黒竜街道物語
第十七話:√《ルート》
 言ってはいけない。
 何度も寝物語に聴いた伝説を、もう一度口の中で繰り返す。
 辻守に出逢ったら気をつけろ。決して口にしてはいけない言葉がある。それを破った者は生きて還ってはこないのだ、と。
 それでも怖れず、辻守に逢いたくば、√《ルート》たちが示す道筋《ルート》に向かうが良い。
 寝物語の昔話は、いつもそう繰り返す。


 けたたましい音を立て、空のエールジョッキが卓の上に叩きつけられる。青銅のジョッキはクワンクワンと抗議の声を上げたが、仮の主人はその声をアッサリと無視した。
「……なぁんてな。誰が信じるかよ、そんな迷信! おぉい! こっちにエールの追加だ。樽ごと持ってこいや!」
 野太い腕がそのジョッキを持ち上げ、給仕女を催促する。ちょっと待って、と叫ぶ女は額に汗を浮かべて忙しそうに動き回っていた。
 だみ声と嬌声が入り混じる店内には酔客が溢れ返っている。今夜の酒場は大盛況の様子で、酒の匂いが充満したその場は、たとえ酒を呑んでいなくても酔っ払えそうだ。
 店の亭主はほくほく顔をして給仕たちに指示を与え、踊り子はタガがはずれている客から金をせびろうと太股や胸元も露わにしなだれかかる。
 そんな喧噪の中で、男は同じ卓を囲む相手の肩を威勢良く叩いた。
「おい、坊主。お前も飲んでみるか? なりは小せぇがいける口だろ」
「オレはいい。酒は飲まないんだ。……それで、辻守に出逢ったときに口にしてはいけない言葉ってのはなんだ?」
「あぁ? 待て待て。そうせかすなよ。まずはエールを飲んでからだ」
 新しいジョッキに注がれたエールを受け取り、男はだらしなく口元を弛める。そして、男は一気にジョッキの半分量を飲み干した。その赤ら顔が陶然とするさまを、同席している若者は忍耐強く見守っていた。
「あ〜……うめぇ。五臓六腑に染み渡るぜ。他人様のおごりとなりゃ、それだけでうめぇってモンだぜ」
「それは良かった。……で、話の続きは?」
「なんでぇ。せっかちな奴だなぁ。……あぁ、言ってはいけない言葉ね。えぇっと、なんだったかなぁ。うーん」
「忘れたとは言わせないぞ」
「るせぇっ。忘れるかよ。えーっと。えー……あれ? なんだっけ?」
 若者が小さくため息をつく。眉間に寄せられた皺が大いに失望を刻んでいるのだが、思い出すのに必死な酔漢はまるで気づいていなかった。
「忘れたんだな。……もういい。憶えていない者に用はないんだ。これまでのエール代は払うが、この後の代金は自分で払えよ」
 若者は音もなく席を立つと、卓の上に金が入っているらしい小さな麻袋を放り出す。嬉しげに顔をほころばせる酔っ払いが「ありがとよー」と笑っているが、彼はそれには目もくれずに酒場を後にした。
 店を出た若者は足早に路地裏を抜けていく。そして、宿場の建物が入り組む一画から離れた。酒場のやり取りに落胆したか、夜の道を行く彼の横顔は険しい。
 家々がまばらになり、街道からはずれた森の近くまでくると、若者は苛立った様子で周囲を見回した。
「どこにいる。姿を見せないか!」
 声は小さいが、若者の鋭い叱責に森の下生え草を揺らす音が応える。夜行性の動物を連想させる物音にも、彼はいっこうに動じる様子はなかった。
「その様子だと駄目だったようだな。だから最初に言っただろう。無駄なことはやめておけと」
「黙れよ。お前の言うことなど誰が信じるか。辻守の呪いがかかっていない奴がどこかにいるはずだ。絶対に禁句を教えてもらう。だからオレは次の宿場に行くぞ。お前らとはここまでだ」
 若者の目の前に現れたのは、全身の肌も髪も真っ白だが瞳だけが夜よりも黒い少年だった。そのすぐ隣には闇色の髪に摺墨色の衣装を着込んだ子どもが立っている。外見だけは異様に目立つ二人連れだ。
「辻守を探すほうが早かろうに。口にしてはいけない言葉を探し回っていたのでは、いつまで経っても辻守には行き着かないぞ」
「オレは辻守の薬を手に入れて、故郷の村に帰らなければならないんだ。不用意に禁句を口にして死にたくはない!」
「辻守の姿すら知らないのに禁句も何もあったものではないと思うが?」
「うるさい。オレに指図するな!」
 ドスドスと足音も荒々しく歩き始めた若者の後ろを、真白き少年と闇色の髪の子どもがついていく。
「ついてくるなよ。鬱陶しいだろ! 早く辻守に逢わなければならないのに、お前たちの面倒を見るのなんかごめんだ」
「別に面倒を見てくれとは言ってない。勝手にしろと言うから勝手に歩いている。それがたまたま同じ方向なだけだ」
「屁理屈をこねるな! もう、お前たち二人と関わるのはイヤだって言っるんだ。その外見のせいでオレまで変な目で見られるじゃないか。みんな避けて通るだろ。人に話を聞くのだって大変になるだけだ!」
 摺墨色の衣装を着込んだ子どもが頬を膨らませて隣の少年の袖を引っ張った。
 雪のように白い少年の肌に重ねられた子どもの手は青白い。全身が白い少年の姿も異様だが、黒々とした髪と青白い肌が対比する子どもの姿も人の目を引かずにはいられない。
 独特の雰囲気を持つ二人連れが一緒では、厭でも目立つ旅路になろう。目立てば盗賊にも狙われる。人買いにさらわれることもある。不用意に危険が増えることは、誰にでも判る理屈だった。
「どうして村に辻守の薬を持ち帰りたいんだ? 村に薬師はいるだろうに」
「前にも話したろ。薬師の作る薬では生まれたての子どもがかかる病気を治せないんだよ。子どもの病気を治せる薬を手に入れれば、親たちは大喜びだ。そして、村の奴らはオレに頭が上がらないんだぜ。気分がいいじゃないか」
「村の連中を見返してやりたいってことか」
「そうだよ。悪いかよ。村で土地を持ってないオレのことをボロカスに言う奴らを見返してやるんだ。両親は土地を持ってる奴らの土地を借りてつましい暮らしをしていた。オレはそんなの厭だね。今度はオレが奴らの上に立つ!」
 若者の後ろを歩いていた二人連れの足が止まった。
「クソッ! 昔語りの謎も解けないってのに、ミョウチクリンな奴らの相手なんかしてられるかよ」
 若者は苛立ちに悪態をつきながら先へと歩いていく。後ろの二人が徐々に離れていくことには気づいていない。いや、気づいていたとしても厄介払いが出来たとしか思わなかったに違いない。
 遠ざかっていく若者の背を見送り、白い少年は隣の子どもを見下ろした。
「行かせていいのか?」
「かまわん。あの者は辻守に逢うに相応しくない」
「まるで辻守を知っているような口調だな」
 黙り込んだ子どもの様子に少年は肩をすくめた。
「俺には、あいつが永遠に村に帰れない気がするんだがな」
「今のまま薬を手に入れようと考えている限り、村には帰れまいよ。辻守の薬は己が成り上がるためにあるわけではない。昔語りの意味を知らぬ者の前に辻守は現れないからな」
 小さくなっていく若者の背を、子どもはじっと見つめている。尊大な口調とは反対に、前髪の隙間から覗く血色の瞳は暗く哀しげに揺れていた。
「さて、あいつの後を追って黒竜街道を進む必要がなくなったのなら、宿場に引き返して宿を見つけるか? あいつに気兼ねしなくていいなら、宿場はずれの森で野宿する必要もないだろう」
「そうだな。己の根源が示すものを知ろうとしない者に道はない。街道を行ったとて、あの者は目的を果たせないのだから、我々まで同じ轍を踏むことはないだろう。今夜は温かい寝床で眠れる」
「またガキのくせに小難しいことをゴチャゴチャと」
「ガキではないと、いつも言っているだろうが。いい加減に子ども扱いを止めないと……」
「判った、判った。今日は疲れたから口論は終わりだ。続きは明日にしてくれ」
 食ってかかってくる子どもをいなし、少年は夜道に伸びる黒い街道を後戻りし始める。少年の横顔に表情はないが、飛びついてきた子どもを背負う姿は幼い弟をあやす兄のように優しげだった。
「なぁ、昔語りの謎に出てくる文字、あれの意味はなんだ?」
「文字というと……あの“√”のことか?」
「そうだ。まったく見たことがない文字だからな」
「今は誰も知るまい。あれは異界の記号だ。特殊な文章を綴るときに使うらしい。真実の意味は、木の根、根源、源流。あるいは──祖先」
 少年は背負った子どもを揺すり上げ、なるほど、と呟いた。その返答に満足したのか、子どもはふっくらとした頬を少年の肩に擦り寄せて吐息を漏らす。
「眠かったら眠ってもいいぞ。宿についたら起こしてやる。あいつへの“道筋”は示してやれなかったが、自分たちの“道筋”くらいはガキに頼らなくても判るからな」
「ガキではないわい。まったく、どいつもこいつも腹立たしい。今に天罰が下るぞ。判っておるのか!」
「自分の√《ルート》は判っているからな。辻守に逢う気はないが、道筋《ルート》に迷うことはないだろうさ。だから、天罰なんぞ知ったことか」
「……罰当たりな奴め」
 呆れたように呟いた後、子どもは静かに眼を閉じて背中の揺れに身を任せた。
 宿場の端にある茶屋が見える。夜の間中明かりが灯る酒場はともかく、街道に面した宿屋も今は窓から小さな灯火を漏らすだけだ。
 少年の背に身を預け、子どもは背後の闇を振り返った。もはや若者の姿は見えず、そこには闇の中に溶ける黒い街道が真っ直ぐに伸びているばかりだ。
「どうした? あいつのことが気になるのか?」
「いや。気になるのは……黒竜街道の果てだけだ」
 囁いた子どもの声は少年に辛うじて聞こえたのだろう。再び、なるほど、と少年は呟き、無理な体勢の子どものために立ち止まって背後に向き直った。
「見えるか?」
「あぁ、見えるぞ。我が道が」
「ガキのくせにキザな奴だ」
「つくづく無礼な奴。いつか天罰を喰らわせてくれるわ」
 ムッとした子どもの口調に少年がクスクスと笑う。人間離れした外見が、このときばかりは人懐っこい動物のような雰囲気に満ちた。
「お前が辻守だったら、俺は禁句ばかりを口にするいけ好かない奴だな」
「判っていて口にするか。まったくもって躾がなっておらん」
「ガキに躾がどうこう言われてもなぁ」
 背中の子どもが腕を振り上げ、目の前にある少年の頭を叩き出す。痛いと不満を漏らしながら、少年は再び宿場に向かって歩き出した。
「いい加減に大人しくしないと、この場に捨てていくぞ」
「そんなことをしてみろ。末代まで祟ってやる!」
「ばかばかしい。やれるものならやってみろ」
「きぃっ! バカとはなんだ、バカとは!」
 夜はなおも続く。そして、足下で輝く石の街道は、彼らが巻き起こす小さな喧噪などものともせず、悠然と大地の上に横たわっていた。

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