混沌と黎明の横顔

第16章:惑える焔《ほむら》の下 4

 顔を引きつらせるロ・ドンイルを後ろ手に縛り、ソージンは敷地へと足を踏み入れた。建物から丸見えの位置である。すぐさま扉から人が飛び出し、そこで立ち止まるよう警告が発せられた。が、彼が素直に従うはずもなく。
 乱暴な動きで小太りの商人に先へ進むよう促し、ソージンは前庭を突っ切って正面玄関へと真っ直ぐ進んでいった。
「止まれと言っているんだ! 貴様、聞こえていないのか!」
 シギナ人の特徴を持つ男が目の前に立ちはだかる。これだけのことでヘロヘロのドンイルが、演技ではない涙声で「助けてぇ」と哀れっぽく嘆くので、その場でのソージンはすっかり悪党扱いであった。
「この商人をどうする気だ。貴様の目的はなんだ!」
 シギナ人の男が怒鳴りつけてもソージンは平然とした顔でドンイルの背中を小突く。商人が内心でどれだけびくついていたとしても、これが合図だと判らないはずがなかった。打ち合わせ通り、ソージンに代わって男に返答する。
「カ、カイリュウ一族の、ナバのハヤヒトだよぉ。早く同族の人を呼んできてくださいぃ。このままだと、わたし、殺されてしまうよぉ」
 怯えるネズミのように震える商人の言葉に目の前の男が大きく眼を見開き、改めてソージンの上から下までを舐めるように眺めた。彼もまた大陸東部に流れる“ナバのハヤヒト”の噂を知る一人なのだろう。
「ここを動くな! 今、中にいる一族の者に知らせてくる」
 同じシギナ人の特徴を持っていても地域ごとに微妙な特徴の差があるものだ。
 きびすを返して駆けていく男はシギナ西方系の目鼻立ちがはっきりした顔の特徴がある。シギナ東方系のソージンやチャザン人であるドンイルのように平坦な顔立ちとは真逆の系統だった。
「お前、役者になれるぞ、ドンイル。迫真の演技だ」
「ほ、ほとんど本気よぉ! 背中にハヤヒトさんの殺気がビシビシ刺さってるからねぇ。気を抜いたら本当に斬りかかられそうで生きた心地がしないよ」
 同じ東方人同士だが先ほどの男もドンイルもソージンもポラスニア語を話していた。大陸の要に位置するこの国は周辺国への影響も大きい。それゆえに暗黙の了解で東方では貿易時の共通語として学ぶ機会が多々あるのだ。
 もちろん他にも共通語とされている言語はあるが、この土地にいる以上、同国人だと確信が持てない限りは共通語で会話したほうが意志疎通が早い。
 と同時に他国の者同士の場合も近在の共通語を話すほうが面倒がないのだ。商いに関わる者ならば複数の共通語は理解しており、一年を通して母国語より他国語を話す時間のほうが長い、という者もざらである。
 物品の商いに関わることは少ないソージンだが、自身を傭兵として売り込むこともあり、大陸の東側から中央部の言語を学ばざるを得なかった。そのお陰で長年異国の地で暮らしいけるのであるが。
 短い物思いに耽りながらドンイルを促して玄関口へと近づいていくと、ソージンは奥から殺気が漂ってくることに気づいた。その気配がどんどん近づいてくる。どうやら頭に血が昇った輩がやってくるらしい。
 上っ面では意地の悪い笑みを浮かべるも、ソージンは内心苦虫を噛み潰したい気分でいた。殺意には慣れているが、今度ばかりは鬱陶しい相手である。
颯仁はやひとっ! そこを動くなぁっっ!』
 玄関から転がり出てきた男が背に負った太刀を抜き放つのが見えると同時に、ソージンはドンイルを脇に突き飛ばした。そのままボゥッと突っ立っていれば、この愚鈍な商人は相手の刃をまともに喰らっていただろう。
 耳障りな金属の擦り合いが数度続き、二人が同時に飛び退いた。見ればソージンも太刀を抜いているではないか。彼が背の太刀を抜いた動きはまったく見えなかったのだから、その素早さたるや驚嘆に値する。
彩之丞あやのじょう、相変わらず短気な奴だな。太刀筋も粗いぞ。そんな腕で俺を倒せると本気で思っているのか?』
 目を見開き、こちらを睨みつける相手の形相たるや凄まじい。視線で人が殺せる力があれば、アヤノジョウはまず間違いなくソージンを殺していたろう。
 地面に転がったドンイルが後ろ手に縛られたまま腰と足を使って後ずさっていた。斬り合いに巻き込まれまいと懸命だが、芋虫が這うより動きが鈍い。本人の必死さばかりが眼につき、それが滑稽にすら見えた。
『一族の面汚しめが! どの面下げて我らの前に現れたか!』
『その怒りを瀞蛾じょうがには見せぬことだ。奴はお前の言葉尻を捕まえて追い詰めるぞ』
 ソージンの言動が気に障ったのだろう。アヤノジョウが再び斬りかかった。白刃が風を切り裂く音が前庭に響く。軽々と相手の凶刃をかわしながら、ソージンはさりげなくドンイルがいる場所から離れてやった。
 アヤノジョウとの斬り合いの間にも建物内から多くの男たちが飛び出してくる。大多数は東方人だが、数人ほど大陸中央部の特徴を持つ者が混じっていた。家事を受け持っている女たちは奥にいるらしく姿は見えない。
 何人かは斬り合いを止めようと足を踏み出したが、素早く移動するソージンと悪鬼の形相で斬り込んでいくアヤノジョウの気迫にたたらを踏んだ。地面に転がる哀れな商人に注目する者は誰一人いなかった。
 アヤノジョウはソージンの動きについていくので精一杯らしい。最初こそ白刃同士が打ち合う独特の金属音が響いていたが、徐々に振り遅れて空振りする回数が増えていた。刃が大気を薙ぐ勢いだけは健在であるが。
 戸惑いが満ちる空気の中、アヤノジョウの殺気ばかりが脹れる。ソージンは冷静に相手の肩の動きや腰の揺れから数手先の動きまで読み切っていた。
 そろそろ斬り合いを終わらせてもよかろう。そう判断した次の瞬間だった。
 頭上から一直線に飛んでくる殺気に気づき、ソージンは一気にアヤノジョウとの間合いを詰めると、相手の懐に飛び込んで鋭く鳩尾を突き上げた。もちろん飛び込むと同時に太刀の向きを変え、柄頭で突いたのだが。
 息が出来ずに膝を折ったアヤノジョウを突き倒し、ソージンは頭上間近に襲い来る殺気へと太刀を振り上げ、その軌道を反らした。
 乾いた音を立てて大地に矢が突き刺さる。暗殺用に用いられるぶれの少ない短矢だと、ソージンには一瞥しただけで判った。長距離は飛ばないが近距離、弓手の腕によっては中距離までなら飛ばすことができる矢である。
 殺気が飛び出した元を振り仰げば、黒絹の髪をなびかせた娘が冷え冷えとした視線を投げ降ろしていた。手にした弓は髪の黒に負けぬ艶を持つ強弓である。娘の見た目は細いが大した剛力の持ち主だ。
花鷺はなさぎ、それほど兄を射殺したいか?』
 紛れもない本気の殺意が込められた矢と異母妹とを交互に見遣り、ソージンは口角を歪める。兄妹で戦う羽目になるのは厭なものだ。
『彩之丞もはやの兄者もいい加減にせぃ。喧嘩をするならよそでやれ。……誰ぞ、そこの商人を助けてやらぬか!』
 兄の問いをサラリと無視し、ハナサギが二階の窓から男たちに命じる。半数以上の男たちは不機嫌な顔でそっぽを向いたが、残りの男たちは慌ててドンイルに駆け寄り、腕を縛る縄を切ってやっていた。
 商人を助け起こした男たち全員に見覚えがある。十年の歳月が流れても昔の面差しは残っているものだ。懐かしい面々にソージンはふと表情を和ませたが、すぐに頬を引き締めて足許でえづいているアヤノジョウに手を伸ばす。
『触るな! 貴様なんぞに助けられたとは思わんぞ!』
 乱暴にソージンの手を払いのけ、よろけながら立ち上がったアヤノジョウがキッと二階の窓を睨み上げた。
『儂まで殺す気か、花鷺!』
『あなたも兄者も避けられたでしょう? もし当たったとしても、その程度の矢を避けられないほうが悪い。それなら死んだほうがマシではなくて?』
 妹の辛辣な口調は十年の間に磨きがかかったらしい。声を詰まらせ、喉をグルグルと唸らせるアヤノジョウに少しだけ同情し、ソージンは肩をすくめた。
『兄者、手持ちの人質を手放してしまって良かったのかしら?』
『なに、あいつはただの行きがけの駄賃だ。いてもいなくても同じこと。こちらの本当の用事は一人で充分。……よって、これより先は手加減なしだ!』
 稲妻のような素早さでソージンが傍らのアヤノジョウを殴り飛ばす。不意打ちに避けきれず、もんどり打って大地に叩きつけられた相手が痛みに動けないのを確認する間もなく、手近な男たちを次々に叩き伏せていった。
 素手で殴るだけに収まらない。残りの手に握る太刀も易々と振り回し、流れるような動きで峰打ちにしていった。
 応戦しようと数人の男たちがソージンを取り囲むが、包囲網が完成する前に足をすくわれ、顎を蹴り上げられ、脇腹を薙ぎ払われて動きを封じられる。
「おれを止めたい奴は前へ出ろ! 遠慮なく相手になってやる!」
 もうこうなるとソージンの独壇場だった。得物を手にして館から飛び出してくる連中も悪賢い狼のように巧みに動く侵入者を捕らえられずにいる。これでは二階から弓を引こうにも狙いが定まるまい。
『はぁやぁひぃとぉぉっ! てめぇ、よくもやりやがったなぁっ!』
 まだ身体が痛むだろうに脂汗を流しながら立ち上がったアヤノジョウがふらふらと太刀を構えた。しかし切っ先が安定せず、構えているのがやっとの様子。これでは戦いの場では役に立たない。
 さらに建物内から男たちが飛び出してきた。総勢二十人ほどになろうか。ほとんどが東方人で、懐かしい東方の武器を手にソージンへと襲いかかった。
「貴様ら、手を出すな。こいつは儂の獲物だっ!」
 アヤノジョウがポラスニア語で喚くが周囲は誰も聞いていない。役に立たない男は邪魔だと言わんばかりだ。ふらつき、尻餅をついたアヤノジョウが大きく顔を歪める。もしや先ほど転がったときにあばらを折ったか。
『お前邪魔。よそに行け、彩之丞! ……そぉら、お前ら、もう終わりか?』
『な、なんだとっ! てめぇこそ、この人数を相手に無事で済むと思うなよ』
 ソージンが憎まれ口を叩けばアヤノジョウからも同じく罵声が返ってきた。故郷の言葉での会話の応酬はすっかり訛りが出て乱暴この上ない。
 これだけの人数が集まっても侵入者を捕まえられない。振り回されている間に一人減り、二人減り、三人減りと数を減らし、ついには片手で数えられるほどの者だけが取り残された。その者らにしても無傷の者など誰一人いない。
「口ほどにもない。お前たちの親玉を出せ。奴は屋敷の奥に隠れて震えているだけか? それとも朝っぱらから酒でも飲んで使いものにならないのか?」
 ソージンの挑発に顔をしかめる者もいたが、残った者たちは怯えた様子で侵入者を遠巻きにした。下手に近寄れば次に地面と懇ろにされるのは自分である。口だけ元気なのは胸を押さえて立つアヤノジョウだけだ。
『て、めぇっ! よくも……。故郷の奴らにも、手加減なしかよ!』
 どうも本当に肋骨が折れたらしい。アヤノジョウの顔色は真っ青だった。
『初めに突っかかってきたのはそっちだ。手加減されたきゃ可愛げのある態度でも取れ。ま、男にシナ作られても気色悪いだけ──ッ!?』
 再び頭上から襲ってきた殺気にソージンは飛び退く。今まで自分が立っていた地面に短矢が突き立った。またハナサギか、と頭上を振り返ろうとして、さらに殺気が複数飛び込んでくるのを感じ取る。
 考える間もなく身体が動いた。何度か身体を捻り、飛んでくる殺気をかわしていくが、どの矢も紙一重の危うさで身体の脇をかすめていく。
 恐ろしく正確な腕前だ。ハナサギはいつの間にこれほど上達したのだろう。
 連射が終わった隙にソージンは二階を見上げた。異母妹に一言言ってやろうと思ったのだが、そこにもう一人の人物を認め、眉間に深い皺を寄せる。妹が手にしていた弓を奪って今の連射を仕掛けてきたのは、炎姫公の甥と供にこの国にやってきたとかいうキッショーボーだった。
「随分と派手な登場ですね、ナバのハヤヒト。我々に何用でしょう?」
 嫣然と微笑む様は男にしておくには惜しい代物である。決して女々しい外見ではないのに、窓辺に佇むキッショーボーの容姿には奇妙な色気があった。人を惑わす色だ。そう思えば、初めて逢ったときの違和感にも納得できた。
 王宮で逢ったとき、滑らかで無駄のない動きをする男だと思ったが、どうやら相当な武道を身につけているのではなかろうか。一見しただけではそうと判断できない辺りが非常に胡散臭かった。
「おれに用があるのはそっちだと思ったがな?」
 太刀を背の鞘に仕舞い、ソージンは油断なく二階の人物を睨む。仕舞い込んだとはいえ、太刀をいつでも抜けるよう手足の先まで神経を張り巡らせた。そして場合によっては両手足を一瞬で最大限に使う心の準備も。
「我々が? どうしてそう思うんです?」
「用がなければ黒帆船が出航していようがいまいがお前には関係ないだろうが。おれの反応を見るためだけに話を振ったくせに用がないなどと片腹痛い」
 世間話のつもりで話をしたように装っていたが、あれは明らかにこちらへの関心があったから話を振った気配があった。だからこそ、あの場では興味を示すような態度を出さずに済ませたのである。
 その後、積極的に接触してこなかったので忘れていたが、どうやら水面下で他の者らにソージンの周囲を探らせていたらしい。でなければ、ジャムシードに関係する女たちや炎姫家の姫に手を出すとは思えなかった。
「大陸東部ではあなたは有名ですからね。本人に直接逢える機会があれば、多少の世間話くらいはしたいと思うのが当然でしょう。その折に故郷の情報を差し上げたとて、なんの不思議がありましょう?」
 左手に携えた弓の弦を右手親指の腹でゆっくりとさすりながら、ニッコリと微笑みを浮かべた相手の表情が作り物めいて見える。
「おれが有名だと知っているのなら、おれ自身に関する噂も多数知っているだろう。であれば、おれが故郷の情報を積極的には集めていない、という噂も知っていて当然だ。それでなお話を振ってくるとなれば、それは低俗な好奇心ではなく、おれ自身に用があるからだと思わざるを得ないな」
 キッショーボーの微笑みにはヒビ一つ入らなかった。完璧に内心を隠し仰せている男の殻を割るのは難しい。ソージンは男の隣に立つ異母妹を同時に観察し、相手の手の内を読もうとした。が、こちらも同じくらい難しそうである。
「面白い人だ。しかし、こちらに用があってもなくても、あなたはここに乗り込んできたのではないですか?」
 どうしてやろうかと考えあぐねる間もなく、相手から話を振ってくるとは思わなかった。いや、故郷の連中を抱えている以上、隠し立ては不可能だと判断したに違いない。己が何者に連なるのかは、ここにハナサギやアヤノジョウらがいる以上、誤魔化しようがなかった。
「もちろん。そちらの期待通りに出向いてきてやったぞ。そろそろ化けの皮を脱いだらどうだ。もういい加減におれの周囲にちょっかいを出すのは止めて、おれ自身と対峙する頃合いだろうが」
「面倒事はご免だというお話はよく判りますよ。つまらないことで足を取られるくらいなら余計なことは放り出すに限りますから。ですが、あなたの何に手出ししたと仰っているのか見当がつきませんね」
 あくまでものらりくらりとはぐらかす気か。苛立ちにソージンは内心で歯噛みした。がしかし、それを相手に悟られては足許を見られるだけである。奥歯をきつく噛み締め、湧き上がってきた怒りを抑え込んだ。
 今この場にいるのは仇を討ち果たすためではない。本心では殺してやりたいと願っていても、今は雇い主のために動くことが最優先されるのだ。
 館の裏側では今頃ジャムシードたちが炎姫公女やイコン族たちを救出しているはずである。その時間稼ぎのために表で騒ぎを起こしているのだ。それを忘れて自身の復讐にのめり込めば共倒れになってしまう。
 あぁ、だがしかし。ここで引くには中途半端だ。まして無理に押し入っても後々面倒なことになる。今のところソージンはアヤノジョウらに喧嘩を売られた立場にいるが、招かれもしないのに建物内に足を踏み入れれば立場は逆転してしまうのだ。なんという危うい立場にいることか。
「お前たちがおれの周囲を騒がしていない、そんなことは知らぬというのなら、明確に否定できる材料があるのだろうな? もしないのであれば、疑いは晴らすことはできないぞ。その場合……」
 ソージンはキッショーボーの傍らに立つハナサギがチラリと視線を動かしたのを見逃さなかった。キッショーボーに集中していた視界を引き、その周囲を視界端で確認した彼は、何者かが蠢く影を捉える。
 なんの躊躇もなくソージンは真後ろへと飛び、蠢く影の動作に身構えた。
 黒い塊が頭上から降り注ぐ。放物線を描いて飛んでくる物体からきな臭さを感じ、ソージンは人のいない場所まで転がった。その勢いのまま立ち上がり、背の太刀を抜き放ったと同時に、耳を聾する爆発音が響き渡った。
 目眩ましや狼煙で使う焔硝えんしょうだ。きな臭かったのはこの匂いか。
 焔硝は火薬である。後世になると戦いに導入され、さらに花火に使われる火薬として知られるようになるが、この時代にはまだ武器に用いられる前の段階だった。とはいえ、人の世が戦いの世であることを思えば、火器類として戦史に登場するのも時間の問題であろう。
 ソージンは片手で口許を塞ぎ、爆風で巻き起こった土煙の間を透かし見た。
 人の背丈の二倍以上は舞い上がった煙が完全に視界を遮ってしまっている。この状況で斬り合いになると相手方は同士討ちになりかねないだろう。腕に覚えのある者だけが人の気配だけを頼りに斬りかかってくるはずだ。
 少し離れたところで激しく咳き込む気配がする。たぶんアヤノジョウだ。骨折の痛みで動けず、まともに煙を吸い込んでしまったらしい。
 命を奪わずに動きを封じるためにわざと肋骨を狙って突き飛ばしたのはソージンだ。こんな状況になるとは思わなかったが、彼の動きを封じておいて正解だった。でなければ、アヤノジョウは後先考えずに斬り込んできただろう。
『悪く思うなよ、彩之丞。などと言っても許してはもらえんか。どうせ俺がやることすべてにケチをつけねば気に食わないようだからな』
 独りごちている間に煙が薄くなってきた。もし館に押し入る気なら爆発の直後に建物内に駆け込んでいるべきである。が、時間稼ぎのために乗り込んだ身としては下手に相手を刺激することは躊躇われた。
『詫びる気がないのでしたら彼を黒帆船まで連れていってください』
 突風のように煙が押し寄せ、その隙間から一人の少年が飛び出してくる。太刀の中でも細身の部類に入る刃を振り回し、少年がソージンに肉薄した。用心していたとはいえ、相手が誰かを悟ってソージンに一瞬動揺が走る。
矢鷹やたか! 焔硝を放り投げたのはお前か!』
『そうです。花鷺さまのご命令でしたので。……ほら、馬車を動かす音が聞こえるでしょう? すぐにでも出立して逃げる気ですよ』
 打ち合いっていても相手の白刃に重みがなかった。身軽な少年の動きは素早いが、斬り結ぶ刃に殺気はほとんど宿っていない。
 こちらも時間稼ぎなら相手も時間稼ぎか。これでは狐と狸の化かし合いだ。
 がしかし、ソージンのほうは館に潜入している仲間から相手側の注意を反らすのが目的である以上、逃げ出すときの人質を確保されては面倒だった。
『俺を仕留めるより人さらいを優先するということか。であれば、遠慮なく館に足を踏み入れさせてもらおう!』
 ガッチリと刃同士が噛み合い、太刀の力押しで相手を押さえ込む。妙な力を入れたら刀身が折れてしまうが、そこは長年の経験と勘が物を言った。
『花鷺を連れて逃げろ。今なら黒帆船に逃げ込めるのだろう?』
『無茶を言わないでください。花鷺さまを連れて逃げたら瀞蛾に捕まっている他の者が見せしめに殺されます。あなたが奪い返しに来てください。それまでは花鷺さまをお側で守らせていただきます』
 ソージンは小さく舌打ちし、太刀に込めていた力を脇へと逃がした。均衡が急に崩れ、ヤタカがよろける。その動きを見透かし、ソージンは少年の背を突き飛ばした。地面に転がる若者には目もくれず、彼は館に向かって走り出した。
『颯仁さま、上階の者はすでに助け出されました。仲間と合流するならお早く』
 背後から聞こえる少年の声に振り返ることはしない。ようやく晴れてきた煙の間から見えた二階の窓には人影はなかった。キッショーボーもハナサギも逃げるために行動しているのであれば、一階のどこかで鉢合わせるだろう。
 それは同時に仲間も彼らとかち合う可能性を示していた。人質を連れた状態で戦うことになれば、ジャムシードたちは圧倒的に不利になる。助勢に向かわねばならない。一刻の猶予もなかった。
 それにしてもハナサギの手回しの良さには舌を巻く。十年逢わない間に異母妹は一人前の策士になってしまったようだ。
 彼女の策士ぶりをジョーガが知らないことを祈るしかない。でなければ、あの腹黒い仇は妹の知恵を使ってソージン捕獲に乗り出すに違いない。そうなっては、仇に太刀打ちできる機会は格段に減ってしまう。
 駆け込んだ建物の奥では飯炊き女たちが右往左往していた。彼女らは何が起こっているのか理解できていないらしい。それを放っておき、ソージンは薄暗い廊下奥でもつれ合う人影に向かって一直線に突進する。
「ジャムシード! そこをどけぇい!」
 故郷の荒ぶる山に棲む修羅神の如く、ソージンは愛刀を高々と振り上げた。