混沌と黎明の横顔

第03章:彷徨える羅針盤 6

 オルトワは足下で戯れる二匹をジッと見つめながら報告に耳を傾けていた。端からは、彼女がまったく気のないようにしか見えない。が、実際のところはそうではないことを報告者はよく判っていた。
「……で、ルネレーの間者は秘密裏に動いてるし、シギナの連中も何やら画策してるって報告だ。さらに詳しい情報は追って届くと思うがな」
 黒い子猫が赤毛の成猫にじゃれつく姿は微笑ましい。赤毛猫がうんざりした様子で子どもをいなす姿も、もうここでは当たり前の光景になりつつあった。
「今の報告、聞いてたよな、姐御。どうする気だ? もう少し放っておいて、タシュタンで混乱が起きてから動くかい? それとも……」
「勝手に動くんじゃないよ。大公たちは少々のことでは動じないさ。王家もまた然り。遊民の動向は奴らも気にしてるんだ。おおっぴらに動けば気取られる」
「だけどよ、姐御が動けば目立つがオレが動いたからって問題はないだろ。なんならアルド公国の名を持ち出してやれば……」
「お前さんの兄貴ならともかく、お前さん自身が動くとなれば摩擦が起きるさ。自分が今までどれだけ無頼を決め込んでいたか忘れたのかい。もう少し落ち着けと口を酸っぱくして説教したってのに、まだ判んないのかい」
 猫に視点を合わせたまま、オルトワはため息混じりにせっかちな報告者を諭した。いや、諭したというよりも今にも説教を始めそうな気配である。
「姪っ子に会いに行くだけじゃねぇかよ。何が悪いんでぃ!」
「お前さんの場合はやることが極端なんだよ。ファルクの思慮分別の一割でもあったら、もう少しましな男になってたろうにね。どうしてそう考える前に動き回るんだい。もうすぐ四十になろうって男が……」
「オレはまだ四十じゃねーっ! っていうか、兄貴と比べるな。オレはオレだ」
 にゃぉん、と子猫が鳴き、飼い主の足にすり寄った。その頭を指先で撫でさすり、オルトワはようやく男を振り返ってたしなめるように睨んだ。
「オレはオレだと言うんなら、もう少し大人になるんだね。今はタシュタンの情報と炎姫家周辺の近況を集めるのが最優先だよ。あの坊やのお陰で人材も揃いつつあるし、これからはアジル・ハイラーの周辺は隙がなくなってくるよ」
 鋭い舌打ちが男の口許から漏れる。それを睨み、女元締めは黒猫を膝に抱き上げた。男とは反対の態度で子猫をあやす姿はただの猫好きな女に過ぎない。
「今後はファルクに頼むことも出てくる。比べられたくなければ踏ん張りな」
「兄貴と比べる奴に媚びを売る気はねぇよ。オレはやりたいと思ったことをやってるだけだぜ。くたばったって改める気はねぇな」
 いい歳をして男はふてくされて子どものように頬を膨らませていた。オルトワが説教を垂れようとも聞き入れる気はないのだろう。言いたいことを言い尽くしても聞かぬ相手に呆れ、女元締めは嘆息とともに肩をすくめた。
「オルトワ姐さん、ちょいと邪魔していいかしらね?」
 天幕同士を繋ぐ渡し口にかかる幕越しに声が響く。やや強張った声音だ。
「あぁ、キハルダかい。お前さんがここに顔を出すなんざ珍しいじゃないか。お入りよ。久しぶりに近況なんぞ聞かせとくれ」
 オルトワの返事の途中から垂れ幕の隙間をすり抜けて女が入り込んでくる。
「おや、ユーゼがいたんだ。邪魔して悪かったね。姐さんにちょいと急ぎの用が出来たんだ。席をはずしておくれでないかい?」
「ケッ! なんでオレが。勝手に話をすりゃいいだろ。オレはここにいるぜ」
 女元締めはほんの少し眉を寄せたが、抱いていた子猫を赤毛猫の傍らに下ろすと、二匹に向かって何事かを囁きかけた。
 人の言葉が判るのか、それとも猫特有の気まぐれか。二匹は尾を揺らしながら立ち上がると、一匹はユーゼの右肩に、もう一匹は左肩に飛び乗っていく。
「どうやらじゃれるのにも飽きたらしいよ。ユーゼ、お前さん、その二匹の相手をしておくれ。どうせ報告も終わって暇だろう?」
「なんだと!? オレ様が猫ごときの相手をするとでも……うぉっ! こら、お前ら、人の首を舐めるな。ちょっ……肩をかじるなっ!」
 両側からそれぞれ異なる攻撃を受け、男は慌てふためいて立ち上がる。それぞれの腕で猫たちを肩から引き剥がすが、足下に転がり落ちた猫たちは遊んでくれとばかりに筋肉質のふくらはぎやら太股に飛びかかっていった。
「やめんか、お前ら。猫だと思って何をしても許すと思うなよ。うわっ。大事なところに噛みつく気か!? 使い物にならなくなったらどうしてくれる!」
 あたふたと天幕から逃げ出すユーゼの後を二匹が楽しげに追いかける。動くものを追いかける習性があるにしても、それは執拗なほどの執着ぶりだった。
「あれなら当分の間は逃げ回っているだろ。猫のほうが賢いくらいだよ、まったく。……さぁ、待たせたね。話を聞こうか。お前さんがわざわざ出向いてくるからには、あまり楽しい話じゃないんだろうけどね」
 飛び出していった男の背に苦笑いを向けていたキハルダが表情を引き締めた。
「厄介なことになったかもしれなんだよ、オルトワ姐さん。ヨルッカが二十日近く経っても戻ってこないのさ。初めはウラッツェが黒耀樹公なんぞに就いちまってガックリしているのかと思ったんだけど、どうもおかしい気がして」
「どこぞの男のところに転がり込んでいるんじゃないのかい? あの子もウラッツェやユーゼと一緒でいつまでも腰が落ち着かない子だからね。そのうちにフラリと戻ってくるんじゃないのかねぇ」
 それがそうでもないようだ、とキハルダは顔をくらくする。憂い顔の彼女が珍しく、オルトワは首を傾げて相手の言葉の続きを待った。
「最後に見かけたのは酒場ケストレイユさ。そこを男と連れ立って出たことも裏がとれてる。けど、その先の足取りがプッツリ。今までは男のところにいるときだって手がかりを残していたのに今回に限ってなしってのは……」
 ふむ、と唸りながらオルトワは指先を蠢かせ、器用に自分の顎を撫でる。
「その一緒にいたって男はどうしてんだい。まさか一緒に行方知れずかい?」
「それが、その男。ヨルッカが姿を消した数日後に土左衛門になって大河に浮いていたのさ。役人は酔い潰れて土手で足を滑らせたと判断したらしいよ。検屍をした救士の話だと強い酒か何か飲まされていたんじゃないかと。死後数日が経っているっていうから、ヨルッカと一緒にいた日に死んだんだろうね」
「酒、ね。お前さんはどう見てんだい? 何か思うところがあるんだろ」
 オルトワは寄りかかっていたクッションから身を起こすと、傍らの卓から深杯を取り上げた。中身は随分と減っていたが、赤黒い液体が揺れている。鼻腔をくすぐる香りは馥郁とした葡萄のものであった。
「酔っぱらいが河に転落するってのはたまにあるからね。それだけなら気にもしないさ。だけど、その男は行方知れずのヨルッカと一緒だった奴で、なおかつ強い酒を呑んでいたのだとしたら……? 姐さんならどう思う?」
 キハルダの顔が緊張に強張っている。それを杯の縁越しに見遣り、女元締めは小さく頷いた。彼女にも簡単に予想がつく。ヨルッカは男と共に何者かに拉致されたのだ。そして用済みの男は強い酒で酔い潰して大河の流れへドボン。
「ヨルッカはやばいことに首を突っ込んでいたのかい?」
「遊民の仕事にやばくないことなんてないだろ、姐さん。それに、あの子はウラッツェの影草をやっていたんだよ。やばくないはずないだろうさ」
 俯き、わずかな間だけ考え込んでいたが、再び顔を上げたオルトワは特に表情を険しくすることもなく口を開いた。
「土左衛門になった男、大河のどの辺りで見つかったんだい?」
「王都の下流、アクー村で投網漁をしてる漁師の網に引っかかったそうだよ」
「なるほどね。あそこは王都近在を流れる大河と同じで流れが弛む箇所。激流に巻き込まれた後、ぽっかりと浮かんできたってところか。位置的に見ても男が投げ込まれたのは王都のはずれか、あるいはもう少し上流……」
 不意に口をつぐみ、オルトワがにやりと嗤う。
「その男の仲間がヨルッカを奪い合った末に狼藉を働いたって簡単なオチならいいんだけどねぇ。どうも甘っちょろいことを言ってられないようだ。他団の連中にも声をかけるから、お前さんは幻都ダーレムに行きな。たぶん黒耀樹家で動きがあるはずだよ」
「ウラッツェが関わり合いになってるってのかい、姐さん? あいつはヨルッカを捨て駒にする気なのかね。そんな真似をしようってのなら容赦しないよ」
「ンなわけないだろう。ヨルッカを連れ去ったのが黒耀樹家だとは言ってないよ。過去にあの子が関わっているのが現黒耀樹公なんだから、その繋がりを嗅ぎつけた連中が監禁してるって可能性のほうが高いさ」
 顔をしかめていたキハルダが小さく舌打ちする。内心の忌々しさを吐き出す彼女の肩をそっと撫で、オルトワは声を潜めた。
「狼藉者が絞り込めない以上、接触を図ってくるであろう黒耀樹家を見張るしかない。すでに動きがあるかもしれないからね。王都と幻都の間での団の連絡はくれぐれも慎重にやりな。こちらからも探りを入れておく」
 ひとつ小さく頷いたキハルダが、ふと瞬きして女元締めにすり寄る。
「今思い出したことなんだけどね、姐さん。砂漠でヨルッカがウラッツェの仕事を手助けしていたとき、妙なことを言っていたんだよ」
 片眉を持ち上げ、オルトワは言葉の続きを催促した。耳元で囁かれた単語に女元締めの目尻が持ち上がり、口の端が引きつる。
「それは間違いないんだろうね、キハルダ。よもや聞き間違いってことは……」
「聞いたときは大して気にもとめなかったくらいだからね。聞き違えていないとは言い切れないけど、この耳はまだ耄碌してないつもりだよ」
 顎の線を撫でながら、オルトワは厳しい表情をして黙り込んだ。
「ねぇ、オルトワ姐さん。今でもよく判らないんだよ。あのとき、ヨルッカはウラッツェをどうするつもりだったと思う?」
 今まで平静を保っていたキハルダの声音に不安の色が滲む。それを視界の端で捉え、オルトワは内心の苦々しさを飲み込んだ。
「さてね。あの子の本心が奈辺にあるのか、それを知るのはヨルッカ自身だけさ。我々はあの子の言動から予測して読み解くしかない。できれば、あの子が遊民の掟を破っていないことを祈るよ」
 そうだね、とキハルダが呟き、浅いため息をついて立ち上がる。報告が終われば、この場に用はなかった。早々に次の行動を起こさねばならない。
 心持ち肩を落として部屋を出ていく女の背を見送り、オルトワも嘆息と同時に肩を落とした。ヨルッカが行方知れずになってから、キハルダは方々を探し回ったはず。それでも手がかりが出てこないということは、悪い事態を想定しておかねばならないだろう。己の予測が外れて欲しいと切に願ってしまう。
「こういうとき、元締めって立場は身動き取りづらいもんだねぇ。自分で動き回れる下っ端のほうが気が紛れる。出世も良し悪しだよ」
 ぼやきというよりも、どこか嘆いているように聞こえる声が鬱々とオルトワの喉から漏れた。だからといって、彼女の顔つきが悲壮感漂うものであるのかと問われれば、首を傾げざるを得ない。鋭い眼光は膝の一点を見つめ、何事かを深く考えている気配を濃厚に振りまいていた。
「わざと遊民に粉をかけてきたか、それとも物知らずな阿呆の仕業か。いずれにしろ、きっちりと始末をつけて片を付けさせてもらおうかねぇ」
 ゆっくりと顔を上げた女元締めは戸口を振り返り、絶妙の間合いで現れた小さな影に微笑みかける。視線の先にある緑柱石色のまなこは何も語らず、深閑と静まり返っていた。
「随分と待たせたけど、やっとお前さんのご主人を起こす時期がきたかもしれないよ。あんまり寝こけてると大事なお宝が奪われるかもしれないんでね」
 揺れる尾が確かに嬉しげに蠢くのを、オルトワはしかと確認する。彼女の足下に歩み寄った赤毛猫が得意げに胸を反らして「にゃおん」と一声鳴いた。
「行ってくれるかい。ご主人様をキッチリと起こしてやっておくれよ」
 承知したとばかりに猫の瞳が細められ、微笑むように口許が開く。長い尾の揺らめきをオルトワはじっと見つめて微笑み返した。