黒竜街道物語
第六話:ポラロイドカメラ
 月子の自慢は一昨日買ってもらったばかりのカメラだ。それも発売前の。まだ同級生の誰も手に入れていない。月子は父親のコネを利用して手に入れたのだから。
 今日は一日良い天気だったので、庭のあちこちを歩き回って買ったばかりのカメラを試してまわっていた。
 足はすっかりくたびれてしまったが、月子はカメラの映り具合にたいそう満足した。
 そう、これは現像しなくてもいいカメラなのだ。パシャリとシャッターを押した途端に写真が吐き出され、初めは白くモヤモヤしていた画像が徐々にはっきりとした色を浮かべる様子は魔法のようだった。
「さすがですわ。明日、学校で皆さんに見せて差し上げましょう」
 もう就寝時間であったが、月子は興奮していてなかなか寝つけない。ベッドから起き出し、昼間撮影した写真を引っぱり出して月明かりの下でじっくりと眺めていると、なんともいい気分になってくる。
 ふと夜空を見上げると、まん丸い月が金色の粉を撒き散らしていた。
「せっかくの満月ですもの。これも撮しておきましょう」
 月子は大きめのカメラをしっかりと構え、丸々と肥え太った月に向かってシャッターを押した。
 ジジィ〜と鈍い音が響き、昼間と同じように写真が吐き出されてくる。月子はドキドキしながら写真を眺めた。
 写真の中の輪郭がふんわりと浮き上がってくる。窓の外にはバルコニーの白い手すり。その上にはまん丸の金色月。
 じっと写真の中の月を見つめていた月子は、ふとバルコニーの手すりの上に座り込む一匹の黒猫に気づいた。猫の輪郭はうっすらと銀色に光っている。小首を傾げてこちらを見つめる瞳は珍しい水晶色をしていた。
「まぁ、綺麗な猫!」
 月子は顔を上げて窓の外を見回した。が、そこには猫どころか、風さえ吹いてはいなかった。
「写真を撮るときには全然気づきませんでしたわ」
 がっかりして再び写真に目を落とした月子は、そこで目をまん丸に広げて息を飲んだ。
 猫が……動いている!
 写真の中で猫が優雅に毛繕いをしていた。ゆうらりと揺れ動く尻尾にピクピクと動く髭、前脚を舐める舌が時折チラチラと覗く。
「本物の魔法だわ!」
 月子は恐る恐る指先を伸ばして写真の中に猫に触れてみた。途端、猫が動きを止めてじっとこちらを見つめてくる。
「やぁ、お嬢さん。こんばんは。今日は良い月の晩だね」
「猫が喋ってる!」
「おや。魔法を信じたあなたが、猫が喋ったくらいで驚くとは。それより、どうですか? ここに来て一緒に月見でもしませんか?」
 のんびりとした仕草でお辞儀をする猫の様子に、月子はなんだかワクワクしてきた。月夜の晩にだけ見ることのできる魔法に違いない。
「どうやってそちらに行けば良いのかしら?」
「何、簡単なことでして」
 猫はもったいぶった態度で髭を撫で上げると、ピカリと瞳を光らせた。
「“黒竜街道よ、我を招け”と唱えればよいだけですよ」
「コクリュウカイドウヨ、ワレヲマネケ?」
 オウム返しに猫の言葉を繰り返した月子は、その言葉を言い終わるや否や、ぐぅんと身体が引っ張られる感覚に目を回した。渦を巻きながら写真に吸い寄せられ、アッという間に身体が縮んでいく。
 悲鳴を上げる間もなく、月子の身体は写真に呑み込まれていった。


 ゆらゆらと揺れる感覚に、月子はふと目を開けた。目の前に黒い髪の綺麗な若者の顔がある。一重瞼の眼《まなこ》は先ほど出逢った猫の瞳と同じ色をしていた。
 月子が「猫さん?」と呼びかけると若者の顔がこちらを向いた。猫が笑ったときのように細められた瞳がキラリと光る。
「私のことはクルアンと呼んでもらえますか、月子様」
 はて、自分は名乗った憶えはないのだが? 月子は少しの間考え込んだが、クルアンに「上をご覧なさい」と呼ばれて空を見上げた。
 そこには真白き銀に輝く満月がぽっかりと浮かび上がっているではないか。寝室の窓から見えた金色の月は温かな光を放っていたが、今見上げている月は凍りついたように冴えた光で世界を満たしていた。
「南天の白月ですよ。綺麗でしょう? 今宵の満月は特に美しい。そうそう。忘れるところでした。あなたにこれをお渡ししておきましょう」
 若者は月子をふんわりと地面に降ろし、懐から何やら光るものを取り出した。
 手渡されたものは鏡だった。手の中にすっぽりと収まる小さな手鏡で、銀色に光る丸い鏡の周囲を金箔の鱗模様が取り囲んでいる。
「由緒ある品物ですよ。なくさないように鎖をつけて差し上げましょう」
 若者は再び鏡を取りあげて柄の先に開けられた飾り穴に金色の鎖を通した。ゆらゆら、クルクルと動く鏡は、天空の月が目の前で踊っているようだ。
「月が出ているときだけ魔法が使える鏡です。こちらとあちらの行き来のときに使いなさい」
「ありがとう、クルアンさん。大事に使わせてもらいますわ」
 鏡のペンダントを首から下げると、月子は嬉しそうに縁飾りを撫でた。
「いいえ。では主様《ぬしさま》のところへ行きましょうか」
 歩いていく先を見透かせば、黒々と輝く石がギッシリと敷き詰められた道が延々と延びている様子が見える。
「主様ってどこにいるの? ここから遠いの?」
 自分の手を引くクルアンの掌は猫を抱いているときのように暖かい。その手が離され、若者は考え込むように指先で顎を撫でた。
 クルアンは「せっかくですから鏡の力を使ってみましょう」と言いながら、月子の胸元に下がった鏡の表面を指先でつつく。と、すぐに鏡の表面が淡い銀色に光り始めた。
「主様のところへ向かう場合はこう言うのです。“辻の神。彷徨い人。星落人《ほしおちうど》。我を呼ぶは誰《た》ぞ”」
 クルアンの声が響きわたり、鏡の放つ光に吸い寄せられるように月光が集まってくる。月子の周囲には月の鋭い銀光に満たされ、目を開けていられないほどだった。
 月子は再び目眩に襲われたが、今度はクルアンが背中を支えてくれたお陰でなんとか気を失わずに済んだ。眩い光が消えると、月子はホッと安堵の吐息をつく。
 月明かりは元通りになり、辺りを見回した月子は感嘆の声を上げた。
 黒々と光る石が積み上げられ、人の背丈の何十倍もある高い高い壁が周囲を取り囲んでいる。所々に穿たれた大窓から月明かりが差し込んでいるお陰で視界には不自由しないが、光がなければ真っ暗闇になってしまうだろう。
「そこにいるのは誰だね? おや、クルアンか?」
 あちこちをキョロキョロと見回していた月子は、突然の声に飛び上がった。
「主様、月子様をお連れしました」
 恭しく腰を折るクルアンを見て、月子も真似をしてお辞儀をする。ヒタヒタと乾いた足音が響き、月子たちの目の前で止まった。
 そっと顔を上げてみると、古びた着物を着込んでいる老人がじっと月子の顔を覗き込んでいた。
「よう参られたの。こちらへおいで」
 老人の枯れ枝のように細い腕が月子の背中を押す。月子はどうしたら良いのかとクルアンを振り返った。が、そこに見目麗しい若者の姿はない。
 どこへ行ったのかと周囲を見回せば、すぐそばの大窓の桟に黒い美しい毛並みの猫がちょこんと腰を降ろしている姿に気づいた。
 声をかけようとしたが、黒猫はヒラリと窓から飛び降りるとどこかへ行ってしまった。
「あの、お爺さん。本当にお爺さんが主様なの?」
 老人に促されて黒い部屋の一画にある椅子に腰を降ろすと、月子は首を傾げながら訊ねた。いつの間にか月子の前には美しい漆器が置かれ、白くトロッとした液体が甘い湯気を立てている。
「そうじゃな。儂が主と呼ばれるようになってから随分になる。お嬢さんはこの姿が嫌いかな?」
 老人は自分の目の前に置かれた器をそっと取りあげると、湯気をフゥフゥと吹きながら中の液体を一口すすった。
「別に嫌いではありませんわ。でもわたしのお祖父さまよりもうんとお年を召しているからビックリしましたの。もう少し若い人かと思っていたの。クルアンさんが若かったんだもの」
「ふむ。そうさな、この姿になってから何百年か過ぎておる。少々飽きてきたところでもあるし、ここらで変えても良かろう」
 老人は持ち上げたときと同じように静かに器を卓に戻すと、皺の寄った手で自分の顔をつるりと撫で上げる。腕が降りると、そこに老人の姿はなかった。
 月子はパチパチと瞬きを繰り返し、目の前に現れた少年の顔をまじまじと見つめた。
 月光よりも青白い顔に黒い滝のように波打つ髪とルビーを思わせる紅い瞳。先ほどの老人と同じ着物を着込んでいなければ、老人が一瞬のうちに姿を変えたのだとは思わなかっただろう。
「はて、気に入らぬかの? お前さんと同じくらいの年格好にしたつもりだが」
「いいえ、気に入らないなんてことないわ。学校のお友だちに自慢したいくらいよ。あぁ、残念。カメラを持ってくれば良かったわ」
 目の前の不思議に感嘆のため息を漏らす月子の様子が可笑しいのか、少年はクスクスと笑い声をあげ、月子の前に置かれた漆塗りの器を指さした。
「お飲み、身体が温まる。この辺りは夜は少し冷えるからの。それを飲み終わったら話をしよう。退屈して死にそうでな。クルアンに話し相手を捜してもらっておった」
 月子は甘い液体をゆっくりと飲み干す。甘酒に似た味がする液体は、胃の中に落ちていくと身体中をほこほこと温めてくれた。
「お話ってどんなことを話すの?」
「そうさな。例えば……先ほどの“かめら”のこととか?」
「ポラロイドカメラのこと?」
 首を傾げて月子が訊ねると、少年は人懐っこい笑みを浮かべて頷いた。
「カメラっていうのはね、魔法のオモチャみたいなのよ」
 逐一頷き返しながら、少年は熱心に月子の話に耳を傾ける。紅い瞳が暖炉の炎のように揺れ、好奇心を満面に湛えた少年の顔が楽しげに輝く。
 黒く濡れ光る石の塔の中、月光に見守られながら月子と少年は長い永い話を始めた。

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