混沌と黎明の横顔

第18章:轟神は睥睨す 2

 街の警邏たちが右往左往している中で、ドルスターリは数人の王国人と東方人を捕まえた。逃げ出した者ら全員を捕まえることはできなかったが、とりあえず公女は無事だと報告を受けている以上、焦っても仕方がない。
 それに捕らえた者から暗躍している集団の目的を聞き出すほうが先決だった。大公の甥であるジノンが絡んできているのだから、下手に野放しにはしておけない。少しの油断が大公家の転覆に繋がりかねないこともあるのだ。
「最悪は局を通じて巡検使を動員するしかなくなるが……。まずは私の手で解決しなければならないか。だが捕らえた者らがどこまで知っていることやら」
 ドルスターリ自身が今回は巡検使としてではなく官庁の役人の一人として出動している。しかも極力目立たぬようにとの大公からの通達もあり、自由に動けない上に大手を振って大通りを歩き回ることも躊躇われた。
 下っ端ばかりを捕らえたのでは目的を聞き出せる可能性は低いのだが、釈放するわけにもいかない。こうなったら徹底的に尋問するしかないだろう。ただ残念なことに尋問をする人間はドルスターリではないだろうが。
 凡庸なドルスターリの顔の中で眼ばかりが残酷な光を浮かべていた。
「尋問に関しては他の者に任せるとして、逃げ切った者たちの行方のほうも探らねばならんか。影どもが上手く張り付いてくれていればいいが」
 巡検使が個別に雇う者らは能力にばらつきがある。それを見越した上で使う必要はあるが、巡検使のように厳格な人数登録制度がないので、一人の巡検使が多くの影を抱えている場合がほとんどだ。
 ドルスターリも巡検使として動けない以上、王都に連れてきた影たちを動員して探索にあたらせている。その成果のほうが期待できそうな予感がした。
「ドルスターリ。大公閣下には捕虜を捕らえたと報告するのだろう? 今から行ったらどうだ。閣下も官庁の執務室に出向いていらっしゃる頃合いだ」
「そうですね。しかし閣下に報告するなら私よりあなたのほうが適任でしょう。私はもう少しだけ路地を探ってみようと思います。まだ隠れている者がいるかもしれませんからね。情報を引き出す捕虜は多いほうがいいでしょう?」
「まぁ、確かに。捕まえた者らは下っ端の者ばかりのようだしな。それじゃあ、閣下への報告はこちらから上げておく。後は頼んだぞ」
 今回同行したのは警邏と顔なじみで探索隊に加えられやすい同僚らであったが、彼らですらドルスターリが巡検使であることは知らない。
 王族男子が巡検使を抱えているらしいという噂は知っていても、それが真実であるかどうかを確かめる術が彼らにはないのだ。上級貴族の一部、つまり元老院に属する者らがかろうじて巡検使の実在を確信しているに過ぎない。
 同僚らを見送った後、ドルスターリは一本の路地へと足を踏み入れた。先ほどから首筋の後ろがゾワゾワと粟立っている。この先に何かがあるはずだ。過去の経験から踏まえて、こういう勘が外れることはない。
 足音を殺して進んでいくが、人の気配はほとんど感じられなかった。商人が多く暮らす区画なのだろう。それも行商を主体とする者らであれば、早朝から昼頃までの朝市は稼ぎ時だ。家にいなくても不思議はない。
 時折、子どもが喧嘩して騒ぐ声や井戸端周辺で洗い物をする女たちの笑い声が響いてはくるが、働き盛りの男の声は皆無といってもいいだろう。
 そういう静かな場所だからこそ違和感を拭えない気配を素早く察知できた。
 路地の中程まで来たところで、更に脇へと反れる路地が目に入る。得体の知れない予感が湧き起こり、ドルスターリはそちらへと足を向けた。
 どれほども進まないうちに囁き声が聞こえ始めた。窓から漏れ聞こえる声は複数の男のものである。この時間帯に家にいるとなれば病人か怪我人、あるいは家で仕事をしている工人くらいのものだが、男たちから漂ってくる気配はまともな人種とは思えない胡散臭さがあった。
 どうやら何かの企みに近づいているらしい。そう予測したドルスターリは窓下にそっと忍び寄り、室内での会話を盗み聞きした。
「報酬の割には簡単だったじゃねぇか。あとはこいつを始末すりゃ終わりだな」
「そうは言うがな。こいつの衣装から察するに貴族に仕えている奴だろ。妙なことに足を突っ込んじまったんじゃなけりゃいいが」
「そんなもん今さら心配したってどうにもならん。サッサと片付けて終わらせようぜ。いつまでもここにいるほうがやばいだろうが」
「それもそうか。しかし、この家から出るときは慎重になれよ。しばらく誰も住んでいない家だからって油断してると、近所の眼が見張ってるからな」
「判ってるっての。お前、昔から心配性だな。少しは落ち着けよ」
「お前が楽観的すぎるんだよ。この仕事をもらってきたときだって、報酬額に目が眩んで仕事の内容なんかまともに聞いちゃいなかっただろ」
「それは……。けど、これでしばらくは遊んで暮らせるだろう?」
「これまでの仕事の報酬を博打で全部すっちまった奴がそれを言うか。どうせ今回の金もあぶく銭だろうが」
「あぶく銭って……。稼いだ金をどう使おうが勝手だろ。そういうお前はたんまり貯め込んでるのかよ。死んだら使うこともできないんだぞ」
「使うときは使うさ。だが、いつまでもこの稼業で食いつないでいけるわけじゃないぞ。今のうちに資金を貯めて別の商売に鞍替えする準備くらい整えておきたいじゃないか。お前も少しは考えておけよ」
 判った判った、と投げやりに答えるだみ声を聞きながら、ドルスターリは壁に貼りつけていた耳をそっと剥がした。
 室内にいるのは三人か。拉致された者と拉致した者二人と考えて間違いないだろう。どうやら東方人たちと繋がりがある者らではなかったようだ。が、誰かを拉致し、殺害しようと企んでいるらしいことは判った。
 彼らを止めるべきか、それとも結末を見守り、彼らの雇い主の思惑を探るか。
 人としての良心だけで考えれば前者であるが、巡検使として動くドルスターリにとっては天秤にかけるべき懸案だった。できれば良心も仕事も満足できる方向を見つけるのが最良の選択ではあるのだが。
「それじゃあ、どういう始末の仕方をする? いつも通りにかっさばいちまうか? それとも首でも吊らせるか?」
「かっさばくとか言うなよ。屠殺人みたいじゃないか」
「屠殺人だろ、実際。それも人専門の」
「せめて暗殺者くらい言えよ。豚や羊を相手にしてるわけじゃないだろうが」
「豚や羊のほうがマシだとは思うがなぁ。あいつらの鳴き声は意味が判らないから。人間相手だと言葉が判っちまうから後で夢に見るんだよ」
「……お前な、そんなことになってるならサッサとこの稼業から足を洗う算段をつけろよ。博打で身持ちを崩してどうするんだ」
 ダラダラと会話を続けている様子から、彼らが本業で暗殺を生業にしているわけではないように思える。仕事をせずにブラブラしている者の中には目先の金に目が眩んで犯罪に手を染める者も多いのだ。
 無頼の徒がいるお陰で雇い主は自らの手を汚さずして敵を始末でき、雇われた者らが捕まったとしても、彼らから雇い主へと調べが及ぶことはない。街の警邏たちは無頼どもを捕まえるだけで満足せねばならないのが常だった。
 彼らがどういう素性の者かは重要ではない。まずは目的を確かめておくことを優先するとしよう。拉致された者はまだ生きているようだし、それを生かすも殺すもこちらの自由というわけだ。
 ドルスターリはゆっくりと戸口へと近寄っていった。真っ先に始末すべき対象者を頭の中で選び取る。彼の顔に薄い笑いが浮き上がった。
 街で擦れ違っても顔を覚えられることもないほど凡庸な顔立ちだが、その笑い方だけは不気味の一言に尽きる。これこそが巡検使ドルスターリの顔なのだろう。見る者に薄ら寒い想いを抱かせずにはいられない顔だった。
 じりじりと戸口に近づき、音も立てずにそれを開く。忍び込むのは慣れたものだった。気配を殺す術も息をするように自然にできる。
 室内に滑り込むと同時にドルスターリは懐から針を取り出した。彼が使う暗器である。見た目よりも重く、投げることにも刺すことにも長けていた。
 男たちはくだらない雑談を続けている。本当に素人に毛が生えた程度の暗殺者らしかった。着込んでいる衣装も裏通りをうろつく胡散臭い連中と変わらない。本物の暗殺者はもっと街に溶け込んでいるものなのに。
 ドルスターリは助走をつけることなく床を蹴り、一人の男に飛びかかった。同時に手にした針を残りの一人の喉元に向かって放つ。
 吹きつけてきた殺気に驚いた男たちが振り向いたときには、勝負は決まっていた。一人は喉を刺し貫かれ、一人は延髄を強かに打たれて昏倒する。
 ドルスターリは二人の男を検分し、小さく頷いた。望んだ通りの出来映えである。投針術の腕前はまだ衰えてはいないし、体術のほうも申し分なかった。昏倒した男はしばらく目を醒まさないだろう。
 時間の猶予を得たドルスターリはガランとした室内に横たわる存在に初めて目を向けた。小柄な男が横たわる姿に首を捻る。どこかで見た覚えがあった。
 相手を確認しようと、彼は足音を忍ばせて眠る男へと近づく。そして青白い寝顔にかかる前髪を払い、相手の顔を凝視した。
「この子は……。ケル・エルス卿の……」
 潜めた声に驚きが滲むのを隠せない。小柄な男だと思っていたのは成年に達したかどうかも怪しい若者だった。さらにその若者に覚えがあった。
 黒耀樹家の公子ケル・エルスが囲う戯童フェデールである。とは言っても、もっぱら後見人として面倒を見ているらしいが。
 ドルスターリが彼を知っているのは何度か顔を合わせたことがあるからだ。ケル・エルスに連れられ、炎姫家の屋敷にやってきたことがある。貴族の教養を身につけさせるために、炎姫公に直々に教えを請いに来たのだ。
 実際の本音はケル・エルス以外にも後見として援助してもらえる人物を探していたのだろう。それなりに炎姫公には気に入られたらしく、いつの間にか公子の同伴ではなくても大公屋敷に出入りするまでになっていた。
 ドルスターリ自身も屋敷で何度か言葉を交わし、好印象を持っている。公子の戯童として取り立てられるだけはあり、頭の回転が早い若者だった。
 この分なら黒耀樹公子の囲われ者ではなく大公直々の推薦で王宮に出入りできるようになるだろう。そう思わせる煌めきは持っていた。
 そんな若者が拉致されるとはどういうことだろうか。若者の主人ケル・エルスに敵意がある何者かなのか、それとも黒耀樹家そのものに害意があるのか。三大公家の一つに災難が降りかかれば他の大公家も黙ってはいまい。
 これは先ほど考えた以上に大事になるかもしれない。よほど用心して調べていかないと、こじれた事態を招きかねないだろう。
 ドルスターリは若者の身体を探り、後頭部に殴られたときにできたらしい瘤があることを発見した。暴漢たちは背後から襲いかかったのだ。
 どこで襲われたのかは判らないが、略式服を着用していることから身分の高い者の屋敷に出向く途中だったのではないだろうか。もしかしたら黒耀樹家に呼ばれたのかもしれない。最近、ケル・エルスは大公屋敷によく出入りしているという噂を聞いているからこの予測は大きく外してはいないだろう。
 命に別状はないことを確認し、ドルスターリは若者を縛っている縄を慎重に解いた。その縄を手にし、今度は昏倒している男へと歩み寄る。
 無造作な手つきで男を俯せにし、まずは後ろ手に縛めると、縄の残った部分で足首も縛り付けた。手足の自由を奪われ、逃げることは不可能である。
「この男を尋問するしかないが、果たしてどれほどの収穫が得られることやら」
 ため息混じりに暴漢を見おろしていたドルスターリだったが、今は若者を別の場所に移動させるが先決と戸口から滑り出た。どこかで荷駄馬車を借り、若者を隠して運ぶしかない。妙な注目を集めるわけにはいかなかった。
 大通りまで戻ると、彼は辺りをキョロキョロと見回す。いつもなら往来のあちこちにいる荷駄馬車が今日はめっきりと少なかった。何か起こったらしい。
 先ほどまでは人通りがあったのだから、事が起こったのはつい今し方に違いない。庶民の動きに影響があるということは、まだ朝市が開かれているはずの時刻の今、大広場の方角に人が集まっているということだ。
 そちらのことも気にかかるが今は黒耀樹公子の寵童をどうにかしなければ。いつまでもここに置いて人目につくようなことになったら騒ぎが大きくなる。
 そうなればケル・エルスに端を発して黒耀樹家そのものも噂に巻き込まれる。ただでさえナスラ・ギュワメが当主になって揉めているというのに、これ以上の騒ぎに巻き込まれては家臣の求心力が落ちてしまう。
 思ったように荷駄馬車を捕まえられないことに焦り、ドルスターリは舌打ちをした。彼にしては珍しいことである。
「言っても詮無いことだが今日という日は運命神に見放された日かもしれない。こうもあちらこちらで騒ぎが起こるとは……」
 思わず漏らした呟きが終わるか終わらぬかのうちに、彼の視界に見知った姿が映った。この場にいようとは予想だにしない人物が足早に近づいてくる。
「ジャムシード? フォレイア姫やイコン族を連れて滞在している館にいるはずでは? もう大公屋敷に報告に行く気か?」
 今日中には炎姫公に事の次第を報告に来るだろうとは思っていたが、館のほうが落ち着かないことには動けないと踏んでいたのに。予想以上に素早いジャムシードの行動にドルスターリは面食らった。
 が、すぐに驚きから立ち直り、相手の視界に入るよう一歩を踏み出す。ともかく助け手は必要なのだ。呼び止めない理由はない。それが王族の内情を薄々と知っている相手であれば願ったり叶ったりだった。
「ドルスターリさん!? あなたが探索に加わっていたんですか?」
 公女の拉致に関する探索隊が出ていることはジャムシードも予想していたらしい。姿を見せこそしなかったが、監視の眼があることくらい気配に敏感な者なら誰でも察することはできたはずだ。
「急いでいるところを申し訳ないが怪我人を運びたいので手を貸して欲しい」
 他人に対しては丁寧な言葉遣いをするドルスターリが対等かそれ以下の口調で話しかけるとき、それは端的に巡検使として振る舞っているときである。
 やや尊大な態度からそうと察したのか、ジャムシードの顔つきが引き締まった。巡検使の仕事は容易くないことを今までに見てきた者の表情である。
「東方人たちが見つかったのですか?」
「いや。奴らの行方は判っていない。だが追っ手はかけてあるから今日か明日にでも情報が入るだろう。ここにいる怪我人は東方人でもその探索隊に加わっていた者でもない。あなたも知っているかな、ケル・エルス卿の秘蔵っ子だ」
 ジャムシードが驚きに眼を見開き、次いで怪訝そうに眉をひそめた。
「ケル・エルス卿の秘蔵っ子とはシュマですか? 彼がどうして怪我を?」
 やはり知っていたか。炎姫公の屋敷に出入りしている者同士、芸術に関心があるシュマが飾り細工職人のジャムシードに声をかけないはずがないと思っていたが、二人はいつの間にか知り合っていたらしい。
「暴漢に襲われ、そこの下町に建つ家のひとつに監禁されていた。偶然見つけたから良かったようなものだが、彼に何かあったらケル・エルス卿がどれほど嘆かれよう。早く怪我の手当が出来る場所に移してやりたい」
「……襲われた? シュマを襲って命を奪えば得する者は多いでしょうが、監禁しておいて得するとなると、やはりケル・エルス卿関係でしょうね」
「監禁だけではなく、用が済めば殺す気だったらしい。私が暴漢たちを倒さねば彼は昼の光を見ることなく命を散らしていただろうよ」
 ジャムシードの唇が噛み締められた。が、怒りの声がその唇から漏れることはなく、滞在している館に彼を運び込みましょうと固い声が放たれた。
「先ほどから荷駄馬車を探しているんだが……。どうやら大広場で何かあったらしく、人通りが極端に少ない。どこかで手配できるか?」
 やってみましょう、と請け負いって大通りから離れようとしたジャムシードの足がピタリと止まる。その視線を辿り、ドルスターリは通りの先、神殿群区の方角から急ぎ足で歩いてくる二人連れを確認した。
「師匠、と……モス兄ぃ」
 思わず呟いた様子の男の背を見つめる。ドルスターリには初めて見る顔だったが、ジャムシード自身の身元を記した書類にあった名だと思い出された。
 師匠ガーベイ・ロッシュとその一番弟子は末弟子の声が聞こえたかのように足を止め、こちらの姿を認めた。ジャムシードが二人に向かって駆け出す。
 ドルスターリは黙って成り行きを見守った。師弟間のことはよく判らない。それに下手に首を突っ込むことでもなかろう。むしろ近づきすぎて情など湧くことになったら後々困るのはドルスターリ自身だ。
 師匠と二人の弟子が話し込む様子を見守りながら、ドルスターリは彼らの口許を凝視する。周囲には隠しているが、読唇術ができるのだ。離れている場所での会話も唇である程度までは読み取れる。
 とは言っても、こちらに背を向けているジャムシードの言葉は読めないし、口髭を生やしている老師も読み取りづらかった。一番弟子の唇がもっとも判りやすく、自然その唇の動きから彼らの会話を探ることになる。
 司祭に用が、組織のことは、こちらに問題はない、水姫公が、王宮手前の神殿群の通り、ルネレーの者、馬車の手配を、断片的に読み取れたことはそのくらいだった。完全には読み取れなかったのは早口だったせいもある。
 ジャムシードがこちらに戻ってくるその背後で、師匠と一番弟子の二人が大通りから反れてどこかの路地へと向かう姿が目に入った。
「ドルスターリさん、すぐに馬車は用意できそうです。それと師匠たちから気になることを聞きました。アジル・ハイラー閣下にも知らせたほうが……」
 そっと耳打ちされた内容にドルスターリは顔をひきつらせた。水姫公が王宮近くの神殿群通りでルネレーの残兵に襲われたという。大公とその供は無事だという話だが、王都にまだルネレーの兵が潜んでいるかもしれない。
 ハスハー地藩から逃げ出した敵兵が王都にまでやってきているとなると、そこには何者かの手引きが予想できた。ルネレーと繋がっていて得する者が王都にいるということか。それともあらかじめ逃げ込む先に予定されていたのか。
 黒耀樹公の戯童を移送し終わったら、すぐに大公に報告しにいかねば。水姫公が王城に登城しようとしていたことも気になる。探索に出ている間に宮廷で何かが起こったのかもしれない。それに関連して朝市に変事が起こったか。
 本当に今日という日は厄日に違いない。三大公家それぞれに騒ぎが持ち上がり、もしかしたら王家でも何かがあったかもしれないのだ。王族たちがきりきり舞いして喜ぶのは王議会の元老院に属する連中だけである。彼らを有利にしてやる義理などない以上、騒ぎは小火のうちに収めておく必要があった。
「ジャムシード、荷駄馬車を手配してくれるのは先ほどの老師と兄弟子なのだろう? その、彼らにシュマのことを伝えては……」
 目の前の男が首を振る様子に安堵した。ジャムシードなら上手く話をするだろうと思っていたが、黒耀樹家の騒動を知る者は少ないほうがいい。
 路地から粗末な荷駄馬車が出てくる音にジャムシードが再び駆け出す。その背を見送りながら、ドルスターリはこれからの行動を素早く計算していた。