キャプテンガイスト
[1]
 惑星タッシール。宇宙空間世界の生命生存地帯でこの名は富と権力の象徴である。だがそれは腐敗と堕落、そして混沌の巣窟でもあった。
 光が深いほどに闇が濃いように、闇に蠢く者どもがあざとく咲き狂う星は、このタッシールをおいて他にない。
俺たちゃ悪人 お尋ね者よ
背負った前科は無限大
詐欺に密輸に放火に窃盗
挙げ句の果てには人身売買
それでも やっちゃいないのが、ただ一つ
たとえ乞食になり果てようと
保安官には媚びられぬ

俺たちゃ悪人 懸賞首よ
義理や主義などありはせぬ
掏摸に誘拐 強請に強姦
ボロい儲けの麻薬の密売
だけど やりたかないのが、ただ一つ
可愛いあの娘を泣かせる模倣は
殺されたとてご免だね
 物騒な歌を口ずさみながら長身の男がネオン街を歩いていく。
 飄然という言葉がさり気なく似合男だ。ざわめきが路地裏から湧き、まとわりつくように男のまわりに拡がった。
「助けて……!」
 夜のネオン街には不釣り合いな女が男の腕にしがみついてきた。その女を追ってきた男たちが威嚇するように二人を取り囲む。
「これはまた。随分とやさぐれたお兄さん方とお友達になったもんだな、お嬢さん」
 男……正確に伝えるなら、青年といったほうが適当だろう。
 胡散臭げな男たちに囲まれた青年は、煩わしそうに右眉をつりあげると、その物騒な人間たちがにじり寄ってくる様を鼻で笑った。
 青年が女の腕をそっとずらす。まわりを取り囲んでいる男たちは、沈黙を守ったまま、ジリジリと輪を縮めていた。
 どれほど甘く見積もっても、こちらと仲良くしようという柄ではないようだ。
 囲んだ二人が囲みから逃げられない位置まで輪を縮めると、リーダー格の男が半歩前に進み出た。
「女をよこせ……」
 ドスを効かせた低い声は、青年の耳にも届いたはずだ。
 雑多な人混みのなかで、これほど間抜けな取引はあるまい。
 だがこのネオン街“プルトンサイドウェイ”では、当たり前の光景なのだろう。通り過ぎる酔っ払いどもや流しの娼婦たちは、このやりとりに見向きもせずに歩き去っていく。
 ボスの隣で卑屈な態度で立っていた小男が黄色い歯を剥き出して叫んだ。
 辺境星域語らしく、何を言っているのか解らないが、片手にナイフをちらつかせているところを見ると脅しているようだ。
「人にものを頼むときの態度じゃないなぁ、お兄さん。オレは今日機嫌がとぉっても良いんだよ。爆発しちまう前にとっとと失せな!」
 嘲りを含んだ声が男たちの鼓膜に届くと、小男はナイフを握り直して顔を歪めた。相手の言葉は理解できなくても、自分の脅しが失敗したことだけは解るらしい。鋭利なその刃物を振り上げ、青年に襲いかかる。
 しかし青年の胸ぐらに手が届こうとしたその瞬間、掴みかかってきた小男の指は簡単にひねり上げられていた。
 長身の若者の顔に危険な笑みが浮かんだ。
 そのニヒルな笑いを浮かべた秀麗な顔の半分は長く伸ばした前髪に隠されていたが、顔半面だけでも女子供なら怖じ気づきそうな形相だった。
「野郎……!」
 気の短そうな大男が、青年に躍りかかっていった。
 重量戦車のような圧迫感を辺りに振り撒き、豪快に繰りだされる拳は常人なら確実に骨を叩き割られそうな素早さだった。
 だが青年は常人ではなかったようだ。女の細い腰を抱き上げると、身軽に反転して、捕らえていた小男の躰を巨漢の繰りだす剛拳の前へと突き飛ばした。
 短い叫びと骨の砕ける鈍い音が辺りに響き、すぐさま生臭い血の臭いが辺り一面に拡がった。
「ひぃぃっ……」
 女が喉を絞るような声をもらして失神した。頭蓋骨を砕かれた男の仲間たちでさえ、その生臭い臭いに顔を背けた。
「畜生めっ」
 さすがにこのような惨事が起これば、通行人のなかから野次馬が出始めた。
 しかし誰も決して警官や保安職員を呼びに行こうとはしない。明らかにこの状況を面白がって見物しているのだ。
 人垣を散らそうと躍起になる男たちを軽蔑の眼で見下すと、青年はその場を立ち去ろうと人混みに分け入った。
「ま、待ちやがれ! その女、置いてけっ」
 無謀にも追いすがってきたサングラスをかけた二人の男は青年の肩に触れる前に、一人はアスファルトと懇ろな仲になっていた。
 もう一人はさらに悲惨だったろう。
 両膝にローキックを喰らい、大地と接吻した男は、その後頭部を力任せに踏みにじられた。
 割れたサングラスの破片と顔面が非友好的な結合を遂げると、音域をまるで無視した声が男の喉から迸る。
 絶叫をあげて転げる男を見て、観客は歓声をあげて囃したてた。青年はさらに冷めた視線を男たちに送り、女を担ぎ上げたままきびすを返した。
「兄ちゃん、つえぇじゃねぇの」
「まだ四人残ってるぜ。全員、ぶっ倒してってくれよ!」
「なんだ、なんだぁ。もう終わりなのかよ。つまンねぇぜ! これからだろう。もっとやれよ。コラァ!」
 どの声もこれ以上の流血を期待して浮かれている。
 馴れ馴れしく青年の腕を掴んで引き戻そうとする輩までいる始末だ。観客の声は青年にまとわりつき、放そうとはしなかった。
 うるさそうに人混みを掻き分けようとした青年の眼前に影が差した。先ほど仲間を自分の鉄拳で挽肉にしてしまった大男が顔を真っ赤にして立ちはだかっている。
「貴様……殺してやるッ!」
 丸太のような腕が振り回され、若者めがけて飛んでいく。まわりの野次馬が慌てて飛び退く。それをしり目に青年は軽々と巨漢の攻撃をかわした。
「うっとうしいんだよ、でくの坊がっ」
 初めて青年の声に怒気が含まれた。
 でくの坊呼ばわりされたほうも赤い顔をいっそう赤く染めて罵声を叩きつける。
 人語の域を外れた咆吼をあげて大男が青年に襲いかかった。
 若者が蝶のように舞い飛び、その攻撃をかわす。さらに、もう一度かわそうと後ろに飛び下がった。
 とその時、青年の足元に空き瓶が当たる。
 若蝶が均衡を崩したその瞬間を、大男は見逃さなかった。
 筋肉の塊のような太い腕がすかさず長身を捕らえた。肉食獣の笑みが満面に浮かべ、若者の背後から空き瓶を転がしたボスに頷く。
 大男は遠慮躊躇もなく、相手の胴体を締めつけた。若者の骨が軋む音が聞こえ、その全身が弓なりに反り返る。
 ところがこの状況にあってさえ青年は女を抱えあげたままだった。
 満身の力を込めて青年を締め上げていた大男にボスが声をかけた。
「ゴルベリ。殺すなよ」
 温情の声音では、当然、ない。自分たちが優位に立ったと確信した者が発する凶暴な笑いが、暴漢たちの間からあがった。
「へへへ、大人しく言うことを聞いてりゃ、痛い目に遭わずに済んだものをよぉ。バカな奴だぜ」
「どうしやスか? ……一緒に連れていくんで?」
 固唾を飲んで見守っていた野次馬たちを一瞥すると、ボスは凶悪な笑みを浮かべた。
 歓楽街にたむろするチンピラなどはこの顔を見ただけで逃げ出してしまいそうだ。辺りを囲んでいた野次馬連中も潮が引くように消えていく。見世物は終わったのだ。
「あちら方面の好色で美形好みのお偉い様にでも調達してやるさ。それまではヤクでも射っておねンねしていてもらおうか」
 ゴルベリと呼ばれた大男が腕の力を緩め、若い男女をアスファルトの上に放り出した。若者は気を失ってしまったのか、ピクリとも動かない。
 大男のレバーのようにテラテラと光った舌が、肉厚の唇の上をねっとりと這いまわる。
「兄貴よぉ。商売モンにするンなら、らしく仕立てあげなきゃなんねぇんだろ? だったら、俺にその役目やらせてくれよ」
 男たちは気を失ってしまった青年の身体に遠慮もなく視線を這わせ値踏みをする。大男は許可さえ下りれば、今この場でも気絶している青年を八つ裂きにしてしまいそうな目をしていた。
 ボスの右隣に立っていたカーキ色のジャケットを羽織った鷲鼻の男が、若者が未だに抱えている女のそばに歩み寄った。それに続いて、丸顔のちんくしゃデブが若者へと近寄る。
 二人の暴漢の手が男女の腕を掴もうとしたその瞬間、何かが光速の早さで二人の喉笛を掻き切った。
 悲鳴さえあげる間もなく男たちが倒れていく。
 一瞬の出来事にボスも大男もなす術もなしに立ちすくむ。二人の血走り見開かれた眼が、気絶しているはずの青年と女の顔面を捕らえた。
「……!」
 より驚いたのはボスと大男のどちらだったろうか?
 いつの間に拾い上げたのか、先ほど頭をかち割られた小男のナイフを片手に、残りの腕に女を抱えた青年が、倒れた二人を踏みつけて立ち上がった。
「やぁ。随分と手荒な歓迎をしてくれた。挙げ句に再就職の世話までしてくれるとなりゃあ……お礼をしなけりゃ、バチが当たろうってもンだよ。なぁ? お兄さん方、そうだろ?」
 背後に巨漢を、正面に性悪なボスを見据えて、若者はのんびりとした口調で喋りながら、血塗られたナイフを弄ぶ。
「この野郎……! よくもやりやがったな」
 大男が背後から若者に掴みかかる。ボスの方はといえば、惚けたように青年を、いや、青年の乱れた前髪を凝視していた。見てはならないものを見てしまったかのように、恐れおののき、ジリジリと後退していく。
「や……やめ……。ゴルベ……リ……」
 もつれて滑らかにまわらない舌を必死に動かして、ボスはたった一人残った仲間を止めようとするが、当のゴルベリの耳にはそんな制止の声など届いていない。
「ゴ、ゴルベリ……!」
 掠れきった声を張り上げて相棒の名を呼ぶのと、ゴルベリの眉間に深々とナイフが突き立つのと、どちらが先だったかわからない。
 砂煙を立てて倒れる巨漢には一瞥もくれず、青年は正面で座り込んだ男を睨み続けていた。
 なんという腕前であろうか。人一人を抱えたままの状態で、後方から襲ってくる敵の急所を振り返りもせずに仕留めるとは!
 腰を抜かし、失禁しながらも這いずって逃げようとするボスに、悪魔の微笑みを浮かべた若者が一歩また一歩と近づいていく。
 側の消火栓にぶつかり、そのまま動かなくなったボスの目の前までくると、青年は狂気にも似た微笑を浮かべたまま、ゆっくりと前髪を掻き上げた。
「これに見覚えがあるのかい? ……それとも、聞き覚えがあるのか? この顔の特徴に……」
 今まで前髪に隠れていた若者の顔左半分が露わになる。麗しいまでの美貌が刻まれた顔が、残りの半面が現れた途端に醜怪な魔物の表情へと変貌した。
 美神の嫉妬に触れたか、あるいは魔神の悪戯か、青年の顔左半分には見るも無惨な裂傷がひきつれを作っていた。
 レーザー銃などの火器類の凶器ではない。強いて言えば陶器や鉄片などの切れ味の悪い破片で無理矢理に押し潰された感じのする傷痕だ。
 男は逃げる気力も尽き果てたのか、青年の手が自分の首に回されても抵抗しなかった。静かに締め上げられていく喉の奥から弱々しい息がもれる。
「あ……あ、あんた……は、ガイ……スト……。ダー……クガ……イス……ト」
 この惑星タッシールのダークサイドの住人ならその名を知らない者はいない。
 悪名高き闇バイヤーの名を口にした途端、鈍い厭な音を立てて男の首は真後ろへとへし折られた。
 すべてが終わったかと思われたそのとき、雑踏のなかから忽然と黒い男が現れた。死んだ男を見下ろす白髪の若者よりもさらに背が高い。腰まで届く長い黒髪を結いもせずに、肩で風を切って近づいてくると、当然のように気を失ったままの女を貰い受け、青年を促して歩き出した。
 まだ宵の口に入ったばかりの歓楽街は人通りも多い。もっとも、このプルトンサイドウェイにいる者自体がまっとうな人間であるはずもない。
 だがネオン街の一角で起こったこの惨劇を目撃した者の数は少なく、たまたま見届ける羽目になった者も口を堅く閉ざして、この日の悪夢を語ろうとはしなかった。


「随分と手間取っていたな、ガイスト」
 絡みつく長髪を払いのけながら黒い男が言った。重厚なアルトの音程が耳に心地よく響く。
 筋肉質のガイストと比べると、この男の方は身長の高さばかりが目立つ。しかし見る者が見れば、幅広の肩やしなやかに伸びる肢体が鍛え抜かれた強者の持ち物であることがわかるだろう。
「お前に見られていたとは思わなかったよ」
「女の所へいった帰り、だろう? この時間帯にあの通りをブラついていると必ずお前に出くわすんだ。もっとも、お前が他の女に鞍替えしちまえば別だがな」
 男が喉の奥で含み笑いをする。三十代前半と思われるその顔つきからは想像もできないような殷々たる声音が、彼のそれまでの人生を表しているようだった。
 男は黄色人種系の肌や髪質だが、決して童顔ではない。多くの民族の血が混じり合った結果を体現したような顔立ちだ。
「チッ! 嫌味な奴だな、お前は。……やめろよ、この人混みのなかで何しやがんだよ」
 肩に女を担ぎ上げたまま男の手がガイストの腰へと伸びてきた。黒目がちだが切れ長の瞳がからかうように光る。
「いやに照れるじゃないか。……初めてでもあるまい、この街でなんの遠慮がいるんだ?」
 険悪な視線を男の横顔にスパークさせたが、ガイストは口を噤んで喋ろうとはしなかった。
「なんだ怒ったのか? 謝らんぞ。事実を言っただけだからな、私は」
 ガイストの腰に腕をまわすと男は耳元で囁いた。身じろぎしてその腕から逃れようとするガイストを放すまいと、男の腕にさらに力が込められる。
 ガイストが苛立たしげに首にまとわりつく髪を払いのけ、唸るように低く言葉を吐きだす。
「……やめろ、アスモデウス」
 その声に、当のアスモデウスは嘲りを含んだ冷笑で報いた。
「そう、私はアスモデウス……。“淫乱”の魔天使の名を持つ者だ。そう“ゴッド”が名付けた。そして、お前の相方なんだ……アスタロト」
「……! その名で呼ぶなっ! ……オレは、ガイストだ」
 全身を小刻みに震わせ、アスモデウスの腕を無理矢理に引き離すと、ガイストは低く叫んだ。
 しかしアスモデウスが忍び笑いをもらしながら、再び無遠慮に若者の身体をまぐさる。
 アスモデウスの視線がガイストの青ざめた横顔を舐めるように這っていく。医者か研究者のような観察眼が冷たい。
「そうだな。確かにお前はガイスト……亡霊だ。光の当たる場所には二度と戻ることは出来ない、葬り去られた人間だからな」
 そうだ。もう戻れない。光の天使が住まう場所へは……。もう二度と。
 ガイストの横顔に苦渋が拡がり、両肩が目に見えて落ちる。
「そうそう。“ゴッド”と“女王クィーン”、双方への定例報告を忘れるな。
 私たちには選択の余地などないのだからな。今はどちらかにつくわけにはいかないんだ。この世界では中立を保つ立場だということを忘れるなよ、ガイスト」
 突然に事務的な口調でアスモデウスがガイストに声をかけた。それは今までの言葉が嘘のような無機質な声だった。
 相手の傷心を知っていて、わざとそれを無視して見せる、残忍な彼の横顔に憐憫という単語は一番似合わないようだ。
 傷ついたガイストと見知らぬ女を伴って、アスモデウスは暗黒街の奥深くへと進んでいった。
 闇のあぎとへと吸い込まれていく彼らを見咎める者は誰もいない……。


 夜が明けようとしていた。薄汚れた窓から覗く空は筆で軽く掃いたように薄い紫雲を浮かべている。
 まだ街のこの近辺は眠っている時刻だ。ツーブロック向こうの大通りならば、すでに運搬専用の地上車ランドカーが凶暴な排気風を吐き出しながら走り回っているだろうが。
 眠れない夜を過ごした夜明けの色は、安堵と虚脱感に満ちているようだった。
 窓からの弱い光に照らされた室内の家具たちは、澱んだ黒い影を床や壁へと伸ばし、部屋の主の気分をいっそう滅入らせているばかりだ。
 大仰に溜め息を吐いた彼は窓辺の分厚い壁にもたれかかったまま、金属製のドアを睨みつけた。
 すぐにそこから視線をずらす。しかし彷徨っていた瞳は再び吸いつけられるようにドアの表面へと向けられる。
 何かを待っているような素振りだ。
 何度目かに瞳が往復したあと変化はやってきた。
 ドアの電子ロックからセキュリティアラームが聞こえる。来客を知らせるその音はボリュームを絞ってあるらしく、ひどく小さな音だった。
 口唇が渇くのか何度もそれを舐める。緊張感に身体が強ばっているようだ。
 だが来訪者をそのまま無視することもできないらしく、重い足取りでドアへと近づく。まるでそのドアを開けたときが自分の運命が決まるときだとでもいうかのような決死の表情だ。
 緊張した顔つきのままドア横の電子ロックを外す動作は、緊張はしていてもよどみない。
 外の人物を確認しようとしないところをみると、待ち人であることを確信しているのだろう。「チキッ」と金属が擦れる小さな音の後、ドアはゆっくりと横にスライドしていった。
 部屋の外は廊下だ。彼の瞳が目に見えて細くなる。照明がついている加減で、室内よりも明るいくらいだ。光に目が慣れていないと言えばそれまでだが、彼が目を細めた理由は、それだけではないだろう。
「……どうぞ」
 低い声で訪問者を室内へと誘う。その声は少し掠れて聞こえた。
 悠然と室内へと足を踏み入れた人物を見れば、彼が視線を外している理由が頷ける。それは眩すぎる輝きに満ちていたのだから。
 訪問者は彼の白人種特有の白い肌と雲のように真っ白な髪、暗く光る翠眼とはまったく対照的な外見を持っていた。
 まず、真っ先に目を惹くのは髪だ。
 どんな群衆に混じっていても、遠目にすぐに判るほどの豪奢な金髪。それ自体が太陽のような輝きを発している様は、壁画から抜け出してきた神か聖人のような壮麗さを感じさせた。
 そしてこめかみから落ちかかる金髪に縁取られる顔は滑らかな褐色肌。どこにもくすみや染みのないその皮膚は何よりも健康的な印象をまわりに与える。
 訪問者は、美しく、華やかな外見の娘だった。
 顔立ちもたぶん雰囲気を裏切らない造りなのだろうが、横長の偏光グラスをかけた顔はその細部を伺うことはできなかった。
「殺風景なところで暮らしているわね。……もっとましなところに住めるでしょうに」
 呆れたように呟いた声は、魅惑的な震えを帯びて空気に溶ける。それを怯えたように聞きながら、彼は簡素なサイドボードの上からマグカップを取り上げた。
 相手を見ないようにするには、他の作業に没頭するしかない。
「あ……。わたしは濃いめのブラックにしてよ」
 黙々とコーヒーを淹れ始めた彼の背中に遠慮のない声がかかる。
 外見の神々しさからは想像できない平易な態度に驚きでもしたのだろうか、男はチラリと振り返った。
 だが娘が断りも無しに古いソファへと腰を降ろし、のんびりと室内を見回している様子を確認して、再びコーヒーを淹れる作業へと戻る。
「ねぇ、ガイスト……」
 背後からの声に彼は怪訝そうに振り返った。相手の神経質な色を帯びた声に驚いたのだ。こんなざらついた口調は滅多に耳にすることなどない。
「何か……?」
 即席で淹れたコーヒーを手に、慎重な足取りで娘の側までくると、未だに偏光グラスを外していないその顔を覗き込むようにしてそれを手渡す。
「ガイスト。相変わらず他人行儀ね、あなたは……」
 苦笑しながらカップを受け取った娘が、指に伝わるコーヒーの熱を愉しむようにして両手でその器を包む。
 昇ってくる太陽の光が窓ガラスに反射して娘の頭上へと降り注ぎ、彼女の髪は燃え立つように輝いた。
「日が昇ったのね……」
 ぼんやりとした口調で娘が窓から空を仰ぎ、我に返ったように手の中のコーヒーを一口すする。
「今回は急な注文でしたが? 何か上層部であったのですか、サリアルナ?」
「いいえ。上では何もないわ」
 硬い声のままに答えた娘は、気怠げな手つきでカップをテーブルへと置き、目の部分を覆っていた偏光グラスを外した。
 その様子を見守っていたガイストの視線が、無意識のうちに娘の瞳へと注がれた。そう。娘の瞳は少々変わっていたから……。
 燃えるような金髪のなかに極上のサファイアとルビーが一粒ずつ。いや彼女の瞳は右目が蒼、左目が紅というオッドアイだった。
 対極をなすその色彩が、娘の表情を判らなくする。
 これでは偏光グラスをかけていたときと同じだ。
 冷たい蒼の瞳は彼女の感情を押し包み、燃え上がる紅の瞳は彼女の気性の激しさを雄弁に物語っているように見えるのだ。どちらが本来の彼女なのであろうか。
「頼んだ品物を見せてもらえる?」
 自分を見つめる者と視線を合わせないようにカップに視線を落としたまま、娘は早口に言葉を紡ぐ。
 その神経質な声に眉をひそめたが、ガイストは何も問わずに席を立ち、壁に穿たれた窪み棚アルコープの前まで歩いていった。
 幾つかの置物のうち、左端下隅に置かれた絵付き皿を持ち上げる。そして、その皿を支えていた支柱と取り上げると、棚の中央に剥きだしで置かれた時計の軸芯へと突き立てた。
 ゴキリと何かが噛み合う音がしたあと、棚の奥の壁に一本の亀裂が走る。奥にさらに空間があるようだ。
 ガイストは開いた隙間に指を差し入れ、そっと左右にスライドさせた。
 乾いた紙が擦れるように微かな音とともにぽっかりと穴が開く。奥には大小さまざまな包みが所狭しと並んでいた。
 その中から細長い筒状の包みを取り出すとガイストは傍らに置いてあった絵付き皿を元の位置に戻した。
 再び微かな音をたてて隠し扉が閉まり、棚奥の壁がピタリと合わさる。壁の模様と同化して亀裂の跡はまったく区別できなかった。
 脇に抱えた包みを持って娘の前に戻ってきたガイストが恭しい手つきでそれを差し出す。
 それを一瞬手に取ることをためらった娘だったが、意を決したように両手で包みを受け取り、乱暴な動作で包み紙を引き裂いていった。
 中から硬化プラスチックの筒箱が姿を現す。
 大きさは娘の片腕の長さとほぼ同じくらいではないだろうか?
 筒の上部は透明プラスチックになっており、見慣れない鳥の頭を持つ怪物が筒のなかで眼を光らせている。
 その頭が入っている部分が蓋になっているらしい。頭を覆う透明プラスチックを鷲掴みにした娘が強引にそれを引っ張る。だが簡単には開かないようだ。
 不機嫌そうな表情で娘が筒を見下ろす。
「壊れますよ。貸して下さい。開け方を教えますから」
 娘の乱雑な手つきをハラハラして見守っていた男がそっと手を差し出した。それに素直に従って、娘は手の中の筒を相手に渡す。鈍い光沢を放つ筒が朝日に反射して、一瞬だけギラリと鋭く光った。
「一見プラスチックに見えますけど、新種の金属“パラライト”でできているんです。御存じでしょう? 温度や振動を記憶する金属です」
 こくりと頷く娘によく見えるように男は筒の頭を握り込んだ。大きな掌に包まれて頭の部分が隠れてしまう。
 そのままゆっくりと左回りに筒をひねり、何かに引っかかって止まると、掌を離し、今度は指先で頭をコツコツと叩く。
 じっと見守る娘の目の前で、怪物の彫り物がグラグラと揺れ、キラリと紅い光をその両目に宿した。不気味な赤色灯が小さく瞬く。
「カーヴァンクルの瞳が光ったら、後は簡単に開きます。……どうぞ」
 受け取った娘の手の中で、筒はアッサリと口を開けた。筒の口を下に向けて振り回すと、ストンと縄の束のようなものが落ちた。筒を放り出した娘はそれを掴み取ってジッと眼を凝らした。
 細かくしなやかな金属の鎖が幾重にも巻きつけられた品物は見ただけではどんなものなのかさっぱり判らない。
「ご依頼のローズウィップ……。見ただけでは普通の鞭ですが、操るときの手首のひねり一つで多種の鞭に変化します。使用方法は……」
「いいわ。それは判っているから……。ありがとう。いい出来の品だわ。さすがはジェミニ恒星系一のバイヤーが見立てただけはあるわね」
 ニッコリと微笑んだ娘の表情は玩具を手に入れた子どものようだった。
 だが彼女の手の中にあるものは、決して玩具ではない。使い方によっては恐るべき破壊力を持つ武具である。
「これで心おきなく“ノイエス”へ行けるわ」
「ノ……イエス……!?」
 ガイストの瞳が動揺に震えた。
 それを横目で確認した娘が皮肉っぽい笑みを浮かべる。彼女には相手の驚きのほうが意外なようだ。
「何を驚いているの。わたしが護身用にこの鞭を頼んだとでも思ったの?」
 小さな笑い声がもれたがそれは少しヒステリックにも聞こえる。その声を止めようとでもいうのだろうか。ガイストは娘の両肩を掴んで、彼女の体を自分へと向けた。
「サリアルナ! いつ“女王クィーン”の元へ行くんですか!?」
「痛いわ、放してよ」
「答えてください!」
 語気を強めるガイストから視線をそらし、娘は自分の膝の上にある金属の鞭を見つめた。
 冷たい視線だった。視界に入ったものすべてを凍りつかせるように残酷な視線が娘の美貌から放たれている。
「明日よ。兄さんから命じられたわ。……たぶん兄さんは公から指令を受けていると思うけど」
「サリ……」
「止めないでよね。わたしは“ニケイアの門”をくぐって、その先に行くんだから」
 ガイストへと向けられた視線は今度は炎のような激しさを含んでいた。自分の決めた道を邪魔する者は、その業火で焼き尽くすつもりなのだろうか?
 諦めたようにガイストが視線を落とした。止めて聞くような娘ではないと判っているのだろう。小さく首を振り、深い溜息を吐くと、再びガイストは顔をあげて娘の顔に見入った。
「次に遭うときは……敵同士かもね。“ゴッド”が勝つか、あるいは“女王クィーン”が勝つか。あなたは勝つほうにつきなさいよね。闇に堕とされたのなら、そこで生き抜く算段をしなきゃ」
「どうして公はいつもあなたをそんな過酷な場所に……」
 ガイストの沈んだ声にサリアルナは口元を歪めて笑った。
 それはいったい誰を嘲笑っているのだろう。自分の運命? それとも自分を憐れんだ瞳で見る目の前の男? あるいは冷酷に命を下す者たちだろうか?
「わたしの知り得る範疇じゃないわね。心配してくれてありがとう、ガイスト。でもわたしは死にに行くわけじゃないわ」
 堂々と胸を張る娘の表情は、ちょうど朝日を逆光に浴びてハッキリとは読みとれない。
「生き延びてくださいよ。あなたには、あなたの力を必要としている人がたくさんいるハズです。オレを救ったように、あなたにはその力を使うべき人がたくさん……」
「えぇ。帰ってくるわ、必ず……。だって、このタッシールはわたしの故郷なんですもの」
 額にかかった髪を掻き上げながら娘は穏やかな微笑みを浮かべた。今までの強気な表情がふとほぐれる。大人びたなかに少しだけ幼さを残したその顔立ちが、そのときは優しく見えた。
「もう行くわ。品物の代金はいつも通り……に……ガイスト?」
 突然、男に抱きしめられて娘は眼を見張った。
「帰ってきてください、サリアルナ。オレはまだあなたに恩を返していない」
 自分を抱きしめる男の真綿のような髪をなでながら、娘は再び微笑んだ。それはまるで慈母の穏やかさを漂わせた温かな笑み。
「あなたがわたしに返す恩などないわよ。わたしがあなたを救ったのはほんの偶然だったんだから」
「それでも……。それでも闇に堕ちた者にはどんな小さな光でも眩しく見えるものです。あなたがオレの妹代わりでいてくれたからこそ、オレは今生きている。サリアルナ。生き延びてください。あなたが死んでしまったら……」
 強ばった表情を自分へと向けるガイストをなだめるように娘は小さく笑い、彼の前髪を掻き上げて、隠された左半分の顔をじっと凝視する。潰され醜くひきつれたガイストの半面に恐怖や嫌悪の視線を向けることはない。
「わたしは権力ちからを手に入れたいの。わたしを待っている人たちを救うにはもうそれしか方法がないから。
 わたしの両手も血に染まっているわ。今更きれいごとを言うつもりもない。だから……ガイストも待っていて。わたしは必ず戻ってくるから。必ず、あなたを光の中へ帰してあげる」
 残酷な刻印を刻まれたガイストの半面を再び髪で覆い隠すと、娘は静かに立ち上がった。
 どれほどの想いで待っていろと言っているのか、ガイストには理解できたのだろうか? 細められた彼の暗緑の瞳には未だ不安がくすぶっていた。
「また会えるわ」
 娘の囁き声を茫然と聞きながら、ガイストは立ち上がることができずに独り座り込んだ。
 その背中を娘が一度だけ振り返り、何も声をかけることなく静かに部屋を出ていった。
 窓の外を見上げれば、昇りきった朝日が街並みを白く染めている。
「オレは……また何もできないまま見ているしかないのか?」
 震える声で呟くと、彼は娘の座っていた椅子に寄りかかった。身体が気怠い。昨夜眠れなかった疲れがドッと押し寄せてきたかのようだ。
 娘が乱暴に引きちぎった包み紙をつまみ上げ、ぼんやりと見つめているうちにいつもの唄を口ずさんでいた。
俺たちゃ悪人 お尋ね者よ
背負った前科は無限大
詐欺に密輸に放火に窃盗
挙げ句の果てには人身売買
それでも やっちゃいないのが、ただ一つ
たとえ乞食になり果てようと
保安官には媚びられぬ

俺たちゃ悪人 懸賞首よ
義理や主義などありはせぬ
掏摸に誘拐 強請に強姦
ボロい儲けの麻薬の密売
だけど やりたかないのが、ただ一つ
可愛いあの娘を泣かせる模倣は
殺されたとてご免だね

 ハラリと手から紙がこぼれ落ちた。
 その様子を見守るガイストの口元は苦しげに歪んでいる。
 何か言いたいことがあるのに、どうしてもその言葉が見つからないときのように、心許なく、寂しげに……。
「神よ……。心あるならば、彼女を守りたまえ……。どうか彼女を……」
 顔を覆い呻くように神に祈りを捧げる男の姿を窓の外から蒼い空だけが見下ろしていた。

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石獣庭園