どうせ一緒に食事を摂るなら気心が知れた者か見目麗しい者のほうが嬉しい。間違っても嫌っている者と同席などしたくはないものだ。
がしかし。今現在のラシュ・ナムルはといえば、その嫌っている人間とともに食後の香茶を味わっている真っ最中である。
「それで? 食事時に押し掛けてきて、厚かましくも我が家の食材を食い散らかしたからには、よほどの用事があってのことだろうな?」
「水姫家ご自慢の料理長の腕前を確かめてやっただけだ。多少の食材の目減りくらいでめくじらを立てるような吝い性格では女に嫌われるぞ」
「貴様のようながさつな男のほうが嫌われるさ。……付け焼き刃の宮廷作法なんぞで装っても、貴族連中は張りぼてには誤魔化されん」
嫌味で応酬してやったつもりだが、相手もそれ相応に切り返してきた。
「どんな金持ちも初代は成金だ。お前だって産まれた瞬間から作法を全部知っていたわけではあるまい。寛容という言葉をそろそろ記憶したらどうなのだ」
「謙虚さを身につけぬ輩に寛容に振る舞える酔狂がどこにいる。用がないのならサッサと帰れ。それとも借金の無心にでもきたか?」
「つくづく棘だらけの男だな。そんな偏屈でよくユニティアを口説き落とせた」
今さら亡き妻のことを持ち出されたところで、すでに決着はついている。それでも混ぜっ返さずにはいられないところに相手の本音があるのだ。
「ユニティアも従兄弟だからと遠慮などせず、不逞の輩を粛正してくれたら良かったものを。ほとほと残念でならんよ」
ユニティアに逢うまで女にすげなくいなされたことなどなかったのだろう。矜持をへし折られた屈辱はそう簡単に消えぬということか。
「なぁ、ラシュ・ナムル。より近しい親戚になるかもしれない男を邪険に扱って心苦しくはないのか? それとも好きな相手ほど苛めたくなるってやつか?」
言葉の端々に本日の目的が見え隠れしていた。言葉でズバリと斬り込んでこず、ナムル自身に話の水を向けさせようとしているのがあからさまに判る。こちらに相手の意を汲んでやる義理はひとかけらもないが。
「安心しろ。好きな相手への手加減は心得ている。むしろ不快な相手に徹底的に懲罰を加えてやるほうが心の平穏を保ててちょうどいい」
「だったら、このジノン様に親近感が湧いてきても良い頃合いだと思うが」
「己の名に様づけするような高慢な輩に知り合いはいないつもりだがなぁ」
しれっと思惑を無視してやれば、ジノンは舌打ちせんばかりの苦々しい表情でこちらの気配を伺っていた。のらりくらりとはぐらかされているのに気づいているのだろう。どうあっても用件を言わねばならぬのか、と。
「……この恩知らずが」
「再建用の木材を運んできてやったのだから恩を感じろ、と? くだらない。仕事に関しては金銭で相殺されている。ごく個人的な事柄と仕事を混同する気がないだけの話だ。……で? いつまで私の目の前にいる気だ?」
「将来の炎姫公と親睦を深めたいかと思ってわざわざ出向いてきやったのに。お前と一緒になっていなければ、今頃ユニティアと連れ添っていたのは伯父貴の子飼いの役人かオレだと相場は決まっていたんだ」
ナムルは内心に湧き起こった怒りを奥歯で噛み締め、口許を手持ちの茶器で覆い隠した。ユニティアが選んだのは自分である以上、相手の戯れ言に耳を傾けるなど愚かである。が、言われれば不快であることには変わりがなかった。
「ジノン、過去を仮定形で話すのが趣味なら他でやれ。私は忙しい」
今度こそジノンの顔にハッキリとした苛立ちが浮かぶ。鋭い舌打ちを隠しもせずに打つと、掌に包んでいた茶器から香茶を勢いよくあおる。
「判ったよ。……なぁ、お互いにとって有益なように手を組もうじゃないか、ラシュ・ナムル。アジル・ハイラーがいたのでは、お前もやりにくかろう。オレがタシュタン地藩主を継いでやるから手助けをしてくれないか」
「別段、義父との関係に不自由は感じていないがなぁ。余計なことに首を突っ込めば噛みつかれるが、それ以外は無関心な男だ。タシュタンに大人しく籠もっていてくれるなら私に実害などないのだし」
「そうかな? お前のやることに逐一反論してくる相手とやり合うのも面倒だと思うが。それとも苛められるのが快感か?」
空いた茶器に残りの香茶を満たし、ナムルはのんびりと柔らかな芳香に身を浸した。つくづく癇に障るしゃべり方をする男である。余計な波風を立てに来たのはそちらのほうではないかと言い返してやりたかった。
「己が治める領地の利益を考えるのも領主の務めだ。アジル・ハイラーも私もそれを断行するのにやぶさかではない。貴様も炎姫家の跡を継ぎたいというのなら相応の度量を身につけることだな。今のままでは心許なさ過ぎる」
言外に含ませた意味を理解したのか知らぬが、ジノンは片眉をつり上げた。
「オレでは力不足だと言いたいわけか? お前だって初めから完璧な領主だったわけではあるまいに。つくづく嫌味な男だな」
どうやらジノンにはこちらの言いたかったことは伝わっていないらしい。もう少し切れる男だったらナムルの内心を察することができたろうに。
「貴様の頭には力技しか収まっていないのか。力不足だとか経験だとかほざく前に、己が何になりたいのかじっくり考えることだな」
その程度だからユニティアに見向きもされず、怪我まで負うことになるのだ。
腹の中で己と相手との優劣をつけ、ほくそ笑んでいる時点で自分自身も相当に意地が悪いと自覚していたが、昔のことを最初に掘り返してきたのはジノンである。多少の意地の悪さは目を瞑ってもらうことにした。
「つまり手を組む気はないってことか」
「今の己が何者であるかよく考えることだ。私と対等に取引できる立場か?」
ジノンが口許を震わせている。今まで不快感を溜め込んでいたのは自分だけだと思っていたが、どうやら相手のほうもかなり抑え込んでいたようだ。お互い様というわけである。が、腹のさぐり合いはナムルが一枚上手らしかった。
「交渉は決裂というわけだな。残念だよ、ラシュ・ナムル。上手くいけば二人で王国を牛耳ることもできただろうに」
「この国を一方的に支配できるなどと思い上がっているうちは、貴様に陽の目などない。我ら王侯貴族は王国と共依存する関係にすぎんぞ」
「今さら説教などたくさんだ。貴族なんぞどいつもこいつも怠惰と飽食に倦んで堕落しているではないか。低能どもを支配するだけのことで、お前にとやかく言われる覚えはない。オレはオレの好きなようにやらせてもらう」
立ち上がったジノンを茶器越しに見上げ、ナムルは冷ややかな笑みを刻む。
「好きにすると言うのだな? 良かろう。やってみればいい。やれるものならな。貴様がどれほどの者か見てやろうではないか」
「やるさ。後で吠え面掻くなよ。オレは望んだものを手に入れてやる」
「ほぉぅ? どうやってアジル・ハイラーの後釜に座る気だ? あの男はバカではないのだぞ。少々の揺さぶりで動じるものか」
ジノンの紅潮した頬を意地悪くみつめながら、ナムルは更なる揺さぶりをかけた。挑発されている自覚があるのかないのか、ジノンはナムルを睨み下ろしながら冷笑を口の端に乗せた。もっとも眼は少しも笑っていなかったが。
「少々の手は加えるが、お前の真似させてもらうさ。アジル・ハイラーのほうからオレを後継者にと推されるように、な」
どこまでも強気の相手にふと不安を覚え、ナムルは表情を消して相手を見上げた。甥だからという理由だけで炎姫公が後継者に指名するはずがない。それでも自分こそが次期炎姫公だと言葉の端々に滲ませる確信が薄気味悪かった。
「従妹姫を押しのけて後継者に名乗りを上げるからには、よほどの勝算があるとみえるな。だが、その目論見が外れない保証はどこにもないぞ」
「お前に心配してもらう必要はない。伯父貴とて所詮は人間だ。強い面の裏側には弱い一面も持っている。付け入る隙などいくらでもあるさ」
炎姫公の弱みを掴んだか。しかも自信満々の様子から察するに、かなりの精度で醜聞紛いのものに違いない。ナムルは茶器を揺らし、口の端をつり上げた。
これは面白いことになりそうである。だがしかし、亡き妻のためにも確認しておかねばならないことがあった。たぶん、聞くまでもないありきたりな返答が戻ってくるだろう。常套手段なだけに聞くのもばかばかしいが。
「で、その後のフォレイアの処遇はどうする気だ。僧院にでも押し込むのか?」
「オレの妻の座を提供するさ。悪くない結末だろう。元々が娘婿を次の後継者に、と囁かれていることもあるしな。彼女の名誉も守られる」
それを名誉と感じるかはフォレイア自身の問題である。それを理解していない男の放言にナムルは内心では失笑しつつ、表面上は何喰わぬ顔を装った。
「フォレイアが同意するよう祈ってやろう。あれは素直な反面、一度決めたら手段を選ばぬじゃじゃ馬だ。手懐けるつもりが蹴り殺されぬよう気をつけろ」
ジノンの笑みに嘲りが混じる。彼がナムルの知らない事実を掴んでいることを示していた。炎姫家に嵐が巻き起こるとこちらに確信させる顔つきである。
「フォレイアは受けるさ。いや、父親の命令でなくとも自ら受ける気にさせる。お前と義兄弟になるわけだ。そのときにはせいぜい仲良くさせてもらおう」
手を貸すと約束しなかったツケを払えと言う気だろう。判りやすい男だ。
「なぁ、ジノン。貴様、フォレイアの初恋の相手を知っているか?」
怪訝そうに眉を寄せたジノンにナムルは意味深な微笑みを浮かべてみせた。
「私さ。姉の夫たる私に淡ぁい憧れを抱いていたというわけだ」
目を見開いたジノンが、次の瞬間には苦虫を噛み潰した表情を作る。意図的に発した言葉の意味を理解したようだ。多少は回る頭を持っているらしい。
「お前、本気でオレを怒らせたいのか?」
「何に本気になるんだ? 己が得たい地位の褒賞のように女を扱う輩が、どの面下げて相手の過去を詰問するのだ。あぁ、それともあれか。自分以外の男に少しでも心を奪われた女など食い残しのようで厭だと?」
今現在のフォレイアは、ジノンのことなどほとんど意識していないはずだ。むしろ王太子の傍らにいる異邦人のほうをこそ男として意識してぎこちなくなっている。ジノンの振る舞いなど今の段階では笑止千万だった。
「オレが従妹殿を落とせないとでも言いたげだな」
怒りを抑えるために、男のこめかみが震えるのをナムルは見逃さなかった。
「今までの話から察するに、彼女を口説き落とす気があるのかどうか疑わしいよ。私はフォレイアの義兄だからな。大切な妻の妹のことには敏感にもなる」
「生憎だったな。きちんと結婚を申し込んである。お前にとやかく口出しされる覚えもなければ、他人に顔向けできないような真似もしていない!」
目尻がつり上がるジノンの表情は凶暴である。故郷パラキストの地に跋扈するという大型の猛獣、大牙虎が荒れ狂っているようにすら見えた。
「羊の皮を被っているだけだろうが。フォレイアの前でだけ良い子の顔をして、背後に回れば肩をすくめている姿が目に浮かぶ」
「お前はどうなんだ。再婚して妻のことを忘れようとしておきながら。捨てるはずの親戚の縁も、他人にかすめ盗られるかと思うと惜しいというわけか」
アデレートを失って胸を痛める身には、妻との愛情を天秤にかけた物言いに腹が立つ。ユニティアへの愛情が消えたから後添えを望んだわけではなかった。
「かすめ盗るも何も、貴様はアジル・ハイラーの後継者になどなれぬよ。どんな事実を掴んだか知らんが、あの男を跪かせることができる輩など数えるほどしかいないのだ。器の違いを見せつけられるのがオチだな」
「やかましい! 亡霊に怯える男に器も何もあるものか!」
かかった! 茶器に唇を押しつけ、ナムルは笑みを隠した。が間に合わず、伏し目がちになって相手からの視線を避けた。反らした視線の先にジノンの拳が見え、それが小刻みに震えるのを見つけ、更に笑いがこみ上げてくる。
「そう思うのならやってみるがいい。どこまでやれるか見物させてもらおう」
ナムルは嘲弄を浮かべて男の顔を見上げた。少しくらいは思わせぶりな態度を取る方法もあったが、嫌いな相手と会話をするのは苦痛でしかない。
「やるとも。お前には世話にはならん! オレの力で炎姫家でのし上がるさ」
故郷では母親が異国人であることを理由に父親の後継者から退けられたと聞くが、そのときの屈辱が伯父の跡取りになろうとする原動力なのだろう。だが父親の跡を継がなくて正解だ。このような短慮では家が立ちゆかぬ。
ナムルは足取りも荒々しく出ていく後ろ姿を黙って見送った。引き留める理由もないし、聞き出したいことはおおよそ聞いた後である。
「暴走する猪か、あいつは。……まったく、少しも成長していないな」
座り込んでいたクッションの間から身を起こすと、ナムルはゆるゆると伸びをした。厭な相手と食事を供にし、すっかり肩が凝っている。あれ以上一緒にいることは不可能だ。こちらの神経が切れてしまう。
首を振って凝りをほぐしていると、ジノンが出ていった扉から別の人間が入してきた。チラリとそちらを一瞥し、ナムルは再びクッションに埋もれる。
「聞いていたか? お前の意見を聞きたいのだが」
「予想以上に炎姫家の内情を調べ上げたのではないでしょうか。単純な方ではありますが、根拠のないことを吹聴する性格とは思えませんので」
今まで使っていた茶器が下げられ、新しい茶器に馥郁とした芳香を放つ香茶が淹れられた。甘みの強い茶の香にナムルは嬉しそうに眼を細める。甘味類が大好物の彼は女性に人気がある甘みが強い茶の味のほうが好みなのだ。
「そうだな。思ったよりもアジル・ハイラーの懐に入り込んでいるのかもしれない。しかし、あいつの情報源がなんであるのかが掴みきれん」
そのことですが、と断りを入れ、ナムルの傍らに寄った人影が耳打ちする。
「東方人に探らせている? 炎姫家は東方には寛容な気風だが、それにしても大公周辺の情報を容易く掴ませるようなヘマはしまい。その間隙を突いて探ったというのなら、奴の抱えている東方人たちは相当な手練れだぞ」
先ほどジノンがやったように鋭い舌打ちを打つと、ナムルは手にした茶器に満たされた茶の水面を睨んだ。固い表情は僅かに翳っている。
「おそらく何か特別な方法を用いたのでしょう。あるいは以前の熱病が流行った折に東方人の組織がタシュタン地藩に食い込んでいたかです。ジノン卿自身は大したことはないでしょうが、その背後には注意なさったほうが……」
「判った。お前の忠告は耳に留めておく。私としてもジノンのあの自信は得体が知れず薄気味悪い。今後はいっそうタシュタンの動きに注意を払え」
承知、と頭を下げる男の端正な顔立ちを見つめ、ナムルは小さく頷いた。
「それにしても、閣下と渡り合うには少々おつむの回りが弱い方ですね」
「おい、あれでも一応は義父の甥っ子だ。そうあからさまに蔑んでくれるな」
「本気でそう思っているわけでもないのに何を言われますか。炎姫公たるに相応しい資質を示せば手を貸そうと、暗にほのめかしておいでだったのを蹴ったのは彼自身ですよ。同情の余地はございません」
手厳しい。だが部下の言う通り、会話術としてはありふれたやり取りだった。言葉の裏側に隠れたものを理解する者だけ重用してきた彼だからこそ、ジノンの半端な資質に我慢ならない。無能ではないが瞠目する有能さもなかった。
磨けばどうにかなるかもしれない。しかし、それを待っていられるほど悠長ではいられないのだ。まして相手は亡き妻に手を出そうとした輩である。のほほんと過去を水に流せるほどナムルの心は広くはなかった。
「義妹をあっさりとくれてやるのも腹立たしいな。いっそのこと再起不能なくらいに追い込んでやるか。それとも飼い慣らして利用したほうが得か」
主人の考えに同調するように男が薄く微笑む。華やかで整った顔立ちがいっそう鮮やかさを増したが、ナムルにはあまり効果を発揮しなかったようだ。自身が雅やかな水姫公にとって外見の華美さなど付属品でしかないらしい。
「ところで、ルネレーの動きに変わりはないか? 輸出の締め付けで我が国からの産物はルネレーに直接入らないようにしてあるが、周辺国からの輸入で物資を断つには至っていないはず。……未だ半端な兵糧責め状態だからな」
「直接の取引ができなければ仲介料を払う形で物資を手に入れることになり、余計な経費がかかるものです。国庫の目減りを補うために税金が上がっていますし、貴族の生活を維持するために私領でも搾取が続いています」
淡々とした報告に耳を傾け、ナムルは甘い香りの香茶を口に含む。すでに彼の頭の中は戦の賠償に応じようとしない敵国の情勢に思いを馳せていた。
「以前からの賠償問題とも相まって、民の暮らしは厳しさを増しております」
「その報告は以前と同じだぞ。貴族同士の反目が続いておろう。それに新王の動きはどうなっている。また再び内紛でも起きる気配が出てきてはおらぬか」
男が微かに俯くをナムルは見逃さない。予想通り芳しくない言葉が返された。
「内紛に至るまでには……。予想外にしぶとい国ですね」
「不満を抱えているだけか。仕方がない。双方を煽ってやるとしよう」
掌中の茶器をゆらゆらと動かし、茶の水面に紋様を浮かべた。
ユーバーダ北部のペコア高原で取れた茶葉ペコアロッゼが描くバラ輪が眼を楽しませる。女性に人気のある香茶は、実はナムルも好きな銘柄のひとつだった。
「波紋は中央から起こすものと周辺から起こすものとが必要だ。無能だが中央の政治で重要な地位に就いている者を数名、始末しておけ。新王と宰相双方の派閥に跨るようにな。それから国境務めの軍人か役人に金を掴ませろ」
緩やかな波紋の動きを目で追いながらナムルは続けた。穏やかな横顔は世間話をしているような平穏を保っているが、会話に含まれる単語は正反対である。
「中央にも地方にも数名の候補がいます。閣下が指名されますか? それとも我らが独自で判断してもよろしいのでしょうか?」
「誰を選んだとて大差はあるまい。お前たちに任せよう。仕損じなければよい。地方で取り込む者はできるだけ驕慢な者を選べ。民を家畜か奴隷だとしか思っていないような輩のほうがやりやすい」
「でしたら役人を頭に、その下についている私兵も一緒に取り込みましょう。民の憎しみが容赦なく向けられるような者たちに心当たりがあります」
打てば響くように返事が届く。それに口の端だけつり上げて了承の意を伝え、ナムルはふと視線を上げて窓のほうを見遣った。雨期が終わろうとしている。少し前まで降っていた冬名残の雨はもう上がってしまったようだ。
「中央は疑心暗鬼、地方は民が暴動を起こし、民兵が蜂起する。さて、かの国の執行部はどう切り抜けるであろうな」
水姫公は茶器の中で芳香を放つ香茶を選んだ部下の嗜みに満足していた。間もなく薔薇が蕾を開く時期が来る。ペコアロッゼのバラ輪を季節の先取りに見立てて用意したに違いない。こういう細かな遊びが人には必要なのだ。
「奴らが舵取りをしくじれば、我が国には蜘蛛の子を散らすように難民が逃げ込んでこよう。奴隷として身売りするか、蛮族どもと切り結ぶか、はたまた亡命して王国の民となることを望むか。……奴らの手並みを拝見しようか」
頭の中では隣国との見えない攻防戦を思いながら、習慣は香茶を楽しんでいる。心身バラバラの行動であるのに、それを苦とも思わず、むしろ当然の如くやってのける辺り、やはり王国屈指の用兵家だ。
大公の令を受けた男は、主人の沈黙を乱さぬよう静かに退室していった。
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