黒竜街道物語
第十一話:柔らかい殻
 その日、カント・ガントは黒竜街道の裏通りを歩いていた。
 間もなく暑い季節がやってくるとあって、裏通りの店々は商品の入れ替えにばたばたしている。季節に関係なく商売している店ばかりがのんびりと昼下がりの気怠さを満喫していた。
「そろそろ新しい素材を見つけたいところだけどねぇ」
 カント・ガントは頭の後ろで腕を組むと、ブラブラと幾つかの店先をひやかしていく。買う気のなさげな彼の態度に、多くの店主は無視を決め込んでいたが、実際のところは横目でこの物見高い少年の動きをしっかりと観察していた。
「雪の季節には若葉をかき集めてみたけど、今度は反対のことをしてみるかなぁ。それとも暑さを満喫したほうがいいのかな。……まったく、主様の気まぐれにも困ったモンだ。おいらを悩ませるためにやってるに違いないね」
 ひょろひょろと店を渡り歩き、カント・ガントはとうとう黒竜街道まで出てしまった。
 旅人相手の商売をしている街道の店舗は裏通りよりも物価が高い。それだけ治安も保証されてはいるが、この街道筋に住み着いている少年には治安の善し悪しなんぞは関係のないことだった。
「う〜ん。ちっともいい考えが浮かばないや。こういうときは宵星亭にでもいって、柘榴と花蜜水でももらうに限るかな」
 少年は薄汚れた肩掛け鞄を揺すり上げると、黒々とした石が敷き詰められた街道端を歩いていった。遠く南の空には薄雲がかかっているが、少年の頭上の空はからりと晴れ渡っていい天気だ。
 小綺麗な店が並ぶ中、一軒だけ古びた建物がちんまりと街道に向かって戸口を開けていた。木製の看板は剥げかけていたが、辛うじて“宵星亭”という文字を見ることができる。
「久しぶり〜。おいらの椅子はまだ健在かい?」
 戸口から声をかけ、カント・ガントは遠慮なく店内に足を踏み入れた。
 その足がピタリと縫いつけられたように止まった。カウンターの奥で何ともいえない表情を向けてくる亭主と視線が合い、彼の目の前にある困惑の原因を視界に収めた途端、少年の顔が奇妙に引きつる。
「──月子様?」
 目をすがめ、顎が外れそうなほどあんぐりと口を開き、カント・ガントは眉間の皺を深く深く刻んだ。
 最初の驚きからなんとか立ち直ると、少年は鼻のソバカスをゴシゴシと擦りながらカウンターへと近づいていく。こちらに背を向けている少女はピクリとも動かなかった。
 月子が座っている隣りの高椅子によじ登り、カント・ガントはカウンターに突っ伏している少女を覗き込む。
「なんでこんなところで寝てンの、この人? 今頃は主様と良いことしてたんじゃないのかよ?」
「そりゃぁ、こっちが聞きたいね。いきなり訪ねてきてワンワン泣きだして、今さっき泣き疲れて眠っちまったんだよ。昼間の客に全部逃げられちまった。商売上がったりだ」
 亭主のボヤキに少年は苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。
「主様と喧嘩したな、こりゃ。まったく、何をやってるんだか」
「なんでもいいから、トットと連れ出してくれよ。また目を醒ましたら泣き始めるかと思うとゾッとするぜ」
「そんなこと言ってもねぇ。おいらは女の子の相手は得意じゃないよ。そういうことはクルアンが得手だったと思うけどね」
「勘弁してくれよぅ。夜の商売まで邪魔されたら、こっちはオマンマの食い上げだぜ。早いところクルアンを呼んでくれ」
「あいつ、主様のお使いで出掛けてんの。ここ最近は姿見てないねぇ」
 カウンターの向こうで亭主が頭を抱えて呻き始めた。よほど少女の泣き姿に懲りたらしい。
「なんでもいい。早くこのお嬢ちゃんをどこかにやってくれ。またあの大泣きが始まったら、こっちの気が狂っちまう」
 カント・ガントは大きなため息をついて、天井を見上げた。ランプから立ちのぼる煙で煤けた天井は黒光りして、まるで表の黒竜街道の敷石のように光っている。見上げた人の顔が映らないのが不思議なほどだ。
「この店もけっこう汚れてきたよねぇ」
「あぁ、もうかなり長い間ここにあるからなぁ。って、今はそんなことどうでもいいんだよ。主様に言って、このお嬢ちゃんを迎えに……」
「来ると思う? あの主様が?」
「──来ないか。やっぱり」
 二人して大きなため息をつき、カウンターの上で昏々と眠っている少女の寝顔を見下ろす。幸せそうに眠っているが、目を醒ましたらどうなることやら。
「いっそのこと、このまま主様の元へ運べないモンかね。どうせ喧嘩するのも早いけど、仲直りも早いんだろ?」
「どうだろう。おいらはよく知らないけど」
 カント・ガントは下げていた鞄から丸めた画用紙を取り出し、丁寧に皺を伸ばしてカウンターの上に広げると、再び鞄の中をあさって古ぼけた木箱を掴みだした。
「おいおい、何をしようってんだよ。こんなときに悠長にお絵描きか?」
 少年が木箱から取り出したのは使い込まれたクレヨンだった。ゴロゴロと転がり出たクレヨンどもは、画用紙を見るとワッと歓声を上げて群がっていく。
「おい、お前たち。おいらの許しもなく何をする気だ」
 カント・ガントが精一杯の脅し声を上げると、クレヨンたちは押しあいへし合いしながら綺麗に整列した。聞き分けの良い飼い犬のような動きに、少年はニタリと笑みを浮かべる。
「よしよし。それじゃ、お前たち。ここにいる月子様を写し取りな。いいか、妙な気を起こすんじゃないぞ。寸分違わず描くんだぞ」
 クレヨンたちを脅しつけると、少年はカウンターの向こうでムッツリと顔をしかめている亭主に向かってニヤリと笑いかける。
「ちょっとばかり悪戯を思いついた」
「カント・ガント〜。また悪さをする気だな? とばっちりはご免だぜ」
「まぁまぁ。どうせ迷惑をかけられついでだろ」
 亭主を適当にいなすと、カント・ガントはキャワキャワと騒ぎながら働くクレヨンどもにあぁしろ、こうしろと注文をつけるのだった。
「ほらほら、橘。お前はもっと下だ。薄墨、もっとシャキシャキしないか。そんなことだと、いつまで経っても終わらないぞ」
 そのうちに画用紙の上には眠る少女がクッキリと浮かび上がた。平和な顔をして眠りについている姿は、カウンターに俯して眠りこける月子にそっくり。
 クレヨンたちの仕事ぶりに満足そうに頷き、カント・ガントはパンパンと掌を打ち合わせた。
「よし、そこまで。お前たち、箱に戻っていいぞ。おっと、雪と象牙だけはここにこい」
 ザワザワと木箱の中に転がり込んでいくクレヨンの隊列から、真っ白なものとやや黄色みかかった白いものとが抜けだしてくる。一本はカント・ガントの前で恭しく腰を折り、もう一本はそっぽを向いて棒立ちのまま。
「お前たち、この絵を全部塗りつぶしな」
 ニタリと少年が二本のクレヨンに向かって笑いかけた。その少年の声に木箱の中からはブーイングの嵐。せっかく仕事をしたのに、なかったことにされては腹立たしい。
 しかし、カント・ガントがジロリと箱の中を睨みつけると、不満の喧噪はピタリと止んだ。
「さぁ、かかれ。大急ぎで終わらせるんだぞ」
 ピョンピョンと飛び跳ねて、二本のクレヨンたちは画用紙の上を踊り歩く。その仕事を横目に見ながら、カント・ガントは不審げな表情の亭主に向かってヒラヒラと手を振った。
「主様から寝具の注文をもらったんだ。丁度良いから、これを素材にもらっていくよ」
「何があっても関わり合いにして欲しくないね。お前さんの悪戯に巻き込まれるのはご免被りたい」
 ジリジリと後ずさりする亭主に人の悪い笑みを向け、カント・ガントは嬉しげに両手を揉みあわせて肩を揺する。楽しくて楽しくて仕方がない、といった態度の彼には、亭主の懇願などどこ吹く風といったところだろうか。
 ニタニタと笑みを浮かべているカント・ガントの前に仕事を終えたクレヨンたちが並び立ったのは、戸口から差し込む日差しに夕日の気配が混じり始めた頃だった。宿や食事を求める旅人が、そろそろ店を物色し始める頃合いだ。
「ご苦労。よしよし、ちゃんと仕事をしたな。もう戻っていいぞ」
 カント・ガントは二本のクレヨンを鷲津掴むと、無造作な手つきで木箱の中に放り込んで蓋を閉めてしまう。蓋が閉じる寸前、猛然と抗議する声が小さく聞こえた気がしたが、少年は何喰わぬ顔で亭主に花蜜水を注文するのだった。
「今日もいい具合に仕事がはかどったよ」
 出された水を勢いよく飲み干すと、カント・ガントはニタニタと笑いながら鼻をすすり上げた。
「じゃ、おいらは行くよ。ごちそうさん。注文の品を届けなくっちゃ!」
 少年は椅子から滑り降りると、パチリと指を鳴らし、優雅な手つきで高椅子の上から大きな塊を取りあげた。
「そりゃ、いったい何だよ?」
「あれ? 知らないかい? こいつはマシュマロさ」
 悠然と巨大な白い塊を担ぎ、カント・ガントは戸口へと歩き出す。
「……なぁ、カント・ガント。主様の注文の内容はいったいなんだったんだ?」
 店の外へ出ようとしていた少年の背に、亭主がおっかなびっくり声をかけた。その口調に抑えきれない好奇心が溢れていたのは、気のせいではあるまい。
 店の敷居をヒョイと跨いだカント・ガントが振り返った。
「柔らかい殻で出来たベッドと抱き枕が欲しいとさ」
 黒竜街道を歩いていく少年の肩には、人の形をした白い奇妙な塊が甘い芳香を放ちながら揺れていた。

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