混沌と黎明の横顔

第19章:白月の惑乱 1

 早々にここでの用事を済ませ、次の仕事にかからねばならない。だが、予想した以上に事は難航するように思われた。
 状況を打破しようと、次の仕事の適任者を呼び寄せたのだが、相手がいるはずの場所に遣わした者からもたらされた返事は芳しいものではない。
 耳元で囁かれた言葉に、彼は表面上は平静を保ちながら内心で眉をひそめた。呼び寄せた者が来られそうもないと聞けば不審に思って当然だろう。
「何があったのかな? 僕に説明できないようなことじゃないよね?」
 耳打ちした相手に囁き返しながら、王太子は目の前に座る人物に微笑んだ。
「大公屋敷にはいらっしゃいません。たぶんご自分の館に戻られたのでしょう」
 人の眼がなければ舌打ちしているところだが、常に王子としての威厳を保たねばならない身では、そう容易く内心の苛立ちを表現することはできない。
「では館のほうに使者を出してケル・エルスを呼び寄せて。議会の召集をかけたからすぐに来るとは思うけど、それまでは僕が自分で尋問するよ。隣の部屋で待たせている通事をここに呼んで」
 簡素な制服をまとった宮廷騎士が恭しく頭を下げた。王議会の警護に就く騎士であれば、もう少し華やかな制服に着替えているはず。ということは、この者は議会の警護には就かない予定の者だと言うことだ。
 騎士が部屋から出ていくと、サルシャ・ヤウンは浮かべていた微笑みをさらに深くした。本来なら他人を魅了する王子の微笑みであるが、今回ばかりは状況にそぐわず、その違和感が薄気味悪く感じられた。
「ねぇ、君。ポラスニア語は判るかい? 多少でも判るのなら、初めに言っておくことにするよ。……抵抗しても無駄だって、ね」
 微笑みながら言う科白ではなかろう。だがしかし、口からは脅しが飛び出した。王太子は自身が相当に腹黒いことを自覚していたが、今回の尋問に関しては手加減できそうもない気がして、自身が悪党にでもなった気分でいた。
「君は多少なりとも拷問に耐性があるのかもしれない。だけど、ここに捕らえられた以上、知っていることを洗いざらい話すことになるんだ」
 一定の距離を保ったまま、ヤウンはさらに言葉を紡ぐ。
「僕の臣下の者がここに来る前に話したほうが身のためだよ。その人物は拷問をかけるとなると、まったく遠慮などしない質だからね」
 理解できたかな、と呟きながら、サルシャ・ヤウンは皮肉げな笑みを刻んだ。
 目の前の人物の様子から脅しが利いているかどうかを見極めるのは難しい。何せ表情が読みにくい相手だ。しかも己の内心を必死に隠そうとしているとなれば、その難易度は格段に上がろうというものである。
 片言であれポラスニア語が判るのだろう。目の前の人物が歯を食いしばったのを見て、ヤウンは僅かに溜飲を下げた。とはいえ、苛立ちが収まるはずもない。ケル・エルスでなくても手加減など出来はしない。
 ソージンによって運び込まれたこの人物は炎姫公女やイコン族の女たちを拉致した一味の者だ。その目的を確認するまでは生かしておかねばならない。もっとも、王国に不利益をもたらす者どもの仲間に寛大な処置をする気はないが。
「まぁね、君がもっとも重要な任務に就いていたとは思っていないよ。あっさりと仲間に置いていかれたみたいだしね。枝葉の情報しか持ってはいないだろうとは思うけど、それでも知っていることは全部吐いてもらうよ」
 部屋の片隅にあった椅子を引き寄せ、相手と適当な距離を置いて腰掛けた。
 王子の泰然とした仕草は、今から尋問を行おうとしている人間とは思えない優美さで、この状況でなければ褒め称えたいほどである。だが生憎と、この場にサルシャ・ヤウンを賞賛する者はいなかった。
「今から君の猿轡を外す。だけど、外したからって舌を噛み切ろうと試みるような愚行はお勧めしないよ。もし君がそんな真似をすれば、向こうの部屋にいる君の仲間がどんな辱めを受けることになるか、よくよく考えたほうがいい」
 王子の声に被さるように扉が叩かれる。ヤウンはそちらを一瞥すらせず、素っ気なく入室を許可した。静かに開いた扉から滑り込んできたのは、男にしては小柄、女にしてはやや背が高い部類に入る人物だった。
「この区画はね、外部からの救出も内部からの脱出も不可能な場所に作られている。だから君が助かる道はただ一つ。僕の質問に答えること、だ。真面目に答えれば、君も君の仲間も命だけは保証してあげるよ」
 離れた場所で跪いた入室者が深く頭を垂れる。地味な官吏の制服を確認するまでもなく、控えめな態度からこの人物が呼ばれた通事だと理解できた。
 さて、と王太子が通事に向き直り、手を差し出す。中腰で立ち上がった通事が懐から巻紙を取り出して頭上に掲げ、その姿勢のままにじり寄ってきた。不自然な歩き方なのに、随分と素早く動けるものである。
「この者らが身につけていた品々を記した書面でござりまする」
 通事の声は高くもなく低くもない。中性的な顔立ちも相まって、この者が男なのか女なのか判然としなかった。その曖昧さが不気味である。この違和感が通訳を生業とする者に共通しているとは思いたくなかった。
 王国史を編纂する資料室員にも変人は多いが、通事たちも似たり寄ったりなのではないか。一瞬、この場にまったく関係ない事柄が頭の隅を過ぎった。
 手渡された書面に目を通しながら、ヤウンは小さく唸る。個人を特定できるようなものは何もなかった。もっとも目の前の人物は異邦人で、風習が違うのだから所持品の特徴も王国人と共通しない部分があるだろうが。
「君たちは用心深いようだね。雇い主や仲間の情報は持ち物から判明しそうもない。あぁ、いや。判るのかもしれないけど見つけるまでに時間がかかりそうだと言ったほうが正確かな。となると、やはり君に喋ってもらうのが一番だ」
 再び微笑みを浮かべ、王太子は囚われ人に向き直った。表情だけを見れば友好的である。が、よくよく見れば、眼が笑っていなかった。普段の柔らかな微笑みしか知らない者が見たなら、困惑して顔をしかめるだろう。
 ヤウンは指先を鳴らし、通事に言葉を通訳するよう指示を出した。
「君に選択の余地はない。僕が呼び寄せた者が到着する前に、僕の質問にすべて答えることだよ。でないと、君と仲間の五体満足は保証できないからね」
 座っていた椅子の肘掛けに寄りかかり、王子は頬杖をつく。一見すると、その姿は物憂げに考え込んでいるように見えた。
「さて。では、まず君の出身地を教えてくれるかな?」
 相手の外見的特徴から大雑把にどの国の血筋を引いているのかは判る。が、混血が進んだ地域の出身だと見当違いの見方をしている可能性もあった。
 さらにいきなり目的を聞き出すよりも出身地を訊ねるほうが、相手は口を割りやすいものである。個人を特定しにくい、と先ほどわざわざ口に出してみたのも、この質問への前振りのようなものだ。
 捕らえた者の猿轡を外した通事が素早く通訳するが、王太子の質問に対する答えは返ってこない。そっぽを向いた囚人はその横顔に緊張を滲ませながら、断固として抵抗する意志を垣間見せた。
「やれやれ。無駄なことをしてくれる。君は助けも望めないこの状況で、どこまで己の意志を貫けるか予測できないのかい?」
 いずれは堕ちるのに、と呟く王子の耳に廊下を進む足音が届いた。
 慌ただしさを感じるその足音は複数。扉の前で止まると、入室の許可を求める声が響いた。先ほど部屋を出ていった騎士の声だとすぐに気づき、ヤウンは一瞬だけ眉間に皺を刻んだが、すぐに許可を与えた。
 扉が開かれる前から誰が来たのか予測していたのだが、騎士が連れてきたのは予想に違わずケル・エルス本人であった。恐縮した様子に見えるが、眼許はふてぶてしいほどの光を湛えている。
 あぁ、こちら向きのほうが来たか、と王子は憐れみすら込めた視線を虜囚へと向け、すぐに黒耀樹公子に向き直って鷹揚に頷いた。
「僕の用事や母親の用事のためにあちこちにフラフラと忙しそうだね、ケル・エルス。僕に会いに来る時間を割いて大丈夫なのかい?」
 痛烈な皮肉にも相手は顔色ひとつ変えない。まったく可愛げがない奴だ、と内心では不満を漏らすが、ヤウンは公子と虜囚を意味ありげに見比べながら、うっすらと微笑みすら浮かべて見せた。
「かの館で尋問をした輩の報告書の作製のため拙宅へ戻りましたが、殿下のお許しなく勝手な行動はいたしません。無用な怒りをお鎮めください」
 姉を襲った輩の尋問は無事に終わったと報告を受けている。その正式な報告書を作っていたということらしいが、実際に彼がどこで何をしていたのかを詳しく知ることはできないだろう。
 ささくれだっている気分のときに彼に逢うと余計に気分が苛立つ。まったく、どうして今日は逢いたくもない輩にばかり逢うのだろう。
「“ケル・エルス”、彼はどうして来ないのかな?」
 含みを持たせた視線を向け、ヤウンは苛立ちの原因に問いかけた。
 相手の肩が小さく跳ねるのが見えたが、王子はいっこうにかまうことなく、捕らえた異邦人と跪く公子とを見比べ続けた。今王子の目の前にいる二人のうち、どちらがより不幸なのだろう。
「殿下、それは……」
「僕が気づかないとでも思っているのか? 王議会に出席するのなら、彼のほうが適任だ。なのに登城してきたのは君のほう。いったい黒耀樹家では何が起こっているのかな? もし王家に逆らう気でいるのなら僕にも考えがあるよ」
「逆らうなど! 黒耀樹家は常に王家の番人として生きております!」
 口先だけなら何とでも言える、と呟き、王太子は椅子から立ち上がった。
「今現在、黒耀樹公とも連絡が取れないし、ここ最近は大公屋敷の一画に入り浸っている君たちとも一時的に連絡が取れなかった。この状況はいったい何を示しているのかな? 君はまともに説明できるのかい?」
 ヤウンの視線は囚われ人に据えられている。だが語りかける言葉は黒耀樹公子へと向けられていた。王族二人の様子に戸惑い、視線を泳がせる虜囚の姿から内心を読み取っているのである。王太子は指先を蠢かせて通事を呼び寄せた。
「これから先は“彼”が尋問を行う。君はその指示に従うように」
 一瞬だけ跪いたままのケル・エルスへと視線を向け、通事に囁きかけると、ヤウンはのんびりとした歩調で虜囚へと近づく。
「殿下、そのような者に不用意に近づかれては……」
 引き留めようとするケル・エルスの言葉を無視し、王子は無遠慮に異邦人の顔を覗き込んだ。少女めいた顔立ちのヤウンが微笑む効果は囚われ人にも有効なのか、目の前の人物は身を強張らせながらも顔を赤くする。
「もう一度だけ訊こうか。君は、誰の、どんな指示で、何をしようとしたの?」
 しかし囚われ人はあからさまに視線を反らし、王子の問いには答えなかった。その横顔を凝視しながら、ヤウンはため息をつく。
「可哀相に。君の運命は決してしまったよ。僕の問いに答えていれば、多少は長生きできただろうにね。まったく残念なことだ」
 背筋を伸ばし、王太子はまっすぐ異邦人を見つめたまま後ずさった。
「ケル・エルス。正式な報告書を持ってきたのだろう?」
 公子のほうを見もせずに手を伸ばせば、東方の上質な紙の感触が掌に伝わる。それを無造作に広げ、書面に視線を落としながら、ヤウンは跪く若者に向かって指一本の仕草で「立て」と命じた。
「君の忠誠がいかほどのものか、この書類だけで判断することは難しい。残念ながら君を王議会に出すわけにはいかないね。よって、議会が終わるまでにこの者から必要なことを訊き出しておくよう命じる」
 ヤウンが改めて公子に向き直る。立てと命じたのに、ケル・エルスは跪いたままだった。これも予測した通りである。
 黒耀樹の末公子は数歳年下の王太子の前では卑屈なほど従順な態度を見せることが多かった。が、それが真実の姿なのかを判断するのには苦労させられる。
「炎姫公女を拉致しようとした真意を探れ。そのための手段は君に任せよう」
 表情こそ崩さなかったものの、ケル・エルスが身を固くし、息を呑んだ気配が伝わってきた。炎姫公女が拉致されようとは思いもしなかったのだろう。ヤウンとてソージンからの連絡でなければ真偽の判断はつかなかった。
「時間がないよ。議会が終わるまでに君にできるのかい?」
 嘲りを含ませた問いに若者が眼を細め、口許を引き締める。屈辱にまみれた表情が一瞬だけ浮き上がったのを認め、ヤウンは小さく鼻を鳴らした。
「苦痛を与えるばかりが策ではございません。必ずやご命令の通りに」
「僕の指示に従うと? 母親の腰巾着がそれを言っても説得力がないね」
「いえ。“ケル・エルス”は、もうあの女を母親とは思っていません。どうぞ怒りをお鎮めください。殿下に信じていただくためなら何でもいたします」
 視線を反らすことなく王太子を見上げる若者の表情に邪な感情を見つけることはできない。が、だからといって相手の言葉を信じる気にはならなかった。
「では行動で示すがいい、“ケル・エルス”よ。そして僕への忠義と同じだけのものを黒耀樹家当主に捧げることだ。王家が君たちを信じるかどうかは今後の黒耀樹公次第だと思え。判ったか? ならば、早急に仕事にかかるがいい」
 王子の尊大な態度は美少女然とした外見と落差がある。それが王族としての威厳を示しているかのように、囚われ人の傍らで通事までもが膝を折った。
 他者を圧倒する存在感が多少は自分にも備わってきたのだろうか。ヤウンは跪く二人に掌を振り、早く立ち上がって仕事にかかるよう命じた。
「殿下、仕事にかかる前にひとつだけ……。我が忠誠の証として、あることをお伝えいたしたく思います。お側に寄ることをお許しください」
 誰にも聞かせたくない事柄らしい。今までの彼のあやふやな態度への懲罰に撥ねつけることも可能だったが、王子はそうはしなかった。逆に尊大な仕草で立つよう指示し、ケル・エルスが耳打ちすることを許す。
 口許を隠しながら囁く公子の言葉にヤウンは内心で青ざめた。もたらされた情報に肝が冷え、瞬時に熱い怒りが湧き起こる。だが彼は表面上は平然と相手を見つめ返し、さも知った風な顔で頷いた。
「初めからそうやって忠義を示せば君も無用な苦労を抱えずに済んだものを。今後の働き、しかと見届けさせてもらうよ」
 羽織っている長着の裾を捌きながら王太子はケル・エルスから一歩身を引く。視界の端に立ち上がった通事と縛り付けられたままの囚人が映った。
 どう言い繕おうとも今はケル・エルスを許す気にはならない。彼の今までの煮え切らない態度が黒耀樹家を迷走させたように思えてならなかった。
 優雅な仕草で通事に向かって頷き、ヤウンは黒耀樹家公子に向き直る。
「僕の期待に応えろ、ケル・エルス。君を許すかどうかはそれからだ」
 必ず、と返事をする若者に皮肉げな笑みを浮かべた。他人に感情を見せるべきではないと頭では判断していたが、それを押し殺すには今の状況は差し迫りすぎている。次々に問題が発生し、片付けても片付けても終わらない。
「議会が終わったら君を呼ぶ。それまでに片付けておけ」
 きびすを返し、王太子は部屋から出た。質素な部屋から出ても周囲の装飾に大差はない。王宮内とは思えない地味さは何度見ても驚かされる。
 廊下を歩く王子の後ろには部屋の外で待機していた騎士が付き従う。その光景が辛うじてここが王宮であることを示していた。
 ケル・エルスがもたらした情報を頭の中で整理し、ヤウンは忌々しそうに眉間に皺を寄せる。王子にこんな顔をさせる情報とはいったい何なのだろう。
 進むにつれ、周囲の壁や天井を飾る装飾は華やかさを増していった。王家の者なら見慣れた八芒星を象った紋様も各所に見られる。
 身に馴染んだものらに囲まれ、王太子は緩やかに肩の力を抜いた。いつの間にか全身に力を入れ、他人に侮られぬよう気を張っていたらしい。
 だが気が緩んだのも僅かな時間だけだった。すぐに気を引き締め直すと、王子は背後に騎士を従えて廊下を進む。離宮の建つ場所から議会が開かれる建物までは少し距離があった。急いで会場に向かわねばならない。
 頭の中では今後の対策を練り続けながら、ヤウンは王宮内を行き来する女官や官吏に微笑みかけた。その柔らかな笑みの下で、王子が計算高く他人を観察していることを知る者は少ない。知っている者からすれば、詐欺だと叫びたくなる典雅な微笑みだ。だが知らぬ者は王子の笑みに見惚れるばかりである。
 進む先に白い影が差した。それがソージンであることを認め、王太子は歳相応の屈託のない笑顔になる。遅い、と不機嫌にぼやく相手に謝罪し、王子は背後の騎士に持ち場に戻るよう命じた。
 そちらの首尾はどうかと問えば、白い異邦人は肩をすくめ、小さく唸るだけで返事をしない。可もなく不可もなくといったところらしい。ヤウンは一瞬だけ苦笑いを浮かべたが、すぐに気を取り直して議場へ足を向けたのだった。