混沌と黎明の横顔

第16章:惑える焔《ほむら》の下 3

 床に額をこすりつけて固まっている相手を足許に見おろし、ラシュ・ナムルはそっとため息を吐きだした。なんというか、これでは自分が悪人に見える。
「エッラ。いい加減に頭を上げないか」
「いいえ、ラシュ・ナムル閣下。そういうわけにはいきません。ご令嬢を誘拐されたのは、元はといえば我が身の不手際。厳しいお沙汰をいただくまでは、この場を動くわけには参りません!」
「いや、だからな。お前の不手際の前に、あの子が言いつけを守らなかったという問題があるだろうが。それに、あの場所の警備を手薄にするよう命じたのは私自身だ。小さな誤差がこの事態を招いただけのことで罰する必要は……」
「それでは周囲の者に示しがつきませんし、殺されたあの者の遺族にどう言い訳をしたらよいのですか! 愚かな下僕に罰をお与え下さい!」
 今度こそ隠しもせずに大きくため息をつくと、水姫公は朝日が差し込む窓を見つめた。その先にある庭からざわめきが届く。侵入者に殺された召使いの遺体が運び出されているところだ。間もなく作業も終わるだろう。
「それほどに罰を与えて欲しいのか、エッラ」
「もちろんです。どうか厳しく……」
「判った。では、お前にしか出来ないことをさせよう」
 その場を離れ、ナムルは執務机に近寄った。腰に下げた鍵束から一つ、使い込んだ真鍮の鍵を取り出すと、一番上の引き出しの鍵穴に差し込む。僅かな抵抗の後に、鍵が外れる音が外の喧噪以上に大きく聞こえた。
「娘を拉致していった者の素性は判っている。向かう先もだ。こうも簡単に娘を連れ出せたことに相手が不信感を抱いてもらっては困る。お前には奴を徹底的に追い回してもらおう。そして、生死に関わりなく娘を連れ帰れ」
 勢い良く身を起こした若者が真剣な眼差しで主人を見上げる。まるで忠犬が飼い主の意向を読み取ろうとしているかのような無垢な瞳だった。
「警備を手薄にさせたのは私だと言っただろう? 奴が屋敷に忍び込めるようにしたのが仇になったな。よもやあの子が言いつけを破って、よりにもよってあの小径を通るとは思いもしなかった。甘やかしすぎたかな」
「自分の不始末は自分でつけろということですね?」
 ナムルは複雑な表情をし、曖昧に頷いた。
「お前がそれで納得するのならな。だが私の世話係がいなくなってしまったぞ」
 引き出しから引っぱり出した書類の数々に素早く目を通し、必要な事項を書き加えながらナムルは不満をぶちまける。
「私が毎日飲む香茶は誰が淹れてくれるのだ? 毎朝もつれている髪を梳かすのは? 寝酒は誰に作らせたらいい? 疲れたときに誰が蜜菓子プムランを用意してくれるというのだ? 私が言い出す前にすべて整えられる者はお前以外にいないだろうが」
「ナムル様……」
「それでも、お前が納得するというのなら行くがいい。お前は言い出したら聞きはしないからな。必ず戻ってくることを前提にして書類を作ってやる」
 一通り書類を作り終わると、不備がないことを確認し、ナムルはまだ床に座り込んだままのエッラを差し招いた。
「ここにお前の名前を書き加えろ。王国内の通行を許可してあるし、ルネレー公国に入ってからも我が国寄りの者には効力を発揮するだろう。敵側の者には逆効果になりかねないが、大多数の者はお前にそうそう手出しできぬ」
 手にした書面を覗き込んだエッラが顔色を変え、慌てて書類を机に戻す。
「水姫公閣下! これはいったいなんの冗談ですか!?」
「冗談なものか。お前の身分を保証する書類を作っただけだ」
「なっ!? ば、ばかなっ! これは間違ってます!」
 ラシュ・ナムルは悠然と書類に手を伸ばし、嫌味なほどゆったりとした仕草で書面を眺めた。その姿だけなら絵画にでもなろうが、眺めている書類の内容はとんでもない代物だったのである。
「“この証明書を所有する者をポラスニア王国ハスハー地藩に属する水姫家の者と認め、待遇を地藩主の家族相当とすることを命ずる。大公ラシュ・ナムル・ウリアディ=オルジェン”……はて、どこにも不備はないが?」
「お、王族の血筋でもない者に地藩主の身内に相当する待遇を授けるとはどういうことですか! 閣下は何を考えておられるのです!」
 顔を真っ赤にして叫ぶ若者を見つめ、ナムルは曖昧な笑みを浮かべた。大公の内心はどうであれ、エッラには驚天動地の大事件であろう。
「この書類が受け取れぬとあれば出発を許すわけにはいかんな。私の許可を得て行きたいのであれば受けることだ。これで王国中どこでも行きたい放題だぞ。何を迷う? 我が娘を連れ戻してくれるのだろうが」
 主人の許可は得たい。しかし受け取る証明書は身分不相応で腰が退ける。エッラの思いはそういったところだろう。ナムルには相手の内心が判っていたが、若者が望むような手助けをしてやる気はなかった。
 葛藤に眼を白黒させて立ち尽くすエッラを、ナムルは辛抱強く待ち続ける。
「閣下。王族に相当する身分などいただかなくともイヴ姫は必ず連れ戻します。ですから、このような真似はおやめください」
 動揺でゆらゆらと視線が揺れる若者の淡い空色の瞳を凝視し、水姫公は口角に皮肉ともとれる笑みを刻んだ。随分と意地の悪い笑みである。
「お前の身分をどうするか決めるのは私だ。指図される覚えはないぞ」
「いくらなんでも横暴です! このような前例はありませんよ」
「前例がないなら作ればいい。何を怯えているのだ。お前らしくもない。いつもの偉そうな態度はどうした。もっと堂々としておれ」
「それとこれとは違います! 何を考えていらっしゃるのですか!」
 裏返った声で叫ぶエッラを見ているといっそう虐めてやりたくなった。が、それを実行してしまえば、後々で倍返しにされそうである。仕える主人にも報復を怠らない若者の性格を考えれば、あまり追い詰めてはまずかろう。
「エッラ。あまり大袈裟に考えるな。お前にやってもらうのは囮なのだ。表で派手に動き回っているのを敵方に知らせている間に、裏方の者どもが動くよう手筈を整える。その程度のことなのだよ」
 口を半開きにして呆気に取られているエッラの顔はどことなく幼さを感じさせた。とうに成年を迎えているが、末っ子の甘えか、あるいは顔の作りのせいか、いつまでも子どもの表情が抜けない若者である。
「これで安心したか? 判ったなら書類に署名して身支度を整えよ」
 少し緊張が抜けたらしく、エッラは改めて書類を手にし、内容を読み返した。そんな若者の姿を楽しげに見守りながら、ナムルは頭の中で地図を広げ、娘を連れ去った輩をどうやってルネレー公国に放り込むか考えていた。
「本当にここまで大袈裟な身分が必要なのでしょうか?」
 まだ納得しきれていないエッラが不安げな声を上げる。その声音にナムルは思わず苦笑を漏らしたが、すぐに真顔になって頷いた。
「私の代理としてルネレーに行くのだ。ちゃちな身分の者では困る。さりとて本当に私の身内を使者に出したのでは阿呆ばかりで役立たずだからな」
 身内を容赦なくこき下ろす大公の言葉を、エッラは曖昧な表情で聞き流す。そんなことはないと否定するには根拠がなく、また本当のことだからと肯首するには不敬すぎた。それゆえに、この手の話題は聞き流すに限る。
 ナムルも判っているからこその愚痴であり、身内に対する嫌味でもあった。エッラなら余計な追従などせず、そうかと言って諫めもしない。
「さて、エッラ。そろそろ覚悟は決まったか? この役どころを引き受けてくれるのだろうな? お前は自身の口で役に立つと言ったのだから」
 厭だとは言えまい。厳しい罰を与えてくれと言い出したのはエッラ自身だ。まして今回の任務は主人の養女を連れ戻しに行くというものである。たとえそれが彼女の故郷からの奪取であったとしても、だ。
 エッラの喉が鳴る。虚空を彷徨った彼の視線が天井と窓とを往復した。肘をつき、口許を覆い隠してその様子を眺めていたナムルがうっすらと微笑む。
「身分を偽るなど畏れ多いことですが、閣下のご命令とあらば従います。以後のご指示、なんなりとお命じください」
 予測した通りの返事に大公はいよいよ眼を細め、頷いた。日頃、肝の据わった態度でナムルの世話を焼く若者とは思えぬ緊張に決意の大きさが見える。
「よかろう。では退室後の指示を出す。一度しか言わぬからしかと聞け」
 従僕を間近まで招き寄せると、水姫公はその耳元にひそひそと囁きかけた。
 眼を見開いたり、頬を強張らせたり、呆気に取られたり、目の前の表情が目まぐるしく変わる。それを観察しながらナムルは冷笑を口許に刻んだ。
「また随分と残酷な真似をなさいますね、ナムル様」
「そうでもないだろう。初めに娘を我が国に放り出したのはあちらだ。それを拾い上げ、きちんとした教育までしたのだぞ。奴に返してやる義理などないな。あれは私が手に入れたのだ。私が望む通りに使うさ」
 冷笑を浮かべる大公の態度にエッラが戸惑う。
「姫をただの道具になさいますか。あの方は無邪気なばかりの……」
「女を甘く見るな、エッラ。あの子はあの歳できちんと計算しているよ。己の容姿がもたらす効果も、自身の野心も。だからこそ私の娘になったのだ」
 いよいよ困惑を深める若者の表情に今度こそ声を出して笑い、水姫公は書類に署名するよう促した。主人の言葉に従い書面に目を落とす若者の横顔を、ラシュ・ナムルは注意深く、しかしひっそりと見守ったのだった。




 家令パレに起こされたとき、彼は内心では不機嫌だった。がしかし、従僕の前でその機嫌の悪さを見せることはなく、淡々と何喰わぬ顔で訪問者を迎えたのである。
「朝早くからご苦労なことだな、ドルスターリ。主人を叩き起こすほどの、どんな一大事が起こったというのだ?」
 嫌味混じりの労いが吐き出されなければ、外見上で彼の内心を垣間見る機会は訪れなかっただろう。それほど巧みに彼は上っ面を偽ることができた。
「つい今し方、北と足許からひとつずつ知らせが届きました。炎姫公閣下はまずどちらをお聞きになりたいですか?」
 床に跪いたままの姿勢でドルスターリが大公を窺う。主人の嫌味に怯んだ様子もなく、彼自身も主人同様に淡々とした態度であった。
「どちらのほうが悪い知らせなのだ?」
「どちらも大差はありませんが、緊急性の高さは足許の知らせでしょう」
 夜着の上から羽織ったガウンの皺をさりげなく伸ばしながら、アジル・ハイラーは舌打ちしたいのをグッとこらえた。不機嫌が苛立ちに取って代わっただけで、内心の平穏はしばらく訪れそうもない。
 話せ、と短く命じ、炎姫公はベッドの脇卓に歩み寄った。そこに置かれた水差しから温くなった水を深杯に注いで一息に飲み干す。起き抜けの水が身体中に染み渡っていくのが感じられた。だが温い水の味はいまいちである。
「フォレイア姫がジノン卿に連れ出され、ある屋敷に入ったまま出てこないそうです。どうやら監禁されているらしく、王太子の巡検使が救出に向かっています。助勢の要請はありませんが誰かを差し向けますか?」
「いらん! 放っておけ」
 勢いよく杯を卓に戻すと、卓の表面が耳障りな悲鳴を上げた。高価なガラス製の深杯の底を縁取る黄金の装飾が眼にも眩しい逸品だが、今は赤朴ヌアバ樹の卓と互いを傷つけ合う凶器でしかない。
「もうひとつの知らせは? ろくでもない内容だったら許さんぞ」
 言外に娘の拉致をろくでもないと言ってのけ、炎姫公は再び水を杯に注いだ。
「北方でかなりの量の物資が行き交っています。東方人の商隊が常よりも活発に動いているようです。その商隊とジノン卿とつき合いがある東方人が関わっているらしいとの情報が入ってきました」
 深杯を口許まで持っていったものの、大公はそのまま動きを止めて部下の顔を睨みつけた。しかし、その視線に力がない。目の前の相手を見ているのではなく、自身の考えに沈んでいるらしかった。
「ジノンがこの国に連れてきた奴だな。確か名を……」
「キッショーボー。黒髪に黒目が多い東方人の中では珍しい、浅葱色の瞳の持ち主です。以前から巡検使のソージンや王侯貴族の周囲を嗅ぎ回っていますが、ここのところは特にドロッギス地藩と我がタシュタン地藩で良からぬ動きを見せています。何人もの貴族が彼の手先に懐柔されているようですね」
 東方人の名は妙な共通項があるようでいて、そうでないようで、なんとも覚えにくい。王太子の巡検使に収まった異邦人も本来の名は別にあるというが、発音がしづらいとかで異音で名乗っていると聞いた。
 その覚えにくい名をサラリと言えるドルスターリの言語能力が優れているのか、あるいは今までの調査で深く関わってきたからこそなのかは炎姫公でも判断がつきかねた。主人同様にこの男も内心を隠すのが上手い。
「つまり、あれがさらわれたことと良からぬ輩の不穏な動きは連動している、とも考えられるわけだな。少なくとも、お前はそう思っている」
 いつの間にか手にした深杯を卓上に戻し、アジル・ハイラーは腕組みをして考え込んでいた。しかも貴族にしては行儀の悪い仕草で卓に腰までかけている。ところが、その姿ですら彼がやると様になるのだった。
「ご賢察の通りで。閣下が甥御殿を退けられた後に王都でも東方人の商人が急な動きを見せています。北方の荷動きと絡めても無視はできません」
「王都と海都ゲランにいる東方人の商人の大多数をどれくらいの期間なら抑えられる?」
「不可能に近い。それが出来るのは王家だけです。閣下もお判りでしょうに」
 判ってはいた。だが少しでも可能性はないかと考えてしまうのが人間である。
 嘆息し、卓から腰を上げると、炎姫公は家令が開けていった窓辺に寄り、朝の空気を胸一杯に吸い込んだ。乾期に入ったばかりの風はまだどことなく冷たい。雨期の切れるような鋭さこそ失ったが、夜着のままでは肌寒かった。
 甥が得体の知れない商人とつるんでいるのを知りながら娘や王家に知らせなかったのは自身の失態である。そのツケを払わねばなるまい。
「北方の商隊は他には誰と接触している?」
「初めは少数民族と接触していたようですが、その後は砂漠と海都近在の農民、王国北国境線の地方領主らを相手に。ただ商隊の荷物すべてが売買に回っているようには見えないとの報告が来ており、商売は隠れ蓑かと思われます」
「北の国境線沿いとタシュタン地藩の北半分か。どこぞの勢力が我が国に手出しをしてきているようにしか見えぬな」
 窓辺から振り返れば、ドルスターリが跪いたままこちらを凝視していた。
「荷は薬草類や絹の他に何を持ってきているか判るか?」
「そこまで調べが至っていません。薬草類や絹を扱っているので雨期の間は動きが鈍かったのですが、乾期に入ってからはこまめに動き回っています」
「あれが連れ去られた以上こちらに時間はない、か。連れ込まれた館はどこだ」
 大公が娘の身に言及したことに安堵しか、ドルスターリの無表情が和らぐ。
「知らせではドロッギス地藩の……」
「いい。それだけ聞けば充分だ」
 地藩名を聞いただけで部下の報告を遮る大公の態度に、ドルスターリの顔が僅かに曇った。その微妙な変化すらアジル・ハイラーは気づいていたが、アッサリと無視し、再び自分の考えの底へと沈んでいく。
「あの腰抜けのバカ貴族縁の者なら操りやすいと見抜いたか。やっつけ仕事にしては目利きの者が集まっているらしいな」
 顎髭を撫で、ひとしきり考え込んでいた炎姫公が顔を上げた。
「砂漠の要を手にしておかねばならん。ジャムシードとイコン族の者どもを官庁のほうへ呼べ。私もすぐに出向く」
「閣下。実は拉致されたのはフォレイア姫ばかりではありません。詳しい事情は伝わってきていませんが、イコン族の者もまたさらわれたと……」
 強張った声で返すドルスターリの青ざめた顔を、アジル・ハイラーは刺すような視線で睨みつけた。先ほどの表情など目ではない形相である。
「なぜ初めに連絡しない? こちらのほうが重要であろうが!」
「どうしてです。フォレイア姫はあなたの娘。イコン族がさらわれたと聞けば顔色を変えるあなたが、なぜ娘のことになると態度が違うのですか?」
「娘がジノンに連れていかれたのは自業自得であろう。だがイコン族の者となればそうではあるまい。彼らは結束の強い一族だぞ。ましてファタナ砂漠は我が地藩にとっては重要な位置にある。それを考えれば……」
「アジル・ハイラー! あなたは、本気でそう、思っているのですかッ!?」
 主人を呼び捨てるドルスターリが声を引きつらせ、喉を詰まらせながら叫んだ。顔は古びた羊皮紙のように黒ずんでいる。これまで無表情を保ってきたものが殻が割れるが如く失われ、まったく別の表情を見せた。
「あなたは変わられた! 二十年以上も前に。奥方様が亡くなったあのときから、あなたはまったくの別人だ! なぜです? どうして実の娘に、フォレイア姫にだけそうも冷淡になれるのですか!」
 激昂するドルスターリの声が部屋の外に響いたらしい。何事かと家令が飛んできたが、大公と腹心のただならぬ様子におろおろと立ち尽くすばかりだった。
 空恐ろしいほど重い沈黙が部屋の空気を凍りつかせていた。呼吸すら難しい雰囲気に家令が喘ぐ。それでも空気が足りず、彼は眩暈を起こしてよろけた。
「やはりフィオナが拾ってきた子だな。頑迷なことだ」
 再び叫びだしそうな部下を制し、炎姫公は家令を見遣った。問題ないから下がれ、と素っ気ない口調で命じれば家令は転がるようにして姿を消した。
「私の秘密を知って、どうしようというのだ、ドルスターリ? お前が抱え込んでも何も出来はしないのだぞ。むしろ身動きが取れなくなるばかりだ」
 ギリギリと歯を食いしばる男の表情と対極にある穏やかな態度で大公が問いかける。微笑んでいるかと思えるほどの優しげな声音であった。
 だからこそ長年仕えるドルスターリには判ったのかもしれない。静かな声の裏側にある、凶暴なほど冷え切った大公の内心に。触れるものすべてを切り裂き、凍てつかせてしまいかねない、深くくらい絶望に。
 相手の表情が緩やかに変化するのを、暗い瞳で見守った。驚き、戸惑い、嘆き、そして怖れへと変じた後、ぎこちなく視線を反らされる。予想通りだ。
「私の闇に触れるな。この暴れ馬を抑えられる者は、もう、いないのだ」
 強張ったドルスターリの横顔から目を反らし、大公は窓の外を振り返る。町並みの上に薄い色の雲が乾期の蒼穹を流れていく様子が見えた。
 刻々と世界は時を刻むが、自分の心は遙か過去に置き去りにされたままだ。枝分かれした辻の前で途方暮れるのはこんな気分かもしれない。
「陰ながらでいい。助勢を出しておけ。イコン族を失うわけにはいかんのだ」
 ドルスターリが弾かれたように振り向いたのが判った。が、炎姫公はそれにすら興味を示さず、再び歩み寄った窓辺で空を見上げていた。