混沌と黎明の横顔

第13章:暗神は何処へ潜るか 6

 門兄たちや師匠と話し合い、今後の段取りを決めたところで、ジャムシードはタケトーの館へと戻ることにした。いつまでも工房に居座っていても、何も解決はしない。とりあえず館で待つ者たちに報告に戻らねば。
 大広場に足を踏み入れれば、商人たちが挨拶を交わしながら品物を引っぱり出している光景が目に入った。早朝の賑わいを象徴する朝市が間もなく始まる。一日の始まりを告げるに相応しい活力に広場中が満たされるのだ。
 だが、子どもの頃から馴染んだ光景でも今は心慰められるものではない。むしろ日常から乖離した己の現実に疎外感を感じるばかりだ。
 ジュペと再会した商神講ザンザ・ウーリからまだ一ヶ月も経っていないというのに、なぜこれほどまでに平穏からかけ離れてしまったのか。これが神々の悪ふざけだというのなら、ありとあらゆる罵倒を浴びせてやりたい。
 広場の喧噪に追われるように貴人街へと飛び込み、ジャムシードは一心に館を目指した。今は平常時のことなど考えられない。早く自分のなすべきことがある場所に戻りたかった。いや、戻らねばならない。
 閑静な貴人街の一画、タケトーの館が見えたところで、彼は立ち止まった。前方から不穏な空気が流れてくる。皮肉なことに常人よりも聴覚が鋭くなったジャムシードには、館の密やかな混乱が聞こえざる音となって感じられた。
 厭な予感がする。何か不測の事態が起こったのだ。負の感情を掻き立てられ、いてもたってもいられない。しかし、取り乱すわけにはいかなかった。
 館にいるイコン族は王都という街に馴染んでいない。彼らにとっては顔馴染みのジャムシードだけが街と自分たちを繋ぐ糸なのだ。
 ジャムシードが落ち着いているからまだ大丈夫。無意識のうちに顔見知りの行動に自分たちの行動の基準を求めているのが感じられた。取り乱せば彼らが浮き足立つ。そうなれば事態の収拾がつかなくなるのは眼に見えていた。
 砂漠の過酷さの中ではイコン族は自由だが、街の非情さの前では彼らは無力である。それは都市の外に暮らす農民の無力さと同質のものだ。価値観の違う者を排除する、都市特有の冷たさに彼らは耐えられまい。
 館で働く者と衝突したのだろうか。不安が拭い切れぬまま、ジャムシードは内心の動揺を顔に出すことなく館の扉をくぐった。
「いま帰った。俺がいない間に何かあったか?」
 玄関先で顔を合わせた使用人が青ざめた顔で振り返る。その表情だけで充分だ。間違いなく何かが起こったのだ。
 何があったのか問い質したくてたまらない。が、ジャムシードはタケトーはどこにいるのかを訊いただけで使用人の脇を通り過ぎた。
 館全体の事態を把握するには主人のタケトーに確認するのが一番早い。使用人にあれこれ探りを入れると、憶測混じりの説明で余計に混乱するだけだ。
 時間的に食堂にいるはずなのに、タケトーは上階の客室に向かったらしい。それがそもそも異様なことだ。主人は客人が部屋を空ける時間帯にはむやみに客室のある階には出入りはしないのが王国での習慣である。
 異邦人だが館の主人は王国の流儀に従っていた。それが習慣を破ったとなれば異変が起こったのだと予測できる。表面上は平静を保ちながらジャムシードは上階へと急ぎ、そこで喚くイコン族を見つけて不安は頂点に達した。
 集まった者たちを見回すが、以前は諫め役に徹していたジューザの姿がそこにはなく、困惑顔を隠さないタケトー、その傍らで立ち尽くすサキザードの様子もおかしい。彼らを責め立てる男たちの顔にも焦りが見えた。
「戻りました。こんなところで皆、何をしているんですか?」
 タケトーへと真っ直ぐに歩み寄ると、イコン族がこちらに群がってくる。しかし口々に不満を訴えるのだが、早口のイコン語は聞き取りづらかった。
 ジャムシードはひとつ頷くと、ゆっくりと周囲を見回す。一呼吸おき、彼は両手を静かに肩先まで持ち上げて男たちの声を制した。
「真剣な話なら廊下では落ち着いて聞けない。ちょうど朝食の時間だ。食後に必ず話を聞くから今は空腹を満たそう。それでも充分に間に合うだろう?」
 イコン族は不服そうに口角を押し下げたが、相手の視線が揺らがないのを見て、感情を一時的に飲み込んだ。それでも連れだって移動しながら肩を揺すり、仲間内で囁き交わす背中からは内心の不安が拭い切れぬ様子が窺える。
 彼らが去ると、タケトーとサキザードの二人が廊下の片隅に取り残された。ジャムシードは彼らに歩み寄り、館の主人に頭を下げる。
「申し訳ない。彼らはひとつのことに気を取られると他が見えなくなる質で」
「良いところに戻っていらっしゃいました。イコン語は判らないので助かりましたよ。さぁ、仔細は歩きながら話しますから我々も食堂に移動しましょう」
 主人に促され、ジャムシードはイコン族の後を追った。ところがサキザードの気配がついてこない。振り返って見れば、視線の先で弟が俯き萎れていた。
 どうしたのかと呼びかけると、彼はいよいよ俯いて首を振った。
「そのように自分を責めるものではありませんよ、サキザード。あなたは何も悪くないのですから。さ、一緒に食堂に行きましょう」
 タケトーが促してもサキザードは首を振り、逃げるように半歩後ずさる。
わたしのせいだ。吾の功名心が、彼を追い詰めたんです」
 呻き声を漏らし、両の拳で顔を覆い隠した弟の言葉の意味がよく理解できず、ジャムシードは何度も瞬きを繰り返した。唖然と立ち尽くす彼に代わってサキザードをなだめたのは、またしても館の主人だった。
「ジューザが単独行動に出たのは彼自身の考えがあってのことです。あなたはそれを止めたし、他の者にも声をかけて事態に対処しようとしたでしょう」
「いいえ。気づくべきでした。ジューザは、家族を失いそうになっているんです。彼がどれほど追い詰められていたか。そして彼がどんな立場の人間か。それを考えれば、易々と目を離すべきではなかった!」
 最後のほうは叫び声だ。ジャムシードの足は凍ったように床に張り付き、タケトーが弟に歩み寄って慰める様子を、ぼんやりと見つめるしかなかった。
「指定された場所に行ったことは間違いないのです。彼がその場にいなくても、必ずどこかに手がかりが残っているはずですから、そう嘆くものではありませんよ。あなたのお陰でジューザがどこに行ったのか判ったのだし、彼にはガイアシュが従っているはずです。子どもを連れて無茶なことは……」
「ガイアシュはもう子どもではありません! それに、二人の姿が指定場所にない以上、彼らの意志に反して拉致された可能性だってあるんです!」
 ジャムシードは鋭く息を呑む。今の会話から事のあらましはだいたい判った。女たちをさらった相手から交渉を持ちかけられでもしたのだろう。その指定の場所にジューザはガイアシュだけを伴って行ってしまったのだ。
 指定場所にはジューザ一人で来いとでも伝えられたに違いない。サキザードはその無謀を説き、対処しようとしたが、目を離した隙にジューザは出掛け、向かったはずの指定場所にもその姿はなかったということらしい。
 それがサキザードのいう功名心にどう結びつくのか判らなかった。だが今、弟は自身の言動に深く傷ついている。兄として何か言わねばならない。タケトー任せではなく、血の繋がった兄の自分が……。
 しかし、ジャムシードは喉の奥に留まる言葉をそのまま飲み込み、首を降り続ける若者の嘆きを茫然と見つめるばかりだった。
「彼だって部族長としてやってきたんですよ。考えなしに飛び出していったとは思えません。あなたはあなたの出来ることをやったのですから。今はそのことに思い悩むよりもジューザや彼の家族を救う道を考えましょう」
 なおもサキザードを慰めるタケトーがチラリとジャムシードを窺う。何か言ってやってくれ、と訴えているのだ。が、ジャムシードの頭の中に適切な言葉は浮かんでこない。どう言えば弟が鎮まるのか判らなかった。
 それでもぎこちなく足を動かし、項垂れる若者に近づく。まだ体調は完全には回復していないと聞いているが、最近は食事の量も増えて血色も良くなっていた。だが、今のサキザードの顔色は少し前の彼よりもひどいものである。
 ジャムシードはおそるおそる腕を伸ばし、弟の肉の薄い肩に手を掛けた。
「サキザード。もういいから。自分を責めるな。お前、ひどい顔色だぞ。休んでいたほうがいい。後は俺がなんとかする」
 ヒクリ、とサキザードの喉が鳴る。タケトーに名を呼ばれたが、ジャムシードは顔を上げた弟と絡まった視線を外すことが出来ず、固まっていた。
「吾は用済み、ですね。役に立たない者などいりませんか」
 肩に掛けていた手を乱暴に払いのけられる。その衝撃と相手の発した言葉によって、ジャムシードの身体はようやく強張りから解放された。
「何を言ってるんだ。お前をそんな風に考えたことはない。勘違いだ!」
「勘違い? いいえ、あなたは吾などいらないんだ。初めから、吾と関わりたいとは思ってない。いらないならいらないと、ハッキリ言えばいい!」
「バカな! 実の弟をいらないなんて言えるものか!」
「世間体が邪魔しているのなら僧院にでも送ってください。厄介払いにはちょうどいい場所でしょう! 外聞も悪くないでしょうしね!」
 返答に詰まり、ジャムシードは押し黙る。が、それがいけなかった。兄が言葉に窮した様子に、サキザードは自分の言葉が肯定されたのだと思い込んだ。
 彼は食堂とは逆方向に駆け出し、タケトーの制止の声にも反応しない。別階の自室へ向かったことは乱れた足音の移動経路からすぐに察せられた。
「なぜあんな言い方を? 彼を今回のことから除け者にしてどうするのです!」
 タケトーが苛立ちが混じった声でジャムシードに呼びかける。
「ジャムシードさん、あなたは彼の兄なんですよ。どうして一緒に物事を成し遂げようとしないんですか。あなたの曖昧な態度は彼を傷つけるだけです」
「だったら、あなたは出来るのですか。実の弟を余計なもめ事に巻き込んで、平然とした顔をしていられるんですか!」
 こんな厄介なことにサキザードを巻き込みたくはない。ただでさえ自分の記憶を失って動揺し、体力も落ちている弟に、これ以上の負担を強いろというのか。巻き込めば苦しみを増やすばかりではないか。
「もうすでに巻き込まれているではありませんか。この館にいる者同士、否応なく彼も当事者の一員なのですよ。それなのに蚊帳の外に置こうとすれば、彼は自分がいらない存在だと思い込むばかりです」
「それでも! サキザードにこれ以上は苦しんで欲しくない。俺は十八年前、あの子を助けられなかった。あの子から母親を奪い、孤独を強いた。もうあの子は自由に生きていいはずだ。俺に関わって苦しむ必要はないんです!」
「それならば、あなたはなぜこの館に出入りしているのです? あなたが目の前をウロチョロすればサキザードが意識しないわけにはいかないでしょう。あなたは関わり合いになって欲しくないと言いつつ、誰よりも彼と関わりたいと思っているからこの館に出入りしているのではないですか?」
「あの子をもめ事に巻き込みたくはないと言っているんです。兄として、あの子を見守ってはいけないと言うんですか」
 タケトーは小さくため息をつきながら、緩く首を振った。
「ジャムシードさん、兄弟の間柄でいいとこ取りなどできはしません。身内というのは曖昧なものでしてね、良いことだけで関わろうと思っても、悪い部分も見えてしまうものなのです。格好をつけたって始まりませんよ」
 私も兄の立場ですから弟に格好をつけたい気持ちは分かりますけどね、と肩をすくめてぼやきながら、タケトーは苦笑を漏らす。その困り切った表情の中に、どこか遠くを懐かしむ気配を感じ、ジャムシードは相手の意識が過去に飛んでいることを悟った。今、タケトーは子ども時代を思い出しているのだろう。
「俺とサキザードには小さい頃の共通した想い出がありません。兄弟と言いつつ他人と変わりない。だけど、あの子にはなくて俺にはあるものがひとつだけある。兄弟の存在を知っていたかいないか、ということです」
 浸る想い出すら自分たちにはなかった。その現実がやるせない。
「俺はこの十八年、何かの折にはあの子の存在を意識した。飢えずに済む家庭に里子に出されたと聞かされ、幸せであってくれと願ってきた」
 サキザードに払いのけられた腕をダラリと垂らしていたが、口を開いて話し始めた途端、ジャムシードは両の拳を固く握りしめた。
「だけど、再会したあの子はこれまでの人生が幸せだったかどうかすら忘れている。思い出せるかどうかも判らない記憶を取り戻すより、俺はあの子にこれから幸せになって欲しい。覚えてもいない、いや意識すらしたことのない兄より、自分の人生を大切にして欲しいんです」
「彼の今後にどうしてあなたが含まれていてはいけないのですか。サキザードが今回のことに関わったのは、あなたに近づこうとしたからでしょうに」
 呆れた様子のタケトーにジャムシードは首を振って見せた。
「俺の周囲には厄介事が山積みです。関われば傷つき、厭な思いをする。だから俺はあの子に関わって欲しくないんです。身勝手な願いだと判っていても」
 握った拳は爪が掌に食い込みんで痛みを感じる。だが、それすら弟を傷つけた痛みよりマシな気がして、知らずジャムシードは口許に自嘲を浮かべた。
「俺が弟に関わらないでいれば、あの子はこちらのことは意識もしないでしょう。だからあの子を混乱させるべきじゃない。そう判っていても、それでも俺はサキザードが一人で生きていけると確信が持てるまで側にいてやりたい。あの子が傷ついている今でさえも」
 関わるのが怖いのはそれだけではない。記憶が戻れば、サキザードはジャムシードを憎む。兄とは絶対に呼ばない。仕えていた主人の仇と、あらん限りの憎悪をぶつけるはずだ。あの岩窟都市の上層階での出来事が再現される。
「俺は赤ん坊だったサキザードを助けられなかった。その償いができるかどうか判りません。だから、せめてあの子がこれから自分で生きていけるようになるまで、僅かな期間でも見守っていたいんです」
 あぁ、そして……。出来ることなら記憶が戻らぬうちに世間から隔離された僧院に移り、そこで平穏に暮らして欲しいと願っている。そう思っていたからこそ、先ほどのサキザードの言葉に反論できなかった。
 僧院の中心組織に近い場所にいたかもしれない弟を再び聖界に戻せば、反逆者の一派として処分されかねない。だが王都から遠く離れた僧院であれば、その危険性は格段に下がるはずだ。木の葉を隠すなら森だというではないか。
「……あなたは莫迦です、ジャムシードさん」
 ひとり物思いに沈んでいたジャムシードはタケトーの声で我に返った。
「どうして見守るだけで満足できるのです? あなたは彼の前に現れてしまったのに。確かに、彼が記憶を取り戻せば今のあなたとの想い出は記憶から失われるかもしれない。けれど、今現在のあなたは彼の目の前に存在し、彼の意識に干渉し続けているのですよ」
 なんと言えばいいのか迷い、ジャムシードは口をつぐむ。それを見越していたのか、それとも相手の様子をかまう気など初めからなかったのか、タケトーは東方訛りのある口調で蕩々と語りだした。
「見守るだけでは不十分なんです。彼は自分の居場所を求めているのですから。あなたは彼に居場所を提供できる唯一と言っていい人間ではありませんか。私や他の人間が関わる以上に、あなたには彼に関わる権利があり、義務がある。その権利を目の前にして手をこまねいていてどうするのですか。あなたが一歩を踏み出す勇気を持たずして、誰が彼と関われるというのです!」
 タケトーの言うことは正しいのだろう。だが、以前のサキザードとの軋轢を考えると、ジャムシードに一歩を踏み出す勇気はなかった。
 ここで深く弟と関わり、彼が記憶を取り戻してしまったら、自分は二度も弟を失うことになる。一度目の別離は弟が連れ去られるところを見てはいなかった。だからこそ耐えられたのである。だが今回はそうはいかないはずだ。
 罵られ、決定的な決別の言葉が投げつけられるだろう。そして、ジャムシードの目の前から当然のこととして姿を消すであろう弟の背を、為す術もなく見送るしかないのだ。それを考えると、訳もなく叫びだしたくなる。
「ジャムシードさん、どうしたのですか? ひどく顔色が悪い。私はそれほど厳しい要求をしたとは思えないのですが、他にも何か理由が……?」
 また物思いに沈んでしまっていた。こんな不安定なことでは先が思いやられる。タケトーも不安げな表情を隠さないところをみると、自分は相当ひどい顔色をしているのだろう、とジャムシードは他人事のように推察した。
「大丈夫です。大したことはありません。……それより、サキザードのことを頼みます。俺は今からイコン族と話し合いをしなければなりませんから」
「何を言っているのですか! 私が話したことを聞いていましたか!? あなたが彼に会わずして誰が会いに行けるというのです!」
 怒りを滲ませ、声を荒げたタケトーにジャムシードはキッパリと首を振った。
「あなたこそ忘れている。俺たち兄弟のことより今は優先すべきことがある」
 話をすり替える気ですか、とタケトーが荒ぶった声をあげる。しかし、ジャムシードは彼に背を向け、食堂へと向かった。
 イコン族の女たちが拉致された一件は確かに優先すべきである。彼女たちの安否が判らない今、安穏と時間を過ごすことなどあり得なかった。
 だからといって弟のことを考えていないかといえば、それは逆。再会してからずっと、意識の片隅に引っかかっているのだ。それを表面上は見せないし、弟にも悟られないようにしているだけだ。
 きっとタケトーはジャムシードが内心では弟のことを意識していることに気づいている。だからこそ積極的に関わってお互いの齟齬をなくせと忠告してくるのだ。間違ってはいない。むしろ正しい選択だ。
 だが、その道を選ぶということはサキザードの意識に自分を植え付ける行為である。こちらを意識するほど過去の記憶を呼び起こす危険性が出てくるのだ。
 弟の力を抑え込む力量もないまま過去のサキザード……いや、シグムドと言うべきか、と再会しても、ジャムシードは手も足も出ない。弟を傷つけまいと逃げ回るしかないのだ。挙げ句、完全に血縁を拒絶され、仇と憎まれて命を狙われる。実の弟と殺し合いなど出来るものか。考えただけで寒気が走る。
 さらに悪いことに、弟の過去は誰にも話せないということだ。誰かに相談できるようなことではない。自分ひとりで抱えるには難しい問題だが、どこから解決したらいいのか判らず途方に暮れている有様だ。
 食堂の入り口が見える廊下の角でジャムシードは立ち止まり、眩暈を感じたかのように壁に寄りかかった。サキザードのことを考えれば考えるほど袋小路にはまって抜けられない気がしてくる。
「どうしたらいいんだ。俺にいったい何が出来る……」
 呟きはアッという間に空気に溶け、それを聞いた者はいなかった。答えは自分で見つけるしかない。他人を頼ることはできない案件だ。
 おぼつかない関係でも、今の弟との関係を保ちたいと願っている自分がいる。なのに保とうとすれば記憶を刺激し、過去を思い出す確率が上がってしまう。
 離れてしまえばいいのだろうか。いや、そんなに簡単に割り切って切り捨てられるほど簡単な問題ではない。何より側にいることを自分が望んでいる。
 本当に堂々巡りの思考に嫌気が差した。それでも考えることは止められない。むしろ意識から追い出そうとするほど深く強く刻まれていった。
 しばしの間、ぼんやりと足許を見つめていたジャムシードの耳にパタパタと軽い足音が届く。近づいてくるその主に覚えがあり、彼は表情を引き締めた。
 振り向くと、廊下の角を曲がってきた人物と危うくぶつかりそうになったが、ジャムシードは俊敏な動きでそれを避ける。
「あっ。ジャムシード! 良かった。ジューザの居場所を……」
 現れたのはガイアシュだった。表の通りから駆け通しだったらしく、息は切れ、頬は熟した林檎のように真っ赤である。
「お前、今までどこに行っていたんだ? ジューザと一緒だと聞いたけど」
「部族長が独りで館を抜け出したから後をつけたんです。呼び出された建物前で東方人と接触した後、彼らはすぐに場所を別の辻に移しました。そこで……」
 どうやらジューザは本当に独りで行動したらしい。ジャムシードは舌打ちしそうになったが、ガイアシュの話を聞くのが先決と、食堂に場を移した。
 気もそぞろでジャムシードを待ちかまえていたイコン族の男たちは彼がガイアシュを伴っているのを見た途端、口々に大声で叫びながら二人を取り囲んだ。もはや落ち着いて食事をするどころではない。
 大人に取り囲まれてオロオロする少年を背に庇い、ジャムシードはイコン語で男たちを退けた。慣れないポラスニア語よりイコン語で命じられたからか、男たちは反射的に口をつぐみ、複雑な表情で互いを見交わす。
「ガイアシュから話を聞く。話し終わるまでは誰も質問をするな。いいな?」
 だが、男たちは子どもを一人前扱いするのはどうかと文句を言い、大人に何も告げずに勝手に行動したことを責める。彼らの言葉に萎縮し、ガイアシュが小さくなったのを背に感じ、ジャムシードは眉をつり上げた。
「やかましい! 緊急時に大人も子どももあるか! ここでジューザを見失ったら、お前たちは女たちばかりではなく部族長をも失うことになるんだぞ!」
 耳を覆いたくなるほどの怒声にイコン族が唖然とする。今まで怒りを見せたことはあっても、怒鳴り散らすことはなかったジャムシードの急変に、彼らの意識がついていけなくなったのだ。
 ジャムシードは表情を殺し、それぞれ席に着くよう促す。が、内心では己の未熟さに落ち込んだ。苛立ちを彼らにぶつけてどうするのか。右も左も判らない王都で困惑しているのはイコン族のほうだというのに。
 ガイアシュから報告を受けながら、彼は自嘲の念を消せずにいた。