混沌と黎明の横顔

第15章:朱く冷たい月の声 5

 触れている部分にひんやりとした感触を伝える存在を凝視し、彼はホッと安堵の吐息を漏らした。もう何度こうやってその存在を確認しただろう。その度に言いようのない気まずさと、安心感に、戸惑いを隠せなかった。
「私に青水晶を使わせるためにジャムシードを利用したのか? だとしたら、放浪者ファーンとその支援者は敵に回ってはいないということなのだろうか。それとも他になんらかの意図が?」
 全身で抱え込んでいる存在は呼吸するように魔力の流れを整えてくれる。宿主の感情に振り回されて増減する不安定さから解放され、アインは積もり続けていた疲弊感を今は感じずに済んでいた。
「素直に感謝していいものかどうか。ファーンの考えはいつも理解不能だ」
 異種族と同族の混血児である彷徨える主とは、これまでにも何度か接触する機会があった。その度に皮肉と嫌味の応酬があり、うんざりした気分になることは避けられなかったものである。ところが、そんな皮肉屋が今回は援助者に回っていることがアインには解せなかった。
「剣を介して青水晶の力を注いでいるのは間違いなくファーンだ。この独特の力を見間違うはずがない。だが、いったいどんな目的があって私に手を貸すのかが判らない。……彼にどんな得があるというのだろう?」
『有り体に言えばないと思いますよ』
 返らぬはずの問いへの答えが戻ってきたことに驚き、アインは辺りをキョロキョロと見回す。しかし宿主の潜在意識の底に沈んでいる彼の周囲に誰かがいるはずがなかった。空耳とも思えないが、声の主はどこにいるのか。
「私に話しかけるのは誰だ。どうやってジャムシードの意識の底に入り込んだ」
『それを詳しくお話することは禁じられていますのでご容赦ください。ですが、意識とはすべて根底で繋がっているものだということは、あなたもご存じのはずです。それを利用したのだということだけご理解ください』
 詳しい方法は教えぬが結果だけ教える相手の真意は未だ不明だった。何者かも判らぬ相手に警戒し、アインは沈黙をもって相手への態度とした。
『我が主人の命により、あなたの形代かたしろを連れてきました。宿主のことを考えるなら、出来る限り早くこちらに移ってください』
「主人とは誰だ? この力を注いでいるファーンのことか? なぜ彼がジャムシードのことなど気遣うのだ。関係ないではないか!」
 然り、と答えが返され、アインはいよいよ困惑を深めた。肯定の答えはどの問いに対するものなのか。すべてに関してだとしたら矛盾している。
『我が主人ファーンの命にて動いております。が、同時にこれはファーンの本意ではありません。彼は約束に縛られているだけですので』
 約束? 契約ではなく、約束と言うか。強制力のないその縛りに囚われて、ファーンともあろう者が自身とは無関係の者を助けるのか。
『あなたとこうして直接お話しをするのは、およそ二十年ぶりになりますか。あの当時、あなたの仮初めの主人は宮廷勤めで忙しく、妻子の守りをあなたに押しつけていましたね。お互い、主人の我が侭には苦労させられます』
 主命により己が何者であるか名乗ることはできないと言いながら、声の主は昔語りなど始める。これでは名乗っているのも同然ではないか。
 アインは苦笑いを浮かべ、声が響いてくると思われる辺りを見おろした。
「我が侭を言われているうちが華。言われなくなれば、それはそれで惨めなものだよ、眷属殿。ファーンの侍従頭が直接お出ましとは恐悦至極……」
『主人に倣って嫌味の応酬をする気はありません』
 ついいつもの癖で皮肉や嫌味を口にしそうになる。それを制する声はとても生真面目で、飄々としているファーンとは正反対だった。
『限界がくる前に形代に移ってください。あなたが潰れては宿主は指標を失いますよ。意地や矜持にしがみついている場合ではないと思いますが?』
 昔語りは世間話の一環ではないらしい。名乗れぬ代わりに正体を明かすための方便だったのだ。用件だけをひたすらに終わらせようという魂胆が言葉の端々ににじんでいる。よほど時間がないのか、気持ちに余裕がないのか。あるいは、元々の性格がそういうものなのか。
「お心遣いはありがたいが、同族からの援助も断った身だ。ファーンからの助力を得たと知れたら癇癪を起こしてしまう者もいる。そちらの申し出を受けるわけにはいかぬよ。用件がそれだけならお引き取りを」
 無謀にも毛獣バウを持ち出してアインの魔力安定を図ろうとしたターナを思えば、ここで申し出を受けては角が立つ。それを判ってもらうしかあるまい。
『知っています。あなたに用意した器を自分が使う羽目に陥ったようですね。であればこそ、あなたに新たな器を用意してきたのです』
 潜在意識下の一点が急激に熱を持ち始めた。何か、が浮上してきているのだ。
「何をしている! 私に勝手に近づくな。ここには剣があるのだぞ!」
 アインの叫びも虚しく、熱の塊は勢いよく接近してくる。ファーンの眷属は許しもなくこちらの領分へと足を踏み入れる気だ。
 飛び出してくるであろう存在を警戒し、アインは身を固くした。
『これっ! 待ちなさい。勝手に行ってはいけませんっ』
 焦った声に続いて軽妙で遠慮のない足音が周囲を席巻する。緊張の中で困惑を深め、彼は響いてくる声の具合に耳を傾けた。
『止まりなさい。なんという無礼をっ! お待ちなさい!』
『やぁん、やぁーん。大叔母さまのお話、たいくつぅ。早く行くのー』
『誰が大叔母ですって! ちょっと! それ以上は駄目です。止まって行儀良くしなさい。……止まりなさいと言ってるのが聞こえないのですか!』
 眩暈を感じ、アインは肩を落とした。どうやら用意された形代とやらは、とんでもない存在らしい。聞こえてくる会話の様子から想像するに、ファーンは“囚われている約束”の内で精一杯の嫌がらせをしてきたようだ。
 眷属の彼女もいい迷惑だろう。主人の我が侭に振り回されている姿を容易く想像でき、アインは人ごとながら同情してしまった。
『いやぁん! 尻尾ひっぱらないでー。放してよぉ』
『お黙り! それ以上無駄口を叩くなら、この尻尾を噛み切りますよっ!』
『やぁだぁー。痛いの、駄目ぇ。大叔母さまの意地悪っ!』
『わたしはお前の大叔母ではありません! 何度言えば覚えるの! 上目遣いで見ても駄目です。飼い主に甘やかされたからといって、どこでもそれが通ると思ったら大間違い。みっともない真似をして! 少しくらいは反省しなさい。だいたい、お前は普段から──』
「私の周囲を騒音まみれにする気か。説教ならよそでやってくれ」
 際限なく続きそうな会話を遮り、アインは抱えていた剣に寄りかかった。ようやく最近は倦怠感から解放されたというのに、ここにきて最大級の疲れがのし掛かってきた気がする。本当にファーンは嫌味な真似をするものだ。
『失礼しました。まだ躾もままならない愚かな子です。ご寛恕ください』
『大叔母さまのお話が長いから駄目なのぉー! ねぇ、早くぅっ!』
 アインは自分と同じくぐったりと疲れ果てている眷属の姿を思い浮かべた。
『いやぁん! 放してー。放してよーぅ。意地悪ぅ、放してってばぁっ』
 首根っこを押さえられたらしい気配が伝わり、バタバタと暴れる物音が響いてくる。きっと小さな存在は無駄な抵抗を試みているに違いない。その状況すら手に取るように伝わり、アインは乾いた笑い声を漏らした。
「心中お察し申し上げる、眷属殿。子守りの重労働は私にもよく判る」
『……ご理解いただけて嬉しゅうございますよ。つきましては、これからそちらの境界線を越えてもよろしゅうございますか? ここで追い返されたりすれば、この子がどういう振る舞いをするか、もうお判りかと思いますが』
 ファーンは本当に意地が悪い。これならアインが絶対に断れない、という箇所を突いてきた。ここで断り文句を聞こうものなら、眷属が押さえつけた存在は今度こそ暴れ回り、礼節や品格など無視して飛び込んでくるに違いない。
「致し方ない。参られよ」
 感謝します、と囁きながら浮上してくる二つの塊に、激しい疲労感と今にもはち切れそうな好奇心を感じ取れる。その対照的な意識と同じ気配を漂わせる者らが目の前に浮き上がってきた途端、アインは我知らず噴き出していた。
「……す、凄まじい格好だな、眷属殿」
『出来れば見なかったことにしていただけませんか』
 不本意そうに緑柱石色の瞳が瞬き、乱れた朱い毛並みを恨めしそうに見おろす。対して金色のピカピカと光る瞳を目一杯見開き、犬でもそうは振らないだろうというほど勢いよく尻尾を振り立てて叫ぶ黒い毛玉がひとつ。
『初めましてぇー。これからよろしくなのぉ。なんでもお手伝いするからね!』
 仰向けに転がされ、上からのし掛かられて四肢を封じられている小さな黒猫がひっきりなしに喋り始めた。
『これ、初めてのお仕事なの! 一人前になった証拠でね! だから──』
『お、だ、ま、り! このヒヨッコがっ!』
 全身の毛並みが乱れるほど駆け回る羽目になった赤毛の成猫がたまりかねて怒鳴らなければ、延々と興奮した声を聞かされたことだろう。
『姿勢を正して! 前脚を揃える! 尻尾を揺らさない! 口も閉じて! キョロキョロしないっ! 耳を動かさない! ヒゲもヒクヒクさせないの!』
 やっと身体が自由になった途端に駆け出そうとした子猫を叱りつけ、赤毛猫は途切れることなく指示を出すのだが、少しもじっとしていない黒猫の眼は好奇心に燃えだしそうなほどだった。
 これまでファーンと行き会ったときに見かけた眷属は、いつも毛並みを整え、優雅な動きで主人に寄り添っていた。それが今は声を枯らしてガミガミと子猫に説教である。よほど来るまでの間に色々とあったのだろうと推察された。
『大叔母さま、怖いっ。まるでジンみたい』
『誰のせいですか! それから! 何度も言いますが、わたしはお前の大叔母ではありません。その頭は言われたことが何も入らないのですか!』
 初めこそ唖然と見守っていたアインであったが、さすがに平行線を辿っている二匹の会話を聞いていては助けに入らないわけにはいかなかった。
 両腕で抱えていた剣を片腕に持ち替え、空いた手で子猫の首根っこを掴み上げる。ブラブラと揺れながら嬉しそうに尻尾を振る黒い毛玉に彼はなんとも言えない視線を向け、すぐにその眼を眷属へと転じた。
「落ち着かれよ、眷属殿。とりあえず身なりを整えたらいかがかな?」
 肩で息をするほど叫んでいては身なりにかまうどころではあるまい。己の無様な格好をやっと思い出した様子で、赤毛猫はあたふたと毛繕いを始めた。
『白いドルクさん、きれいなのー。金の眼がお揃いねっ』
 眷属の説教が止まった途端にお喋りを始めた子猫の相手をするのは、必然的にアインということになる。無視しても勝手に喋っているだろうが。
「この姿は借り物だよ。私の真の姿は美しくない。唯一、私の存在を示すものといったら、この瞳だけだろうがな。この目玉が気持ち悪くはないのか?」
『きれいね、その眼。あったかいお日さまみたいよ。お母さまも金の眼でね。みんなとってもきれいだって言ってたわ。お父さまは不思議な色の眼を持っていたけど、あなたのほうがステキ!』
 ピシピシと尻尾をしならせ、子猫が興奮した声で叫んだ。未だに首根っこを掴んだまま宙づりにしているのだが、黒猫はまったく気にした様子もない。
「褒められたのは初めてだ。いつも気味の悪い瞳だと言われてはいたが……」
『きれいよ、とっても。ご主人さまの髪飾りみたいにピカピア光るし、蜂蜜みたいに甘そうだわ。それに真っ白な髪も綿雲みたいでイイわ!』
 前脚も後ろ脚もバラバラに藻掻かせて子猫が騒ぐ姿は微笑ましい限りである。生憎と褒められ慣れていないアインには面映ゆいばかりであったが。
『すみません。浅慮なことばかり申す愚かな子で。真面目に受け取らず、聞き流しておいてください。……もっとも、嘘はつけませんので本心でしょうが』
 正直であることは器に選ばれるためには重要なことだった。この無邪気さも今回の仕事を請け負うためには必須だろう。なにせ異種族の形代になろうというのだ。邪念や疑心が湧くようではやっていられない。
 だが……。だからといって簡単に形代を頼むわけにはいかなかった。
「眷属殿。ファーンからの形代の提供はありがたいが、それを受けるわけにはいかん。同族のターナが持ってきた器を断っておきながら、ファーンのものを受けたとあっては、後々どれほど揉めることになるか」
 ターナ・ファレスはまだまだ精神的に子どもだ。今回のことが知れたら自分が否定されたと思い込みかねない。へそを曲げられてはファレスの役割を担わせることもできなくなってしまう可能性が出てくるではないか。
 ターナはファレスという仕事に誇りを持っているわけではないのだ。同族を守り、同時に裁く立場にある役割に酔っているにすぎない。自らが両性体ヤザンであることと同列で、それ以上ではなかったはずだ。
 あの子は、同族を守り、裁くという意味を理解してはいない……。
『そう仰るだろうと思っておりました。お仲間の経験を考えれば、あなたは二の足を踏んでしまうだろうと。それでも、この子を受け取ってもらわねばなりません。そうでなければ、あなたは宿主諸供に滅びますよ。そんな事態をあなたは受け入れるというのですか? バチンの脅威はまだ去っていないのに』
「それは……っ! やはり、ファーンにはバチンが見えているのだな。かつてのように、あの女が何をやろうとしているのか知っているのか!?」
 腕にじゃれつき、楽しげに喉を鳴らす子猫はそのままに、アインは赤毛猫の顔を覗き込んだ。主人と同じ色をしている瞳に吸い込まれそうだった。
『我が主が何を見、何を感じているのか、わたしが知っていたとしても教えられませんよ。もっとも主人と同じ瞳を有する身ではありますが、主人ほど占いの素養はございませんので判らぬことのほうが多いでしょう』
「ファーンからの忠告というわけだな。しかし、この青水晶で模した剣を軸にすればジャムシードの身体に負担をかけることなく──」
『身体の前に心が壊れましょう。すでに肉体と核の同化は完了し、次の段階である核の意識との同化に進んでいるはずです。内側から聖なる息子リド・リトーに喰い殺されるのを座視する気ですか?』
 緑柱石の瞳が徐々に大きくなっていく気がする。異様な圧迫感に気圧された。
『このまま喰われてしまう気なら、あなたに宿主などいらないでしょう。サッサと宿主を我らに寄越しなさい。もっと有効に使わせてもらいます。そうでないのなら、己がやるべきことを見失わないことですよ』
 視界いっぱいに広がった緑柱石色の瞳に呑み込まれるような感覚に、アインは思わず身を引いた。異種族の、さして力もない部族の者に気圧されるなど、今までなかったことである。確か重ねた齢ですら、こちらが上だったはず。
『やぁん。大叔母さまばっかりお喋りして、ずっるぅーい!』
 場の緊張感を無視する暢気な声にアインは我に返った。今ここに身体が本当にあったなら、全身からは冷や汗が噴き出し、顔は真っ青だったはず。
『お前が遊んでばかりいるからです。真面目に挨拶しなさい。いつまでも飼い主のところのように甘えてはいられないのですよ』
『はぁーい。ちゃんとお仕事しますぅ。だから、大叔母さま。白い竜さんを虐めちゃ駄目よぉ。これから一緒にお仕事するんだから!』
 先ほどのつり上げられていた体勢から逃れた子猫は、相変わらずの軽快な足取りで赤毛猫へとじゃれついた。それを軽くいなし、眷属は話し続ける。
『お仲間からの嫌味なら心配いりません。あちらも今頃はそれどころではないでしょう。それに、あなたが無事でいることのほうが重要だと気づかない程度の相手であれば、所詮は紛い物でしかありませんよ』
 手厳しい評価をアッサリと下してくれるが、次代への引継をしなければならないのはアイン自身である。受取手であるターナ・ファレスの教育がつまづくようなことになったらどうしてくれるのだ。
『もぉ! だから、大叔母さまばっかりずるいってばぁ!』
『お前という子は……。わたしたちの話に割って入るのではありません。お行儀良くしなさい。そんなことでは母親のように不注意から命を落としますよ』
『お母さまと一緒にしないでっ。それに、お母さまは不注意で事故に遭ったんじゃないの! お父さまを追いかけようとしただけなの!』
『その父親はお前の母を捨てて、主人の待つ北の地へと帰ってしまったのですよ。追いかけたところで何ができるというのですか。自らの力量も顧みずに意識体を飛ばすなど、愚か者のすることです』
『お母さまは愚か者じゃないのぉー! 大叔母さまのばかぁっ!』
 毛を逆立てて叫ぶ子猫の金切り声は、意識下で聞いても耳が痛くなった。
「眷属殿。もしやと思うが、そちらでは形代になることができるのはこの者しかいないのではないか? これはまだ母親が必要なほどの子どもではないか」
 一瞬だけ返答に詰まり、赤毛の猫は渋々といった様子で肯定した。ということは、ファーンは嫌がらせでこの子猫を選んだのではないし、わざわざ飼い猫になっていたこの子を連れ出したわけでもないということだ。
「どこも人手不足ということか。だが、強制力のない約束のためだけに、あのファーンが無茶なことをする。いったいどんな約束があったというのだ」
 純粋な好奇心からアインは思わず訊ねていた。
 ヒィヒィと声を枯らして泣く子猫にげんなりしながらも、セッセと幼い者の頬に流れるものを舐め取っていた眷属がゆっくりと顔を上げた。
『そんなことを知ってどうするのです? 我らのことは、あなたには関係ないはず。こちらが力を貸すからと言って、あなたになんでも知る権利があるなどとは思わないでください。馴れ合うつもりはないのですから』
 決して越えさせない線引きだけは忘れていない。ファーンと供に旅をしてきた侍従頭の矜持は健在らしい。彼女なら主人が不利になることは死んでも話さないだろう。あるいは、一族の不利になることも。
「判った。どういう約束が介在していようと私には関係ないのは事実。無益な諍いを起こす気などないのだ。この話はなしにしよう。だが、形代を受け取るかどうかという当初の問題をうやむやにはできぬな。そちらの言い分は判ったが、私にも都合がある。妥協できないことだとて……」
『白い竜さんはお仕事しないのー?』
 ほんの少し前までは泣き叫んでいたはずの子猫がグスグスと鼻を鳴らしながら顔を上げた。潤んだ金の瞳からまだ涙がこぼれそうである。まるで自分が幼子を泣かせたかのような錯覚を受け、アインは我知らずたじろいだ。
『一緒にお仕事するよう言われたのにぃ。なんでー? どうしてお仕事しないの? 大叔母さま、もしかしてアタシ、嫌われてるの?』
「それは……。私がファーンやその周囲の者を嫌っているのではない。単にそれぞれの一族の立場というものがあるだけだ」
 助けを求めてアインは眷属に視線で訴えたが、彼女は素知らぬ顔でそっぽを向いている。子どもには説明しづらい大人の事情など赤毛猫は無視する気だ。そして上手く説明できないアインの行動など読まれているに違いない。
『一緒にお仕事しようよぉ。初めてのお仕事なのにっ。ちゃんといい子で頑張るからぁ。ねぇ、大叔母さまも一緒にお願いしてぇ!』
 ほろほろと涙をこぼしながら黒い子猫が赤毛の成猫にむしゃぶりついた。が、微妙な表情で自分と白い狩人を交互に見比べる相手の様子に、幼い猫は何を勘違いしたのか、今度はアインに向かって突進してきた。
『お仕事してくれなきゃイヤッ! イイって言うまで離れないんだからっ!』
「うわっ!? ちょ……っ。剣に触るのではない!」
 魔力の塊である青水晶の剣に用心もせずに触れようものなら、このように小さな者であれば消し飛んでしまう。さすがにそんなことになっては、たとえ相手の不注意や自業自得であっても寝覚めが悪い。
『お仕事するって言ってぇっ!! でないと、絶対に離さないのー!』
 アインが掴み上げた腕にしがみつき、子猫が甲高い声で叫んだ。足許に鎮座する赤毛猫が奇妙に歪んだ顔で子猫とアインを交互に見比べた。
『さしものファレス殿も子どもには形無しですね。どうやら結論も出たようですし、わたしはこれでお暇することにします』
「な……っ!? 私はいいとも悪いとも言っていないぞ。何を勝手に……!」
『一緒にお仕事するのー! これから一緒なのぉ!』
 ガッチリと腕に絡まって離れない幼子を振り解けず、背を向けた赤毛猫に向かってアインは必死に声をかけた。
「眷属殿、なんとかしてくれ。これでは話をするどころではない」
『一緒に仕事をすると言ってやりなさい。それで落ち着きます。そうでなければ、他には何を言っても耳を貸しませんよ』
「そんなバカな! こちらの都合はどうなるのだ!」
『聞こえませんねぇ。では失礼します、狩人殿。それは一族の中でも随分と未熟な者ですが、どうぞよしなに。わたしの姉の七代末の子孫ですので、鍛えればそこそこ使えるでしょう。後はあなた次第ですよ』
 優美な動きで尻尾をしならせながら、赤毛猫が首を傾げてこちらを見る。アインは何か言い返してやろうと思ったが、咄嗟に切り返すことができなかった。そうこうするうちに眷属の姿がうっすらと透け始めた。
 片腕に剣、残りの腕には幼い猫。その状態で引き留められるはずもなく、彼が混乱している間に新たな厄介事はしっかりと腕の中に残されたのだった。