混沌と黎明の横顔

第02章:火炎樹に眠る神の夢 2

 連れが人混みの真ん中で動かなくなり、それを不審に思ったフォレイアが彼の視線の先を辿る。彼女の視界に映ったのは三人の子どもたちだった。
「ジャムシード、あの子どもたちがどうかしたのか?」
 公女が視線を傍らの男へ向けたその一瞬。
 お父さんと呼ばわる震えた涙声と、ジャムシードの名を呼ぶ歓喜の声が鼓膜を打った。ギョッとして叫び声の主を振り返ったフォレイアは、隣から聞こえる上擦った呻き声に再度驚き、連れと三人の子どもたちを交互に見つめた。
「ジュペ……。なんで、こんなところに……?」
 人混みを縫うように少女が近づいてくる。その後ろを二人の少年が大人にぶつかるたびに謝りながらついてきた。
 見る見るうちに少女はジャムシードとの距離を縮め、泣き笑いの顔のまま勢いよく飛びついてくる。「お父さん」と繰り返す少女の声が聞こえているのかいないのか、ジャムシードは唖然としたまま抱きついた少女を見おろしていた。
「すげぇ偶然だな。商神講を見に出てきて正解だぜ。なぁ、結果としては良かったろ、ガイアシュ。お師匠のところにいたん……あぁっ!? こ、公女様っ」
 得意げにまくしたてていた少年の一人が公女と視線を合わせた途端、うろたえ、逃げ腰になる。どこかで見たことのある少年だと顔をしかめていたフォレイアは、相手の動揺した表情から出逢った場所を思い出した。
「オーレン、であったな。城塞で逢って以来か? 息災で何よりじゃ」
 王太子の護符サルクを拾い届けた者として、オーレンとは王子が許した謁見の場で顔を合わせている。それを実現させたのが隣の男だったことが同時に呼び起こされた。
「で、こちらの二人はどこの者であるのか?」
 オーレンは挙動不審な動きで傍らの少年の陰に隠れようとする。が、公女の問いかけにビクリと身体を震わせ、助けを求めるように少年と少女を見遣った。
 少女のほうはジャムシードにしがみついたまま、未だに泣きじゃくっている。一方のガイアシュと呼ばれた少年は、そんな少女とジャムシードを気遣わしげに見つめていた。が、この状況を説明できるのは自分しかいないと判断したか、彼はフォレイアに向き直り、イコン族特有のゆったりとした礼を取った。
「オレはイコンの青き血族、ガイアシュと申します。彼女は血族の長ジューザの姪ジュペです。彼女の父ジャムシードに逢うために旅して参りました」
 端から見たなら、自分の動きは東方使節団から贈られた自動仕掛け人形のように見えるに違いない。それほどギクシャクとした動きでフォレイアは首を巡らせ、泣きじゃくる少女と己の連れを視界に収めた。
「父……と、申したか? ジャムシードが? あの娘の?」
「そうです。十年前にジャムシードが青の民に拾われたときにハムネアとの間にできたのがジュペだと聞きました。オレの父は部族長の従兄弟なので……」
 細切れの単語でしか出てこない言葉をやっとの思いで紡ぎ、公女は再びガイアシュに視線を戻す。緊張に強張った少年の顔を見つめているうちに、彼女は自分がとんでもなく場違いな人間である気分に陥った。
 ジャムシードに娘がいるなどとは聞いていない。しかし、十年前? その当時の彼の年齢は十四か十五のはず。そんな若さで結婚したということか?
 ひどく混乱した頭を解そうと、フォレイアは指先でこめかみを押さえた。
「ガイアシュ。説明しろ。ジュペと二人だけで旅をしてきたとはどういうことなんだ。お前は自分が何をしたのか判っているのか!?」
 怒りがこもった低い声を聞いた途端、目の前の少年が飛び上がる。自分と対峙していたとき以上に身体を強張らせているガイアシュの態度を訝しみ、フォレイアは怒りの声を放った相手を振り返った。
 しゃくりあげる程度に収まった少女を抱き上げたジャムシードが、常の彼からは信じられない鋭い眼差しで少年を睨みつけている。この形相が原因か。ガイアシュの背後に隠れていたオーレンも一緒に身を強張らせていた。フォレイアもここまで怒りを露わにするジャムシードを見たのは初めてだった。
「お、おいらは道案内しただけだからなっ。なんにも悪さはしてないぞ!」
 慌てふためいて言い訳をするオーレンを庇うように立つガイアシュの顔色は蒼白である。ジャムシード自身が抱き上げている少女も小刻みに身体を震わせていた。いくらなんでもこのように恐れさせることはあるまいに。
「ジャムシード。ここで説明させることではあるまい。店に入ろうぞ」
 少年たちを促し、フォレイアは先ほど教えられた店へ向かった。ジャムシードの脇を通り抜けるとき、ジュペと呼ばれた美少女が怯えた様子で彼女の父親に身を寄せている姿が視界の隅をかすめる。
 幼い娘の容貌の端々に、ジャムシードの面差しを探し求めている自分に気づき、フォレイアは自分の下世話な好奇心に顔をしかめた。
 店は中流階級者たちが利用する店としては高級な佇まいである。入ってすぐの食堂は人が溢れ返っており、席に座るには少々待ちがあるようだ。この具合では座ってからも落ち着いて話せはしないだろう。
 フォレイアは個室の空きを訊ねた。案の定、商神講に参加する者が多く、ゆっくり朝食を摂る者もいなかったとみえて、個室は空いていると言う。
 彼女は勝手に個室を取ることにした。背後には猛烈に不機嫌なジャムシードの気配がする。これだけ怒り心頭では正常な判断力に欠けるものである。
 入ったこともない高級店に眼を白黒させているオーレンとガイアシュの背を押し、フォレイアは食堂の人だかりの間を抜けた。
 個室の説明に出てきた店の亭主や案内の給仕女もこの奇妙な団体への好奇心はあろう。が、そこはさすがは商売人たちだった。
 彼らはそんな内心のことはおくびにも出さず、淡々とフォレイアたちを席に案内し、手早く注文を取ると厨房へと引っ込んでいった。
 ジャムシードはすぐにでも少年を問い質したそうである。がしかし、公女が注文したワインと子どもたち用の野菜ジュース、ジャムシードの香茶がほとんど間をおかずに届けられると、僅かばかり怒りを飲み込んだらしかった。
「ところで、オーレン。久方ぶりであるが、お前は今どこで何をしておる?」
 一般人と一緒に食事をしなかったのは、フォレイア自身のためでもある。
 王族の身で庶民に身をやつすのは難しいのだ。つい口調や物腰に上流階級者の癖が出る。これまでにも何度かジャムシードやソージンと一緒に酒場に足を向けた際、彼らには気をつけろと口を酸っぱくして言われ続けていた。
 込み入った話をするのに自分の言葉遣いや態度で周囲から注目を浴びたくはない。今日のジャムシードでは彼女の失敗を誤魔化す余裕などなさそうだ。
「お、おいら? えっと……ジャムシードの兄弟子でローライって人がいるのは知ってる……うわわっ。なんだよ、ジャムシード。なんで睨んでんだよっ」
「オーレン。公女様に不作法な口を利くんじゃない。お前の脳味噌には敬語ってものが一つも入ってないのか?」
 常のジャムシードならこんな険のある言い方はしない。相当機嫌が悪いのだ。
 フォレイアは下手な口出しはしなかったが、子ども相手にムキになっている男の態度にそっと眉をひそめた。本当に珍しい。ジャムシードは子ども相手の場合は特に、負の感情を表面に出すことがないのだが……。
「わ、判ったってば。ちゃんと喋るよ。だから……っと。それでですね。そのローライさんの口利きで、モスカイゼスさんに……あの、彼はガーベイ・ロッシュ工房の一番弟子なんですけど、その、彼に弟子入りしたんです」
 つまりオーレンはジャムシードの兄弟子に師事し、今は細工師見習いをしているということか。ジャムシードはこの少年の叔父格になるわけだ。先ほどの叱責は厳しいと言われる工人たちの徒弟制度の一端なのだろうか。
「では、モスカイゼス師は王都で工房アトーを開いておるのか?」
「いいえっ。まだです。まだ工房は持ってないんです。神都カルバから着の身着のままで脱出したそうで、財産らしい財産は持ち出せなかったから資金がないので……」
 師匠の財政状況をペラペラと話してしまったことに気づき、オーレンはハタと口をつぐんで、おそるおそるジャムシードの方を伺っていた。
わらわも元神都の民が他の都市で苦労していることは聞き及んでおる。ハスハー地藩に戻れば税金の減免措置が取られているはずじゃが、お前の師匠はそれを利用して向こうで工房を持つ気はないのか?」
「それは……。その、ガーベイ・ロッシュ老師の体調が……」
「ガーベイ老のお身体は思わしくないのか? そういえば、かなりのご高齢だったと記憶しておるが、まさかそのようなことになっていようとは」
「いいえ。老師ご自身はお元気そうにみえます。けど、師匠はやはり老師ほどのお歳の人を残して神都へ戻る気がしないそうです。ご一緒に神都へとお誘いしているようですけど、老師は聖都にしばらく滞在なさる気で……」
 ジャムシードを気にして言葉を濁す少年の様子にフォレイアは哀れになってきた。まだ十代前半であろうオーレンをここまで萎縮させてどうするのか。彼女は振り返ると、気難しい表情をしている男を睨みつけた。
 が、そのジャムシードの隣に椅子をつけ、ベッタリと貼りつくようにして腰掛けている少女が眼に飛び込んでくる。その途端、名状しがたい気分に陥った。どうも彼に子どもがいるという事実を受け入れづらいのだ。
 少女がまったくジャムシードに似ていないというのもある。整ってはいるが凡庸な顔立ちの男から、これほどの美少女が生まれるものだろうか。それとも母親が少女によく似て、目も覚めるような美女なのか。
 公女がモヤモヤした気分を抱えているうちに、目の前に料理が運ばれてきた。
 内心の怒りは収まってはいないだろう。が、ジャムシードはひとまずのところ、食事を優先させる気になったようだった。
 父親と同じものを注文した少女が食べつけない魚に悪戦苦闘しているのを、彼は丁寧に骨をはずしてやっている。そんな仲睦まじい姿は親子の絆を感じさせた。それでもフォレイアは抱えた違和感を拭い去れない。
 そんな二人の様子を伺っていたガイアシュが、娘には怒りを向けない男の態度にホッと胸を撫で下ろしていた。その顔が親子の愛情を確信しているように見受けられ、余計に内心に芽吹いた不協和音を増長する。
 久しぶりに味わう好物の窯焼き肉にも舌鼓を打つどころではなかった。表面上はオーレンやガイアシュと旅の途中での出来事や世間話などして食事の時間をやり過ごしているが、食卓の向こうにいる親子が気になって仕方がない。つまらぬ好奇心だと自分を抑えるほどに、聞こえぬ会話に耳をそばだてていた。
 朝っぱらから過ぎるほどのワインを飲んでしまったのも、ジャムシードと少女の気配を封殺しようとした感情の裏返しである。
 小さな樽ワインなら空っぽになっているであろうほどの酒を飲んでもケロリとしている公女を見て、オーレンは感心することしきりで、ガイアシュなどは尊敬の眼差しすら送って寄越すが、元から酒に強い体質の彼女にしてみれば、酔いで自分の感覚が誤魔化せないのが仇になっているだけのことだった。
 ようやく食事が終わりに近づいた頃、ジャムシードが全員分の香茶を追加し、それが運ばれてくるのと入れ違いに食卓の上から食器類が姿を消した。
「さて。それじゃあ、今度こそ説明してもらおうか、ガイアシュ。この不始末は俺を納得させられるだけの理由があってのことだろうな」
 険しかった顔つきは多少和らいでいるが、それでも鋭い視線と低めの声には隠しようのない苛立ちが含まれる。そんな刺々しい態度を取るなと忠告するのも憚られるほど、ジャムシードの周囲の空気はピリピリしていた。
「お父さん、ガイアシュを叱らないで。ガイアシュは心配してついてきてくれただけなの。何も悪いことはしていないわ」
 場の尖った空気の中で飛び出した少女の声に、肩の力が抜けてもよいはずである。ところが当の少年は表情を強張らせたままだった。
「オレを庇わなくていいよ、ジュペ。オレが勝手についてきたんだから。誰かに強制されたわけでもないし。自分の始末は自分でつける」
 ジャムシードの眉間にみるみるうちに深い皺が刻まれ、先ほどの不機嫌な表情が戻ってくる。オーレンは自分は無関係だと視線をそらし、交わされる会話の蚊帳の外に置かれたフォレイアは不穏な空気に気を揉むばかりだった。
「ガイアシュ。お前は自分が何をやったのか理解しているのか?」
「理解しているつもりです。適切な護衛をつけないままジュペを連れて旅したことは罰せられて然るべきだと思っています。ですが、このままではジュペは青の部族内での立場をなくしてしまいます」
 ジャムシードの表情が険しさを増す。今にも爆発しそうな気配を隠すように、彼は卓の上に肘をつき、両手を組みあわせて口許を覆った。
「ナナイの治療が進んでいるそうだな。先ほどジュペから聞いた。ジューザが跡継ぎの男児を望んでいると。……だが、それはジュペとお前の憶測でしかないことだぞ。ジュペはジューザの養女として認められている」
「ジューザおじさんの娘でいるのはイヤ! お父さん、帰ってきて。今なら誰もお父さんのこと苛めたりしないから。一緒にお母さんを迎えに行こうよ!」
「ジュペ。黙っていなさい。今はガイアシュと話をしているんだ」
 横から口を挟んだ娘をたしなめ、ジャムシードは再び少年と向き合った。
 話の内容が見えず、フォレイアは成り行きを見守るしかない。手持ち無沙汰なオーレンだけでも先に帰そうかと、彼女はそっと声をかけたが、意外にも少年は話が終わるまで待っているからと首を振った。
「ジャムシード。先の戦で青の部族が立てた手柄は聞いていますか?」
「あぁ、報告されたものを聞いただけだが。北方の少数民族が蜂起しかけたのを抑えてくれたそうだな。お陰でハスハー地藩の回復は順調だ。水姫公はイコン族へ特別に褒賞を支払ったと聞いている」
 ガイアシュが問いかける声はようやく声変わりが終わったばかりの少年のものだったが、怯えながらもジャムシードに向かっていく態度は一人前だ。
 子ども二人だけで旅してきたと聞いたときには驚いたが、十かそこらの少女を守って旅してきただけのことはあり、実に堂々としている。
「ジューザは今まで部族を武威で治めてきましたが、先の手柄は武力ではなく智恵で他民族の説得に当たったと父から聞いています。その功績はイコン族にも伝わり、彼の部族長としての威信を押し上げています」
 ふと少年が言葉を区切り、口の渇きを癒すために香茶を一口すすった。
「今、イコン族の中でジューザや彼の身内を悪し様に言う者はいません。あなたのこともです。元々、青の部族はあなたを身内と認めていましたし、あなたが部族のためにやったことも、ジューザが功績を認められたように許されて当然だという空気があります。大族長もこの流れを無視できません」
 少年の喉仏が緊張で震えているのをフォレイアは視界の隅で捉える。
 十代の半ばほどであろう少年が大人相手に一歩も引かずに対峙しているのだ。緊張に顔は引きつり、身体が強張っていても、意気地なしと呼ぶことはできない。むしろ子ども相手に容赦しないジャムシードの態度こそ改めるべきだ。
 フォレイアは同情とともに怒りを憶えた。このように高圧的な態度に出る権利がジャムシードにあるとでも言うのだろうか。
「青の部族は以前の地位を回復しています。あなたを追放したことも一族としては後ろめたいんです。今なら、クラングからハムネアを取り戻せるかも……」
「やめろ。憶測はたくさんだ。まだ見ぬナナイの息子に脅かされている“かも”しれないジュペの地位とクラングに虐げられている“かも”しれないハムネアの誇りを守るために、俺に砂漠に来いとでも言うつもりか? それこそ青の部族に騒動を持ち込むだけのことだ。お前の話に確証は何ひとつない」
 ジャムシードの厳しい表情は変わらなかった。フォレイアは交わされる言葉の端々から想像するしかなかったが、おぼろげに事態を飲み込んだ。
「ガイアシュ。お前は自分の不始末は自分でつけると言ったが、実際に自分が何をしでかしたのか判っていないようだな。今現在、ジュペとお前がどれほど危うい立場にいるのかまるで判っていないじゃないか」
 ジャムシードは何を言っているのだろうか、とフォレイアは首を傾げる。それは少年も同じだったようで、男から出てくるであろう言葉の続きを待った。
「砂漠から真っ直ぐ神都へ向かったなら、お前もジュペも通行許可証を持っていないな。神都で越境申請も提出してもいない。今、お前たちは不正滞在者だ」
 潜められた低い声が厳しさを増す。フォレイアは少年と男を交互に見比べ、訳が判らずオロオロしている少女に哀れを感じずにはいられなかった。
「ジャムシード。越境申請書なら王都でも出せる。そう頭ごなしに叱る必要もあるまい。なんなら今すぐに書類を作成できるよう根回しを……」
「言われるまでもない。ここを出たらすぐに申請書を作りにいく。同時に正規の通行許可証も。……ジュペ。申請が終わったら近日中に砂漠へ帰りなさい」
 息を飲み、目を見開いた少女の顔は真っ青である。椅子を蹴倒し、ガイアシュが立ち上がった。彼は全身を怒りに震わせ、男を睨んでいた。
「オ、オレたちを追い返そうって言うんですか!? ジュペはあなたの娘なのに。あなたも年寄り連中と同じ事なかれ主義ですか!? オレは、あなたならジュペを助けてくれると……。青の部族の英雄のあなたならっ!」
 少年の激昂を予想していたのだろう。ジャムシードは視線をそらすことなく、ガイアシュの怒りに動じる様子はなかった。
 少年の憤慨ぶりにフォレイアは驚き、僅かに身を引いた。彼女の傍らに座るオーレンも同じく身を固くして怒りの嵐が過ぎるのを待っている。
 砂漠から延々と旅してきた二人にとって、ジャムシードに突き放されたことは何よりもショックだったのだろう。少年の激怒とは対照的に、少女は声もなく涙を流し始めた。娘の嘆きを男は気づいているのだろうか。
「座れ、ガイアシュ。公女様の前だ。見苦しい姿を見せるな」
 自分をダシにされるのは心外だ。フォレイアは腹が立ったが、全身を震わせる怒りを必死に抑え込むガイアシュの姿に、抗議の声をあげるのはこらえた。
「お前たちは書き置きだけを残して部族の集落を出てきたそうだな」
 組んでいた両手の指を解きほぐし、ジャムシードが冷え切った香茶を飲み干した。発した声は低く抑揚がない。彼が何を考えているのか判らない。まだ怒りが収まらないガイアシュは、それでも男の問いに素直に頷いた。
「今頃、青の集落は蜂の巣をつついたような騒ぎになっているはずだ。それがどういうことだか、お前に判るか、ガイアシュ?」
 今度も少年は頷こうとする。が、それを見つめていたジャムシードが静かに首を横に振り、「お前は何も判ってはいない」と呟いた。
「お前はジュペの地位が脅かされていると言う。だが、実際に彼女の名誉を傷つけ、その地位を脅かしているのはお前自身だ」
「そんなことないです! オレはジュペの護衛として彼女を守ろうと……」
「今頃は追っ手がかかっているだろう。部族長の財産を盗んだ者を捕らえ、その財産を取り戻すための追っ手が。王国に探索依頼が出されていれば、お前は捕らえられ、ジュペは追っ手に物のように引き渡されることになる」
 ガイアシュとジュペが同時に息を飲んだのが、少し離れたフォレイアの位置からでも判った。ジャムシードが言わんとしていることは理解できたが、自分の娘のことなのに、どうしてそこまで突き放して話せるのか判らない。
「そんなバカな。だって、書き置きにはちゃんとあなたに会いに行くと……」
「無意味だよ。今のジュペは俺の娘ではなく部族長の娘だ。ジューザの財産なんだ。その財産が部族の男に盗まれた。ジューザは己の財産を取り戻すために動く。そうでなければ下の者に示しがつかないからな」
 だからイコン族の者に見つかる前に砂漠に帰れ、とジャムシードは重ねて言う。しかし、驚愕に見開かれていた少年の瞳が平静を取り戻すと、彼は小さくかぶりを振って、それこそ無意味ですと返事した。
「オレに追っ手がかかっているのなら集落に戻っても捕らえられます。ここで捕まるか、砂漠で捕まるかの違いでしかありません。だったら、ジュペがいたいと思う場所にいます。彼女を砂漠に帰しても状況は変わらないのですから」
 ジャムシードがため息をつき「歳はいくつになった?」と少年に問うた。
 怪訝そうに少年は首を傾げたが、口許を引き結び、ふてくされた様子で「雨期が明けたら十五です」と答える。まだ成年前の半人前なのだと、暗に指摘されたとガイアシュ自身は考えたようだった。
「だから、まだ救いがあるんだよ。砂漠に戻るときはトルトーから出発して白の部族の領域に入れ。白の部族の連中に見つかるように。彼らに問われたら、砂漠で迷ったと言うんだ。砂漠の外には行っていないと」
「でもっ! そんなことしても青の部族に引き渡されるのは同じです!」
「お前たちは砂漠を出ていない。ジューザの財産も砂漠の外には出ていない。そして、子どもが集落から離れて迷っているのを他部族の者が見つけた。それだけの事件だ。……白の部族に醜聞を広めたくなければ、青の部族はただの子どもの迷子で収めるだろう。部族の地位が回復に向かっているなら尚更だ」
 ガイアシュの横顔に理解の色が浮かぶ。しかし、同時に逡巡の気配も行き来した。少女の泣き顔と男とを見比べ、素直に従うべきかどうか迷っている。
 それまで頑なにこちらを見なかったジャムシードが振り返った。
「オーレン。モス兄ぃのところに二人の荷物があるんだろ? 今すぐにそれを持ってきてくれ。兄ぃには後から俺が説明する」
 有無を言わせない固い声に傍観者だった少年が飛び上がり、逃げるような勢いで店を飛び出していく。この場を離れる大義名分を待っていたのだろう。
 フォレイアは口を挟めなかった。希望を打ち砕かれた子どもたちを慰める言葉も、ジャムシードをなじる言葉も、今はただ空虚でしかなかったのだ。