黒竜街道物語
第十六話:シャム双生児
「この出来損ないはなんだっ!? 貴様、主様からいただいた品で何をやったんだ!」
 長い回廊の端から漏れる青白い光の奥で、凄まじい絶叫があがった。
 彼らはここで私が騒ぎを聞きつけているなどとは思いもしないのだろう。磨き抜いた黒曜石の表面に、私と月子の驚いた顔が映っていた。
「おおかた、居眠りでもしていたのだろう! こんな不始末をしでかして、ただで済むと思うなよ!」
 私は狂ったような騒ぎに小さくため息をつく。腕の中の温かな気配がビクビクと震えていた。月子がクルアンの怒りように怯えている。彼女の柔らかな肩を抱き寄せると、胸元から花に似た甘い香りが立ちのぼってきた。
「ねぇ、クルアンは何を怒っているの?」
「あの様子だと、カント・ガントが失敗をやらかしたのだろう」
「可哀想に。あんなに怒らなくてもいいじゃないの」
 クルアンが怒り狂っているということは、カント・ガントはよほどのヘマをしたのだろう。だが、それを月子に説明しても彼女は納得しそうもなかった。
「おいで、月子。一緒に様子を見に行こう」
 私の腕にしがみついた月子が喉を鳴らしながら笑う。機嫌がいいときの彼女は判りやすい。空いている片手で薔薇色をした頬を撫でると、彼女はさらに嬉しそうにクスクスと笑い声をあげた。
「行きましょう。きっとカント・ガントがいじけているわ」
 私は踊るような足取りの月子に引っ張られて騒ぎの元凶へと向かった。


 月子にしがみつくカント・ガントにチラリと視線を向け、私は渋面を作った。
 今回の彼の失敗はかなり厄介なものだった。どこをどう間違えたのか知らないが、この失敗作を消し去ることは出来そうもない。
「主様、もはや赦す赦さないの範疇ではありません。即刻、カント・ガントから下賜品を取りあげて追放すべきです!」
「そんなぁっ! おいら、ここを追い出されたらどこ行けばいいんだよ! 主様、おいらを追い出したりしないよね!?」
「追い出したりしちゃ駄目よ! ねぇ、魔法でパパッとなんとかなるのでしょう?」
 三者三様に訴えられても、すぐには決断できない。これはいったいどうしたものだろう。こんなものは見たことがないのだが。
「面倒なことをしてくれたな、カント・ガント……」
 我々の目の前にあるものは──ありていに言えば、獣と植物の混合体だった。
 猿に似た獣の身体に、甲殻類のように節くれ立った奇妙な植物が生えている。これだけでも妙だというのに、この猿は双子だったのだ。しかも、腰の後ろで結合している奇形種だった。
「おいら、月子様が部屋に飾る森の絵が欲しいって言っていたの思い出して、東の忘れ森で採ってきた樹木と猿を描いただけだい! こんなことになるなんて……」
「クレヨンたちをしっかりと監督していれば、こんなヘマをするはずがないでしょう! 見苦しい言い訳はやめなさい!」
「怒鳴っちゃ駄目よ。カント・ガントが可哀想じゃないの。大丈夫よ、主様がちゃんと元通りにしてくださるわ。わたくしのいた世界でもシャム双生児の分離手術が出来たのですもの。この世界で出来ないはずがないでしょう!」
 私から見れば、背後でやいのやいのと騒ぐ三人は暢気なものだ。どうにかするのは私であって、三人とも結局は傍観者なのだから。
 新たな命を与えられた猿モドキたちはキィキィと鳴き騒ぎ、それぞれがテンデバラバラの方向に歩き出そうと躍起になっていた。お互いの身体から生えている妙な植物に怯えているらしい。
 哀れといえば哀れだが、端から見ている分には滑稽芝居の役者のようだった。
「さて、困ったことだ。どうやったら元通りにできるものか……」
 ブツブツ呟く私の背中に、柔らかな感触が押しつけられた。
 ぐるりと身体をよじって見下ろすと、恨みがましい目でこちらを見上げると月子と視線が合ってしまった。そして、彼女の背後にはカント・ガントの媚びるような上目遣いの瞳があった。
「主様! カント・ガントなどにこれ以上の情けをかける必要はございませんよ! 今度という今度は、看過することは出来ません!」
「クルアンの意地悪っ! カント・ガントはまだ子どもじゃないの。どうしてそんなひどいことが言えるの!?」
 私はそっと片手を挙げ、何か言いたそうに口を開いたクルアンを制した。
 ヘタに今の月子を刺激すると、自分の世界に帰ってしまう。呼び戻すのに一苦労だ。以前のように界を渡って迎えに行くのは、いくら辻守の私でも命が幾つあっても足りないくらい危険な行為だった。
「月子。これは少々厄介だ。戻そうとして、さらに面倒なことになるかもしれない」
「でも、元通りにできるのでしょう?」
「……まぁ、かなりの手間暇をかけることになるが」
「じゃ、治して。お願い! あのままでは、猿たちも植物も可哀想よ」
 口を尖らせ、手足を必死にばたつかせている月子が妙に可愛らしく見え、私は彼女の顔をマジマジと見下ろした。
 あぁ、だが。彼女に見取れて、あの奇妙なシャム双生児から視線をそらしたのが間違いだった。けたたましい鳴き声が耳を聾し、私が慌てて振り返ったときには、猿モドキたちは目の前まで転がってきていたのだから。
 私を黒曜石の床に突き倒し、猿モドキたちは月子に体当たりするように抱きついていった。しがみつかれて、月子が派手に尻餅をつき、彼女の背後に隠れていたカント・ガントは下敷きにされた勢いで気を失ってしまった。
「ぬ、主様! 月子様!」
 私にしても、クルアンの焦った声が聞こえなかったら、不覚にも意識を失っていたかもしれない。
 クラクラする頭を振って身体を起こすと、猿にしがみつかれて怯えきっている月子の姿が見えた。
「月子!? この……猿どもが!」
 気安く彼女に触れるとは、なんという無礼な猿どもだ。
 私は両手で素早く印を結ぶと、高速真言を唱えた。人間の可聴領域を超えた言語は、唱えている私にしか聞き取ることはできまい。
 増幅された魔力が一本の槍のように解き放された。それはまっすぐに猿モドキに向かっていき、ギシギシと軋んでいる樹木枝を吹き飛ばし、猿たちの毛皮を引き裂いていった。
 月子の目の前で獣の肉が柘榴のように弾ける。彼女は飛び散る血のなま暖かさにギョッとし、次いで音階を無視した絶叫を放った。
 尾を引く叫びが延々と続いた。が、それが突然途切れると、月子は糸が切れた操り人形のようにグッタリと倒れ込んでしまった。
「月子! 月子、しっかりしろ! 月子!?」
 駆け寄った私が揺すっても、彼女は意識を取り戻さなかった。傍らに跪いていたクルアンが、慌ててどこかへと駆け出していく。
 血まみれの月子を抱きかかえたまま、私はどうして良いか判らずに途方に暮れるばかりだった。


 あれ以来、月子は双子を見ると怯えるようになってしまった。
 後悔ばかりが頭をもたげる。どうして彼女をあの部屋から連れ出しておかなかったのだろうかと。もはや後の祭りだ。
「カント・ガントを処分しなくてよろしかったのですか?」
「かまわぬ。今さらであろう。あれは今、どこにいる?」
「すっかりしょげ返っております。たまに宵星亭に顔を出しているようですが、それ以外は自分の庵に籠もったままです」
 私はその報告に小さくため息をつくしかなかった。元はと言えば、カント・ガントが術に失敗したのが原因ではあったが、最終的な対処を誤ったのは私だった。
「クルアン、頃合いを見て、カント・ガントを連れ戻してやれ。月子が話し相手がいなくて寂しがっている」
「お言葉ですが、月子様は主様のお話相手にお連れした方です。月子様のお話相手は主様かと思いますが?」
「私がおらぬときの話し相手だ」
 クルアンは白い月光に似た瞳に不穏な気配を漂わせたが、すぐにいつもの平然とした表情に戻ると、深々と頭を下げて恭順の意志を示した。
 ゆったりとした足取りで歩み去る彼の背を見送りながら、私は自嘲の笑みを浮かべる。
 判っている。私は月子に甘すぎる。彼女の頼みを断ったことがない。クルアンにはそんな私が歯がゆいのだろう。
 退屈を紛らわせる相手として連れてきた月子が、今では私の生活の大半を占領し始めている。私の魔力で命の時間を引き延ばしているとはいえ、いずれ彼女は私より先に逝く。
 月子がいなくなったら、私はどうするのだろう。暗闇の中で輝くシャボン玉のような笑みに毒された私には、彼女を失うことは恐怖以外の何物でもなかった。
 血まみれの彼女を抱きしめたときに悟ってしまった。気づかなければ良かったものを。
 私の視界の隅に、ヒラヒラと白く揺れる光が踊った。お気に入りの白い衣装を着込んだ月子がこちらに向かって駆けてくる。
 私はその跳ねるような足取りを見守りながら、小さな吐息を漏らした。
 あとどれくらい一緒にいられるのだろうか。いつまで彼女が駆け寄る姿を愛でることができるだろうか。
「主様、こんなところにいらしたのね。あちこち探し回ってしまったわ!」
 飛びつくように胸元に抱きついた月子の背に腕を回し、私は顎の下にある彼女の髪に頬ずりした。
「私を探す必要などないだろう? お前に渡した鏡を使えば、私はいつだってお前を招くのだから」
「まぁ、そんなの面白くないわ。探して見つけるから楽しいのよ!」
 はしゃぐ彼女の腕を取り、私は蒼い闇の回廊を歩き始めた。
 月子と離れ離れになるくらいなら、いっそのこと私が殺した猿モドキたちのように一つになる術をかけてしまおうか。決して離れることのできないシャム双生児のように。
 淡い夜の闇に漂うように月子が私の周囲で踊る。その姿を追いながら、私は私と身体の一部を繋げた彼女の姿を夢想して、ひどく落ち着かない気分に浸っていた。

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