混沌と黎明の横顔

第19章:白月の惑乱 2

 廊下を駆けながら受けた説明によれば、公女がベッドで暴れていると言う。今はまだ怪我人は出ていないが、それもいつまで保つことか。炎姫家の姫の身体に触れることを恐れ、イコン族の男たちは役立たずだとも聞いた。
 女性を財産の一部と見なす傾向があるイコン族にとって、他人の財産に許しもなく勝手に触れることには抵抗があろう。まして自身の命の危険が薄いとあればなおさらだ。善意で助けても後から文句をつけられたら割に合わない、とでも考えているに違いない。こんな状況に陥ったことなど皆無であろうし。
「部族長の奥方の話によると、予想以上に多く薬煙を吸い込んでいる可能性があると。用意した中和剤では間に合わず、彼女は強めの薬を用意しに行きました。ですが半端な覚醒を促された姫は幻覚に惑わされている様子で……」
 ベッドから転がり落ちないよう取り押さえているのが館の女中だけとあっては心許ない。男手が欲しいところだ。が、イコン族の様子を見てタケトーも公女の身体に館の男が触れるのはまずいと判断したらしい。ジャムシードを呼びに来たときの慌てようは切羽詰まったものがあった。
 炎姫公女に割り当てられた部屋へ近づくにつれ、ざわめきが大きくなる。事態を遠巻きに眺めている者らの気配が廊下に広がり、辺りを不安で満たしていた。さらには悲鳴や女たちが叫ぶ声も聞こえた。
「道を空けなさい。ジャムシードさんの指示に従うように!」
 遠巻きに公女の部屋を見つめる召使いたちの向こうに、イコン族の面々が右往左往している姿が見て取れる。その慌てふためく様子から何か急を要する事態が発生したことが予測できた。何か起こったのだ。
「公女さまの具合は? 何があった!」
 ジャムシードの問いかけに男たちが顔を見合わせ、声もなく室内を指さす。もどかしさを噛み殺し、人垣を押しのけて室内に飛び込んでみれば、そこには数名の女たちとガイアシュが真っ青な顔で公女を押さえつける姿があった。
「ガイアシュ! 何があったんだ」
 ジャムシードの登場に女たちがホッと安堵の表情を浮かべる。彼女らの腕の隙間からは藻掻く公女の手が覗いていた。暴れる公女の足を押さえつけるガイアシュは何度か蹴りを喰らったらしく肩や腕、片方の頬を赤くしていた。
「公女さまにナナイの薬が利かないんです。暴れているのを押さえようとしたら、余計に暴れ出してしまって。オレ、思わず足を押さえたけど……」
 思わず助勢したのはいいが、ガイアシュは許しもなく公女の身体に触れたことでビクついているらしい。足を押さえる腕の力は抜けがちで、申し訳なさそうに眉尻を下げる少年の表情は動揺しきっていた。
 炎姫公女は化け物にのし掛かられている幻覚でも見ているらしい。厭じゃ、離せ、とかすれた悲鳴を上げ続けていた。
 ジャムシードは周囲を見回し、公女が跳ね飛ばしたと思しき上掛けを見つけると、素早くそれを広げ、女たちやガイアシュに公女から離れるよう指示した。
 一気に自由を得た公女の手足が空を切る。その心許なさに彼女の動きが止まった一瞬をジャムシードは見逃さなかった。上掛けを上半身に巻きつけ、自由を奪う。まだ足は動かせるが、これで腕は動かせないはずだ。
 ホッとした様子の女中とは反対に、ガイアシュや室外から覗いているイコン族からは声にならない悲鳴が伝わる。ジャムシードが今後どんな咎めを受けることになるかと案じているのかもしれない。
「大丈夫だ、ガイアシュ。お前がやったことが罪に問われることはない。もし何か言う奴がいたとしても俺が必ず取りなしてやる」
 暴れる公女を抱えたまま、ジャムシードはガイアシュを慰めた。少年には今朝の出来事は許容量を超えていよう。彼は少し休む必要があった。
 見世物じゃないんだから男は出ていけ、と外にいる者たちに向かって叫び、ジャムシードはナナイが調合薬を持ってくるのを待ち続ける。
 ガイアシュを連れて部屋から出ていったはずのタケトーが再び戻ってきた。手にしているのは拳大の黒い塊である。何事かと問えば、調合薬が出来るのに少し時間がかかるので、それまでの間に焚いておく薬だと返された。
 厭な予感がし、我知らず眉間に深い皺が寄る。ジャムシードの様子から何の薬であるか気づかれたと悟ったタケトーが苦い笑みを浮かべた。
「ナナイは公女さまを中毒にする気か?」
「すみません。止めたのですが、部族長の奥方は暴れるのを止めるためには仕方がないと、吸わされた薬煙と同じような薬を調合してしまって。ですが、中毒になるほどの量ではないと仰っていましたよ?」
「それでも駄目だ! 彼女にこれ以上の負担を強いることはできない!」
 困った表情を浮かべる館主を押しとどめ、ジャムシードは一人で部屋に残って中和剤が完成するまで公女を押さえつける役目を引き受けることにした。
 事の次第をナナイに報告に行くというタケトーが最後に「炎姫公女の意識を奪いますか」と問うてきたが、それにもジャムシードは首を振った。
 公女の意識を奪うことは容易い。が、中和剤を服用する段階になって意識がないのでは効果が出ているのかどうか判断できないではないか。きっとナナイは可能な限り即効性の高い薬を調合するだろう。少しでも早く炎姫公女に影響を及ぼしている薬の害を取り除きたかった。
 調合後に意識を覚醒させることも考えたが、意識を自在に操る行為は相手を物の如く扱っているようで実行する気にならない。
 偽善だと思われようと、薬や体術の技で公女の意識を奪うことに罪悪感がつきまとう以上、ジャムシードには許可することはできなかった。
「公女さま、何も怖いものはないよ。だから、もう少しだけ我慢してくれ」
 彼女の腕ごと上半身を抱きしめ、ジャムシードは耳元で囁きかける。聞こえていないかもしれないが、声をかけずにはいられなかった。抵抗する力が弱まっている今なら、多少は正気尽くのではないかと思えたのだ。
 女中たちも他の仕事に向かい、室内には炎姫公女と二人きりである。こんな状況でなければ静かなものだ。が、かすれた声で拒絶し、弱々しい抵抗を続ける相手の様子が痛ましく、ジャムシードは思わず目を反らした。
 先ほどのドルスターリとのやり取りが思い出される。彼は乗ってきた荷駄馬車で公女を連れ帰ると言っていた。普通ならば人目を誤魔化せる荷駄馬車での移送に異を唱えることはなかろう。ジャムシードも初めは賛同しかけた。
 だが、ドルスターリとのやり取りの中で炎姫公が欠片も娘のことを案じていない様子だと聞けば、大公屋敷に公女を帰す気が失せてしまった。
 薬の影響で心身共に消耗しているであろう彼女に父親がどんな態度で臨むかを考えると、公女があまりにも哀れではないか。常日頃から大公のきつい態度に耐えているというのに、弱っているときにそれではあんまりだ。
「公女さま……。フォレイア。怖がらないでくれ。必ず身体は治してやるから」
 肩先が濡れる感触にジャムシードは目を開けた。公女の上半身を抱き起こし、自身の肩を支えにしていたことから予測はしていたが、彼女が大粒の涙を流している姿を認め、奥歯を噛み締めた。
 ──ずいぶんとそそる顔じゃないか。なぁ、ジャムシード?
 頭の中で響いた声にジャムシードは凍りついた。
 残酷なほど冷たい声が嗤っている。背筋をなぶるように響いた声に悪寒が走る。自分の声によく似ていた。間違ってもファレスの声ではない。となれば、今話しかけてきた声の主は、ファレスから聞かされた別の存在だ。
「なんで……。お前はファレスに封じられているはずじゃあ……?」
 再び笑い声が脳内に響く。例えるなら無邪気な子どもの笑い声に似ている。が、ジャムシードにはその声がたまらなく残酷な響きを含んで聞こえた。
 ──封じる? 俺を封じるってのか? そんなこと、できるはずがないじゃないか。俺はお前なんだぞ。お前の意識下で何もかも見聞きしていたさ。
「だったら、なんで今ここで出てくる? 何が目的だ?」
 ──おぉ、可哀相なジャムシード。お前はファレスに見捨てられようとしてるんだぜ。それを知らせに来てやったんじゃないか。
 俺って親切だろうが、と嗤う声が脳内で震えた。肩に広がる公女の涙の温かさがなければ、混乱のあまりに叫んでいたかもしれない。
「ファレスは俺を見捨てやしない。いい加減なことを言うな」
 ──だが、お前の中から出ていく算段をしてる。見捨てないのでなければ、いったいなんだっていうんだ? 俺の言うことが信じられないのなら、お前自身がファレスに呼びかけて確認してみたらいいさ。
 言われずとも確認するさ、と小さく言い返すが、先ほどから心の中でファレスに呼びかけていても返事が返ってこないのだ。それがジャムシードの不安を煽る。何か不測の事態が起こっているのではないのか、と。
 ──お前はファレスにとってお荷物なんだよ、ジャムシード。一緒にいるだけであいつに負担をかける。そろそろ離れたいと思ってもおかしくないさ。
「だったら、ファレスは俺に正直にそう言うはずだ。お前から聞かされた話を鵜呑みにするほど俺はバカじゃない」
 思わず公女を抱きしめる腕に力が入り、それが彼女の恐怖を煽ったか、暴れる力が強くなった。それでも拘束する腕から逃れるほどではなかったが、ジャムシードは自分の状況を思い知らされ、ヒヤリとした。
 ──主家の娘に何かあったら、お前もお前の父親の実家も無傷では済まないものなぁ。いっそお前が頂いて、公女は傷物にされたと大公に訴えたらどうだ。苦労させられて、それでも咎を受けるなんて割に合わないだろう?
 ジャムシードは抱きしめる公女の柔らかな肢体を急に意識し、青ざめた。
「公女さまを貶めるようなことを言うな! 第一、お前に指図される覚えはない。俺への忠言は終わったんだろうが。なら、トットと奥へ引っ込め!」
 ムッとした様子が伝わってくる。機嫌を損ねたらしきことは判ったが、相手を良い気分にさせてやる義理などないジャムシードにはどうでもいいことだった。今は公女を落ち着かせることを優先したいのだから。
 ──せっかくファレスのことを知らせたのに、お前は俺のことを信用しないんだな。戦場での戦いで俺がどれほど骨を折ってやったか知っているくせに。
「砂漠では裁きを受けていない男を自分の手で殺しておいて、お前を信用するも何もあるものか。他人を傷つけることしかできない奴を信じられるか!」
 ──砂漠であの羊飼いを殺してやりたいと思っていたのは俺じゃない。お前の本心だ。俺はそれを忠実に実行してやっただけじゃないか。自分がやれなかったからと八つ当たりするなんて失礼な奴だな。
「俺は殺してやりたいなんて思ってない。なんとかしてハムネアから遠ざけようと思っていただけだ。勝手なことを言うな!」
 公女を抱きしめる腕が震えた。それが怒りのためなのか、怯えのためなのかは、自分自身でもよく判らなかった。
 あの羊飼いが死んだと理解したとき、ジャムシードは確かにホッとしたのである。と同時に、勝手な真似をした内なる存在に腹を立てもしたが。
 ──俺の存在が気に入らないからとお前が癇癪を起こすは間違いだぜ。お前は俺を形成する一部なんだからな。ファレスが邪魔しなければ、とうの昔に俺はお前の意識を支配下に置いていたんだ。
 どちらがどちらを形成する一部なのか、そんなことはどうでもいい。ジャムシードに理解できることは、お互いが切り離せない存在であるという事実だけだった。ファレスは内なる存在を制御しろと言っていた。心に隙を作るな、と。その忠告を受け入れるだけだ。
「俺はファレスの言葉を信じる。お前の言葉に耳を傾ける気はない!」
 ──ファレスを苦しめることしかできないくせに。お前が無力なために、あいつはずっと苦痛を味わっているんだぞ。サッサと解放してやるんだな。
 それが出来るのなら、すぐにでも実行している。出来ないからファレスの忠告に従っているのではないか。ジャムシードは奥歯を噛み締め、怒りに耐えた。
 ──ジャムシード。ファレスを解放する方法を知っているか?
 問いかけに思わずジャムシードは思わず耳を傾けた。相手の言葉など無視しておけばいいのに、ファレスのこととなると無視しづらい。
 興味を示したのが判ったのだろう。クスクスと忍び笑う声が頭に響いた。
 ──幸か不幸か、お前の中で俺は眼を醒ました。ということはだ、お前は正確に“真言ガルド”を紡げる声を得たことになる。支配の声を紡げるのであれば、正式な手続きで交わされた契約を破棄することも可能だ。
 主人が奴隷を捨てても文句は出まいが、と囁かれ、ジャムシードは不快感に顔を歪める。腕の中にいる公女が泣きながら小さく震えた。それはまるでジャムシードの内側にいる存在に怯えているかのように見える。
 ──元々、狩人ファレスは必要のない存在だった。それをむりやり創り出したのだから、本来あるべき姿に孵してやるだけのことさ。俺たちが気に病む必要がどこにある?
 忍び笑いの合間に聞こえる説明とも呼べない説明に、ジャムシードはいよいよ奥歯を噛み締めて耐えた。口を開けば怒声が上がりそうである。
 ──お前だってファレスの存在を鬱陶しいと感じていただろうが。奴との縁を切る絶好の機会だろう? 悪い話じゃない。俺の言う通りに呪文を唱えろよ。
 ジャムシードは苦痛を与えない程度に公女をしっかりと抱きしめた。つい先ほどまでは彼女を助けるために抱きかかえていたというのに、今では助けられているのはジャムシードのほうだった。
 公女の身体から伝わる温もりが現実に引き留める。それがどれほど細い糸であろうと確かな繋がりがあった。錯乱しかけている彼女には判らないだろうが。
 ──お前、聴覚は子どもの頃から人より良かっただろう? 今はもっと出来の良いものに変わってるはずだからな。俺の発音も正確に聞き取れるだろうさ。しっかりと教えてやるから、言う通りに繰り返せよ。
 沈黙を肯定と受け取ったのか、頭の中に奇妙な音が溢れ出した。それが内なる存在の言う“真言”を使った呪文なのだろう。耳を傾けていると奇妙な浮遊感に襲われた。これが魔力を持った言葉なのか。ジャムシードは他者を容易く操ることができる言語が持つ恐ろしさの一端に触れた気がした。
 ──さぁ、繰り返せよ。お前は不愉快な繋がりから解放されるし、あいつは隷属から解放されて自由の身だ。これなら双方が得をするだろう?
 以前は望んだことだが、この状況には違和感がある。素直には従えなかった。
「お前に従う気はない。失せろ」
 頑固に唇を引き結び、ジャムシードは公女の身体を抱きしめ、その首筋に顔を埋めた。ふわりと漂った薔薇の香が鼻腔を満たす。炎姫公女が好んで使っている香油の芳香だった。震える彼女の背をそっと撫でさすりながら、ジャムシードは「ごめんな、公女さま」と囁いた。
 独りでいたなら内なる存在の声を無視できなかったろう。相手から意識を逸らすために公女の存在に縋っている自覚があった。彼女を物のように扱わないよう気を遣ったつもりが、実際は自分のいいように利用している。図々しいと思いながらも、今の自分には支えてもらえる存在が必要だった。
 ──ジャムシード。お前の勝手な我が侭でファレスを縛り付けるのか?
「いつかはファレスを解放する。だけど、それは今じゃない!」
 ジャムシードが真言を紡げるということは同質の存在である相手も真言を紡げるのだ。肉体を支配しているのがジャムシード自身である今は発する声の持ち主はジャムシードとして認識されるが、支配する存在が完全に入れ替われば発する声はジャムシードのものではなくなっているだろう。
 神都カルバの岩窟都市で、あるいは砂漠を渡る旅路の途中で、ジャムシードは断片的にファレスから受けた説明で自身の状態をおおよそを理解していた。ファレスは彼が理解できるよう少しずつ、だが確実に知る必要がある情報を与えてくれていたのである。
 ──後で解放するのなら今ここで解放しても同じだろうが。お前は自分の都合で相手を振り回して満足か?
「それをお前が言うな。お前だって俺と同じようにファレスや周囲を振り回しているじゃないか。俺はお前の言う解放がファレスの望むであるとは思えない。となれば、ファレスが望まない限り俺は何もする気はない」
 小さな舌打ちが聞こえた。それが相手の苛立ちを表していることはすぐに理解したし、相手の思惑通りには進んでいないという確信に安堵もした。が、奇妙な焦燥が胸を焦がし、さらに公女の身体を強く抱きしめる。
 未だに震えが止まらない彼女に内心で詫びながら、ジャムシードは現実を見たくないとばかりにきつく瞳を閉ざした。
 ──ご立派な宿主殿だ。お前の柱を支えているファレスが喜ぶだろうよ。雁字搦めに縛り付けられた奴の最期を見るのが今から愉しみだ。
 最期、という単語にジャムシードの肩が震える。自分の判断に急に自信が持てなくなった。もしも、だ。もしも、ファレスをここで解放しなかったことを後で悔いる事態に陥ったならば、自分はそのとき正気でいられるだろうか。
 父の死を知らされたときに痛罵して以来、ファレスはどこかでジャムシードとの関係に線を引いていた。遠慮というよりは何かを諦めているようだ。
「ファレスが死ぬっていうのか? 俺が今ここで解放しないために?」
 ──そうとも。ファレスという存在はな、初めは一族に害を成す者どもを駆逐するために作られたんだ。それがいつの間にか一族の異端児を監視し、駆除する役割まで担うようになった。そのために一族の誰よりも強い魔力を持ち、相手を力でねじ伏せることができるだけの能力を秘めるにいたったんだよ。
 ジャムシードには魔力の大きさを測ることはできない。それ故に相手の言う力の差を正確に理解することは不可能だった。
 ──だがな、強大な力を与えておきながら一族の奴らは怖くなった。自分たちを守らせるために作った存在が今度は自分たちに牙を向きはしないか、とな。そこでファレスを従わせる絶対的な存在を作り上げることにした。ファレスに一族を守らせつつ飼い慣らしておける主人の役割を担う者だ。
 その主人が自分の中にいる存在なのだろう。が、ファレスはなぜ主人を封じようとするのか。そして語られる内容の矛盾にジャムシードは首を捻った。
 ──なぁ、ジャムシード。これは大きな矛盾だ。ファレスの反逆を怖れて作られた主人が一族を裏切らないという保証はないんだぜ。その主人がファレスに一族の奴らを殺せと命じたらどうなると思う?
 内なる存在が言う通りである。語られた通りであれば、守護者と裏切りという矛盾の連鎖によって一族の者らは永遠に安息を得ることなどできないのだ。となると、その矛盾を秘めたファレスはどうなってしまうのだろう。
 ──一族を守るという使命は生きている。ところが主人からはそれに反する命令が下る。ファレスは混乱し、いずれは精神が崩壊するだろう。
 一瞬だけ意識が遠のきかけた。ファレスが存在しない世界? 知らぬ間に自分の中ではファレスは側にいて当たり前の存在になっていた。
 ──ファレスは精神が崩壊する寸前の状態に追い込まれかけている。今の状態を良しとしない輩がファレスとその主人を破壊しようとしているんだ。
 自分の身勝手さには一時的に目を瞑り、ジャムシードは内心静かに憤る。作り上げた存在を弄ぶ者に天罰が下ることを祈りたくなった。
 ──お前が人である以上、その破壊者を退けることは不可能だろう。となれば、ファレスの主人である俺はいつかは捕らえられ、ファレスに矛盾に満ちた命令を下すことになる。そのときファレスはどう行動すると思う?
 判らない。ファレスはいつも本心を見せはしないのだ。何を考え、どう行動するのかを判断するのは今までのつき合いから予測するしかない。が、あまり頻繁に会話を交わしているわけではなく、予測すら難しかった。
 ──あいつがやることといえば……
 不意に脳内に響いていた声が途切れる。何事かと瞬きし、ジャムシードは居もしない人間を探すように周囲を見回した。頭の中に響いていた声の主が実際に姿を現すはずがない。判っていても、ついもしかしてと思ってしまった。
 そんな埒もない考えに浸っていたとき、上着の腕を引っ張られて思わず声を上げそうになった。腕に感じていた温もりがあまりにも自然で、人ひとりを抱きかかえていることをすっかり失念していたのである。
 しかも、いつの間にか上掛けがずれて公女の腕は自由を取り戻していた。
「とう……さま?」
 公女のかすれた声に、ジャムシードは思わず彼女を抱える腕に力を入れた。
 冷たく当たられてもフォレイアは父親を慕う。それしか自分には価値がないと言わんばかりの行為だと思うのだが、彼女にそれを指摘してもこちらが伝えたいことの半分も伝わらない気がした。
「こ……フォレイア? どうした? 怖い夢でも見たのか?」
 公女さまと呼びかけようとしたが、咄嗟に彼女の名を呼ぶ。こちらを父親と勘違いしているのであれば、下手に否定するような言動はしないほうがいいと思ったのだ。今の彼女に無用な刺激は与えたくなかった。
 いつもの「父上」という呼びかけではなく、彼女は「とうさま」と呼んだ。今の公女は幼い子どもに戻っている可能性がある。
「のど……かわいた。お水を……ちょうだい」
 たどたどしい口調がいっそう幼さを強調していた。
 ベッド脇に置かれた水差しにはたっぷりと水が満たされているはず。ジャムシードは力の抜けた公女から離れ、器に水を汲んで彼女に手渡した。
 つい今し方までの内なる存在との会話が気にかかるが、今はまずフォレイアの面倒を見ることが最優先だ。彼女の体調を戻すことを考えよう。