混沌と黎明の横顔

第04章:風神の結晶 1

 給仕係が卓の上に茶器を置いていく。器からは湯気が立ちのぼり、甘みのある芳香が辺りには広がっていた。
 鎮静効果のあるこの香茶は王家直轄の茶園から直送された高価な一品である。がしかし、その効能は今この場では役に立っていなかった。
 会議の途中に運ばれてくる高級香茶を堪能するには、今日の会議の席上の雰囲気は悪すぎる。議題の結末がどこへ向かおうとしているのか、それを正確に予測できる者が果たしているだろうか。
 ヤウンの予想通り、会議冒頭の幾つかの議題が消化された後、小エシュート伯は上流階級でまことしやかに囁かれている噂の真偽を確かめたい、と黒耀樹公に話を振ったのである。当然、噂のことなど大公は一蹴した。
 認めるはずがない。それは質問したほうも判っていたはずだ。だが、それが合図だったらしい。噂を否定する黒耀樹公の揚げ足を取るように、彼の大公家を統率する能力を疑問視する声があちこちから上がった。
「このような噂が広まっていること事態が問題でありましょう! 大公家の醜聞は下に仕える者たちの士気に関わりますぞ。実際のところ、ナスラ・ギュワメ殿は前黒耀樹公ほど私兵を掌握されていないと聞きます。黒耀樹の軍はドロッギス地藩のみならず、王都の守りも引き受ける要の軍。その頭領が部下の人心を掌握していないなどという現状を容認できるものではありません!」
「その通りです。ただでさえ、ワイト・ダイス公の戦死で地藩内には動揺が広がり、未だにその余波は無視できぬものがあります。ここはご当主殿には退いていただき、ダイス公の弟君を立てるのがよろしいかと……」
「我らが地藩主を誰にするかは先々代当主の遺言による正当なものですぞ。如何に元老院のお歴々とはいえ、軽々しく口にしてよいことではありませんな」
「小役人の分際で我らに意見するか! 隅で控えておれ!」
「小生にも議会での発言権は保証されております。意見を述べる権利を侵害しないでいただきたい。今の発言の訂正を要求します!」
「見苦しいぞ、諸君。王太子殿下の御前で幼児の喧嘩のような諍いなどやめよ」
「水姫公の取りなしとはいえ、黙って見過ごすことはできませんぞ。その役人は我ら元老院を愚弄しておる。何が発言の訂正か!」
 これまで以上に王議会の卓はピリピリした緊張感に包まれた。本来の話の内容から反れた言い争いは終息するのか。ヤウンはうんざりして嘆息した。
「そもそも、黒耀樹公の統率力云々を取り沙汰すること事態が無益なことだと私は思うがな。彼が大公位に就任してまだ数ヶ月。結果を求めるには時期尚早だろう。ワイト・ダイスのときとは状況が違うのだ。もう少し長い目で見てやったらどうなのだ? 諸君らとて当主になりたての頃があっただろうに」
 うんざりしているのは水姫公ラシュ・ナムルも同様らしい。長身だが童顔の大公は、眉間を右手人差し指でグリグリと揉みながら諍いで唾を飛ばす元老院の議員貴族たちを見回した。口調にも呆れている気配が濃厚に漂う。
「確かにダイス公の頃とは違います。が、気長に待つにも限度がありますぞ。先の戦、ルネレーの王族たちは関連を否定して、賠償要求に応じていないと言うではありませんか。国防の要である黒耀樹公の責任は重いはず!」
「そうです。先のルネレーとの戦でハスハー地藩から溢れ出した難民が多数、この王都に避難してきております。彼らの中に敵国の間者が紛れ込んでいないという保証はなく、王都の治安にも翳りが見えるとか。そのような時期に国軍の将校たちの士気が挫けているのは甚だ心許ないことです」
 次々に非難の声を上げる貴族にナムルも閉口気味だ。彼らが現実問題を突きつけていることは間違いない。しかし、王議会の席上で声を大にして取り沙汰しなければならないほど重要な案件ではないのだ。
 国防の対策は疎かにはできない。その当然の理屈を楯にして大公家の力を弱めたいだけだ。それが判っていても、彼らの意見を一刀両断して退けるには、今の黒耀樹家の状況は不安定すぎる。
「だいたいですな、水姫公とて他人事ではございませんぞ。ハスハー地藩の農業基盤はルネレー軍に破壊され、雨期明けの作付けも今年は不足しがちだとか。その有様でお抱えの騎士や地方領主を養えるので?」
「然り。ご自身の跡継ぎもまだないようですし、水姫公は藩の将来についていささか冷淡ではありませんかな。地藩主の自覚はおありか?」
 ハスハー地藩とは縁薄い一部の中央貴族から侮蔑に満ちた視線と辛辣な意見が飛び出した。ナムルの澄んだ蒼色をした瞳が細められ、叩きつけられた挑戦にどう応じようかと吟味する光が浮かぶ。
「諸主ら、少し頭を冷やされたらどうじゃ。聞いていれば大人げない意見ばかり。わらわには、今すぐに解決する問題でもないことに、この場で結論を出そうと急ぎすぎているようにしか見えぬが」
 ナムルが応戦するより早く炎姫公女が論争を遮るように立ち上がった。銀柳を連想する立ち姿に男たちが一瞬だけ見惚れる。が、すぐに彼らは表情を取り繕うと、今度は彼女に対して反論を始めた。
「地藩主の力量や跡取り問題に関心があるのが罪ですかな? 炎姫家とて跡取りのことに関しては穏やかではありますまいに」
「左様。公女様が数年前にルネレー軍相手に手痛い失策をして以降、炎姫公は更に跡取り問題には慎重になったご様子。お父上を安心させるため、あなた様も炎姫公の跡継ぎに相応しい男子を見繕われたら如何かな」
「それは我が父の心積もりひとつ。妾が口出ししてお心を乱すことではない!」
 すでに懲罰も受け終わっている過去の失敗を蒸し返す輩に、フォレイアは冷やかな視線を向ける。それを受け流し、議員たちは小さく鼻を鳴らした。炎姫公自身が会議に出席せず、彼女が顔を出しているのが気に入らないらしい。
「どの大公家を見ても将来に不安を覚えることばかり。このような有様で我ら貴族は安心して国政を任せておけましょうか」
「その通りです。せめてサルシャ・ヤウン殿下には確かな後ろ盾のある正妃を迎えていただくべく、我ら元老院がお力にならずしてなんとしましょう」
 結局、中央貴族……いや、元老院の議員たちは親政を掲げている今の国政が気に入らないのだ。王族が権力の中枢に居座っていては、自分たちが甘い汁を吸う機会が減ると思っているのだろう。だが、何十年もかけて親政へ傾けてきたというのに、ここで元老院の発言権が増すことは避けたかった。
 親政にも限界があることは理解している。がしかし、国王の独裁を防ぐために設けられた王議会や、貴族には伏せられていることだが王族が巡検使を使うことで王家と大公家もそれぞれ見張り合いをしているのだ。
 さらに貴族の不満を反らす意味でも、正妃か側妃かは別にして、国王の室には有力貴族の娘を入れる例が多い。その代わり、生まれた子の養育係は妃の生家縁の者を完全に排除するという徹底した管理体制が布かれていたが。
「生憎だが、王太子殿下の正室には我が娘を差し出すことが決定している。諸君らはそれとは別に、国を支える元老院としての職務を全うしてもらいたい」
「なんですと!? なぜそのように重要なことを勝手に取り決めるのです!」
「王族の方々は我ら元老院を無視なさるおつもりか?」
「それより、水姫公の姫とはどういうことです。あなたに御子など……」
 ざわついているのは元老院の議員だけではない。炎姫公女や黒耀樹公も目を丸くして水姫公を見つめていた。さざ波だっているだけだった池の水面に岩を投げ込むようなナムルの発言に、ヤウンは少なからず頭痛を覚えた。
 なんで今、そんなことばらすかなぁ、と内心でぼやいたところで、口から飛び出してしまった言葉を引っ込めることは不可能である。
 当の水姫公はと言えば、己の巻き起こした混乱を楽しんでいるかのように瞳を輝かせ、王族や議員らの反応を眺めていた。
「諸君らとて跡継ぎがいない場合、遠縁から養子を迎えることがあろうが」
「お、王族同士の婚姻は避けるのが通例ですぞ。それを……ッ!」
「血縁の濃い者であれば、だろう。サルシャ・ヤウン殿下と我が娘では同じ王族と呼ぶには縁が薄すぎるというものだよ」
「そのような氏素性の知れぬ娘を大公家に迎え入れたと仰るのか。なんという軽率な真似をっ! それでは私生児を嫡子にするようなものではないですか!」
「その発言、オレへの挑戦と取ってもかまわないのかな。正式な手続きを踏んだ者を排除する言動は許し難い。法廷にて争うか?」
 ナムルの発言に唖然としていた黒耀樹公が沈黙を破った。ナスラ・ギュワメの鋭い視線を受け、一瞬はばつの悪そうな表情をした議員だったが、すぐに表情を改め、嘲弄を隠さず相手をめつけた。
「これは失礼。我が一門は由緒正しい家柄なもので、卑賤の血を尊ぶ精神を理解致しかねます。ご無礼とは存じますが、我が家風にてご容赦を」
 ナスラ・ギュワメの視線が剣呑なものに変じる。怒声こそ発しないが、黒耀樹公の胸中に怒りが渦巻いているであろうことは容易く想像できた。
 この時代、一夫多妻を認めながらも、妻と認められない愛妾は多く存在した。特に富裕民層の代表たる貴族にそれは顕著で、正室にも側室にもなれなかった女たちの産む子らの末路は悲惨の一言に尽きる。
 父クラウダ・ヌーンに認知されても、継母に虐げられたナスラ・ギュワメは大公家では私生児扱いだ。彼を排斥しようとする機運は貴族ほど強いだろう。そして事態が収拾できねば、水姫公の娘への風当たりも厳しくなるはずだ。
 冷ややかな空気をまとって席に着く黒耀樹公や水姫公を初め、炎姫公の代理である公女や元老院に名を連ねる中央貴族の当主たち、さらにそれぞれが引きつれている随行員も表情が固い。場の空気はいっそう重苦しくなった。
 一言でも発したら、辺り構わず火柱が噴き上がりそうな気配が濃厚に漂う。一発触発とはこういうことを言うのだろう。誰も彼もがその口火を切ることを恐れていた。誰しも火傷などしたくはないものである。
 もとより和やかさを求める会議ではないが、誰が味方同士で誰が敵同士なのか、まったく予想がつかない場の雰囲気は熱気の中に冷気を孕んだ厭なものであった。どうしたら落ち着かせることができるだろう。
 ここ八年ほど王都に顔を見せていなかった水姫公が、ルネレーとの戦の後からは地藩の建て直しのために積極的に国政に参加していることも中央貴族連中の感情を逆撫でしていた。それに加えて黒耀樹家内部に走っている亀裂、炎姫家のギクシャクした父娘関係。そして国王の死だ。
 なんとか王族たちに揺さぶりをかけ、己の立場を優位にしたい中央貴族たちにしてみれば、この状況は千載一遇の機会に映るに違いない。
 やはり自分が収拾をつけねばならないのか、とヤウンが覚悟を決め、ため息を飲み込んだときだった。会議室の扉がそっと開かれるのが見えた。
 普段であれば人々の議論の声に掻き消され、扉が開く音に気づく者などいなかっただろう。が、今回は間が悪かった。針が落ちる音すら聞こえそうな静けさの中で開かれた扉は、微かな軋みを議場中に響かせたのである。
 冷めた茶を淹れ代えたばかりだ。扉の向こうの人物は給仕係ではないはず。
 案の定、初めに顔を覗かせたのは議場に人を案内する宮廷従者のひとりだった。取り澄ました顔で入ってきたのはいいが、従者は異様な沈黙が広がる議場に戸惑い、立ちすくんでいる。彼はすっかり動揺していた。
 その後ろから入室した人物を見つめ、ヤウンは何度目かのため息を吐く。会議に遅刻した挙げ句、こんな状況下で入室したら集中攻撃されるだけだ。
「いっそサボったほうが良かったかもね、ジャムシード」
 王太子のぼやきを聞いた者はいない。しかし、場違いなほど平然と会議の途中から入場してきた男に、議員や随行員は容赦のない批判の視線を向けていた。
「貴様! 王議会の席に遅刻するとはどういう了見だ。弛んでおるぞ!」
「フォレイア姫、お聞かせいただけますかな? 炎姫公ご自身も王議会へ出席する気もないようですし、随行員も遅刻してくるていたらく。もしや、タシュタン地藩の領主とその配下の者はこの議会を蔑ろにしておいでか?」
 不心得者だけでなく、上司である炎姫公女にも刺々しい言葉が発せられる。
「会議に遅れたことは申し訳なく思います。ですが、これは炎姫家とは関わりのないことです。この件で公女様にお咎めなきよう」
 なおも舌鋒鋭く批判しようとした議員の視線がジャムシードに向けられた。周囲の随行員や同僚議員は唸るような声を漏らしている。貴族の発言中に反論するとは何事か、と彼らの瞳は怒りに燃えていた。
「ハッ! ろくな発言もできぬ平民が偉そうに。貴様ひとりおらずとも会議は成り立つ。遅刻して場を乱すような輩はいらぬ。早々に立ち去れ!」
「判りました。では、報告は文書にて王太子殿下に直々にお渡しいたします」
「下郎の報告なぞいらぬわ! 貴様ごときの報告書など殿下が読まれようか。けちな案件で殿下のお手を煩わせるのではない!」
 着座したばかりだったジャムシードは立ち上がり、退室しようとしている。がしかし、この議員の発言が癇に障ったか、冷たい眼で相手を見つめた。
「報告が必要か不要かは王太子殿下がお決めになることです。不要とあらば、殿下はお受け取りにはなりますまい。この会議で報告することをお約束していた以上、議題に上げられなかった案件は文書にて提出するのが筋です」
「な、なんと、生意気な! わしに意見する気か、若造!? 貴様のようなヒヨッコに楯突かれる憶えはないぞ!」
 こめかみに青筋を浮かべ、老議員は唾を飛ばす。かつては貴公子然とした容姿だったろうと推察できるが、今は醜い老い方の例を見るように見苦しかった。
「貴様のような輩に王国の利益になるような案件が出せるものか!」
 それに対して冷ややかに相手の言葉を受け止めているジャムシードの姿も、ヤウンには物珍しく映る。いや、激昂していないだけ恐ろしいと言うべきか。
 王太子が知る彼はどちらかといえば純朴で、どこにでもいる好青年といった姿だった。それがここ最近はすっかり役人の冷静さが備わり、なおかつ無言のまま相手を怒らせる術まで身につけ始めている。
「少なくとも、ここにご出席の皆さまのうち、何人かの懐は潤う報告をお持ちしましたが、お聞きになりたくないとの仰りよう。ですから、王太子殿下直々に報告書を提出してご判断を仰ぎます、と申し上げたのです」
「判ったような口を利くな。そのような案件なら事前に……」
「事前報告はすでに定期報告にて済ませてある。後は本会議にて承認を得るだけじゃ。妾としては、税収を増やす機会を失う気はないがのぅ」
 ジャムシードに負けぬ冷ややかな声が上がった。フォレイアの態度には言外に議場内の空気に辟易している気配が滲んでいる。
 ヤウンも賛成だったが、王族と元老院との対立が鮮明な今、炎姫公女を全面的に擁護しては、貴族連中の後始末が面倒になることは目に見えていた。
 ヤウンは発言を控えていた水姫公に目配せする。幼少期、王太子の教育係をしていただけのことはあった。ラシュ・ナムルは一瞬にして王子の意向を汲み取ると、炎姫公女……いや、タシュタン地藩の一団に向けて拍手を送った。
 水姫公が何をしているのか理解できず、貴族連中は唖然とする。
「ようやく本格稼働できる段まで漕ぎ着けたか。無事に計画が遂行できるよう祈るとしよう。いずれ我が地藩でも取り入れさせてもらう政策だからな」
「水姫公にお褒めいただけるとは光栄じゃ。しかし、こうして計画が軌道に乗ったのも水姫公や黒耀樹公のご助力の賜物。お二方にはタシュタンを代表して御礼申し上げる。もちろん元老院諸氏にも」
 呆気に取られる元老院の前で立ち上がり、炎姫公女は見惚れるような優美な動きで礼を取り、最後に王太子へと向き直った。
「殿下。この度、当地藩にて雇用促進を前提とした藩校を開校する運びとなりましたことをご報告申し上げます。これにより各都市の郊外にて苦境を強いられておりました民の何割かに職の資格を与える機会が設けられます」
 ヤウンが頷き続きを促すと、フォレイアはチラリと背後を振り返ってジャムシードを差し招く。彼が随行員の席を離れて議卓へやってくると、公女は議場をグルリと見渡し、その場に居合わせた者全てに向かって微笑んだ。
「詳しい内容はこれに直接携わってきた者から報告させたいと思います。この場での発言をお許しいただけますでしょうか?」
 元老院に属する議員たちは渋い顔をしたが、彼らに随行している者たちは炎姫公女の艶やかな微笑みに頬を染めている者も少なくない。ここで王太子を差し置いて厭だと言おうものなら、その者は不敬を問われる以上に人でなしだと誹られそうな雰囲気が議場一体に広がっていた。
「い、今は……その、議案の内容が違う。まずは黒耀樹家の……」
「タシュタンの事案を先に報告せよ。その他の案件は後から議論したほうが効率がよかろう。フォレイア、許可を与える。報告を」
 場の雰囲気に逆らう元老院の発言を退け、ヤウンは決定的な一言を発した。
 視界の隅で小エシュート伯が苦々しげに舌打ちしたのが見える。大混乱をきたした議論が思わぬ方向に転がり、結果として王族の結束の固さを見せつけられた格好になったのだ。彼にしてみれば面白くなかろう。
 王太子の許可を得て、ジャムシードがよく通る声で話し始めた。
 ヤウン自身は聞くまでもなく計画内容を知っている。内容の大筋は自身で立てたものだ。細かな肉付けはジャムシードに任せたが、予想していた以上に順調に仕上がったらしいことは、報告する声の張りからも伺える。
「……訓練校で一通り学び終わった後は基本的に地藩直属の工人となります。但し強制はせず、他の工房に移るのも自由としています。また完成した製品は貿易商を通じて周辺国へ輸出し、地藩の外貨獲得の一助となるでしょう」
「訓練が終わっただけの工人に輸出用の品が作れるのか? それに外の工房に腕のいい工人が引き抜かれるだけでは? 三流工人の製品なぞ誰も買わぬぞ」
「引き抜かれるだけの腕を持っているなら、この計画は上手くいったと評価できるのはありませんか? それに訓練校に入れる者には適正を判断させてもらいます。当初は職種が少ないですが、これからも訓練校の数は増やします」
 報告の要所要所でラシュ・ナムルが質問をぶつけていた。彼もすでに計画の概要を掴んでいるはずだが、自らが治めるハスハー地藩で取り入れるときにはさらに強固な機関を作り上げる気でいるらしい。報告内容を面白がっている表情だが、ジャムシードに向ける視線は真剣だった。
「訓練校の宿舎建設の大工や賄いも必要になります。そちらも職を探している者の中から採用しますので、雇用率が僅かですが上がるでしょう」
 今回の計画は完成形ではない。雇用に弾みをつけるための形態のひとつだ。中流以下の民が都市の生活から放り出された後の生活は困窮する傾向にある。物乞いできるならましなほうで、盗賊に身を落とす者もいるのだ。
「では、具体的な数値を提示して説明させていただきます。まずは……」
 神殿や僧院からの救済だけでは間に合わないし、貴族は搾取するばかりであてにならない。彼らは神殿や僧院に喜捨していると正論を吐くが、お抱えの神殿や僧院ばかりが潤い、末端まで行き届いているとは言い難かった。
 困窮する者たちが自力で生活していける力を身につけさせねばならなかった。
 かなりの数の者は適職を見つけてやりさえすればいい。そのための申請所も設立される。貧しさ故に学べぬ者を自活させる。それがこの事業の大柱だ。
 不平が出にくいように訓練校の運営は僧院に任される。専門職の講師を雇い、大工や賄い人を上手く使うとなれば、僧院の運営方法が大いに役立つはずだ。
 また修士僧から文字を習い、より高度な数式を教わることができる。説法で話し慣れている修士僧にはうってつけの仕事だ。
 つらつらとヤウンが考えているうちにも報告は進む。貴族議員は退屈顔だ。彼らには税金を吸い上げる領地があるが、それだとて代官を派遣して自ら運営しているわけではない。報告内容の真価を理解する者は少なかった。
 今はそれでいい。王太子は気のない表情をしている貴族議員の面々を見回した。彼らのうちで本当に王国に役立つ者を見極め、不要な者はいずれ切り捨てていかねばならない。そのときまで、今は爪を研いで待つとしよう。
「以上で当事業計画の報告を終わります。この案件、ご承認いただけますでしょうか? 採択の可否をお願いします」
 ジャムシードの報告が終わると、辺りは一瞬だけ沈黙した。が、すぐにひそひそと囁きかわす声がさざ波のように広がり、ひとりの議員が立ち上がった。
「ここで否決されればタシュタン独自の政策として押し進められるだけではないか。国策として推す理由が見出せぬな。国庫の金を使う意味は?」
「順次、各種の藩校を開校すると申し上げたはず。今回は細工師の資格を与える訓練校ですが、軌道に乗れば、次はガラス細工職人をアルド公国より呼び寄せ、この国独自の職人を育てる予定です。これはその基盤作りになります」
 ざわめきが大きくなる。ようやく貴族も計画がもたらす利潤に気づいたらしい。今現在、ガラス細工は貿易商から買い求めるか、個人的に職人を抱えるしかないのだ。職人の層が厚くなることに不都合はない。
「可決してかまわぬさ。すでに投入予定の税とは別に出資を申し出ている貴族もいる。事業計画の微調整は都度必要だろうが、大きな問題はない。我が水姫家は推そう。当然ながら炎姫家も……あぁ、黒耀樹家も問題なさそうだ」
 巧みに言葉を操り、水姫公が決議に持ち込んだ。場の勢いに飲まれたわけではなかろうが、貴族たちは間接的には利益になると踏んだらしい。最初は険悪な雰囲気ではあったが、結果として事業計画は議会に承認された。
「さて、それは先ほどの議論に戻ろうか? どこまで話をしたのだったか……」
 やっと緩んできていた議場内の空気が、ラシュ・ナムルのどこか挑発的な発言でひっくり返る。再び漂い始めた緊張感に、ヤウンは口許を歪めた。