水の揺らぎをジッと覗き込み、彼女は歪んだ自分の像を睨んだ。正確には歪んだ女の像の奥に見え隠れする嫉妬の炎を睨んでいるのである。
「ようやく終わるわ。あの男を始末さえすれば」
積年の恨みを晴らすときがきたのだ。この機会を逃してなるものか。
山からの伏流水を利用して貯水槽に貯めた水を源にする噴水は、今は水を噴き上げてはいなかった。水の流れを止めているからだ。
この水流の加減こそが今の彼女には重要なことなのである。貯水槽を隠れ蓑に、この屋敷の地下は外部へと繋がっているのだから。
「大公母さま。ご命令の通り、荷は外に運び出しました」
庭に足を踏み入れる物音と共に声が響いた。振り向いた彼女リウリシュの視線の先には地味な外見の男が跪く姿がある。顔は見えないが、特別に何か感情を宿してなどいないだろう。彼女に仕えている以上、命令は絶対なのだから。
「よろしい。幻都に到着次第、あやつは牢に繋ぎなさい。……奴隷のほうも手筈は整っていますね?」
間違いなく、と返される言葉に重々しく頷き、リウリシュは掌中の扇を滑らかな動きで広げた。口許だけを覆い隠し、眼を細めた彼女の姿は貴婦人らしい高貴さに溢れている。が、剣呑な視線がその雰囲気を台無しにしていた。
「では予定通りに閉じこめておきなさい。折をみて、そやつも始末します」
御意、と短い返事をして下がる男を最後まで見送ることなく、リウリシュは再び水面に視線を落とす。先ほどより揺らぎが大きくなった。それは彼女の内心を現しているかのように波紋を広げる。
ずっと計画してきたことなのに、なぜ心が揺れるのだろうか。すべて終わった暁には、彼女が憂うことなど何もなくなるというのに。
「すべて終わってないから不安になるのだわ。何もかも終われば枕を高くして眠れるというもの。そうよ、何も怖れることなどない。これは我が大公家に必要な荒療治。誰もやらないから、わらわがやるしかないのよ」
扇で隠された口許を引き結び、リウリシュは水面に浮かぶ女を睨んだ。さしもの彼女も容色は衰え、歳月の重みが目尻や口許に現れている。それでも年齢から考えれば充分な美貌を保っているが、彼女は満足していなかった。
「大公家を正しい道に導くことこそが肝要なのです。その行く手を遮る者は何人たりとも容赦しないわ。……そう、たとえそれが王家であっても」
扇の縁から覗く瞳は暗く、針のように鋭く細められる。よりいっそう剣呑な光を湛え始めたその眼の隅に黒い影が走った。
今の呟きを何者かに聞かれたかと慌てて影の走った方角を振り向いたリウリシュは、間近な木陰に佇む小柄な人影に息を呑む。
「何者!? ここで何をしておるか!」
「ご挨拶ですね、元大公妃さま。あなたの秘密を知る者として歓迎してくださると思ったのですが。……薔薇の誓いはまだ有効では?」
ギクリと身体が強張った。扇を眼前に翳し、己の顔色を隠してはみたが、咄嗟のことで相手にこちらの内心を読まれてしまった可能性は高い。
「何用ですか。このように朝っぱらから押し掛けてくるとは。しかも案内も乞わずに。どうやって屋敷に入り込んだのです。ここにも警備の者はいるはず。よもやその者らを殺しはしなかったでしょうね?」
「質問の多い方だ。この屋敷の警備ごときかいくぐれぬほどぼんくらではありませんよ。この国の警備は穴が多すぎますね。大公屋敷ですらこのざまです。他の家屋敷など取るに足りませんよ。警備の者を殺すまでもない。……で、ご用というのはですね、あなたの手を貸していただきたいことがあるのですよ」
成人男性にしては小さい。それも無理はない。この男はポラスニア人ではなかった。王国人から見れば年齢不詳。成年したばかりの若者にすら見える。
そう、東方人特有の幼い顔立ちで、目鼻立ちが曖昧な表情が読みにくい容姿をしていた。以前に出逢ったときにはもう少し背が高いかと思ったが、あれは夜だからそう見えただけだったようである。
「屋敷の警備がずさんだと言うのですか。この王国随一の武人の屋敷を……」
「武人? どなたがです? あなたの亡くなった息子ですか? それとも生きている息子? まさか継子のことではありますまい? そういえば、今日は屋敷内に不穏な空気が流れていますね。いよいよ事を起こそうというのですか?」
のんびりとした口調だが、男の眼許は笑っていなかった。何か得体の知れない気配を感じ、リウリシュは思わず後ずさる。が、それも一歩だけのことで、彼女は気力を振り絞って場に留まった。
「我が息子を嘲笑おうというのですか! なんびとであれ、そのような無礼を赦しはしません。謝罪なさい。今ここに人を呼んでもかまわないのですよ!」
東方人は歪な笑みを浮かべて慇懃な礼をした。それが謝罪のつもりらしい。
苛立ちが身体中を駆け巡っていった。こめかみがズキズキする。感情が高ぶりすぎているのだ。こんな状態が続けば偏頭痛を起こす。
「顔色が良くありませんね。あまり感情的になるのはよくないと思いますよ。あなたは自分の立場というものが判っていないようですし」
いよいよ苛立ちが募った。この男はいったい何をしにきたのか。
「わらわが何をしようが関係あるまい。今日は特に忙しい朝です。部外者と関わっている時間などありません。出直していらっしゃい」
「なるほど。忙しいのは確かでしょう。でもこちらに出直す気はないのですよ」
男がゆったりとした一歩を踏み出した。足音もなく進むその姿は獲物を狙う獣のようにも見える。己が狩られる小動物のように力無い存在に思え、リウリシュはゾッとした。だが無抵抗で狩られる気は毛頭ない。
「そこで止まりなさい。それ以上近づくことは許しません。用件を述べたらサッサとお帰り。姿を見られては不都合があるのはそちらでしょう」
呼ばれもしないのにリウリシュの側にいるのを見咎められたなら、警備兵に捕まることは必至だ。そんなヘマを犯したいはずがない。この男は用件があるから近づいてきたのだ。それを果たさずに帰ることはできまい。
「あなたが協力してくださるのなら姿を見られてもいっこうにかまいませんよ。というより、協力していただくしかないでしょうねぇ。あなたは断れない。断れば、とても後悔することになるのですから」
こめかみの痛みが増してきた。いよいよ偏頭痛が起こり始めたのだ。
「用件を言わないのなら消えなさい。目障りです」
扇の縁から睨みつければ、男の薄笑いはいよいよ顔に張り付く。まるで道化師が被る笑い仮面のようだ。なんて薄気味悪いのだろう。こんな男だとは思わなかった。
これ以上関わらないほうが良さそうだ。頃合いを見て切り離すつもりだったが、早急に対処しておいたほうがよいだろう。
リウリシュは意を決すると、庭の外に控えているであろう衛士を呼ぼうと腹に力を入れた。が、それを察したらしい男が一気に距離を縮める。
「困った人ですねぇ。判らないのですか? ここでお互いの姿を見られて噂になれば、後々から面倒になるのはあなたのほうだというのに」
「何を……! その手を放しなさい、無礼者! 何をするのですかっ」
腕を掴まれた拍子に手にしていた扇が転がり落ちた。男の背丈はリウリシュよりやや低いが腕力は強い。ガッチリと掴まれた腕は振り解けなかった。
「リウリシュ妃、あまり我々を邪険にしないほうがいいですよ。今あなたの手の内にある駒はそう多くない。直系の孫息子はともかくとして、あなたの下の息子に血の正当性を証明できますか?」
リウリシュの身体は強張ったが、相手を睨みつける視線は変わらない。なおも腕を振り解こうとしたが、残念ながら掴まれた腕は自由にならなかった。
男の顔に笑みが浮かぶ。一見すると穏やかな微笑みに見えるが、眼だけが笑っていなかった。薄気味悪さに寒気が走る。
「いったい何が目的なのです。わらわを脅そうというのですか」
「邪険にされれば誰だとて腹を立てるでしょう? 協力さえしてくだされば、あなたの計画を邪魔する気などありませんよ」
それを脅しているというのではないか。だが何をしでかすか知れない男を相手に騒ぎ立てるのは得策ではない。なんとかして退けねば。いや、場合によってはこの男も始末してしまわねばなるまい。
「あぁ、そうそう。あなたの秘密を知っているのは私だけではありませんから、妙な気を起こさないでくださいよ。私に何かあれば、私が握っている秘密たちが世間にばらまかされてしまいますからね」
あからさまに脅してくる。以前にも何か秘密を握っていることを匂わせていたが、今回はそれを隠そうともしないとは。
これは男のほうも余裕をなくしているのではないのか? ここまで大胆に脅迫してくるということは、差し迫った何かが起こったとしか思えなかった。
「判りました。わらわのやることを邪魔しないというのであれば、お前たちのやることに手を貸しましょう。お互い、そのほうが益になりそうですね」
「賢明な判断です。お互いにそのほうが都合がいいのですから」
男は楽しげに喉の奥で笑い、ようやくリウリシュの腕を解放した。今のやり取りを誰かに見られた様子はない。面倒は避けられたようだ。
「それではリウリシュ妃。我らに船を用意してください。中型船がいいでしょう。ある程度の荷が乗り、人も運べるものがよろしい。小型船ではありませんよ。外洋も航行できる強度のある船と食料と水を用意するのです」
「船と航行のための食料、飲み水だけでいいのですか?」
リウリシュは内心でほくそ笑んだ。金や地位をたかられるかと思っていたが、男は船を用意しろと言う。きっとポラスニアから出ていく足が欲しいのだ。
この男とその同胞への対処は船であれば簡単だ。出来うる限り早く船を用意し、彼らには派手に逃亡してもらおうではないか。その後は……。
「王国中の港に入港できる許可証もですよ。黒耀樹家のお墨付きがいただければありがたいですからね。……判りますよね?」
リウリシュは顔が引きつりそうになるのを隠すことに必死だった。
急に押し掛けてきたが故に国を出る算段をしているのかと踏んだが、国中を回れる通行証を寄越せと言われては、その考えが正しいとは言えなくなる。黒耀樹家が発行する公印付きとなれば、それは大公家お抱えの商人ということになるのだ。このような胡散臭い連中を大公家の傘下に収めては……。
「大公家の公印付きとなれば容易く用意できるものではありません。下準備だけでも一ヶ月はかかるのですよ。さすがに、それだけの代物をわらわが右から左に動かせるはずもない。通常の通行証で我慢なさい」
「いいえ。できますよ、今のあなたなら。憎き継子をどこぞに捕らえたのでしょう? となれば、公印を扱えるのは大公の代理人となり、今の時点で代理人になれるのはあなたの実子。つまり、あなたが全権を持っているに等しい」
「黒耀樹公を捕らえたなどと戯れ言を吹聴する気なら……」
男は素早く距離を広げ、小さく肩をすくめながら忍び笑いを漏らす。
「だから、この屋敷の警備はお粗末だというのです。秘密が守られていると思っているのはあなたたちだけ。まったくもって王国人の自堕落ぶりには呆れ果てるばかりですね。ま、そのお陰でこうやって容易く潜り込めるわけですが」
反論を口にしようと一歩を踏み出したリウリシュを制するように、東方人は木立の陰にその姿を紛れ込ませた。
「一日だけ待ちましょう。その間に船と食料と水、そして公印付き通行証を用意してくださいよ。出来ねば、あなたは困った立場に陥りますからね」
「お待ちなさい! それだけの量の食料と水を一日で確保など……」
飛び込んだ木立のどこにも男の影はない。つい今し方まで男がいたのに。下草が踏みしめられた跡が残り、確かに人がいた名残を留めるばかりだった。
唖然と佇むリウリシュが我に返るのは、側仕えの侍女が王宮での急を告げに来たとき、男が消えてから随分と経ってからだった。
大きめの水盤に張った水の表面を指先で掻き混ぜながら、オルトワはため息をついた。常に肩や膝の上にあった小さな温もりが感じられない。そのことに思った以上にがっかりしていた。後どれくらい我慢すればいいのだろう。
「チビちゃんは無事に仕事をやり遂げるかねぇ?」
独り言に答えが返るはずもない。朝日ばかりが遊民の女元締めを見おろしていた。朝食後に訪れるほんの僅かな気怠さに、彼女はだらしない格好で水盤の水底を覗き込む。今にも頭から水に突っ込みそうだ。
「水よ。不定の力持ちしものよ。そなたらに慈悲があるならば我が望む者の姿を映すがよい。小さきものを。隠された幼子を」
指先で掻き回していた水が渦を描く。水の勢いは徐々に増し、人の力ではあり得ない勢いで水盤の中を回りだした。渦の中心に引き込まれそうである。
「今度は成功するかねぇ」
呟きながら水面を覗き込んだオルトワは、息を詰めて成り行きを見守った。
彼女の視線の先で渦は巻き込みを早め、すり鉢状の水が水盤の底を覗かせる。見る者を恐れおののかせるに充分な勢いだった。いつまで経っても水は勢いを失わない。このまま未来永劫、渦を作り続けるのではないか。
「あーぁ。どうやらまた失敗しちまったみたいだよ。チビちゃんの姿を映せるようになる頃には、チビちゃん自身が帰ってきそうだねぇ」
最初から水盤の魔力などあてにはしていなかったが、失敗すれば落ち込もうというものだ。可愛がっていた飼い猫を貸し出したりしなければ良かったと、オルトワはブツブツ不満を漏らす。
「仕方ない。チビちゃんのほうは諦めて、接触してくるはずの連中のことでも考えておこうかねぇ。……むさ苦しい男連中のことなんか考えたくないけど」
元締めにあるまじき戯れ言を呟き、オルトワは大儀そうに背伸びをした。
彼女の意識が逸らされたからか、水盤の渦潮は急速に力を失い、元の静かな水面が戻ってきた。その早さもまたあり得ない成り行きである。
鏡のように覗き込む者の顔を見ることができた。水面の下には同じ世界が、いやほんの少しだけ現実とは違う人間たちが生活しているかのようである。
「連絡は来るかねぇ。あぁ、だけど。さしものファルクも短時間で用意できるはずがないか。もう少し外で荒稼ぎさせてもらおう」
オルトワは凝った首筋を揉みほぐしながら、水盤を睨み続けていた。
水鏡に映る顔はかつての若さを失った女のものである。東方人の血を半分だけ引いた男を父親に持つだけあり、近在の国の女たちよりは若く見えるが、それでも肌の張りは衰え、シミが浮いてきていた。
「歳月には逆らえないってことだね。いずれこの身体も朽ち果てる、か」
眼許の皺を指先で撫で、オルトワが皮肉げに笑う。水鏡の女も同じように笑い、互いが互いを嘲笑っているかのようだった。
『それでも遊民を束ねる力は失っていないだろう? 姿形などがなんだというのだ、オルトワ。……いやさ、クォンリーと呼ぶべきか?』
水鏡に映る女の顔が歪み、別の人間の顔を映し出す。覗き込むオルトワの顔とはまったくの別人が、悪戯げな笑みを浮かべながらこちらを見ていた。
「他人の独り言を盗み聞きかい。まったくいい性格だね、ファルク」
香茶色の髪に白いものが混じった中年の男が目尻に皺を寄せながら朗らかに笑う。快活なその笑い声は聞く者を安堵させる安定感があった。
『養母殿のご機嫌を取らねばならぬかな。偉大な“オルトワ”に拗ねられては、遊民たちから不興を買いそうだ』
「何を言ってるんだい。養母だなんて、これっぽっちも思ってないくせに。それにね、親子ほどの歳の差なんかないじゃないか。せいぜい姉がいいとこさ」
『だがフィオナは養い子として側に置いていたではないか。フィオナの兄である私が養い子でないと、どうして言えるんだね』
オルトワが大仰に肩をすくめる。なにやら芝居がかった仕草だ。
「アルド公国の偉大な大貴族マイダルリーガ公のご当主を養い子だなどと畏れ多い。そんな戯れ言を申されてはご家名に傷がつきましょう」
『おいおい。レイゼンのような言い種をしないでくれないか。あいつ、最近ではすっかり性格がねじ曲がってきて、手に負えなくなってきているんだから』
情けない声を出してはいるが、男の顔つきはまったく困っている様子がない。むしろオルトワとのやり取りを楽しんでいるようだった。
「おやまぁ、レイゼンの性格はそんなにねじ曲がったのかい。それならねじれきってまっとうになろうものを」
盛大に噴き出した男が水鏡の向こうで爆笑する。目に涙まで浮かべる笑いように、オルトワは呆れ果てて天を仰いだ。
「自分の息子を笑い者にして楽しいかい、ファルク?」
『いや、すまない。あいつがまっとうな性格になったところを想像したら、あまりにも気持ち悪くて、つい……』
「そういうのを、親が親なら子どもも子どもって言うんじゃないか。お前さんの息子らしい性格だよ。……それで? 出発できそうなのかい?」
笑いすぎて涙が浮かんだ目尻を拭い、男はしっかりと頷いた。それまでの軽妙な雰囲気が消え、どこか狡猾さがにじむ薄い笑みが口許に浮かぶ。
『公王陛下から許可が下りた。祝賀の列を組んで出向こうではないか』
「マイダルリーガ公直々のお出ましとなれば、その歓待には大公がつくことになろうね。となれば、縁戚関係にあるアジル・ハイラーが受け持つのが妥当。長年果たされることがなかった義兄弟の対面が叶う、と」
『待ち望んだ対面だろう、オルトワ。接触を試みるには最適の機会だ』
ファルクの瞳が細められた。そうすると紫苑色の瞳が鋭さを増し、彼の顔に冷酷さを刻む。皮肉ともとれる微笑みが不気味ですらあった。
「留守はレイゼンが預かるのだろう? 大丈夫かい? あの子だと父親だろうと関係なく簒奪しそうじゃないか。帰ったら当主の座がなくなっていたなんてことにならないだろうね? それはあまりに笑えないよ?」
『問題ないよ。シヴァンが戻ってきている。残念ながら、あの子の婚姻は相手方と揉めて白紙に戻されてしまったからな』
「おや。シヴァンはいったい何をやらかしたんだい。猫っかぶり娘にしては珍しい失敗じゃないか。それとも相手がよほど鈍くさかったのかい?」
『さぁて? お互いに“合わない”と言い張るばかりで埒があかないよ。困ったものだ。だが、そのお陰でレイゼンも簒奪どころではあるまい。……何せあの二人は顔を合わせれば口喧嘩を始めるほど“仲がいい”からな』
娘の縁組みが破談になったことも、子どもたちが仲違いしていようとも、ファルクはいっこうに気にしていないようだった。それらを面白げに話してみせる態度からは、世の中をまっとうに渡る気がない斜にかまえたところがある。
「ファルク。お前さん、そんなだから嫁さんに愛想を尽かされるんじゃないか。母親に見捨てられてねじくれちまったレイゼンの気持ちが判る気がするよ」
『そうは言うがな。元々からあの女とは“合わなかった”んだよ。お互いに早めに見切りをつけることが出来て良かったじゃないか』
相手の言い種にオルトワはため息をつき、どうしようもないと首を振った。
「どうしてこう我が養い子たちの婚姻は上手くいかないんだろうねぇ。お前さんといい、フィオナといい、問題の多い相手に当たっちまうなんて。挙げ句の果てにフィユーゼは女の尻を追いかけるばかりで責任なんか取りゃしない」
やれやれ、と肩を叩く仕草にファルクが笑い声を上げる。闊達な声は相変わらずだが、悪戯を思いついた悪童のように油断ならない笑い方だった。
『養い親の躾が悪かったんだろうさ。なぁ、オルトワ。歳が近い者を養い子になどするものではないよ。私がどう思っているか判っているだろう? なのに、あなたときたら誰か特定の相手を見つけるでもなく一生独身のままだ。望みがないのならスッパリと切り捨ててくれたら良かったものを』
オルトワは表情を殺し、水鏡に映る男を見おろす。柔らかな声音に騙されて「申し訳ない」などと口走れば、どんなごり押しをされることか。
「ファルク、馬鹿げた戯れ言を聞く気はないよ。わたしはもうクォンリーではなく“オルトワ”なんだからね。お前さんたちの母親からこの座を譲り受けたときから過去のことは捨ててきたんだ」
お互いの間に重い空気が流れた。口をつぐんだファルクが眉尻を下げる。情けないような、悲しんでいるような、やるせない表情で見つめられ、ついオルトワは心が挫けそうになったが、奥歯を食いしばってそれに耐えた。
『確かに私を選ばなくて正解だったのだろうな。こんな不具の身では妻に逃げられても文句も言えぬよ。まして遊民の元締めともなれば……』
「戯れ言は聞かないと言ったはずだよ、ファルク。お前さんの身体がどうであれ、わたしが誰かを選ぶことはない。これまでも、これからも、それは永遠に変わらない。それが“オルトワ”を受けたときに決めたことなんだ」
『私たちの母親がそれで失敗したからと言って、あなたまでそうする必要はあるまい。歴代の元締めの中には特定の相手がいた者だとて多いのに』
崩れていた姿勢を建て直し、オルトワは冷ややかな視線を相手に向ける。
「話は終わったよ。サッサとフィユーゼを連れておいで。お前さんにやってもらわなきゃならないことは多いんだ。よそ事を考えてる場合じゃないね」
断固とした口調で相手の話を遮ると、オルトワは素早く腕を伸ばして水鏡の表面を叩いた。人の影は崩れ、広がった波紋から不協和音が響く。その耳障りな音に顔をしかめ、女元締めはこめかみを撫でさすった。
「お前さんの感情は錯覚だよ、ファルク。人の想いなど塵より軽いものさ」
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