混沌と黎明の横顔

第15章:朱く冷たい月の声 6

 これほどに冷徹な表情をしたジャムシードをガイアシュは見たことがなかった。それを周囲の大人たちに話したなら、彼らは以前にもあったと教えてくれたかもしれない。わずか数ヶ月前の大族長の天幕での出来事を。
 だが生憎と成年を迎えていなかった少年は大族長の天幕に招かれることもなく、かつての騒動を伝聞でしか知らないのだ。大人たちに聞いたところで実際に目にした今回の驚きを上回るとは思えない。
 そうして場の緊迫感から無駄口を叩くこともなかった彼に、過去のジャムシードの姿を知る機会は訪れなかった。
「では配置は覚えたな。皆、自分のやるべきことをしてくれ」
「しかし……。ジャムシード、これではお前一人に負担がかかる。やはり館に潜入するならもう一人くらいいたほうがいいのでは?」
 父親のクィービが懸念するのも判る。ガイアシュのように経験が浅い者から見ても、この配置は歪に見えた。館から逃げ出す者を包囲するためにイコン族の面々が各方面の辻に潜伏するのはいいとして、館にいる者を追い出す役割を担うのがジャムシードと彼の友人だという異邦人だけとは。
「これで充分だ。下手に人数を増やすと潜入する前に気取られる。俺もソージンも身軽だし、中にジューザがいて、彼が負傷していなければ即戦力になる」
 先ほど何度も同じやり取りが言葉を変えて繰り返されていた。そのたびにジャムシードは男たちの心配を退け、自分と異邦人の二人だけで館へと忍び込むと言い張るのである。居合わせた面々の顔には諦めが漂っていた。
 ガイアシュも周囲の大人たち同様にジャムシードの無謀とも言える考えに異を唱えたかった。が、別の案を出すほどの知恵もなく、周囲の大人たちを掻き分けて主張すれば「生意気だ」と一蹴されるのが落ちだった。
「それじゃ行くぞ。……ロ・ドンイル。伝えたように動けるな? あんたの働き次第では稼ぎは格段に変わってくるぞ。気を抜かないでやりきることだ」
「わ、判ってるねぇ。ここにきてヘマしたんじゃシャレにならないよぅ」
 へどもどとした態度の商人にガイアシュは苛立ちを感じずにはいられない。どうしてジャムシードはこんな胡散臭い男を使うのか。敵側の人間を信用しすぎて彼が窮地に陥らなければいいのだが。
 その不安すらジャムシードは退けてしまった。大人たちは不満を呑み込み、不承不承ながら彼の指示に従っているのである。
 ガイアシュは周囲の大人たちを見回し、見慣れない格好にひっそりと苦笑を浮かべた。イコン族の男たちは王都に出てきても民族衣装を脱ごうとはしなかったのだが、ここに来て都民に見えるよう変装している。
 頑なに一族の誇りを貫こうとする者たちを説得したのもジャムシードだった。己の矜持だけで女たちを救えるつもりか、と睨みを利かせたときの彼の形相は王都でジューザと再会したときに言い争ったとき同様に険しかった。
 あのときの頑迷ぶりを思い出したからか、それとも緊急事態だと納得したのか、はたまた常に指示を出す部族長がいないからなのか、大人の事情は判らないが、男たちが用意された衣装に着替える姿は一見の価値はあった。
 無事に事が済んで砂漠に戻れたなら皆に吹聴したいところだが、そんな真似をすれば半年は終日羊番を命じられるだろう。やめておくが賢明か。
 周囲の悲壮感とは裏腹に少年自身はすこぶる落ち着いていた。守るべき者が奪われ、誰もがいきり立ち、嘆き、焦りに駆られているというのに、自分はどうしてしまったのだろうかとも思ったが、よくよく心に訊ねてみれば、なんのことはない、ジャムシードがいるからだと気づいた。
 彼なら絶対に女たちを取り戻してくれる。そのために出される指示に不適切なものなどあるはずがない。如何なる事態に陥ろうと、彼なら大丈夫だ。
 そう信じるに足るだけの行動を今までに示してくれていた。
 砂漠での騒ぎのときにも、きっと彼は部族のために働いたはずである。他の部族は彼のことを悪し様に罵っていたが青の部族だけは彼を非難する声が極端に小さいのだ。それを考え合わせれば彼が無能であるはずがない。
 館の裏口から通りに出ると、ガイアシュはジャムシードと供に異国の商人の後ろを歩いた。身体を揺するドンイルとは対照的に隣を歩く男の歩みは静かだ。
 ガイアシュは着込んだ王国の衣装の袖を撫でさすりながら、少しでも隣を行く男にあやかれないものかと深呼吸を繰り返した。大人たちより自分のほうが冷静なつもりでいるが、それでもジャムシードほどではない。
「落ち着け、ロ・ドンイル。あんたが言われた通り動く限り、奴らから危害を加えられることはない。それはあんた自身がよく判ってるはずだ」
 背後からの囁きに商人は飛び上がったが、ガイアシュは逆に深く落ち着いた声にいよいよ腹を決めた。今さらジタバタしたところで事態は好転しない。だったら、作戦通りにやるしかないのだ。
 ガクガクと壊れた人形のようにぎこちなく頷く商人の度胸のなさに辟易するが、ガイアシュは不満をぶつけることは避けた。ジャムシードはまったく表情に不快感や嫌悪を表していない。自分も見習うべきだ。
 部族長の従兄弟クィービの跡取り息子として自分はかなり優遇されている。成年を迎えて一人前の扱いになれば部族内の序列もかなり上につけるだろう。
 そういう容易く想像できる将来のせいで、随分と甘やかされたという自覚が今現在はあった。周囲の大人もそれを当たり前のこととしていた。
 砂漠から出て王都に辿り着きジャムシードの兄弟子たちと逢うと、彼らは自分のことをしっかりしていると褒めそやした。それが子どもに向ける褒め言葉であることにも気づかず、自分は一人前になるに相応しいと思い込んでいた。
 ここ数年は子ども扱いされて苛つくことが多かったというのに、いざジュペを守って行動する立場になり、周囲の者と渡り合ってみると子どもであることに甘え、つい周囲の大人に妥協したり、依存したりしているのである。
 その思い上がりをジャムシードの一喝で叩き潰されるまで気づかない己も惨めであったが、後からやってきた部族の男たちも大差ないのだと気づかされたときの情けなさといったらなかった。
 砂漠にいると視野が狭くなる。一族のことにかまけるばかりで、他の民へ向ける感情や受け取っていた感情に鈍感であったことが判ってきた。
 そう気づいてから改めてジャムシードを観察してみると、彼は部族の男たちからの賞賛や憧憬にも溺れずに淡々と接しているのが見て取れた。
 こういう人間にならなければいけないのだ。本当に守りたいものを守るためには、自分を揺らがせていては駄目なのだ。
 これから先の指針を見つけたと、ガイアシュはそのとき思ったのだった。
「さて、そろそろこの辺りでいいだろう。ここから先はドンイル一人で行くんだ。俺たちは持ち場に散る。いいな? 指示された通りに動けよ」
 先に館を出るときに別れた別働隊はとうに行動を開始している頃だ。ここまで行動を共にしてきた者たちも、ここで最小限の人数に別れて動くことになる。これからが正念場なのだ。気を抜くことはできない。
 何人かの男たちが通りの向こうに姿を消し、ジャムシードと商人以外、残すはガイアシュと父クィービ、そして二名の男たちだけとなった。
 ジャムシードが首を巡らし、通りの遙か先を凝視したのはそんなときだった。
「ソージンが到着した。もう少し遅かったら彼抜きで動くことになっただろうけど、どうやら間に合ったらしい。これで予定通りだ」
 ガイアシュにはジャムシードの声が先ほどより柔らかくなったように聞こえる。よくよく見れば、眼許も和らいでいるように感じられた。
「ジャムシード、本当にお前と……その、あの白い奴の二人だけで行く気でいるのか? いくらナナイとハムネア、ジュペの三人だけとはいえ……」
 父は未だに必要最小限の人員しか割かずにいるジャムシードの策に不安を覚えているらしい。ガイアシュも多少は心配ではある。敵の人数は把握し切れていないのだ。異国の商人も敵側の正確な数など判らないらしいし。
「最小限の人数で動くと決めただろう? 大勢でいけば楽が出来るというわけではない。だがまぁ、確かにジューザが動けないと厳しくはあるな。だから、彼がまともに動けることを祈っておいてくれ」
「ここにジューザがいるとは限らないだろう? もしも彼がいなかったら、当てにしていた人数に足りなくなってしまうんだぞ。せめてもう一人くらい同行してもいいだろうが。頼むから無茶なことはしないでくれ。お前に何かありでもしたら、オレたちは砂漠で待つ同胞に顔向けできん!」
 さすがにジャムシードがたじろぎ、まじまじとクィービの顔を見た。同じくガイアシュも父を振り返り、青ざめて切迫した表情を浮かべるその顔を凝視する。まさかクィービがこれほどジャムシードを案じていようとは。
 再会したときの騒ぎで殴りかかりそうなほど腹を立てていたはずなのに、今さらどうしてそんなに心配するのだろう。
 ガイアシュは訳が判らず、父とジャムシードの顔を交互に見比べた。
「心配するな、クィービ。俺はこういうことには慣れている。無茶じゃないよ」
 相手を安心させようというのか、ジャムシードが穏やかな微笑みを浮かべる。その落ち着き払った態度にガイアシュが改めて感嘆している背後から、突如、東方訛りのある声が響いた。
「何が慣れているっていうんだ?」
 まったく気配を感じさせずに背後に立った男の声にガイアシュは飛び上がる。慌てて振り向けば、真っ白な顔の中から黒々とした瞳が光る、不敵な笑みを浮かべた男が飄然と佇んでいるのが目に入った。
 ほんの数瞬前までは姿が見えなかったはず。それが、いつ背後に立ったのか。
「ぎりぎり間に合ったな、ソージン。もう少し遅かったら置いていくところだったよ。ヤウン殿下には報告してきたのか?」
「いや、ヤウンのほうも取り込み中のようだ。事後報告になる。……で? どうやって助け出すか決めたか?」
 こちらの手並みを窺っているらしき気配が男から伝わってきた。ガイアシュにはソージンがジャムシードの力量を試そうとしているとしか思えない。
「ナナイとハムネア、ジュペの三人を助け出すだけなら、俺とあんたの二人で行けば充分だろう。たぶん館にはジューザも捕まっているはずだ。時間的にまだ拷問を受けたり、殺されたりはしていないだろうし、第一危害を加える気ならとうの昔にそう出来る状況だっただろうしな」
「そうか。青の部族長も捕まっているのか。だからナナイとか名乗る女が連れ出されたんだな。あの女はジューザの妻だし」
 ソージンの言葉にイコン族の男たちがざわつく。彼が事前に館に潜入したことが判ったのだ。そのときにどうして女たちを助けないのかという不満が沸き上がっているのを、ガイアシュは肌を刺す空気の緊張感から感じ取った。
「しかしな、ジャムシード。ことはお前が考えるように簡単には収まらんぞ。まず、ジューザが捕まっているなら奴は自力で動けないはずだ。女たちもな。あの館の一画では得体の知れない薬が焚かれている。その煙を吸い過ぎると身体が麻痺して動けなくなるという代物だ。さらに厄介なことに、捕まっている女は三人じゃない。炎姫公女が、フォレイアが別の部屋に監禁されてるはずだ」
 ゾワリと空気がささくれ立つ。イコン族が息を呑み、成り行きを見守っていた異国の商人も唖然と口を半開きにしていた。もちろんガイアシュ自身も大人たちと同様に息を潜めた。誘拐者はとんでもない連中だ。よもや炎姫公女までさらってきているとは予想だにしなかった。
「ハ、ハヤヒトさんっ。どうしてそれを伝言してくれなかったのかね。それが判っていたら、他の作戦を考えたよぉ!」
「ほぉ? それを伝えていたら、お前は後先考えずにこの国から遁走していただろうよ。そして家族の安否を気にするあまりに不用意に奴らに近づいた挙げ句に捕まり、今よりももっと悪い状況に陥っただろうさ」
 身に覚えがあるのか、ドンイルが押し黙り、決まり悪げに俯いた。伝言は本当に必要最小限だったのだ。それもこれも商人の小心を見越したことだった。
 吐息が間近に聞こえ、ガイアシュはため息の主を振り向く。そこにはジャムシードが苦笑いを浮かべながら空を仰ぐ姿があった。
「参った。五人の人間を一気に救い出すとなれば作戦を少し変更する必要があるじゃないか。……さて、どうするかなぁ」
 他愛のない愚痴を仲間内で漏らすような気軽さでジャムシードが笑っている。それをハラハラしながら見守るイコン族と商人、反対に面白そうに眺めるソージン。彼ら全員を見つめ、ガイアシュは途方に暮れた。
 冗談じゃない。三人の女を助けるだけでも厳しいというのに、一気に五人もの人間を救出するとなれば、その労力たるや計り知れないものになる。
「ジャムシード。おれの考えを聞く気はあるか?」
 ソージンが相変わらず面白げな表情のままジャムシードに問いかけた。悪戯を仕掛ける子どものようだと感じたのはガイアシュだけだったろうか。いや、同じようにジャムシードも感じたのではなかろうか。
 片眉だけを器用につり上げ、口の端を歪につり上げたジャムシードが右手人差し指を小柄な白い男の胸に突き立てた。
「ソージン。あんた、自分の作戦を採用せざるを得ない状況になるよう図ったな。ここで聞く気はない、とは言い出せないじゃないか」
 ニィ、と口角を広げて意地の悪い笑みを浮かべたソージンが喉の奥で笑う。
「お前が立てそうな作戦は見当がつくからな。そのまま実行されると、お前に負担がかかりすぎることも予測済みだ。後でお前に手助けしてもらいたいことがあるこっちとしては、過剰な負荷は避けたいところなんでな」
「で、予想通りに動く俺を見て面白がっていたわけか。まったくもって質の悪い奴だよ、あんたは。……もういいから、あんたの作戦を言ってくれ」
 作戦を変更しようと頭を捻っていたところに持ち掛けられた相手の話をジャムシードがどう思っているのか、ガイアシュには判らなかった。ただ、彼にしてみれば憧れている男が虚仮にされたようで面白くない。
 同じようにイコン族の他の面々も感じているのか、大人たちが小声で呪詛を呟いているのが聞こえた。それがジャムシードにも聞き取れたのだろう。チラリと流し見られた彼の眼にはこちらを諫める気配が漂っていた。
 彼の地獄耳にガイアシュは自身の内心を覗き見られた思いで首をすくめる。だが大人たちは余計に腹を立てたらしく、空気の中に苛立ちが立ち上った。
「ジャムシード。こいつは信用ならない。きちんと伝言していれば余計な作戦を立てることもなかったじゃないか。とんだ時間の無駄だ!」
「落ち着け、クィービ。確かに時間の無駄に見えるが、初めから今の状況を伝えられていたとしたら尻込みしなかったと言えるか? 怖じ気づかなかったとしても俺が立てた作戦に従ったとは思えないぞ。炎姫家との関係がこじれてることが判っていても素直にはなれないと、お前たち自身が判っているだろう?」
 成年を迎えていないガイアシュでもジャムシードの言うことは理解できる。
 タシュタン地藩の支配者たる炎姫家の姫が捕まっているとなれば救出しないわけにはいかない。下手をしたらイコン族の女たちよりも最優先して、だ。しかしイコン族の女を見捨てるなど男たちに出来ようはずもない。となれば、どちらも一緒に助け出さねばないだろう。
 だが、そうは言ってもイコン族にしてみれば思いは複雑なのだ。
 イコン族と炎姫家との関係は付かず離れずといったところだが、ここ何十年かは決して良好ではない。というのも、炎姫家現当主はイコン族からみれば傍系でしかないからだ。現当主アジル・ハイラーの異母兄ササン・イッシュこそが正統な当主だったはず、という感情が拭えないのである。
 ササン・イッシュの母はイコン族出身で、嫁いだ当時は正妃に迎えられた。ところが隣国から公女を娶るからと側妃に退けられたのである。産まれた息子は嫡子の扱いのままであったが、しこりは残るものだ。まして異母兄弟が母親同士のいがみ合いを引きずっていたとあってはなおさらだ。
 大人たちから聞かされる昔語りでしか状況を知らないガイアシュでも、炎姫家当主との関係に微妙なものを感じる。それをイコン族と炎姫家双方の内情を知っているジャムシードが感じ取れないわけがなかった。
 表面上は恭順の姿勢を崩さないイコン族だが、現炎姫公の存在は疎まし限り。その刺々しい感情が作戦の細かな部分で噴き出さないとどうして言えよう。
 炎姫家を畏れつつ、忸怩たる思いを抱えているのが今の一族の現状だった。
「炎姫公女を若長クラングの正妻に、と望んでまで関係を修復したいくせに、現状でのお前たちの感情はその反対を向いている。俺がどれほど平等な作戦を立てようと、お前たちが不満を抱えることは避けられなかったはずだぞ」
 ジャムシードの声が心なしか沈んで聞こえる。ガイアシュは周囲の大人たちと供に項垂れた。公女の優しさを知っていても、一族の感情は別物だった。
「そこまでにしておけ、ジャムシード。人の心はそう簡単には変えられない。だからこそ、時には利用できることもある」
 ソージンの言葉尻に不穏なものが混じる。ガイアシュは顔を上げ、白い異邦人の横顔に見入った。新たな作戦は彼が立てるらしいが、そこに彼の思いが反映されているはずである。彼に今の言葉を吐き出させる思いが。
 少年の凝視に気づいているだろうにソージンはそれを無視し、これからの行動を説明し始めた。その表情は先ほどのジャムシード同様に淡々としている。
「あの館にはおれの顔見知りが混じっている。おれを疎んでいる者も同情的な者も、色々と複雑な思いを抱えている輩ばかりだ。だからこそ、そこにつけ入る隙が出てくるだろう。……おれが真正面から館に乗り込めばな」
「そんな……っ! いくら何でも危険すぎるだろう、それは!」
 思わずジャムシードが叫んだ。まだ人通りがない貴人街の一画に、その声は思いがけず遠くまで響く。それほど鋭さのある声だった。
「ジャムシード。お前には以前におれがどうして故郷を出たのか話をしたことがあったな。だからこそ判るだろう? 彼らはおれの扱いを巡って混乱する。表面的には上の方針に従っているように見えて彼らの内心はバラバラなんだ」
 どんな過去がこの異邦人にあるのか知らない。だがジャムシードが思わず危険だと叫ぶほどのものを抱えているのだ。伝えられようとしている作戦が芳しいものではないことを示しているような気がしてならない。
「ドンイルの話だと館におれの宿敵がいる可能性が高い。そいつに従う者の中には従属をよしとしない者もいるだろう。結果として従わざるを得なくとも、不満は募りに募っていく。おれにはそれを確認しておく必要があるんだ」
 反論したいのに上手く言葉が見つからない、といった様子でジャムシードが眉間に皺を寄せて唇を噛みしめていた。その顔つきを観察するだけで彼の中に湧き起こっている葛藤の大きさが判ろうというものである。
「だから、おれが乗り込んだ後、お前は何人かを引き連れて裏から忍び込み、捕まった者たちを助け出せ。あまり時間は取れないが、この人数なら問題ない」
「けど館の中には身体を麻痺させる煙が充満してると……」
 ソージンが指先を動かし、ジャムシードを呼び寄せた。耳元に口を寄せてボソボソと喋る異邦人の横顔から会話の内容を推測することは不可能だった。
 ジャムシードが息を呑んだ。がすぐに元通りの表情で囁き交わしている。
「ジャムシード! なぜオレたちに内緒で何を話しているんだ!」
 父が苛立ちが混じった声を上げるのを、ガイアシュは内心では賛同しながら聞いた。この後に細部の打ち合わせをするなら二度手間ではないか。
「すまない。もう終わるから待ってくれ。……ソージン。あんたは俺にそれが出来ると思っているんだな? だから俺の作戦をぶち壊したのか」
「短時間で五人を連れ出すとなれば人手がいるし、煙に足止めされる。それを排除するには、どうしてもアレの手を借りる必要がある」
「……判った。やってみるよ。時間もないし。時間差でタケトーさんが手配した荷馬車が通る手筈になっているんだ。手間取ると向こうに気取られる」
 二人の間では立てられた計画は完成しているようだ。こちらに向き直ったジャムシードの表情には戸惑いが微かに漂ってはいたが、迷いは見られない。
「ソージンがロ・ドンイルを連れて館に乗り込む。その後、俺たちは館の裏口から潜入して女たち三人とジューザを助け出す。用心に荷馬車を二台用意してもらって良かった。それぞれ分かれて荷台に乗れ。後は最初の予定と同じだ」
「麻痺する煙は? それに館内の見取り図は? オレたちは女たちやジューザの居場所を知らないぞ。それから、その……炎姫公女のことは?」
「煙は俺が消す。そんな顔をするな。大丈夫だ。ジューザたちや公女さまの居場所も判るから安心しろ。だが俺の指示には絶対に従え。それが約束できる者だけ連れていく。約束できない者は作戦から外れてもらう」
「従います! だから連れていってください!」
 間髪入れずにガイアシュは声を上げた。ここで黙っていては置いていかれる。
「ガイアシュ! 子どもは邪魔だ。外で待って……」
「いや、ガイアシュにはジュペを運んでもらう。他の者はどうだ?」
 否も応もないジャムシードの断言に父が眼を白黒させる様子を横目に見ながら、ガイアシュはこっそりと懐に仕舞った銀の短刀を握りしめた。次々に名乗りを上げる男たちを見回し、ジャムシードがしっかりと頷く。
「お前たちの命、ここより先は俺が預かる。ついてこい!」
 上着の裾を翻したジャムシードが擦れ違う一瞬にソージンと目配せしたのがチラリと見えた。異邦人二人が別方向へと歩き出す背を視界の端で見送り、ガイアシュは長い三つ編み髪を背に揺らす男の後ろ姿を追いかけたのだった。