混沌と黎明の横顔

第13章:暗神は何処へ潜るか 7

 公女が霊廟の扉の向こうに消えたのを確認し、彼女は素早く身を翻した。
 急いで外に戻り、仕事をやり遂げねばならない。この国の墓参りにどれほどの時間がかかるのか判らないが、親しくもない伯父の墓所に詣でる公女とジノンが長時間を過ごすとは思えなかった。
 短い通路を抜け、建物の外へと足を踏み出すと、降り注ぐ弱い朝日に目が眩む。薄暗い場所から急に飛び出したからだった。この国の空はこれから明るさを強くし、空気も乾くと聞く。が、今の空模様からは想像できなかった。
「いい加減にどいてください。大霊廟堂の掃除ができないじゃないですか!」
 外の明るさに気取られていて、騒ぎに気づくのが遅れた。一人の僧侶を取り囲む仲間たちが頑固に首を振る姿が視界に入った。
「どうして邪魔するんです。早く終わらせないと朝食の訓戒に間に合わないんですよ。さぁ、そこをどいて。道を空けてください!」
「お待ちくださいな、お坊さま。今、わたしの主人が墓所に詣でております。お亡くなりになった方との旧懐に水を差さないでいただけますでしょうか」
 彼女は苛立つ僧侶と仲間の間に割って入り、深々と腰を折った。
 この国の言葉に不自由している仲間たちでは僧侶に説明できなかったのだろう。あからさまにホッとした表情を見て、少しだけ情けない気分になった。
 言葉で説明できずとも相手に訴える術はあろうに、なぜ彼らは指示以外のことをしようとしないのか。ここで騒ぎを大きくするわけにはいかないのに。
「大霊廟堂に炎姫家の方がおいでに? 小生は聞いておりませんが……」
「急なことで時間がありませんでした。一部の方にしか伝わっていなかったのでしょう。お仕事の邪魔をして申し訳なく思います。ですが、今少しだけご猶予を頂きたく存じます。この通り、主人に代わりましてお願い申し上げます」
「判りました。今日の清掃は遅らせましょう。小生も死者との対話を邪魔するほど無粋ではありません。ごゆっくりなさったらいい」
 いっそう深く頭を垂れる彼女の態度に僧侶は溜飲を下げたらしく、今までの苛立ちを消して小さく頷いた。
「朝食までのお時間を邪魔してしまいましたわね。どうでしょう。清掃のお時間が空いたのですから、少しお話をさせていただけますかしら?」
「話、ですか? いったいどんなことを?」
 僅かな戸惑いを浮かべながらも僧侶の態度は急激に軟化していた。
「主人に仕えて日が浅うございまして、お恥ずかしい話ですが、こちらの霊廟に祀られている方々のことを詳しく存じ上げません。お坊さまさえよければ、祀られている方々の中で近年の方だけでも良いので教えてもらえませんか」
「炎姫家の方々をご存じないと? それはまたおかしな話ですね。炎姫家へ奉公するなら、近年お亡くなりになった方のことを知らぬはずが……」
 僧侶の怪訝な顔つきに彼女は小首を傾げる。僅かな角度の違いだが、こうすると相手を仰ぎ見る形になり、好意的に見えるのを経験から把握していた。
「出自に囚われることなく、わたし自身を見て選んでいただきましたので」
「まぁ、その……。奉公の日が浅ければ、詳しく知らないこともありましょう。ですが、仕える主人の家系を知らぬとあっては後々困ったことになるかもしれません。小生でよければ簡単にお教えしましょう」
 案の定、市井の女性にあまり慣れていないらしい僧侶はうっすらと頬を染め、視線を彷徨わせながら早口に受け答えする。あまりの容易さに声をあげて笑いそうになった。が、それをグッとこらえて傍らの建物へと僧侶を誘った。
「嬉しゅうございますわ。では、あちらの休憩室でお坊さまのお話を聞くということで如何でしょうか? あまり廟から離れるわけにはいきませんので」
「小生はどこでもかまいません。朝の訓戒が始まる前に定鐘が鳴りますから、話はそれまでしかできませんが、よろしいのでしょうか?」
「充分です。何かを学ぶにしても、とっかかりが必要でございましょう。それをお坊さまから学べるのですから、これほど益になることはありませんわ」
 すでに足は建物の入り口へと向かっている。彼女と僧侶の後ろから仲間の男たちがぞろぞろと従う。彼らにはなぜ彼女が坊主を伴って建物に入っていくのか、よく判ってはいないかもしれない。が、説明は後回しだ。
「炎姫家において近年お亡くなりになった方々のことは、実は話をすることは禁忌とされています。暗黙の了解ということで、使用人はあえて口にしようとしないでしょう。ですから、あなたも主家では話題に気をつけるべきです」
「まぁ、それでは。わたしは危うく間違いを犯すところでしたわね。お坊さまのお陰で職を失わずに済みますわ。ありがとうございます」
 今回のように率直に質問するな、と釘を差す僧侶の親切ごかした口調に、彼女は内心で苦笑を漏らす。禁忌であることは知っている。炎姫家周辺を調べてみても、大公や公女の近親者の死は詳しく聞こえてこなかった。
「そんな。いきなりクビにされることはないでしょう。ですが、触らぬ神に祟り無し、ですよ。ただ誰もが好奇心は持っています。小生がこれからお話することは、使用人なら知っていて損はないでしょう。が、日常の話題にすることは避けたほうがいいでしょうね。主人の耳に入れば不興を買うだけです」
 念押しする形で恩を売る僧侶にも素直に頷いて見せ、彼女は休憩室の固い木椅子を相手に勧めた。仲間たちは周囲の長椅子や戸口付近でたむろしている。
 気の利かないことに、彼らはこちらの様子をチラチラと窺っている。その堅苦しい緊張が僧侶に伝われば、相手の口が重くなってしまうというのに。
 間近な位置の椅子に座っての会話は、坊主の意識を彼女から逸らさせない効果がある。巧みに互いの位置を近づけ、彼女は相手の顔を覗き込んだ。
「是非ともお話を聞きたいですわ。わたし、主人を不快にさせるような真似はしたくありませんの。お坊さま、どうぞわたしを助けると思って……」
 僅かに潜めた声が共通の内緒話をする効果を表す。僧侶は先ほど以上に頬を赤く染め、それでも己の威厳を失うまいと滑稽なほど重々しく頷いた。
「炎姫家でお亡くなりになっているといえば、およそ九年前の大公の姉娘ユニティア様が一番最近です。それより前の方々ですと、だいたい二十年ほど前に大公母アリストテア様、大公の異母兄ササン・イッシュ殿、大公妃フィオナ様が相次いで同じ時期に亡くなったと聞きます。さらにそれより数年遡ると、前大公やササン・イッシュ殿のお母上が前後して亡くなったそうですよ」
 得意げに語り始めた僧侶の眼には彼女の態度は熱心に耳を傾けているように見えることだろう。が、実際には見た目ほどは真剣に聞いてはいなかった。語られている辺りのことはすでに調べはついているのである。
「ただ、ユニティア姫は水姫公の奥方として嫁がれた身。霊廟はハスハー地藩都に建てられましたので、こちらの大霊廟堂に墓所はありません。家系図にお名前が記されるのみです。その他の方々は大なり小なりこちらの大霊廟堂や霊園に墓所があります。その墓所の在りようで生前の徳が判りますがね」
「遺族にとってどのような人であったかで墓所の扱いが変わる、ということですわね。何処の国でも死んでしまっては文句のつけようもありませんこと」
「まったくです。が、あちこちの墓所を見る機会がありますとね、ときには不当な扱いではないかと首を傾げる墓所もあるのですよ。それは庶民であれ貴族であれ、生前の確執が反映されていて生々しいものです」
「お坊さまは事情通でいらっしゃるわ。お知り合いになれて心強い。あぁ、でも困ったわ。ご当主さまや公女さまが故人をどのように思っていらっしゃるのか、わたしは知りませんの。不用意な発言をしたらどうしましょう?」
 相手の様子を冷静に観察しながら、彼女は項垂れてみせる。伏し目がちに困惑を表せば、僧侶はその辺りの事情も説明しよう、と猫なで声を上げた。
 己が如何に大公家の事情に通じているか自慢したいのだろう。彼の語り口はやや饒舌で、訳知り顔は興奮のために上気していた。
「なんてご親切なのかしら。お陰でこれから先、失敗をしないで済みますわ」
 僧侶が膝の上で握っている拳に手を伸ばし、彼女は掌でそっと覆う。相手の顔を下から覗き込む仕草には媚びが浮かんでいた。
 娘の視線に男はいっそう頬を染める。が、決して視線を反らそうとしなかった。いや、反らす気力すら奪われていたと言ったほうが正確か。
「お亡くなりになった方々のことを話題にしてはいけないということは、きっとそれなりの事情があったのでしょうね?」
「え、えぇ……。表向きは整然と執り行われた葬儀や墓所を作ったことで世間は沈黙しましたが、一族の方々が亡くなられた経緯には不穏な噂も多いのです」
 相手の手に自分の掌を重ねたまま、彼女は眉を寄せてみせた。物憂げな表情に誤魔化され、僧侶にはその内心はまったく読めなかったろう。
「当時の小生はまだ子どもで判らなかったのですが、この場所に出入りを許されるようになって墓所を直に拝見する機会を得ると、どうも噂は本当だったのではないかという気になるのですよ。現大公のアジル・ハイラー様にはつらい現実でしょうが、そろそろ踏ん切りをつけられたほうがいいのではないかと」
「まぁ、いったいどんな噂が? わたしには、皆目見当もつきませんわ」
「色々と憶測が飛び交っていたのですよ。ササン・イッシュ様のお母上は最初は正妃として大公家に嫁がれました。ですが、アルド公国との外交のためにアリストテア様が輿入れされると決まった時点で妾妃へと落とされています。その確執から、亡くなった方々には暗殺されたのでは、という噂が絶えません」
「恐ろしいこと。大公さまのご心痛は深いのでしょうね。お気の毒に。でも、お坊さまが噂を信じるきっかけは他にもあったのでしょう。そうでなければ、そのように確信に満ちたお顔をなさるはずがありませんものね?」
 彼女の言葉に深く頷き、僧侶はなおも語り続けた。
「ご兄弟はお互いのご母堂様との確執に囚われ、それぞれの因縁を避けられなかったのではないかと噂が出ていました。いえ、今でも下火になったとはいえ憶測は飛び交っているでしょう。ただ、真実は闇の中です」
 続きを促すように彼女が微笑むと、僧侶は乾いた唇を舐め、再び話し始めた。
「小生が噂はあながち嘘ではないと思ったのは、大公閣下がササン・イッシュ様に関わる記録や文書、果ては手紙の類を含めて何もかもを調べていると感じたからです。何を調べているかは知りませんが、二十年以上経っても故人に関わり続けているとなれば、よほどのことに違いありませんからね」
「何か大きな秘密でもあったのでしょうか?」
「その好奇心で秘密を探らないことです。あなたにこうしてお話したのは必要以上に詮索しないよう注意したかったからです。どんな人にも大なり小なり隠しておきたいことがあるものです。大公閣下もそれは変わらないでしょう。主家に奉公するなら、どれほど好奇心が疼いても沈黙することが肝要です。あなたにそれが出来ると見込んで話したのです。忘れないでください」
 肝心のことはぼかされたままであるが、調べたことと辻褄はあっている。僧侶が嘘をついていることはなさそうだ。となれば、噂の真偽を確かめるには、大公の手足となって動いている者と接触するしかないだろう。
「大変参考になりましたわ。それにしても、大公さまが異母兄のことを調べさせているなどということが、よくお判りになりましたね。あなたはよほどの事情通でいらっしゃるのですね?」
「えぇ、まぁ。小生は文書室に出入りしておりますから。その場に相応しくない者の出入りが頻繁に行われたら不審に思うでしょう?」
「あら、理由もなく文書室に出入りしてはいけませんの?」
 小鳥が首を傾げるように彼女は無邪気に問いかけた。
「用事はあるのかもしれません。ですが、特定の人物とだけ話をしたり、一緒に出掛けていったりすれば目立つものです。たとえお互いに注意を払っていても、回数を重ねれば疑問に思う者も出てきますよ」
「お坊さまは観察眼に優れていらっしゃる。わたしがお坊さまなら気づいたかどうか……。でも、お知り合いになれたお陰で益になることを教えていただけました。主人に長く仕えられるよう、ご忠告を胸に刻んでおきますわ」
 腰掛けたまま頭を下げると、僧侶は恐縮した様子で強く首を振った。
「お役に立てて幸いです。ですが、くれぐれも気をつけてください。単なる好奇心で探らなくていいことを探って、後で後悔しても遅いのですから」
 僧侶は気づいているだろうか。ここまで念押しされると、人はかえって好奇心を煽られてしまうものだ。怖いもの見たさで動く者も出てくるだろうに。もし判っていて喋っているとしたら、この男はかなりの策士だ。
 彼女は己の憶測が正しいかどうか試す必要を感じていた。改めて意識を相手に向け、本腰を入れて探りを入れねばなるまい。
 背筋を伸ばし、いよいよ無邪気だが優美な微笑みを浮かべた。が、口を開きかかったところで、彼女の試みは潰えた。
 二人の背後から近づいてきた足音がすぐ傍らで止まり、彼女の耳元に屈み込んだ仲間が、怪訝そうに見遣る僧侶を無視してそっと囁く。
『公女が外に出てきました。様子がおかしい。急ぎお戻りを』
 仲間を流し見、彼女は小さく頷いた。すぐに立ち上がって僧侶に向き直ると、大袈裟なくらい腰を折って頭を下げる。
「誠にありがとうございました。得難いお話を聞かせていただき感謝いたします。そろそろ仕事に戻らねばなりませんので、ここで失礼させていただきますわ。長々とお引き留めしたこと、どうぞお許しくださいね。そうそう、お時間をとらせてしまったお詫びに何かお礼の品を差し上げたいのですが……」
「ご丁寧な挨拶をいただかなくとも。どうぞお気遣いなく。この僧院に住まう者も間接的には炎姫家に頼る身。お互いに助け合って生きていかねばなりません。これからも、そう思っておつきあいいただければ嬉しいことです」
「もちろんでございますわ。また次の機会がございましたら、是非とも新しいお話をしていただきたいものです。……また、お伺いしても?」
 暗にどうやって逢う気かと問うてみれば、僧侶は少しおたつき、傍らに立ち続ける仲間の視線を気にしながら、早口に返事をした。
「小生は文書室で配達の仕事を請け負っています。表玄関脇の通用口側か、文書室の控えに詰めていますので、どちらかを覗いていただければすぐに判ります。姿が見えないときは同僚か上司にアジラートはいるかと訊いていただければ、どうしているかすぐに判りますよ」
「アジラート様、ですね。それでは、上司の方はなんというお名前で……?」
 仲間は苛立っていたが、それにかまわず彼女は僧侶に向かって微笑み続けた。
「小生に“様”はいりませんよ。そうですね。同僚よりは上司に訊いたほうが小生の居場所が知れるでしょう。直属上司はガロ・セイシュ、文書室や蔵書管理室をまとめる文書管理局長はビューネウスです。お二人とも顔は怖いですが、礼節さえ守れば厳しい人ではありませんから気兼ねなくお越し下さい」
 彼女は微笑みで相手を魅了しながら、心には僧侶の上司二人の名をしっかりと刻み、彼らが何者であるかを調査した内容から掘り起こしていた。
「近しい者にはハナと呼ばせています。お坊さまもそうお呼びくださいな」
 苛立ちを募らせる仲間が小さく舌打ちした。名前を名乗ったのが判ったのだろう。気に食わないとあからさまに不機嫌を顔に出すのだ。あまりに幼稚な態度に呆れ果てるが、僧侶の前で罵るわけにもいかない。
「今日は楽しゅうございました。アジラート、機会がありましたらまた……」
 表に出すまいとしているが、内心では僧侶が浮かれていることは目の輝きや頬の上気具合で簡単に知れた。この僧院で懐に潜り込めた人物が一人でも出来たことで、今回の仕事は満足しておくべきだろう。
 もっとも、世間で密やかに囁かれる噂の真偽を疑う者が、この僧院にもいると判ったのだから大きな一歩ではある。やはり、噂は侮れない。そして、得た情報から考えるに、嘘と真の狭間には必ず秘密が隠されているはずだ。
 急いで彼女が建物を出ると、公女はすでに馬車の奥に座り込んでいた。あまり顔色が優れないところを見ると、芳しくないものを目撃したと推察できる。
 いよいよ報告で知った噂の信憑性が増し、大公家周辺はおどろおどろしいもので満ちているのだと確信が強まった。
 公女に声をかけようか迷ったが、深く考え込んでいるらしく、チラともこちらを見ないのでやめておいた。向かいのジノンも声をかけづらい様子である。
 彼女が前に停まる馬車に乗り込むと、後から続いて男が二人乗り込んできた。
『随分と坊主にご執心だったじゃないか。ハナ、お前の好みはあぁいう男か?』
 侮蔑を吐く一人をハナが睨むと、残りの一人が慌てて二人をなだめる。その気弱げな態度に腹が立ち、彼女は男たちを無視して動き出した窓の外を眺めた。
 利害関係から仲間になっているにすぎない人間と友好的な関係を築こうと努力することは、最初から諦めている。今さら嫌われようがかまうものか。
 可愛げのない、と嫌味を言う男に目もくれず、彼女は知り得た情報を上層部の人間にどう報告しようかと考え込んだ。