混沌と黎明の横顔

第10章:とぐろ巻く刻《とき》の声 3

 人目を避けて部屋に滑り込んだとき、姉の意識は回復していた。しかし顔色は未だ回復しておらずやつれた印象を受ける。身体よりも心が疲れているのだ。
「アルティーエ。起きても大丈夫なのかい? 横になっていたほうが楽じゃないかな。……あぁ、エスティラナ。付き添いありがとう。君は一度表宮殿に戻ったほうがいいよ。帰参した連絡を入れてそのままでしょ」
 ヤウンが来るまでの間、ずっと王女に付き添っていた侍女のエスティラナが表の職場へと戻ることになった。アルティーエは不安げに見送っていたが、友人であり王女付きとはいえ宮殿侍女である彼女を引き留めることはしない。
 残されたのはサルシャ・ヤウンと仮の警護についているアイレンの二人だけだった。元々が秘かに王宮へと戻ってきたため表立って警備を増やすわけにもいかず、離宮内は実にひっそりとした気配を漂わせている。
「信用の置ける者を周囲に配置してあるから心配しないでよ。ここなら貴族たちも簡単には出入りできないし、手出しするのも難しいからね」
「離宮を解放するなんて相変わらずやることが大胆ね、ヤウン。始祖王縁の場所をわたしが占領していると知ったら、貴族たちがうるさいでしょうに」
 大量のクッションに埋もれるように座る姉の傍らに腰を落ち着け、ヤウンは唇の片方だけをつり上げて薄く笑った。
「あいつらに出来ることは騒ぎ立てることだけさ。騒音にさえ我慢していれば、そのうちに諦めて引っ込むよ。……ところで、母上にはもう逢った? 先に知らせを出しておいたから、ここに居座っているかと思っていたのに」
「わたしがまだ眠っている間に顔を出されたそうよ。長居はされなかったけど」
 そうか、と頷きながら、ヤウンはまじまじと姉の顔を覗き込む。ワイト・ダイスの戦死を知らせた後のひどい落ち込みようと比べれば、今の彼女の表情はましなほうだった。しかし楽観視していいか迷う程度には精気がない。
「アルティ。聞きたくないかもしれないけど報告しておくね。君を襲った輩は、これからケル・エルスが尋問に入る。近日中に君の仇を取れると思うよ」
 隠しておくこともできるだろう。だが災難を受けたアルティーエには知る権利があるし、何よりも安心を与えることが必要だった。
「明日にでも貴族の娘たちが後宮に入る。そのどさくさに紛れて君を匿う予定にしてるから。エスティラナやアイレンを側につけるけど、君が必要だと思う人員は優先的にこちらに割くつもりだから遠慮なく言って」
 それから、と口を開き掛かったヤウンだったが、姉の様子に口をつぐんだ。
「アルティーエ? どうしたの。身体の具合がよくないのかい?」
 胸元を押さえて顔をしかめている姉の姿は病に苦しむ者の姿である。ひどい扱いを受けはしたものの身体的には特に傷を負っているとは聞いていなかったが、もしや見落としていたことがあったのだろうか。
 彼女の身体を支えようとヤウンは腕を伸ばした。
 ところが、姉の身体に触れる寸前で身体を後ろに引っ張られる。こんなことができるのは一緒に部屋にいるアイレンだけのはず……。
 何をするのか。咄嗟に振り返ったヤウンはそこに女騎士の青ざめた顔を見た。
「下がっていてください、殿下。アルティーエ姫に近づいてはなりません!」
 王太子の行動を非難している口調ではない。むしろサルシャ・ヤウンという若者を守ろうとしての行動のようだ。そういう雰囲気が彼女の声と表情から読みとれる。しかし、言っていることの意味が判らなかった。
 苦しんでいる姉に何か悪い病気を得た兆候でも見たのだろうか。不安になり、ヤウンはアルティーエへと視線を戻そうとした。その彼の耳にしゃがれた老婆のような声が届く。知らない。誰だ、これは?
「シヴェラリアーナは約束を守らなかったようだねぇ。こちらの忠告を無視した贖いをさせねばなるまいよ。お前か、この娘か、どちらかの魂を貰い受けるとしようかえ。……のぅ、サルシャ・ヤウン?」
 完全に姉に向き直った王子が見たものは、見たこともない陰惨な表情を浮かべながらにじり寄ってくる双子の片割れの姿だった。
「アルティーエ!? いったい、君は……」
「おさがりください、殿下! 姫は何者かに操られ正気を失っておられる!」
 それは見れば判る。だから、姉を正気に戻さねば。あぁ、だがしかし。どうしたらアルティーエを正気づかせることができるのだ。取り憑かれた者を祓えなかったら大切な片割れはどうなってしまうのか。
 僅かな時間の間に、ヤウンの脳裏に厭な想像が駆け巡っていった。
「アルティーエ、しっかりして! 僕のことが判らないの!?」
 自分は無力だ、と思い知らされるまで一瞬しかかからない。感情を映さない姉の瞳が細められ、獲物を追い詰める猛獣のように残虐な色に染まるのを、王太子は為す術もなく見守るしかなかった。
 飛びかかってきた王女から王子を守るため、アイレンが間に割って入る。鞘ごと剣を構えた女騎士の背に守られながら、ヤウンはじりじりと入り口へと後退させられた。言葉にこそ出さないが逃げろと言われているのだ。
 剣術の腕はあまりよくないヤウンでは、異形に抵抗する力など無きに等しい。まして、その異形が取り憑いている相手が双子の姉とあっては、無防備に相手に急所をさらしているようなものだった。
 姉の名を何度も叫ぶ。魂が繋がっていると言われる双子なのだ。意識を取り戻してくれるのではないか。その一縷の望みが王子の足をこの場に縫い止めていた。王女の身体を傷つけることを危ぶみ、防戦一方のアイレンにしてみれば、歯痒いばかりの振る舞いであっただろうが。
「この娘を斬るがよいぞえ。お前が助かる道はそれしかないわ」
 姉の口から漏れる老婆の声にサルシャ・ヤウンは震え上がった。国王になる前に死ぬわけにはいかない。だからと言って、双子の片割れを殺せようか。
「どうして!? なぜ今になってアルティーエをっ!」
 王太子を庇いながらの戦い、しかも相手に怪我を負わせないよう戦うアイレンの技量は人相手であれば圧倒的な強さを誇っただろう。どこから打ち出されか判らない彼女の一撃は、人外の者の動きをなんとか抑え込んでいた。
「今だからこそよ。ふざけた結界なぞ張りよぉって、あの坊主どもめ。あれがなければ、とうの昔に喰らっておるわ。……さぁっ! お前に育てさせた核をこの娘に与えておやり。それで新しい聖なる娘ル・ファレの完成だえ!」
 相手の言葉の後半は意味が判らない。しかし前半部分から、姉を預けた僧院施設で張ったという結界が有効であることは判った。残念ながら今この場にその結界は存在しない。だからこそ異形が顔を出したのだ。
 異形は初めからヤウンを殺し、姉を何か異質な存在に変えようとしている。それだけは理解できた。どうやったらそれを回避できるのだろう。自分がこの場にいなくなれば姉は元に戻るのか。それとも、それももう遅いのか。
 いつもなら即座に判断して行動に移すサルシャ・ヤウンだったが、目の前で荒れ狂う姉の姿に戸惑い、迷うばかりだった。生き延びねばならない。今の彼は足手まといだ。だけれど、それは姉を見捨てるようで逃げられない。
「アルティーエ! お願いだよ。正気に戻ってっ!」
 アイレンが鞘部分でアルティーエの突進を受け止め、強引に押し戻した。
「おのれっ。忌々しい人間めが。一度ならず二度まで邪魔するか!」
 眦をつり上げ、眉間に激情の皺を刻んだ王女の様子は娘らしさとはかけ離れ、怒れる悪鬼女を連想させる形相である。ヤウンの眼から見ても、角や牙、鋭い鉤爪が見当たらないのが不思議なほどだった。
「お逃げください、ヤウン殿下。このままではお怪我をなさいます」
 さしものアイレンも息が乱れている。このままでは消耗戦だ。彼女の体力が尽きたときが王太子の命運が尽きるときにもなる。
 判っている。力量及ばない己が側にいたのでは、アイレンは防御一方の戦い方しかできず、不利な戦いを続けねばならないのだ。それでもヤウンは二の足を踏んでしまう。ここでアルティーエに背を向けていいのか、と。
 迷いは危機を産む。それは両親に代わる代わる何度も何度も聞かされたことだった。それを当然のこととして理解してきたはずなのに。
 今までに経験した迷いなど大したことはなかったのだ。産まれたときから共にあった存在に背は向けられない。今のヤウンの頭の中は真っ白だった。
「厭だ……。駄目だよ、アルティーエ。僕に君を見捨てさせないでっ」
 アイレンが鞘先で王女の腕を払いのけ続けている。名のある剣士であるアイレンが使っている剣であるから、それ相応の名剣であろう。どこぞの名も無き鍛冶工房で鍛えられた剣であったなら、とっくに折れていたかもしれない。
 決定的な体格差をもってしても女騎士は華奢な王女の身体を抑えることが難しかった。アイレンの呼吸は荒くなり、王女の振り回す指先が頬をかすめていく。背に庇う王太子の気配を気にして集中力も散漫になりがちだ。
 背を向けるしかないのか。呼びかけても姉は正気に戻らない。その事実を認めるしかないのか。ここで姉を見失えば、もう二度と逢えないような気がする。それでも己の保身のために逃げねばならないのか。
 よろける足取りで後ずさりながらヤウンは奥歯を噛み締めた。これほど歯痒い思いをしたことがあったろうか。初陣の負け戦のときより惨めな気分だ。
 何度目かの突進にアイレンが体勢を崩す。彼女が立ち直るよりも先に王女の身体がその脇をすり抜け、獲物のヤウンへと飛びかかった。
「アルティーエ! ……ティーエッ。眼を醒ませ!」
 咄嗟に叫んだ名に王女の身体が僅かに硬直する。それがヤウンの記憶を呼び起こした。男名のような愛称を子どもの頃に呼んで母に禁じられていたことを。
 一瞬のことだったが、それが王太子の命を救った。喉にかかっていた王女の指はヤウンの白い肌に食い込む寸前で動きを止めたのである。体勢を立て直したアイレンが剣を捨てて飛びつき、アルティーエの身体を羽交い締めにした。
 子どもの頃に一時的に呼んだ愛称を叫んだくらいで動きを止めたのか? 事の真偽は判らないが、王女の動きを制したと思われる言葉をヤウンは叫んだ。
「ティーエ! 自分が何者か思い出せ。僕のことを忘れるな!」
 王女の喉が明らかに苦痛と思われる呻き声を発する。つり上がった目尻から一粒の雫が頬を伝い落ちていった。
 再び呼びかけながら、ヤウンが双子の片割れへと腕を伸ばす。だが王女は正気に戻ってはおらず、拘束をはずそうと藻掻いていた。
「殿下、お願いですから下がってください。今はまだ危険です。姫に手を触れないで! こうして抑え込んでいるので精一杯なのです!」
 両腕を万力のように固定してアルティーエを止めているアイレンの額には汗が浮かぶ。剣術は男に引けをとらぬが、やはり女の身では剛力というわけにはいかないのだ。それでも同性の中では群を抜いた腕力の持ち主だろうが。
「ティーエ、落ち着いて! お願いだから──」
 ヤウンの声に被さるように部屋の外で慌ただしい足音が響いた。誰かが近づいてくる。今の状況で部屋に飛び込まれたら大変なことになるではないか。
 王太子は扉に飛びつき、部屋に入ってこられないよう取っ手を掴んだ。その掌に扉を乱打するけたたましい震えが伝わる。
「殿下。サルシャ・ヤウン殿下! ここをお開けください。殿下!」
「ヴィドク、退け! 蹴破る!」
 扉の向こう側の会話にヤウンは飛び退いた。扉の真正面にいては危険である。
 彼が後退するのと同時に、華麗な装飾を施された木製の扉が凄まじい破壊音と共に吹っ飛んだ。真ん中から裂けた扉が古ぼけた布きれのように蝶番だけで壁にぶら下がっている様はなんとも無惨なものである。
「オルドク。ヴィドク。君たち、どうして後宮にいるの!?」
 基本的に男子禁制の後宮に僧兵がいるなどあってはならないことだ。いったい二人はどうやって後宮の、しかも特に入場が制限される離宮に入ったのか。
「お話は後で! お下がり下さい、王太子殿下」
 双子の僧兵は状況を見て取ると、王女に向かってそれぞれが手をかざし、口早に聞いたことのない言葉を呟き始めた。
 何をする気だ。ヤウンは彼らを止めようとしたが、咄嗟に制止の声が出て来ない。双子の様子に気圧されていた。抗いがたい雰囲気が二人を取り巻いている。
 彼らが異質な力を使おうとしていることだけは確かだ。姉の顔が苦痛に歪み、蛇のようにのたうち回った。拘束する腕を解いたアイレンが二人の僧侶を止めるべきかどうか逡巡している。彼女が瞬時に判断を下せない何かがあるのだ。
「お前、たちっ! まさか、まさか……その力を使おうというのかえ!」
 ビクビクと全身を痙攣させながら王女の唇からはしゃがれた声が飛び出す。
 彼女に取り憑く存在が双子の何に驚異を感じているのか、ヤウンにはさっぱり判らなかった。だが二人の使う力が異形に働きかけていることは間違いない。止めようとしていたことも忘れ、王子は祈るように両手を握りしめた。
「やめよ! このままでは、王女も壊れ……」
「壊れない。この瞬間をずっと待っていたのですから。絶対に逃がしません。滅せよバルバーダ!」
 淡々と言葉を紡いでいたヴィドクが最後に鋭い声をあげる。聞いたことのない言語であったが、ヤウンにはそれの意味が判った。
 アルティーエの身体が海老のように反り返り、苦痛のあまり白目を剥き、口の端からは涎がこぼれる。まるで毒でも盛られたような有様だ。
「ティーエ。アルティーエ! 君たち、僕の姉に何をしたの!?」
 バゼルダルンの宮殿書庫で読み漁った、魔術に関する書物に使われた呪文の記述がある。人にとっては究極とも言える魔術だろう。
 滅びを呼ぶ魔術は一瞬の点に魔力を集中させる攻撃魔法だ。消耗も激しいため、乱発することは不可能な魔術でもある。また、御するためには多くの経験が必要とされ、ごく一部の者にしか使いこなせない高等魔法でもあった。
 そんな魔術を直接ぶつけられたのである。王女が無事で済むはずがないではないか。それが判っていて止められなかった自分が歯痒い。
「なりません、殿下。未だ危険が去ったわけではないのです」
 姉を抱き起こそうと駆け寄った王子を女騎士が止めた。
「放せ、アイレン! アルティーエがっ! 僕の片割れが……ッ!」
「安全が確認できるまで、アルティーエ姫に御身が触れることはなりません!」
 小刻みな痙攣が徐々に収まり、王女はぐったりと床に横たわる。時折、思い出したように手先が大きく痙攣したが、それ以上のことは起こらなかった。
 大柄とはいえアイレンは女である。それなのに彼女に抱え上げられたヤウンは手足を振り回すばかりだった。十代後半の若者には屈辱である。しかし、彼が下ろすように何度命じても女騎士がそれに従うことはなかった。
「もう大丈夫です、アイレン卿。姫は落ち着かれましたよ」
 ようやく騎士の腕から抜け出すと、王太子は転がるようにして姉の傍らへと飛んでいった。浅い息を繰り返し、意識は朦朧としているようだが、王女は先ほどまでの険のある言葉を吐き続けていたときとは別人の顔だった。
「アルティーエ! 眼を開けて。僕が判る? ねぇってば!」
 肩を揺すると青ざめた瞼が痙攣する。意識が少しははっきりしたのだろう。ゆっくりと瞳を持ち上げ、弟を認めた王女は顔を歪ませて大粒の涙をこぼした。
「も、ヤダ。どうして? なんで身体が勝手に動くの? なんで思ってもいないことを喋り出すの? これからどうなっちゃうのよっ」
 王子にしがみついて泣きじゃくるアルティーエを痛ましげに見おろしていたアイレンが、羽織っていた己の上着を王女の薄い肩に着せかける。のたうち回っている間にドレスが着崩れ、片方の肩を剥き出しにしていたのだ。
「どうもならないよ。アルティも僕も無事だった。これから先もだ。絶対に何も起こらない。だから心配しないで」
「なんでそんなに自信満々なのよ! 今回が無事だからって、次が無事とは限らないじゃないの。弟の首を絞めようとしたのよ。冗談じゃないわ!」
「生まれつきそうだったわけじゃない。強制されているだけだよ。だったら、絶対に治せる。僕が必ずその方法を見つけるよ!」
 根拠などなにもない。アルティーエもそれは判っているはずだ。本当なら絶対などという言葉は使うべきではないのかもしれない。だが今のヤウンの心情を言葉にするとしたら、そう言うしかなかった。
「ばかぁっ! まかり間違って自分が死んじゃったらどうするつもりなのよ。ヤウンのくせに生意気よ! 昔はビィビィ泣いて後ろに隠れていたくせに!」
 いつもの姉の口癖が出て、ヤウンは微苦笑を漏らす。転んだと言っては泣き、置いていかれた言っては泣いていたのは、ヤウンが五歳にも満たない子どもの頃のことだ。その頃のことを持ち出しては、生意気だとアルティーエは強がるが、実は彼女も同じようなものだったはずである。
「判ってる。ティーエのほうが強い子なんでしょ。だから、もう泣きやんで」
「やめなさいよ、その言い方。弱虫サリーの慰めなんかいらないわよ、ばかっ。これはちょっとビックリして涙が出てきちゃっただけなんだから!」
「うわぁ……。懐かしいんだけど、その呼び方だけは止めて欲しいなぁ。せめてサーシャくらいに格上げしてもらいたいよ」
 サリーもサーシャも愛称に使われる呼び方だ。サーシャのほうは男性名の愛称にも存在するが、サリーに至ってはあからさまに女性名のものである。判っているから姉はからかい混じりにヤウンのことをサリーと呼ぶのだ。
「口答えする気!? ヤウンのくせに生意気! やっぱり弱虫サリーで充分よ」
「なんだい、おこりんぼティーエ! そういうの可愛くないよ!」
 双子は同時に舌を突き出し、まったく同じタイミングでそっぽを向いた。子どもっぽい真似をしていることは重々承知の上。お互いに信頼しているからこそできる喧嘩だということも判っているから、つい甘えてしまうのだ。
 視線を反らした先、微妙な顔つきでこちらを窺う二人の僧侶と眼が合う。いや、眼が合ったのは双子の僧兵の片方だ。だが感覚を共有している彼らであるからして、ヴィドクの見ているものはオルドクにも見えているはずである。
 ヤウンは表情を引き締めて立ち上がると、二人の前に歩いていった。
「よくやってくれた、と諸手を挙げて褒めてあげたいけどそうもいかないね。ここにどうやって入ってきたの? しかも、君たちはここで何が起こっているのか判っていたようだし。初めから説明してもらえるんだろうね?」
 まごつくヴィドクを庇ってオルドクが前に出る。が、言葉を発するより先に彼は跪き、王太子の上着から下がる飾り帯の端を持ち上げて口づけを落とした。
「今回のことで処罰されるのであれば、それは私ひとりでお留めください。であれば、知る限りのことはすべてお話いたします」
「オルドク! 駄目だ。罰を受けるのなら我らは同罪のはず!」
 ヴィドクにオルドクの声は音となって鼓膜には届かない。だが、感覚を共有するがゆえか、あるいは性格を知り尽くした兄弟ゆえか、彼は双子の片割れが何を言いだしたのかを察知していた。
「処分を決めるのは僕だ。君たちの指図は受けない。そして、今の君たちには話をするかしないか、その二択しかないよ」
 オルドクと同じく跪いたヴィドクが王太子の声を聞き取ろうと、ヤウンの口許を凝視する。その瞳に後ろめたさからくる翳りは見えなかった。
「僧院は僕の姉にかけられた呪詛を解明できないと報告してきた。しかし君たちは異形の力を退け、忌まわしい存在も知っている様子。これまでの僕への報告が偽りとなれば、王家への叛意の現れと判断せざるを得ない」
 弾かれたように顔を上げたオルドクを制し、ヴィドクが口を開いた。
「詳しく判らないのは本当です。それに解決方法が見つからない状態で報告するほうが良かったと仰るのですか? 殿下と姫のお命に関わることですのに」
「僕たちの命に関わるからこそ報告すべきだった。無事ではあったが姉は呪いの犠牲になり、僕や僕を守ろうとしたアイレンは命の危険にさらされたんだ」
「ですが……ッ」
「やめろ、ヴィドク。殿下はご存じないのだ。姫の呪いが再び実体化した以上、事態は我らの手に余る。一刻も早く結界を構築するよう老師に打診せねば」
 彼らは何か知っている。そして彼らの上司も。今日一日ヤウンに付き添っていたことすら、護衛以上の意味があるのではないのか。そう思えた。
「君たちが話をしないなら君たちの上司を呼び出す。場合によっては僧院の上層部まで喚問の対象を広げる。当然、処罰も広範囲に及ぶ」
 背後でアルティーエが息を飲み、身じろぎする気配が伝わる。
「殿下、お願いです。この話は老師を交え、内密に……」
「オルドク、それは君の判断か? 上層部に命じられてのことではなく」
「そうです。我らは任務を果たせませんでした。であれば、失策を重ねぬよう、また失点を取り戻すよう務めねばなりませんので」
 つまり、彼らは王太子に知られぬよう事態を収拾せよと命じられていたことになる。僧院はそうまでしてひた隠さねばならぬことがあるのだ。
「今までの君たちの行動は僧院の総意に従ってのことだな?」
「概ね、その通りです。ただ、僧院の誰も彼もが殿下の問いへの答えを持っているわけではありません。ですから処罰は──」
 ヤウンは片手でオルドクの言葉を制した。処分するなら自分ひとりにしろ、と言う気なのは判っている。そんな言葉に意味はなかった。
「僕への答えを持つ者を呼べ。その者の答えいかんによって、君たちや僧院への対応を決めることにする。……これ以上、僕を謀ることは許さない」
 若いとはいえ国家の頂点に立つ者である。王太子の態度は威厳に溢れ、彼の言動を見聞する者に畏怖を抱かせる力強さがあった。だがヤウン自身は湧き上がる混沌とした感情を持て余し、苦々しい思いを抱えていたのだった。