混沌と黎明の横顔

第19章:白月の惑乱 6

 連れ込まれた先で見た人影にノティナは目を丸くした。
 一目で高価と判るドレスを確認するまでもなく、目の前の人物は高貴な姫君であろうことが見て取れる。と同時に、ノティナをここへ連れ込んだ男が部屋に入ってきた途端に怯えた表情を露わにした姫君の様子に胸が痛くなった。
「さぁ、姫。サッサと着替えていただきますよ。あなたを連れ帰るためには必要なことですからな。言う通りにしていただけないのなら……」
 怯えきっている少女がカチカチと歯を鳴らしながら頷く。よほど目の前の男が怖いのだろう。実際、ノティナも男の執念深さにはゾッとした。
「おい、女! お前は腕利きの髪結いだろう? 姫の着替えを手伝え。その後、衣装に合わせた髪型に結い上げるんだ。妙な真似をしようなどと考えるなよ。そんな真似をしようものなら、二度と人前に出られぬようにしてやるぞ」
 具体的にどうするかは示さない。が、この男なら絶対に何事かをやる、と思わせる狂気を孕んだ声が、ノティナを一も二もなく頷かせた。
 部屋を出ていった男が廊下の向こうに声をかける。たぶん仲間が何人かいるのだ。姫君やノティナを脅しつけた声とはまったく調子は異なるが、警戒を含んだ口調で何やら喋っているのが聞こえる。残念ながら異国の言葉であるらしく、異国語に縁が薄いノティナには理解できなかった。
「あの、姫さま? 着替えをお手伝いさせていただいてよろしいですか?」
 室内を見回せば、蓋を開けたままにしてある衣装箱が見えた。寝椅子の上につくねんと座り込んでいる姫君以外に人がいない以上、ノティナが彼女の世話をする必要がある。そのためにノティナの髪結いの腕がいるのだから。
 少女の返事を待たずに立ち上がり、ノティナは衣装箱の中を確認した。一通りの衣装は揃っているように見える。が、手に取った衣装だけで何もかもをやり遂げるには、その意匠はちぐはぐだった。
 あなたは誰、と蚊の鳴くような細い囁き声にノティナは反射的に振り返る。
 涙こそ流していないが、姫君は赤く腫れぼったい眼をしていた。ここに来るまでに散々泣いていたのだろう。よほど怖い思いをしたのか、あるいは家に帰るのが厭で泣いていたのか。もしかしたら両方かもしれない。
 男は家に連れ帰るために着替える必要があると言っていたが、手にした衣装よりも着込んでいるドレスのほうが高価な品だ。いったい、姫君はどういった素性の人物なのだろう。まったくもって理解不能だ。
 ノティナの返事を待つ少女は警戒心も露わに身を縮めている。この有様では着替えを手伝わせてもらうどころか近寄ることもできないだろう。少しは警戒を解いてもらわなければ、今の状況を打破することはできなかった。
「王都で髪結いをしているノティナと申します。花飾りを使った髪結いが得意なんですよ。得意客様の中には富裕層の方々も何人かいらっしゃいます」
 このまま無理矢理に着替えを手伝い、髪を結い上げてしまえば、自分は用済みになる。そうなったとき、命があるとは思えなかった。この少女とて男たちの用件が済めば殺されるか、貶められるかするのではなかろうか。お互いに助かるためには協力してもらわなければならない。
「着替えるのは、厭なのですか?」
「いやよ! どこにも行かないのに、着替える必要はないわ!」
「でも、ご実家に帰ると、先ほどの人は仰っていましたが?」
「あの男の言うことなど嘘よ! わたしの家はこの王都にあるんだもの! 遠い国になど行きはしないわ。だから、絶対に着替えたりしないの!」
「では、ご衣装はそのままで髪だけ結い上げましょうか?」
「い、いらないわ! 出掛けないのだから結う必要はないでしょう。朝の散歩がまだ終わってないのよ。だから髪はそのままにしておくの!」
 ノティナは首を傾げ、しばし考え込んだ。今の会話から予想するに、姫君は朝の散歩の最中に拐かされたらしい。ということは、彼女がいま着ている衣装は日常着に着替える前の簡素な衣装ということだ。
 少女の着るドレスは豪華さこそないが質が良く、貴族でなければ手に入らない生地で仕立てたものである。貴族の娘であれば姫と呼ばれる資格は充分にあるが、並の貴族が平服に使う生地ではなかった。
 髪を下ろす習慣があるということは、まだ婚約者がいない証拠である。決まった相手がいたり、既婚女性であれば、たとえ私的な空間であっても緩く髪を結い上げるのが王国の一般的な風習だ。例外もあるので断言はできないが。
「では、姫さま。あなたは髪結いが必要なわけではないのですね?」
「そうよ! わたしはお父さまが待つ屋敷に帰るの。別の国には行かないわ!」
 少女は男たちがどこに向かおうとしているのか知っているのだ。でなければ、こう何度も他国に行く気はないなどとは言うまい。男たちの正体は見目麗しい娘を連れ去る奴隷商人といったところだろうか。
 だが、少女は先ほどの男の脅しに頷いているのだ。男が戻ってきたときに着替え終わっていなかった場合、いったいどんな目に遭うだろう。役立たずだとノティナが始末されるのか、あるいは少女にきつい折檻をするのか。
「あの男は姫さまのご家来衆ではないのですね?」
「そうよ。顔も見たことがないわ」
 寝椅子の上で少女は震えていた。人形のように、いや人形以上に美しい姫君である。限りなく銀に近い金髪が明かり取りから差し込む弱い光の中ですらキラキラと輝いていた。瞳の色は室内でははっきりと判別できないが、決して期待を裏切ることはないだろうとノティナは予想している。
「姫さまは男にさらわれてきたのですね?」
「その通りよ。あなたは呼ばれて来たのでしょうけど着替えは不要なの。お父さまの迎えが来るまで、ここを動きたくないわ。だから帰ってちょうだい!」
 ノティナは苦笑を漏らし、小さく首を振った。
「いいえ、姫さま。残念ながら帰ることは難しいですわ。姫さまと一緒でさらわれてきましたので。きっと今頃、家族や職場の者は心配しています」
 唖然と話に聞き入る少女に向かって、ノティナはさらに続ける。
「きっと、姫さまの着替えを手伝えないとなれば役立たずとして、着替えが終われば用済みとして、殺されるのではないかと思います。それだけの価値しかないでしょう。ただの髪結いに情けをかけるとは思えませんので」
 姫君の華奢な身体が大きく震えた。瞳の縁に浮かんだ涙が光を反射する。
「あなた、殺されてしまうの……?」
「このままでは確実にそうなるでしょう。姫さまだって同じではありませんか。目的の場所までは大丈夫でしょうけど、その先の保証はありませんよ?」
「先の保証はないって、どういうこと?」
 少女が怪訝そうに首を傾げた。自分がどれほど危うい立場にいるのか判っていないのだろうか。国外に連れ去られたら、たとえ貴族の娘と言えども連れ戻すのは難しいというのに。それとも他に何かあるのだろうか。
「姫さまは男たちが国外に行こうとしているのをご存じですよね。この国から出てしまえば、男たちはやりたい放題だと思いますよ。姫さまを誰かに売りつけるなり、お父上から身代金を取るだけ取って殺してしまうなり、どうとでも出来るのですから。国の外に出るということはそういうことだと思います」
 顔を強張らせた少女の姿を憐れみ混じりに見つめながら、ノティナも自分の未来の暗さに気が塞いでいた。どうやって逃げ出したら良いものか。脱出方法など何も思いつかなかった。
「あなた、殺されてしまうの?」
「このままだとそうなりますね。助けが現れない限りは」
 ノティナは冷静に間近に迫っている自身の死を少女に告げる。それがいよいよ少女の顔を歪ませたのを見て罪悪感を覚えた。姫君にそんな顔をさせる自分が性悪な人間のようにすら思える。
「誰が死ぬにしろ、その有様を見るのは厭よ。どうしたら死なずに済むの?」
 見知らぬ人間であっても死に様を見るのは厭だろう。大多数の人間はそういうものだ。が、少女はそれだけではなく、どうしたらノティナの死が回避されるのかを問うてくる。それが新鮮な驚きで、ノティナは眼を瞬かせた。
「ねぇ、あなた死にたいの? 死にたくないの?」
「死にたくないに決まってます。まだやりたいことたくさんあるし、なんであちらの勝手な理由で殺されなくてはならないんですか」
「だったら、お父さまが助けに来るまで一緒に頑張りましょう?」
「一緒に……?」
「えぇ。お父さまならきっとあなたのことも助けてくださるわ。だから、それまでは一緒にいましょう。誰かが死ぬのは厭よ。見たくないわ」
 少女の理屈は単純なものだ。が、それを実現するとなると、随分と骨が折れることではなかろうか。このままではノティナは殺されるのを待つだけだ。
「いつ助けが来るか判らないのに、一緒にいたいと言うのですか?」
「お父さまは近いうちに助けてくださるわ。そう長い期間を一緒に過ごすわけではないと思うの。だけど、あなた良い人そうだわ。一緒にいても怖くないし」
 相手の単純さに苦笑を漏らし、ノティナは手に衣装を持ったまま少女に歩み寄る。いつの間にか警戒を解いていた姫君の傍らにそれを置くと、彼女は相手の瞳を覗き込みながら微笑んだ。
「では、姫さま。一緒に過ごすためにどうしたらいいか、二人で考えましょう」
 生きている者には“生”への執着がある。それをむしり取られそうになれば抵抗して当然だ。弱者でも反撃できることを、外の男たちに知らしめてやれれば、少しは溜飲が下がるというものであろう。
「えぇ、そうよね。……それで、あなたに何か考えはあって?」
 首を傾げて訊ねる姫君はまだ幼い。男たちに一泡吹かせてやる計画を練るのはノティナのほうになりそうだ。
「これから考えます。だから、姫さま。あの男たちのことをもう少し詳しく教えてください。彼らのことを知りもせずに何か出来るとは思えませんから」
「そう言われても……。脅されて連れてこられたから、よく知らないの。判ったことと言えば、わたしの父親だと勘違いしている男の命令で働いているけど、わたしには良い印象を持ってないということくらいかしら」
 少女の父親と勘違いしている男、というところが気になる。が、それ以上に、雇い主の命令には従わざるを得ないのに、その雇い主の娘らしい姫君には良い感情を持っていないという部分が更に引っかかった。
「あの人たちはあなたの何が気に入らないというのでしょう? もしや雇い主に娘が出来るのが不満なのでしょうか? あなたのお母上がお父上の正式な奥方ではないとか。それだと正式な奥方に肩入れしている者の中にはあなたの母親に悪感情を抱き、その娘のあなたにも良い印象は持たないでしょうね」
「まぁ、すごい! あなたの言う通りかもしれないわ。わたしの父親だと勘違いしている男に妻がいるのかどうか知らないけど、それなら納得がいくわね。わたしに触れるのも厭そうな顔をしていたのを覚えているの」
 まだ十代前半と思われる少女だが、大人の事情というものに多少は通じているらしい。そういう世界に身を置いていたということだ。世間知らずそうに見えて、意外と悟ったようなところがあるのかもしれない。
「雇い主の命令は絶対なのに、感情的にはあなたに反感を持っているということですね。私的な見立てですけど、彼らは上流階級者ではないと思います。貴族的な洗練された動作ではなかった覚えがあります。ということは、その辺りを考えて行動すれば上手くいくかもしれません」
 どうするの、と問う少女を制し、ノティナは再び衣装を取り上げて部屋の出入り口へと向かった。男の高圧的な態度を思い出すと怯みそうになるが、ここで負けていては生き延びることはできない。
 深呼吸を数度繰り返し、彼女は腹に力を込めた。一世一代の演技をしなければ。街角で見かける大道芸人にも負けぬ演技が必要だ。意気込みのまま激しく扉を叩くと、彼女は部屋の外にいる男たちを大声で呼ばわったのだった。




 周囲の混乱を横目に、彼らは路地から路地へと移動していった。王都に潜入を果たした直後に都市は封鎖されている。いつ解けるか判らない封鎖命令に動揺している場合ではなかった。ともかく目的の人物を探し出さねば。
 だが探し求める人物に行き着く前に、まずは都市の構造を把握しなくてはなるまい。王国内の都市には共通している部分もあれば、都市独自の造りもあるのだ。それらを見極めた上で動かなければ命取りになる場合だとてある。
『先に潜入させた奴らが待っている場所はこの辺りで間違いないのか?』
 先頭を進む者に声をかけながら、彼は油断なく周囲を見回した。先ほど社会の底辺に生きる者らが住む区画を抜けたばかりだったが、僅かな距離で景色はまったく明るさを変えている。富む者と貧しき者の格差を目の当たりにし、彼は不愉快な気分を噛み締めていた。
『この先の角を曲がればすぐです。少し急ぎましょう』
『あぁ、そうだな。なんのための封鎖なのか知りたいし、都市の様子も知っておく必要がある。油断して仇に逃げられるのはご免だからな』
 彼に付き従う者らが有言無言で同意する。それらを流し見、彼は傍らに寄り添う小柄な人物の気配を窺った。傍らの人物から特定の感情を感じ取ることはできなかったが、今の会話が不快感を与えた様子は見られなかった。
 それにしても家の壁ひとつ取っても貧富の差を感じる。故郷でも貧富差や身分差がなかったわけではないが、この大陸のように露骨ではなかった。ここでは庶民の間ですら貧富の差が歴然としている。身分の差によって生じる生活水準の差は目を覆いたくなるほど大きいに違いなかった。
 だが貧富の差はあれど、都市に住む者らには共通した感覚がある。街壁に守られているという安寧と傲慢がそれだ。ここに辿り着く前に眺めた都市周辺の村にも集落単位で囲いがあったが、都市はそれよりも堅牢な壁に守られている。それ故に都市の民には選民意識が強いようだった。
 異邦人というだけで奇異な眼で見られることに慣れない。白い眼で見られているわけではないが、まるで裸で放り出されたような心許なさを感じずにはいられなかった。こんな世界もあると頭では理解していたが、実際に体感してみるとその感覚は生々しさを持って迫ってくる。
『あいつは、こんな視線をずっと浴びていたのか……?』
 呟きに返事が返ることはなかった。周囲には聞こえていなかったのだろう。
 こちらです、と囁く声に導かれ、彼は一軒の粗末な家へと足を踏み入れた。入ってすぐの部屋はガランとし、寂れた気配が物悲しさを誘う。が、次の間に滑り込んでみれば、そこは静かな熱気が満ちていた。
『若長! ご無事で。街が封鎖されたのが突然すぎて、潜入できなかったのではないかと案じておったところですよ』
『なに、最初の手順で潜入できねば、別の手だてを考えただけのことよ。そう心配するな。この国の連中は少し抜けている。封鎖といっても、どこかに抜け道はあるものだ。……実際、外への連絡手段は残っているのだろう?』
『まぁ、確かに。船に残してきた連中は見つかりはしないかと不安に思うでしょうが、水路はまだ封鎖されてはおりませんので』
 やはり見た目に惑わされていたか。街の封鎖は完全ではないらしい。水路を封鎖されると厄介だろうが、まだそこに目を付けている者は少なかろう。ということは、外に残してきた仲間との連絡手段はまだ生きている。
『ところで、この封鎖はいったいどういうわけだ? 突然ということは、何か緊急事態が発生したということか?』
『どこかの貴族の娘がさらわれたとか。たぶん大物の娘でしょう。でなければ、街を出入りする者すべての荷を改めるような真似はしないでしょう。ここまで物々しいと民が不安に思うでしょうにね』
『あるいは拉致者をあぶり出すための見世物的な取り締まりとも考えられるな』
『そうですね。ですが、こちらも少々動きにくいのが面倒です。ただでさえポラスニア国内では我ら東方人の容姿は目立ちますのに、役人やら騎士やらの眼が厳しく光っているとなると、奴らを探すのも容易ではありません』
 導かれた卓の上には二枚の地図が広がっていた。大まかに描かれたこの街の区画と王国の全体図だ。海岸線の大半が切り立った崖という奇妙な国の地図は、この国自体が封鎖された場所のような印象を受けた。
『奴らの動きは判っているのか? 取り込まれている者らの動きも知りたいが』
『思った以上に隠密に動いているようです。表だって動いている部分に振り回されて、背後の動きが読み切れません。お嬢も手を貸しているでしょう』
 苦々しい声に彼も顔をしかめる。お嬢と呼ばれる娘の機転の早さは、ここにいる者らなら誰もが知っていることだ。それが今回は厄介である。真正面から挑みたくはないな、と呟きながら、彼は街の図面に目を落とした。
 ふと思い出して傍らを見た彼だったが、そこに目的の人物がいないのを確認し、そっと背後を振り向く。案の定、他の男たちに遠慮した様子で、ぽつんと一人で佇む姿が眼に飛び込んできた。
『サラ、お前も卓が見える場所に来い。そこにいたのでは話が出来んぞ』
 当たり前の顔をして呼びかければ、周囲の男たちのほうが慌てて場所を空ける。明らかに後ろめたさを感じた振る舞いに、彼は男たちが半ば自覚してサラを弾き出していたことに気づいた。
『ささ、“奥”もこちらの若長の隣へ』
 おもねるような響きを含んだ口調に彼は苦笑しそうになる。男たちは口では彼を若長を呼ぶが、まだそれに慣れてはいないのだ。“若”をとって“長”と呼ばないところに、男たちの微妙な心境が反映されている。
 そんな空気をサラは敏感に感じ取っていたのだ。だからこそ、移動のときこそは傍らにいたものの、仲間と合流した途端に自身は退き、若長の彼を中心に据えるような形を取ったに違いない。
『サラ、ここに来い。お前ならハナの動きが読めるかもしれんからな。おれたち男では判らんことも多い。あれの考えそうなことを教えてくれ』
 お嬢こと“ハナ”の行動を把握できる人物は少なかった。その中でも彼女の身近に寄り添い、常に一緒に行動していた者となるとサラくらいのものである。彼が自身の片割れと行動を共にし、阿吽の呼吸で動き回っていたように、サラならハナの考えを読んで先回りできるかもしれないのだ。
 ひっそりとした足取りで滑るように近づいてきたサラが絵図面を覗き込む。しばらく都市図を眺めていたサラが迷いなく一つの区画を指さした。
『サラ、ここにハナたちがいるんだな? おい、街の構造に詳しい者は誰だ。この区画はどういう場所なんだ?』
『ここは比較的裕福な者らの居住区ですが……』
 言葉尻を濁す様子が気にかかる。すべてを伝えきっていないようだ。
『最後まで話さないか。“ですが”の後は何なのだ?』
『は、申し訳……。この場所は代々の上流階級者ではなく、いわゆる成金と呼ばれる者が多く住んでいるところでして。曰くありげな成金も多く、その中には囲われ者も含まれております。上流階級と中産階級の中間に位置する者の住まう場所ですから、人の出入りは活発です』
 つまり胡散臭い連中にとっては格好の隠れ家となりうる建物が多いということだろう。そういう場所にこそつけいる隙があるというものだ。
『この区画は探っているのだろうな?』
『もちろんです。我らも“奥”と同じくこの場所は怪しいと睨んでおりました。今も斥候を放って探らせているところです』
 目的の人物を探し出してもサラの功績にされてはたまらないと思ったか。あからさまに食い下がる男に、彼はため息を噛み殺すのに苦労した。
『判った。他の区画も念のために探らせているのだろう? となれば、報告待ちだ。斥候が戻るまでの間、この街の構造を教えてくれ』
 大まかな風習は旅の途中で学んではいる。が、都市の構造は詳しく知らないままだ。潜入を果たしたからには、都市の要所や日常の動きを把握しておかなければ、いざというときに足許をすくわれてしまう。
 説明を受けながら、彼はサラを傍らに呼び寄せた。離れていこうとするのを許すわけにはいかない。特にこの街には片割れがいるのだ。すぐにでも再会することになろうが、サラが誰のものなのかはっきりさせておく必要がある。
『要点は理解した。よく調べてくれた。だが、残念ながら今は都市そのものが非常下にあるようだ。動きには今まで以上に制約がかかるだろう。それを念頭に置いて探索を続けてくれ。あいつとも接触を果たしたいしな』
 承知、と頷き、配下の者に指示を出しに行った男の背を見送った後、彼は大人しく隣に佇んでいたサラをそっと抱き寄せた。
『サラ、お前はおれの“奥”だ。誰にも渡さん。それがあいつであってもな』
 サラが微かに頷いたのを認め、安堵と不安が同時に湧く。こちらの言葉を肯定したが、その動きは微妙だ。渋々同意した感が否めない。
 なおも言葉を繋げようとした彼をとどめたのは、扉が開く音だった。場の空気が固くなり、斥候が戻ったのだと知れた途端に別の緊張感に包まれる。
『若長! お嬢が見つかりました。他の連中もです。ただ、バラバラに行動しているようで、全員を同時に奪い返すのは不可能でしょう』
『ハナに張り付け。気づかれるなよ。他の奴らの行動も出来る限り把握しろ』
 苛立ちを押し込め、彼は次の行動を起こすべく居住まいを正した。
 見つけた後こそが肝心である。奪われたものは取り返さねば。そう、それが一族の流儀である。受けた仕打ちや恩は必ず返さねばならないのだ……。