混沌と黎明の横顔

第11章:水底の陰謀 2

 やっと届いた報告に彼は眉間の皺を深くし、頬についた肉を震わせた。
「仕事ができない、だと……? 何をバカなことを。王族の暗殺くらいできないでどうするというのだ。なんのために飼ってやったと思っている!」
 手にした細長い紙切れを破り捨て、怒りに目尻をつり上げながら両手を机に叩きつけた。黒檀の机上に細切れになった紙切れのなれの果てが躍る。他にもあった書類を乱暴に払いのけた。さらに拳で机を叩く。
 傍らに控えていた事務官が上司の逆鱗に触れるのを恐れ、身を小さく縮めた。自分に声がかかるまでは嵐に巻き込まれたくはないのである。
 男は太り気味の身体を揺すり、部屋の中を熊のように歩き回った。
「えぇい、どうしてくれよう。使えぬ軍人どものお陰で頭が痛いわ。何も次期国王を狙えと言っているわけではない。単に王族の誰かを殺せと命じたのだ。ポラスニア王族の誰かを見せしめに殺さねば、こちらの面子が立たぬ」
 報告の紙切れは隣国ポラスニアに送り込んだ軍人からのものである。商人に身をやつした下っ端騎士を使って王国の内部を探り、王族の誰か一人でも暗殺してこいと命じてあった。ところが、隙がなくてできぬと言う。
「出来ぬはずがない! 炎姫公は先の戦で怪我を負い、その娘は単独行動が多いと聞く。水姫公は地藩都の再建に忙しく、その周辺に出入りする者の吟味も怠りがち。代替わりした黒耀樹家は派閥を二分して争っている真っ最中だ。さらに王家は花嫁候補を王宮に招くと言うではないか!」
 同じ室内にいる事務官に聞かせるために怒声を張り上げているわけではない。胸を焦がす怒りを言葉にして吐き出さねば気が済まないだけだ。
 激しく足踏みし、彼は拳を振り回す大袈裟な身振りで叫び続けた。
「これで隙がないとはどういうことだ。隙がありすぎるくらいだろうが!」
 付け入る隙がないなどという馬鹿げた報告を受けるとは思いもよらなかった。この報告は暗殺成功の報告だと信じていたというのに。
 鼻息荒く再び歩き始めたところに、男を邪魔するが如く執務室の扉が叩かれた。事務官が飛ぶように扉に駆け寄り、廊下にいる者と会話を交わす。それを面白くなさそう一瞥し、彼は暖炉で燃える炎を睨んだ。
 ポラスニアよりも北に位置し、さらに内陸部にあたるこの国は春の訪れが遅い。しかも寒暖の差が隣国以上に激しかった。春になっても暖を取る日がある。ようやく最近になって日差しが和らいだが、まだ火は欠かせなかった。
「宰相閣下、国王陛下より遣わされた使者の方がお見えです」
 仕事中であれば誰か彼かが執務室にやってくるのは当たり前である。が、こと国王からの使者と聞いて、彼はうんざりした気分に陥った。
 クーデターを起こして殺した王の異母弟にして従弟に当たる男を新しく王位に就けてよりこちら、傀儡であるはずの新国王は日増しに傲慢さを示している。今回の使者も権力を振りかざし、我が侭を押しつけに寄越したのだろう。
「操り人形であれば生かしておいてやったものを。やはり王家の血筋は腐りきっておるということか。忌々しいことだな」
 苦り切った表情で吐き捨てた後、彼は使者を通すよう事務官に告げた。
 入室を許された使者はまだ若い。ようやく少年の域を抜けたかどうかといった年齢のようだ。新王の間近に仕える小姓であろう。可愛らしい容貌に気弱な雰囲気を湛え、おどおどとした様子で宰相の前に跪いた。
「王陛下よりの命令をお伝えいたします」
 命令ときたか。政治のことには無関心なくせに権力を使うことには執着する輩の言いそうなことだ。どうせ命令の内容もろくでもないものに違いない。
 宰相が先を促すと、視線を彷徨わせながら使者が口を開いた。
「お、王宮には女性が少なすぎる。早急に女官および妾姫を揃えるように、と」
 呆れて怒りすら湧いてこない。王になった直後は臣下に貢ぎ物を要求し、その後は美食三昧、次には取り巻きたちに過ぎた役職を与え、そして今度は女か。きっとその次は女を囲うための宮殿を建てろとほざくだろう。
 阿呆の思考回路はどうしてこう似たり寄ったりなのか。ここ数代の王のバカさ加減には倦み果てた。こんな奴らに国をくれてやる気はない。
 宰相は素っ気なく使者に返事をし、早々に追い払うと、事務官が慌てて整えた机上の書類を再び辺りに撒き散らした。
 室内の置物にも八つ当たりしたいところだったが、以前に癇癪を起こしてそれをやったとき、物音に驚いて衛兵が飛び込んできたことがあったのが頭の隅に残っていて、ささやかな八つ当たりしか実行できずにいる。
 呼びもしないのに飛び込んできた衛兵に罪はないが、室内の物音に彼らを慣らしたくはなかった。騒音に慣れては、万が一のときに働かない。起こしたクーデターもそれを利用した。愚かな王たちと同じ鉄を踏む気はない。
「塔の騎士を呼べ。判っているだろうが、内密にだぞ」
 宰相の形相に恐れをなしたか、事務官は転がるように部屋を飛び出して廊下の端へと走り去った。乱れたその足音を聞きながら、彼は小さく舌打ちする。
「どいつもこいつも使えぬ奴ばかりだ。塔の騎士の奴らにしても姫の護衛につけたというのに一個大隊がほぼ全滅させられおる。ふざけておるわ。なんのための契約騎士だ。いざというときに使えぬ輩など無駄飯食いではないか」
 だがしかし、この国の中で彼がもっとも容易く使えるのがその塔の騎士である以上、彼らを退けることもできなかった。まだ残りがいて幸いである。
「宰相閣下、少しよろしいでしょうか?」
 彼が執務机の前に腰を据えた途端、先触れもなく一人の男が滑り込んできた。華やかな外見に嫣然とした微笑みが不愉快である。あからさまに顔をしかめ、宰相は闖入者を忌々しげに睨みつけた。
「何の用だ。王宮から追放した者が断りもなく勝手に入るな。第一、控え室に詰めておる者どもはどうした。呼びもせぬ者を入れるとは! 貴様もあれらの案内も受けずに入り込むとはどういう了見だ!」
「あぁ、彼らならぐっすりとお休みです。しばらくは眼を醒まさないでしょう」
 何だと、と怒鳴りつけようとして、宰相の顔が引きつる。笑っているはずの相手の瞳がすこしも微笑んでいないことに気づいた。
「貴様、我が配下の者に何をしたのだ。先の王と王妃の寵を受けたくらいでいい気になっているのではないだろうな!」
「先王と王妃だけではない。今の王も私の歌声を聴きたいそうですよ。ですから、私の王宮退去命令を撤回してもわらなくては」
 バカも休み休みに言え。見目良いだけの男の言うことなどまともに聞けるか。
 新王の寵を受けるというのならそうすればいい。だが退去命令を受けた者がそれを撤回しろと自分自身で王宮に乗り込んでくること自体がおかしな話ではないか。入れぬはずの者が入り込めるとは矛盾している。
「王陛下から撤回するよう命令が下れば呼び寄せてやるわ。しかし、それまでは貴様の身は追放処分のまま。今ここで捕らえられても文句を言うな!」
 衛兵、と大声で呼ばわった。だが誰も返事をしない。この男は控え室にいる者だけでなく、大扉の向こうにいる衛兵までどうにかしてしまったのか!?
「お生憎様です、宰相閣下。衛兵殿もお休みのようですよ」
「貴様がやったのか……? 訓練を受けた兵を物音一つ立てずに倒したと?」
 この段になって初めて、宰相はゾッと背筋が凍りつく思いに襲われた。
 ごくたまに、王宮の政務棟最奥とも言える宰相の執務室前まで辿り着く者はいる。大多数は控え室に詰める事務官補や官吏に追い返されるが、言葉巧みに言い繕い、事務官すら丸め込んで執務室に入られたことも過去にあった。
 それくらい危機感が薄い役人どもがはびこっているというだけでも国の危機的状態が判ろう。だが、そこまで考える者はこの王宮にはいないのが現状だ。
 この男は運良く入り込めた輩ではないのか。衛兵や役人たちを前後不覚に追い込んだということは、今までの輩とは別種の者だと判断したほうが……
「宰相閣下、あなたは頭が良い方だ。この国の腐った貴族の中で唯一、まともに思考が働く方だと言ってもいい。あなたが王になれば、この国は随分とましになるでしょうに。残念ですね、あなたに王家の血が流れていないとは」
「何を言っている。そんなことを言いたいためにここに来たのか?」
 静かに椅子を後ろに押しやり、宰相はすぐに逃げ出せるよう重心を落とす。
 衛兵が役に立たないとなれば、先ほど塔の騎士を呼びにやった事務官が戻ってくるまで、ここには誰もこない可能性が高かった。武術の心得がある者の詰め所までそれほど遠くはない。そこまで逃げ延びれば反撃できる。
「先王とも現王とも母方の血は同じでありながら、父方の血が違うというだけであなたは王になれない。愚王を葬った辣腕を奮う甲斐のないことですね。不公平を嘆いておられることでしょう」
「我が一家は代々宰相を務める名家ぞ。王家を支えるのが当然ではないか。愚かな王に退位を促すのも我が家の務めだ。貴様に同情される覚えはない!」
「同情などしておりませんよ。あなたの頭の良さに感服しているだけです」
 ゆっくりと机の前から移動しようとしていた身体が侵入者の言葉に止まった。
「今の王など、あなたにとっては場繋ぎにすぎません。本当の跡継ぎは塔に閉じこめられているはずの姫君。彼女は先の王がほんの戯れに手を付けた奴隷女の娘。……と世間に知られていますが、実際にはあなたの実の娘だ」
 宰相は返事をしない。下手な受け答えはできなかった。この者はどこまで知っているのだろう。何をしようというのだろう。
「魔力を持つ無垢な娘を王に就け、あなたは後見人として国を動かす。腐った血筋を排除するためには必要不可欠なことでしょう。誠に素晴らしい」
「先ほどから何をほざいておる。貴様の話になど興味はない。出ていけ!」
 確かめねばならない。しかし、相手の言葉に引き込まれ過ぎてもいけない。こちらの本音を隠したまま、相手のことをどこまで探れるだろうか。
「まぁ、そう邪険になさらないことです。今頃あなたの娘はポラスニアの王宮にいるでしょう。次期国王の王妃候補としてね」
 肉がつきすぎた宰相の頬が引きつる。内心の動揺が思わず出てしまった。
「故郷のことなど忘れてしまったかのように楽しんでいますよ。美しいドレスに贅沢な食事、ちやほやと傅く下僕に飽きのこない会話をしてくれる父親。彼女の夢見た理想の暮らしと言ってもいいのではないでしょうかねぇ」
「そんな、バカなっ。あの娘は塔で慎ましく暮らしていた謙虚な娘だ。それが阿呆のように遊び暮らしているというのか!?」
「おや? 遊んでいるように聞こえましたか? 姫は充分に貴族らしく振る舞い、己の役割を果たそうとしているようでしたが」
「貴様、我が娘をさらっただけでなく、我が国に潜り込んで何をする気だ!」
 美麗な顔に笑みの仮面を貼りつけ、男は足音もなく近づいてくる。
「さらったなどと人聞きの悪い。あなたが潜り込ませた間者は始末させてもらいました。悪あがきなどせず、姫の将来のためにも手を引いてください」
「娘を取り戻すための手段など選んでおれぬわ。貴様らにいいように利用され、用がなくなれば始末されるのを黙って見過ごせるものか!」
「すでに彼女は我々の大切な駒です。そう簡単に処分などしませんよ。この国でも結局は傀儡にされるのです。それなら彼女が望むように我が国で次期国王の花嫁になったほうがいいと思いませんか?」
「望むように……? あの娘が異国に留まることを望むものか! 青水晶さえ手に入れば家族と暮らせると言い含めてあるわ。貴様らこそ娘に利用されているだけであろう。あれは見た目ほど無邪気ではないぞ」
 床を蹴り、彼は扉へ向かって走り出した。なんとしてでも武官の詰め所に辿り着かねば。この侵入者を始末させ、今手に入れて情報を合わせて新たに間者を送り込まねばならないのだ。娘を取り戻さねば先王を始末した意味がない。
 思うとおりに動かない足を必死に前後に動かし、バタバタと控え室へ駆け込んだ。声を出す間もなく事切れた官吏が数人、折り重なるようにして倒れている姿が視界の端を掠めたが、それにかまっている余裕はない。
 部屋の向こうに見える廊下まで出れば、後は詰め所まで一直線だ。
 扉に手を掛けたその瞬間、宰相は焼け付くような痛みを足に感じた。急激に力が抜け、ズルズルと扉にもたれかかったまま床にうずくまる。何が起こったのか判らない。唖然とし、彼は己の足を見おろした。
「まだ話は終わっておりませんよ。ちゃんと最後まで聞いてくださいね」
 身体の異変を見つけ、声にならない悲鳴をあげた宰相は追い詰められたネズミのように震え、カチカチと歯を鳴らす。彼の足首には鉄製の太い針が突き立ち、細い糸の如く流れる血の道を床に広げていた。
「動けないでしょう? さぁ、これで心置きなくお話ができるというものです」
 男の声に宰相は弾かれたように顔を上げる。見惚れるほどに麗しい笑みがそこにあった。歩み寄る男からは表情とは反対の禍々しいほどの殺気が漂う。
 詰め所まで這いずって逃げようにも身体が重石の役割を果たし、内開きの扉は動かせなかった。いや、この足では簡単に追いつかれるだろう。
「何度も間者を送り込まれるのも迷惑ですし、姫のためにも後顧の憂いは断っておきたいのですよ。ですから、あなたには沈黙してもらおうと思います」
 数歩の距離まで近づいた侵入者の口が三日月型につり上がった。細められた瞳と相まって、それは邪悪な笑みを浮かべる道化の仮面に見えてくる。
「こ、こんなことをしても憂いなど断てはせんぞ。貴様らはいずれ、我が子によって滅ぼされる存在でしかない。それをいずれ思い知ることになる」
「それほど我々のことを気に掛けていただけるとはね。一応は感謝しましょう。でも心配はご無用に。あなたの大切な駒はこちらで使わせていただきますよ」
 両腕で床を掻き、宰相は必死に後ずさろうとした。が、背には扉が立ちふさがり、彼の行く手は難なく塞がれている。さらに一歩を縮めた男が薄く笑った。
「そうそう、この国のこともお引き受けしましょう。新しい王陛下には存分に働いてもらわねばなりませんからね。ご機嫌を損ねないようにしましょう」
 間近から覗き込まれた一瞬、宰相は太った身体をばたつかせて男の首にしがみつく。ここで放してなるものか、と首筋を締め上げるが、相手が腕を一閃するだけでその拘束は外れ、均衡を崩した彼だけが床に転がった。
「醜い豚に触れられては穢れの素。サッサと消え失せなさい」
 起きあがろうと藻掻いていると急に首筋が熱くなる。同時にそれは心地よい温みでもあった。首筋に掌を這わせ、そこが濡れていることを確認すると、宰相は真っ赤に染まった己の手を凝視したまま動かなくなった。




 人の気配を避けながら移動し、彼は煌びやかな一画へと到着した。
「フェイダ? そこにいるのか? ここを開けてくれ」
 小さく呼ばわった声が途切れた次の瞬間には目の前の扉が薄く開かれる。隙間に身体をねじ込み、ハミトは素早く室内へと滑り込んだ。
「ちょっと遅かったんじゃないの? まさか、しくじった?」
 甘えた表情の少年がべったりと抱きついてくる。それをアッサリと引き剥がし、ハミトは眼をすがめた。敵陣真っ直中で油断は禁物である。
「フェイダ、ここでは気を許すな。お前は今、王の寵童で、私は王に取り入ろうと画策している放浪の吟遊詩人だぞ。忘れていないだろうな」
 ハミトに睨み下ろされ、フェイダは小さく肩をすくめた。がしかし、素直に反省しているのではなく、怒られた内容に辟易しているようだった。
「判ってるって。だからさっきも王の命令にかこつけて宰相の在室を確かめてやっただろ。これでもけっこうな演技派なんだぜ」
「自分で自分を適当に評価する人間に限ってロクでもない性質を持っているものだ。お前はそういう人間になるんじゃない。もっと冷静に分析しなさい」
「はぁーい。……で、宰相のほうは上手くいったのかよ? お次は王陛下の番なんだけど、計画通りに進めていいんだよな?」
「あぁ、万事ぬかりなく行なうように」
 ハミトは重々しい仕草で頷き、少しだけ屈み込むと少年の顔を覗き込んだ。
「このまま一気に片を付ける。計画通りに進めていくぞ。飛び出していった事務官が戻ってくるまで、宰相の執務室の異変は気づかれないだろう。お前が伝えた王の命令に腹を立てて、配下の騎士を呼びにやらせたからな。往復してくるだけでもそこそこ時間がかかるはずだし」
「ンじゃあ、薬漬けになって天上の花園で遊んでいらっしゃる王陛下を本物の花園にご紹介申し上げようかな。そろそろヒヒ爺に尻を撫で回されるのもうんざりだしさ。まったくエグイんだぜ、あいつの触り方ったら……」
「フェイダ! 無駄口は仕事が終わってからだ」
 すっかり浮かれている少年の首根っこを掴み、ハミトは厳しい視線を向ける。
 この子は本当に自分の仕事の重要性が判っているだろうか。ようやく成年を迎えたばかりの者に計画の大切な部分を任せることにしたのは、もしかしたら間違いだったかもしれないと一抹の不安が頭をもたげた。
 計画は変更できない。ハミト自身はここからの脱出経路確保の仕事が待っていた。やはり新国王の始末は王の側近くに潜り込んだ少年に任せるしかない。
「薬の分量は覚えていますね? よろしい。仕事が終わったら、城外居住者の退去時間に合わせて予定通りここを脱出します。忘れないように」
 相変わらずのほほんとした態度と口調で返事をするフェイダを睨み、ハミトは潜めていた声をいっそう低くした。
「最後に。万が一、仕事をしくじって捕らえられた場合、拷問を受ける前に自害しなさい。いいですね。私はあなたを助けに戻ったりしませんよ」
 一瞬きょとんとしたフェイダの顔が見る見るうちに引き締まっていく。今までも遊び気分でいたわけではあるまいが、最後の念押しの言葉に自分がどんな場所に足を踏み入れようとしているのか思い出したようだ。
「やだな。失敗するわけないだろ。安心して任せとけよ。まったく、ハミトってばいつまでたっても心配性なのな。少しは信用して欲しいぜ」
「慎重に事を運ぶためには必要な覚悟です。我々は客地で死んだとて故郷に墓碑を建ててもらえるわけではないのですから。己の立場をわきまえなさい」
 いっそう強張ったフェイダの頬をそっと掌で包み込み、ハミトは相手の瞳の奥深くを覗き込むように身を屈めた。
「成功したら大きな報酬が待っています。己の力を試したいのでしょう? だったら、何がなんでも成功させて戻ってきなさい」
「報酬も魅力的だけどさ。これを成功させたら、今度はオレ一人で仕事を任せてもらえるようになるかな? そっちのほうが嬉しいんだけど」
「水姫公が決めることで確証を与えてはあげられませんが可能性はあります」
 頬を包むハミトの手をそっと握りしめ、フェイダは強張りを解すように不敵な笑みを浮かべていく。そこには年相応の無鉄砲さが見え隠れした。
「絶対に成功させてやるよ。国に帰ったら、ハミトもご褒美くれるんだろ?」
 調子を取り戻した少年は「じゃ、行ってくる」と男に手を振り、素早く身を翻す。勝手に約束を取り決め、悠々と廊下に飛び出していく背中を見送り終わると、ハミトは小さく嘆息した。どうも少年に振り回され気味である。
「新人教育も管理職の仕事、か。出世の餌に釣られているのは私も同じですね」
 だが部屋の衣装箱に隠しておいた変装用の衣装を取り出す頃には、彼の表情からは人間味は抜け落ち、氷のように冷たい顔つきに変貌していた。