キャプテンガイスト
[02]
 スペースシップ内部のドックはひどく閑散としていた。
「少しはこちらの身にもなって欲しいですよ。もう少し味方を集めてから乗り込んだほうが有利でしょうに……」
 刺々しい口調で不満を漏らす者はまるで影のようないでたちをしている。腰まで伸ばした長い黒髪に冷たい星空のような瞳、そして真っ黒なタートルネックのスペースノーツ用のスーツ。
 平均以上の身長の割に身体はひょろりとして見える。黄色人種系特有の顔立ちであったが、決して童顔というわけではない。たぶん幾つもの民族の血が流れているのだろう。
 その黒い男に対峙しているのはまだ十代であろう娘一人だった。
 苦笑いを浮かべて相手を見上げる瞳は蒼と紅のオッドアイ。褐色の肌に光り輝くブロンドの髪は見る者の瞳を焼くほどの眩さを放っている。
「時間がないのよ、時間が! それくらい判るでしょ、ケルタリオン」
 歳不相応な大人びた表情の娘が、相手を諭すように答えた。目の前の相手はどう見ても三十歳前後であろうに。
「しかしですね、サリアルナ……」
「いい加減におしよ、リオン! サリアルナが時間がないって言っているじゃないか。あたしたちにできることをやるしかないんだよ」
 二人の会話に割り込んできた声は苛立ちを含んだものだ。
 ドックの出入り口を振り返ると、一人の女が立っているのが見えた。しかし……その容姿は……。
 ケルタリオンの目の前に立つ娘とほとんど同じ姿形をしているではないか。
 激しい輝きを放つ金髪に褐色の肌、大人びた表情に仕草……唯一違うのは、片方は蒼と紅のオッドアイなのに対して、片割れは夜明け前の空の色に似た紫紺の両瞳を持っている。
「まったく男のくせにグダグダと……。その肝っ玉の小さなところをなんとかおしよ! みっともないったらありゃしない」
「アルタミラン……。お前こそ、そのはすっぱなしゃべり方をなんとかしろ! それじゃあサリアルナの影になっている意味がない」
 不機嫌な顔をさらに不機嫌そうに歪めて、ケルタリオンと呼ばれた青年がうなった。
「ハンッ! 男も女も見境なくがっついてる奴がよく言うよ! あたしは口が悪いだけで済むけど、あんたの手癖の悪さは頂けないね“アスモデウス”」
「それは仕事だ!」
「どうだか。プルトンの裏通りで男のケツをなで回すような奴の言うことを信用できるもんかぃ」
「お前どこからそれを……」
「フンッ! やっぱり身に憶えがあるんじゃないか」
 鼻を鳴らしながら二人に近づいてきたアルタミランと呼ばれた女は冷めた視線を男に向けたあと、娘に恭しく腰をかがめて微笑んだ。
 まったく対極にあるその態度にサリアルナが苦笑する。
「相変わらずね、あなたたちは。ところで見送りにきてくれるとは思っても見なかったわよ“ベルゼブブ”」
「おや、失礼ね。あたしが見送りにきちゃいけないのかい? まぁ、純然たる見送りじゃないから、文句も言えた義理じゃないか。……ほら、これを“アスタロト”から預かってきたのよ。“女王クィーン”のタワーに入る前に見ておいてちょうだい」
 聞き比べれば違いが判るが、別々に聞いたら女たちの声は同じものに聞こえたことだろう。それくらいに二人はよく似ていた。
「“アスタロト”だと? あいつがいったい何を寄越したんだ」
 黒目がちな鋭い視線をアルタミランへと注いだケルタリオンは、目の前にある預かりものだという包みに手を伸ばそうとした。
 その手をアルタミランがはたき落とす。
「気安く触るんじゃないわよ。これはあたしが個人的に預かってきたものなんだから。ガイストから直接サリアルナに手渡すよう言づかってんだよ!」
「怪しげなものを直接サリアルナに渡すほうがどうかしているだろうが! それともお前が検分したのか、アルタミラン!」
「必要ないね。ガイストはサリアルナに心酔してる。彼が直接渡せと言ったからには、それなりの必然性があるんじゃないのかい? あいつはそういう男だよ」
「大元が連邦の保安官だったような奴だ。私たちとは一線を画すべきだろう!」
 堂々巡りを繰り返しそうな二人の言い争いをため息混じりに見守っていたサリアルナが、ふと表情を引き締めた。薄く細められた両目に鋭さが増す。
「……来たわ。二人とも下がってちょうだい」
 娘の低い声にハッと我に返った二人が辺りを見渡した。なんの変化も感じられないのだが……。
「向こうにあなたたちの姿を見られたくないわ。下がって! 見送りはここまでけっこう!」
 サリアルナの声に残りの二人が慌てた様子で物陰へと飛び込んでいった。ガランとしたドック内にサリアルナ一人の影が佇む。
 小型艇ばかりで、大型船が一つも並んでいない構内はまったく寂しい限りだった。こんな廃れた宇宙艇のドックにいったい誰が来るというのか。
 無の空間であるはずの場所から、一瞬煌めきが放たれる。それを確認しようと目を凝らすと、今度は渦巻く光の輪が出現した。
「供も連れずにきたのか、ゴゥトの娘」
 光輪のなかに人影が見える。若い男のようだった。血色の髪が淡い光のなかでもクッキリと浮かび上がっている。
あかの近衛殿ですわね? まさか“女王クィーン”の側近であるあなたが直々にここに姿を現すとは……」
「誰もお前を迎えに来たがらなかっただけの話だ。……どうする? 本当に来るのなら、陛下の周りの人間はお前を目の敵にするだろう」
 抑揚の少ない声には人間味のある感情はまったく読みとれず、淡々と話をする男の態度には好意も敵意もなかった。
「行きますわ。私の血にはゴゥトと同じだけカーヴァンクルの血も混じっているんですからね。陛下の治めるニケイヤの門扉をくぐるまでは帰る気はありません」
「良かろう。ならば陛下の元まで先導しよう。……座標はβ*-00。10分だけ待つ。それ以後はこの座標も消滅させるぞ。我々についてこれない者を陛下の領域に入れるわけにはいかんからな」
「了解!」
 娘の応答を確認すると光の輪と朱い人影は一緒に消え失せた。
「サリアルナ……!」
 背後の闇からの声に一瞬だけ振り返った娘が、小さく口元に笑みを浮かべる。しかしすぐに走り出すと、そのまま目の前に鎮座している小型艇へとよじ登っていった。
 上部のハッチを開け、船内に滑り込もうとしたその瞬間、船体の下で見送る二つの影に小さく手を挙げて別れの挨拶をする。
 それがお互いの間でもっとも相応しい別れ方だとでも言うように。
「“乙女ドウター”! 出航するわよ! エンジン出力最大! 座標位置はβ*-00!」
 彼女の声に反応して小型艇が振動を始めた。どうやら人工知能を組み込まれた船のようだ。程度の差はあれど、多くの船体に組み込まれ始めた技術はこの小型艇でも充分に機能しているらしい。
 滑らかな動きで小型艇“ドウター”は上昇を開始した。そしてドックの天井いっぱいまでその高度をあげると不意に消失し、地上からその様子を伺っていた二人の視界から完全に見えなくなってしまった。
「時空間移動に移ったな。この短時間で船体のエネルギーを最大にできるとは……相変わらずサリアルナの腕は大したものだ」
「当然さね。それでこそあたしたちの主だろう。……さて。“ゴッド”と“女王クィーン”の戦いにどうケリがつくのか見物だねぇ」
「見物だと!? 何を悠長なことを! 勝ち馬に乗らなきゃ損だろうが。サリアルナが“女王クィーン”の元へ行ってしまった以上は、“ゴッド”側への工作は私たちだけでやらなきゃならないんだぞ!」
「まったく、ぎゃあぎゃあとうるさいねぇ。“女王クィーン”側の工作を一人で受け持とうってサリアルナに比べたら可愛いモンじゃないかい。……さぁ、行くよ! サリアルナがいないときを想定して、あたしは自分自身をこの姿に作り替えたんだからね。あんたもちったぁ協力しな!」
 胸をそびやかしドックを後にするアルタミランの後に続きながら、ケルタリオンはいつも通りの不機嫌そうな顔を引き締めていた。


 コンソールパネルで正確な座標を確認すると、サリアルナはホッと安堵の息を漏らした。相手が指定した時間内には充分に間に合う計算式が弾き出されたのだ。
「第一関門はクリアってところね。……そうそう。忘れるところだったわ。ガイスト、いったい何を寄越したのかしら?」
 先ほどアルタミランから手渡された包みを素早く剥ぎ取ると、なかの箱の蓋を開けてみる。
「……ピアス?」
 真綿にくるまれるように納められていたものは、虹色の淡い輝きを放つオパールのアクセサリーであった。
「どういうことかしら? ガイストがわたしにピアスをくれるなんて? しかも天然石じゃないわね、これ。人工オパールを寄越すなんて全然らしくないわ」
 サリアルナはしげしげと見つめていたが、思いきって手にとってみた。
 直径が八ミリ近くあるオパールの粒はウォーターオパールと呼ばれるタイプのもので、半透明の石のなかではありとあらゆる光が閉じこめられているように、光の粒子が踊っている。
 じっと見つめているサリアルナの手のなかで、そのオパールが一瞬だけ赤光を放った。
「……!?」
『サリアルナ……? 出発したんですね?』
 微かな囁き声にサリアルナは目を見張った。宝石が喋っているではないか!
「その声……ガイスト? いったいどうやって?」
『昨日お見せしたパラライトの筒と同じ原理です。人体の表皮温度とあなたの声の波長によって通信スイッチが入るように……』
「そんなこと聞いてないわ! いったいどうやって通信させているの!?」
 サリアルナの動揺した声にオパール石の向こう側から小さな笑い声が漏れ聞こえた。ガイストが笑っているのだ。
「ガイスト!」
『すみません。でもオレが昔何をやっていたのか、ご存知でしょう?』
「保安官時代のこと? ……あ。囮専門の捜査をしていたわね、確か」
 眉間に皺を寄せてじっと考え込んでいた娘が納得したようにため息を吐いた。どうやら思い当たる節があったらしい。
「あなたタッシールの衛星軌道上にあるスティルスシーカーにハッキングしたわね!? そんなこと“女王クィーン”に知れたら、タダじゃ済まないわよ!?」
『承知しています。でも“ノイエス”にいるあなたと連絡を取るには、この方法しか思いつきませんでした。他の通信方法では邪魔が入る……』
「だからってこんな無茶なことしないで!」
 悲鳴混じりのサリアルナの声に再びガイストが小さな笑い声を漏らした。
『今回ばかりは聞きませんよ。母親と親友に裏切られて、ボロボロになって死にかけていたところを助けてもらった恩……これで返せるとは思いませんが、孤立無援の場所にあなたを独りにしておくことはできないでしょう?』
「……バカね。わたし、そんなに頼りないかしら? 皆ちっとも信用してくれないわ」
 乱れた髪を掻き上げながらサリアルナは苦笑した。いつもは強気に光る瞳が、ふと一瞬だけ翳る。
『信用していますとも。でも相手は“女王クィーン”です。“ゴッド”の娘でありながら、反旗を翻した者がいったいどういった振る舞いをするか……。それを心配しているんですよ』
 宝石から漏れ聞こえる囁き声にサリアルナがそっと瞼を閉じて口元を歪めた。
「わたしも無事では済まない、と? それでも行かなければならないわ。わたしの下についている者たちのためにも……兄さんのためにも……。皆を守るために権力ちからがいるわ。それを手に入れるまでは……」
 言葉の最後は空気に溶け、ガイストには届かなかっただろう。だがすべてを察しているのか、通信機の向こう側から再び囁き声が漏れてきた。
『それも承知しています。だから手伝わせてください。オレではあなたの兄代わりには不足でしょうけど……』
「……ありがとう」
 ふとメインパネルに映し出されている暗闇の空間に銀色に輝く惑星を見上げ、サリアルナは小さく微笑みを浮かべた。
 あの惑星ほしの上にこそ自分の帰るべき場所がある。いつか、必ず帰って行くのだ。
 電子音がコントロールルームの空間を満たしたのは、彼女が僅かばかりの感傷に浸っているときだった。
「……! 目的の空間に入るわ。ガイスト! 通信を切るわ」
 彼女の顔が今し方の穏やかな表情から険しい顔つきへと変貌した。
『了解。“ノイエス”に入ったら、自室が与えられるはずです。そこのルーチンコンピュータにこの通信機をチップとして埋め込んでください。“ノイエス”の周波数を分析してその水面下で通信ができるようになりますから……』
「まったく……。さすがは一流の闇バイヤーだわ。そのハッカーの腕、保安官として使われなくて良かったわよ」
 呆れてため息をついたサリアルナを残して通信は切られた。
 その一瞬の静寂を無視して、新たな通信音が彼女の耳朶を打つ。
『ようこそ、ゴゥトの娘。これより我らの王が治める領域に入る。ここから先は我々の指示に従え。でなければ、この領域を航行することは不可能だ』
「了解。指示をどうぞ」
 無機質な声に応じるとサリアルナはいっそう表情を引き締めた。
 未知の空間へと足を踏み入れていくにも関わらず、この顔つきは好奇心と野心に輝いて見えた。


「キャプテン! 出航準備オーケーです!」
 背後からの呼び声に振り返れば、古株の船員クルーが緊張した表情で立っていた。
「了解。積み荷は大人しくしているか?」
「はい。筋弛緩剤を調節して打ってありますからね。……目的地まで自由に動くこともできないでしょう」
「判った。だが見張りは怠るなよ」
 部下が頷いて出ていったあと、彼は大儀そうに椅子から立ち上がった。ふと机の上に転がっていたカードを手に取ると、そっとその表面を撫でる。
「サリアルナ……」
 低い呟きを聞く者は誰もいない。それでもその声を聴かれることを恐れるように、ガイストは口をつぐんだ。
 荒々しい通信音が部屋に響いたのは、その一瞬の沈黙の後だった。
 慌ててカードを胸ポケットにねじ込むと、パネルを操作して通信を繋ぐ。
「Yes?」
『ガイストか? 私だ……』
「アスモデウス……。何の用だ? オレはこれから“ガイア”に向けて出航するところなんだけどな」
 卓上の通信ボードに浮かんだ人影にガイストは薄く笑みを浮かべて見せた。そろそろ何か言ってくる頃だとは思っていたが……。
 珍しく苛立っている様子の相手に、日頃の溜飲を下げた感がする。
『サリアルナに渡したものはいったい何だ! 私の目を盗んで何を企んでいる、貴様!?』
「別に何も企んじゃいないさ。心配ならサリアルナにでも訊いてみな。それよりも早く出航させてもらえないかな? “ゴッド”からの依頼の品物を早いところ届けないといけないんだ」
 あえて答えをはぐらかし、相手の苛立ちをいっそう煽ってみる。多少の意地悪くらいは許されるだろう。
『“ゴッド”だと!? いったい何を持っていくつもりだ!』
 苛立った相手の声に再び笑みが漏れた。だがそうそう相手をはぐらかすこともできまい。相手は充分に自分に不信感を持っている。これ以上はお互いの益にならないだろう。
「実験体だ。いつもの“ゴッド”の気まぐれだろ?」
『実験体……? そんなものここ最近仕入れてないはずじゃ……』
 思い巡らせている相手の様子に、ガイストは冷たい微笑みを向けた。冷酷この上ない表情には、サリアルナと対していたときの穏やかさは抜け落ちている。
「いたさ。“プルトンサイドウェイ”で一人仕入れたじゃないか。お前が玩具にしていただろう?」
『ゴロツキどもに追われていた女か?』
 通信ボードの人影が片眉をつり上げた。その眉の下の黒いまなこが忌々しそうにこちらを睨んでいる。
「そうだ。その女だ。まさか……気に入っていたなんて言わないよなぁ、ケルタリオン?」
『……ふん。行きづりの女じゃないか』
「それを聞いて安心したよ」
 冷たい言葉の応酬にふとガイストが視線を在らぬ方角へと向けた。暗緑の瞳が鋭く時計の文字上を滑っていく。
「時間が迫ってきた。悪いがここまでだ。“ベルゼブブ”によろしく伝えてくれ」
『なんで私がアルタミランへの言づてを頼まれなければならないんだ! お前が自分で伝えてこい!』
 未だに相手は苛立ちが収まっていないようだ。いつもは冷酷な横顔しか見せないというのに、今回のことでは随分と脆い一面を見せたものだ。
「ケチ臭い奴だな。昔のパトロンのよしみじゃないか。それにアルタミランとは従姉妹なんだろう。
 ……まぁ、いいさ。航行中にでも連絡をとってみるから。掴まえるのは骨が折れるだろうけど」
 あからさまにムッとした表情になった相手にチラリと視線を走らせるが、出航時間が気になるのか、ガイストはそれ以上の言葉の応酬を避けるようにすぐに視線を外した。
「じゃ、オレは行くからな」
 慌ただしく上着を羽織り、幾つかの通信機器とIDカードを机の上から掴み上げる。いつも通りの慣れた仕草だ。
『……私たちを裏切ったら、殺してやるぞ。判っているんだろうな“アスタロト”』
 背を向けかけていたガイストは、その絶対零度の声に肩越しに振り返った。
 だが相手の声に答えを返すことはなく、小さく鼻で笑うと何事もなかったように部屋を後にしたのだった。


 彼女はいつか必ず自分を光のもとへと帰してやると言った。
 だがそんなことは不可能だろう。
 すでに自分の両手は真っ赤な血に染まってしまっている。今更どうやって過去の栄光の日々へと帰っていけというのか。
 どだい一度闇へと堕ちた自分には無理なことなのだ。
 実母と親友に裏切られたあのとき……。妹を助けてやれなかったあのとき……。自分の心は光のもとでは死んでしまったのだ。
 再び息を吹き返したというのなら、それは闇に染まることを覚悟して目を覚ましたからなのだ。
 もう戻れない。妹は輝かしい栄光に包まれて立つ自分の姿だけを信じていたはずだ。彼女はこんな自分を望みはしなかっただろうが……。
 そのたった一人の妹を……母は見捨て、親友は汚していった。
 自分たち兄妹を見捨てていくのなら、そのまま捨て置いてくれれば良かったのだ。何も妹をめちゃめちゃにしていくことなどなかった。
 自分たちだけで生きていく算段くらいつけていけたのだ。
 それなのに……。
 物思いから覚め、船橋ブリッジを見渡すと、船員クルーたちはそれぞれ配置につき終わっているのが確認できた。
 そっとため息を漏らした後、ガイストは暗緑の瞳をメインスクリーンへと向けた。赤外線で照らし出された港内には、大小取り混ぜたスターシップたちが所狭しと並んでいる様子が見える。
 いくつかの船はこちらの船と同じように間もなく出航するのだろう。こちらも管制塔から許可が下り次第出航できるようになっている。
「遅いな、タワーの連中は……」
「つい今し方、外周航路にいた輸送タンカーとどこかのイカれた個人艇が衝突したとかで、その撤去作業の間は出航するなと連絡が入ったらしいですよ。すぐに終わるでしょうけど……」
「どこのバカだ、タンカーに突っ込んでいくなんて」
「さぁ? どうせろくなもんじゃないでしょ」
 通信官との会話にガイストは口元を歪ませた。
 ろくなもんじゃない、と言っている自分たちはいったいどれほどの者だと言うのだろうか?
 両手を血に染めて生きている自分たちの末路など、タンカーに突っ込んでいくよりも酔狂なものだろうに……。
 闇のなかに降り立って復讐を誓った日から、いったい何年経っただろうか?
 自分を蹴落として出世していった親友の心臓に憎悪の刃を突き立てからは……?
 実母とその情夫がベッドでよがっているところにマシンガンをぶち込んでやってからは……?
 どれもこれも昨日のことのように覚えている。もちろん、冷えたコンクリートの上で冷たい骸となっていた妹の死に顔も……。
 自身の死の恐怖と妹の死による狂乱から、この髪は色が抜け落ちてしまった。
 自分の髪でもないのに、妹はいつも兄の漆黒の髪を自慢していたというのに、まるで妹の死の道行きへの供をしたかのようだ。
「そうだ。外宇宙に出たらJumpの前に“ベルゼブブ”の旗艦を探してみてくれ。見つかる確立は低いと思うが……」
「了解」
 淡々と答えを返してくる部下たちの様子には、自分が今抱いていた一瞬の感傷など伺うことはできない。
 自分自身でさえ、ヴェールの奥に感情を押し殺しているのだ。彼らだとて他人に見せない闇をその身体のなかに抱えているだろう。
 すべての復讐が終わり、血みどろになっている自分の姿を許した者は、サリアルナだけだった。
 復讐のために講じたあらゆる手段を、彼女だけが黙って受け止め、飲み込んでくれたのだ。同じように闇に墜ちた者たちでも、自分を許しはしなかったというのに……。
 死んでしまおうとさえ思っていた自分の手を取った少女の温かい掌を今でも感じることができる。
 同情の笑みも侮蔑の視線もなしに自分を見つめるオッドアイに助けられなければ、自分はいったい今頃どうなっていただろうか?
『We made have waited.』
「お、来た来た!」
 管制塔からの通信音声に船員クルーの間から安堵の声があがった。
 いつまでもジリジリと待たされるのは嬉しいものではない。出港時の緊張はベテランでも新米でも変わりはないのだ。
『All green!』
「O.K! All green! Please,Open the gate!」
 管制官の声にガイストは、いつも通りの答えを返した。そして相手からも同じように答えが返ってくるはずだ。
『O.K. Gate Opens! Good luck your travel.』
「thanks. ……Engine maximum!!」
「Aye,captain!」
「Aye-aye,sir!」
 変わらない言葉の応酬に船員クルーたちも同じように応じてくる。何百回と繰り返してきた出港時の光景だ。
 安全を約束された航海などない。この航行がもしかしたら最後になるかもしれない。いつもそう思い、部下たちの働きを見守ってきた。
 今回もそうだ。ましてや“ゴッド”の領域である“ガイア”へと向かうのだ。“女王クィーン”の統べる“ノイエス”と大差のない荒れた航海になることは間違いない。
 赤外線が描き出した建物や船たちの影がジリジリと後方へと流れ去っていく。
 再びこの惑星に帰ってくることを願いながら、ガイストは胸ポケットに納められた通信カードをそっと押さえた。
 再び失うことの恐怖に比べたら、地獄への航海だとて可愛いものだ。
 この航海の果てにある“ゴッド”の領域へと入ったら、ガイストはあらゆる場所にハッキングを仕掛けるつもりでいた。
 暗黒を支配する両陣営が滅びようが繁栄しようが、自分にはどうでもいいことだ。
 しかし片方の陣営にはサリアルナがいる。彼女の氏族長であるゴゥト公の命によって、人質同然の待遇で派遣されたのだ。
 彼女がいる場所が安全であるはずがない。
 そんな彼女を救う力など今の自分にはないのだ。
 その現状を少しでも打破するためなら、あらゆる情報を集めてやろう。それが神聖不可侵と恐れられる“ゴッド”だろうと、恐怖の女神と呼ばれる“女王クィーン”だろうと知ったことか。
 他の誰のためでもない。自分自身のためだ。
 自分のなかに残る最後の希望の火を消さないために、さらなる血の道をいくのだ。
俺たちゃ悪人 お尋ね者よ
背負った前科は無限大
詐欺に密輸に放火に窃盗
挙げ句の果てには人身売買
それでも やっちゃいないのが、ただ一つ
たとえ乞食になり果てようと
保安官には媚びられぬ

俺たちゃ悪人 懸賞首よ
義理や主義などありはせぬ
掏摸に誘拐 強請に強姦
ボロい儲けの麻薬の密売
だけど やりたかないのが、ただ一つ
可愛いあの娘を泣かせる模倣は
殺されたとてご免だね

 小さく口ずさむガイストの歌声に、いつのまにか船員クルーも一緒になって歌い始めていた。
 どの顔からもその歌にかける想いなど見えてきはしない。だが彼らの小さな歌声はいつまでも止むことがなかった。
 惑星の周回軌道から徐々に高度をあげ、母星は靄に包まれたような淡い輝きを放つだけの存在となっていた。
 だがそのヴェールの下には残酷なほどの狂気が潜んでいるのだ。惑星ほしに棲む者ならば、誰もが知っている荒れ狂う堕落と頽廃とともに……。
 惑星タッシールは眠らない。
 不夜城の人工光を宇宙にまで放ち、あざとく輝き続けるこの惑星ほしが眠りにつくとしたら、それはきっと滅び去るときだろう。

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石獣庭園