバサバとした態度は昔と変わっていない。しかししたたかに振る舞う彼女の行動はやはり年齢を重ねた重みがあった。
「あんたは随分と変わったよ、マリーア」
 ムスッとした表情で受け答えるフリッツにマリーアが目をしばたたかせる。そして心外だと言わんばかりに目を見開いた。
「変わった? どこが?」
 あまりにもあっけらかんとしている彼女にフリッツは脱力しかかる。まるで自分の変わり身には頓着していないようだ。
「ねぇ、フリッツ。私の平手打ち、まだ痛いでしょ?」
 ニッコリと悪戯っぽく微笑むマリーアの瞳には悪意や雑念がまったくなかった。
 その二人のやり取りを見守っていたメルリッツが小さな笑い声をあげる。そのメルリッツとフリッツの視線が絡み合った。戸惑った表情のフリッツにメルリッツはさらに笑い続ける。
「それとも……もう全然痛くないの?」
 首を傾げ、二人の男たちを見比べていたマリーアがジロリと長身のフリッツを見上げた。
 その女の態度にフリッツはようやく笑みを漏らす。そうだ。昔の彼女の平手打ちはたいそう痛かった。今でもその勢いは衰えてはいない。
「あぁ……。あぁ、まだズキズキするよ」
 それ見たことかと胸をそらすマリーアの態度に男たちは再び笑い声をあげた。
 いじけたり怒っているのもバカらしくなってくる。彼女の根っこは変わってはいない。マリーア・カサブランカはそれ以外の何者でもないのだ。
「さぁ、その頬の腫れが引くように冷やしタオルを持ってこさせるから、頃合いを見て、堂々と正面から帰りなさいよ。……いいわね?」
 当然だという口調で命令するとマリーアが扉へと歩きかかった。その歩調がふと止まる。
「メルリッツ大尉。申し訳ないけど、もう少しだけこの不肖の弟分につき合って頂けるかしら?」
 再び恭しく腰をかがめて了承の意を伝えるメルリッツに頷き返し、マリーアがフリッツを振り返った。
「ステファンとのことはお互いに痛み分けよ。判っているでしょうね、フリッツ。……ホントに男って世話が焼けるんだから!」
 ブツブツと不平をこぼしながら部屋から出ていく彼女を見送り、フリッツは苦笑いを浮かべた。ふと叩かれた頬を撫でてみる。小さな痛みはあるが、それは不愉快なものではなくなっていた。




 え……? それは初恋だったのかって?
 ……いや。ちょっと違うぞ、それは。あれは初恋じゃない、と思う。
 たぶん久しぶりにあった姉が、やっぱり昔と変わってなかった……と確認したような。……そう、そんな感じだ。今でもマリーアは苦手なんだから。
 あぁ、判った判った。今度会わせてやるから。
 しかし……未だに『白き聖母マリーア・カサブランカ』と聞くとゾッとするんだよ。あれは悪魔の呪文だ。
 俺が女が苦手なのは、絶対にあのマリーアのせいだと思うぞ。
 何を拗ねてるんだ。俺が言いたかったのはだな……。
 あぁ、めんどくさい。だからこんなことを聞かせるつもりはなかったんだ。まったく、これだから女ってやつは……。
 判った。判ったから機嫌を治せって。悪かった。別にお前を嫌いだなんて言ってないだろう。俺の昔の話を聞きたがったのはお前の方じゃないか。
 ……頼むよ。機嫌治してくれよ。
(あぁ、だから女はよく判らなくて苦手なんだよ。どうしてプロポーズなんかしたのか、未だに大いなる謎だ!)

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石獣庭園