黒竜街道物語
第四話:マルボロ
「このお店の名前って、お伽噺にも出てくるわよね」
 紫煙が煙る中に小柄な後ろ姿があった。カウンターに寄りかかる少女の髪は柔らかくカールしてあちこちに跳ね、ラメ入りのマスカラで丁寧に塗り固められた睫毛が煙越しの鈍い電灯にキラキラと光っていた。
「あちらこちらに点在している伝説……。いつも黒い石の街道の近くを舞台にしたお話で、お店のマスターは話によって違ったりするの」
 華奢な肩や滑らかな頬にかかったブルネイの髪を揺らし、少女は背の高いバーテンを見上げた。
「ヴィーグ。ねぇ、聞いてるの?」
「聞いてません」
 にべもない返答に眉をつり上げ、口を尖らせると、少女は面白くないといった表情で目の前のグラスを爪で弾いた。
「この宵星亭は子どもの来るところではありませんのでね。いないはずの子どもの声が聞こえるわけないでしょう」
 冷たいバーテンの声に少女は腹立たしそうに言い返す。
「わたし、もう子どもじゃないもの!」
「教授からお伺いしたところですと、まだ十五歳だったはずですがねぇ」
「おじいさま、耄碌《もうろく》しちゃったんだわ! わたし、もう十五じゃないの!」
「じゃ、十六ですか」
 返答に詰まった少女の顔つきにバーテンは小さく口元を歪めた。
 どうやら図星のようだ。確かに少女の外見は大人びていたが、この国での成人年齢にはいささか足りない。大人か子どもかと問われれば、子どもだと言うしかないだろう。
「ヴィーグの意地悪っ。あなたのファンに少しくらい愛想を振りまいてくれたっていいじゃない」
「おませなお嬢さんですね。バーテンの仕事は忙しいんですから邪魔しないでください。本当のファンなら邪魔はしないものですよ。……いらっしゃい」
 後の言葉は店の入り口に現れた客に発した者だった。その声が微かな笑いを含んでいたように感じたのは気のせいか?
 少女は紅髪のバーテンの声につられて背後を振り返り、そこに見知った顔を見つけて渋面を作った。逢いたくない人間とよりによってこんなところで顔を合わせることになろうとは。
「アーシェリア、なんでこんなことにいるんです?」
 苛立った相手の声を無視すると、アーシェリアは手許のグラスからピンク色の液体を喉に流し込む。甘い苺の香りが口いっぱいに広がっていった。
「アーシェリア、教授はここに出入りしていることをご存知なんですか? この辺りが女の子の一人歩きにどれだけ危険か判っているんですか!」
「危ないってことくらい知ってるわよ。でも最初にここに連れてきてくれたのはおじいさまだもの!」
「おおかた勝手にくっついてきたのでしょう! 送りますから帰りましょう。ご家族の皆さんも心配してますよ」
 肩にかけられた手を乱暴に振り払うと、アーシェリアはいよいよ相手から顔を背ける。
「ほっといてよ。あなたには関係ないでしょ!」
「関係ないですって!? えぇ、確かに関係はないですけどね。でも恩師のお孫さんを保護するくらいのことはできますよ」
「保護! あなた、何様のつもり!? だいだい危ない地区に出入りしているのは、あなただって同じことでしょう!」
 キンキンと甲高い声で叫んだ少女を睨む男の表情は苦々しかった。
「うるさいガキだな。ワーネスト、商談は今日は止めるか? 俺はいつでもかまわないが」
 ワーネストの背後から豊かな声が響く。振り返った彼は困ったように首を振った。
「急ぎの話なんだ。できたら今夜中に話を詰めたい」
「じゃ、そのガキをトットとベッドに放り込んでくるんだな。お子様はもう寝る時間だぜ」
 ワーネストの脇から現れた男は白い豊かな前髪をうるさそうに払う。が、左前髪は顔の半分を隠したままだ。アーシェリアはそちら側の髪こそ払いのけたらいいのにと一瞬考え込む。
 男の白人種特有の肌色の中で、暗い翡翠色の瞳がカウンターにかじりついているアーシェリアを睨《ね》めつけた。彼が口にくわえた煙草から薄く煙が立ちのぼっている。
 アーシェリアの少ない経験から照らし合わせても、こんな目つきをする男がまっとうな仕事についているとは思えなかった。
「わたしは帰らないわよ!」
「……だそうだ。お前、今夜は仕事にならないぞ?」
 白い髪の男は隣のワーネストの顔を覗き込んで薄く笑う。くわえていた煙草を指でつまみ、ゆっくりと紫煙を噴き出す横顔が不思議と絵になった。
「まったく! 頭が痛くなってきたよ。それ、俺にも一本もらえるか?」
 ワーネストが顔をしかめて首を振っている。その目の前にシガーボックスが突き出された。箱に刻まれた文字は異惑星の文字で“MARLBORO”とある。それを確認すると、少女は記憶箱の中を引っかき回した。
「その煙草、マルボロね? ガイアから輸入が規制されているものでしょ!」
 ビシッと指を男に向かって指し示すと、アーシェリアは形の良い眉をつり上げる。星間取引条約で規制品リストの何番目かに上げられている品物の名前を正確に思いだしたのだ。
 少女の指摘に驚いてワーネストがむせ返る。が、彼が咎めるように視線を向けた先は、違法品を所持している男ではなく、アーシェリアのほうだ。
「発音が悪いな。マールボロのほうがより生粋の発音に近いんだぜ。それに、ここに充満している煙の大半はお嬢ちゃんの大っ嫌いな銘柄だ。いやだっていうのなら店を変えるんだな」
 男は平然とした顔つきでバーテンに酒を注文している。法律違反をなんとも思っていないようだ。もっともこの店に足を踏み入れているというだけで法律を遵守しているとは言い難い。
「仕事を終わらせようか、ワーネスト? お前の用件は?」
 隣で膨れている少女を気にしながら、ワーネストが早口に何ごとかを囁いた。アーシェリアには理解できない異国の言葉だったが、白い髪の男はその言葉が判るらしく、何度か頷いた後に手の中の琥珀色のグラスを持ち上げた。
「承知。ご要望通りに」
「助かるよ」
 最後の言葉だけアーシェリアにも理解できたが、それが仕事の完了を意味するのだと気づいたときには、ワーネストにガッチリと腕を掴まれていた。もっとも初めから手首を握られていて逃げ出せなかったのだが。
「何すんのよ! 放してってば!」
「いいえ、放しません。ここでの仕事は終わりましたからね。帰りますよ!」
「いやよ。あなた一人で帰りなさいよ!」
 キッと睨み返すワーネストの瞳が、カウンターでニヤついている男の瞳と同じ色だと気づくと、アーシェリアは余計に腹が立ってきた。何か言い返してやろうと口を開きかかったところで、カウンターの向こうからバーテンが声をかけた。
「今、ハイヤーを呼びました。すぐに来ますよ」
「ありがとう、ヴィーグ。助かったよ。あ、今日の代金は……」
「つけときますよ。次の会計のときに頂きます」
 片手を挙げて挨拶を済ませるワーネストから逃げようと、アーシェリアは何度も身体をくねらせる。しかし、意外と逞しい彼の腕はビクともしなかった。
「いや! 帰らないったら、帰らない! わたし、ヴィーグの仕事が終わるまで待ってるんだから!」
 アーシェリアの必死の抵抗にも、白い髪の男は薄く笑い、バーテンはサッサと無視を決め込んでいた。ワーネストも彼女の訴えに耳を傾けることはなく、カウンターの端を掴んで抵抗を続ける彼女を店の入り口へと引っ張っていく。
「なぁ、ワーネスト。今度の取材はなんのネタなんだ?」
 少女を必死に引っ張っているワーネストに笑いを含んだ声がかかった。彼は声の主に視線を向け、微かな笑い声を上げながら返事を返した。
「あぁ、ゴッシア大陸全土に点在する黒竜街道伝説の中に彷徨える街の伝説があるだろう。それとガイアの大陸にあるっていう彷徨える湖とを絡めて記事にしようと思ってね」
「ふぅん。それじゃ、今度の船には砂風に強い機材を用意しておこう。お前もホバーリングのし易い道具を用意しとけよ」
「判った。詳しい日時はまた……」
 自分のことなど些末なことだと言わんばかりに頭上で交わされる言葉に、少女はさらに頬を膨らませる。せっかく夜の酒場を楽しんでいたというのに、知り合いに見つかってしまうなんてついていない。
「放してっ! ワーネストなんて大っ嫌い!」
「はいはい。嫌いでもなんでもいいですから、サッサと帰りますよ!」
 苦労してドアを押し開くと、ワーネストはもがき続ける少女を店の外へと引っぱり出した。
「バカァ! おじいさまに言いつけて、あなたの今度の仕事の邪魔してやるからぁ!」
「アッサジュ・パルダ教授なら、今度の話を聞けば大喜びして協力してくださいますよ。言いたければ好きなだけどうぞ」
 路地の向こうで地上車《ランドカー》のブースターが唸っている。バーテンが言っていたようにもうハイヤーがやってきたのだ。
「放してーっ! バカバカバカ〜!」
 ありったけの力を振り絞って、アーシェリアは目の前の男の褐色の頬を引っ掻く。しかし彼は小さく眉をしかめただけで、目の前で停車したハイヤーのドアの奥へとアーシェリアの華奢な背中を押し込んだ。
 容赦なく発車したハイヤーの中で、アーシェリアは膨れっ面になって失礼な男が煙を吐き出す横顔を思い出すと、そういえばあの男の名前を知らないままだったと、腹立ち紛れに運転席の背中を蹴りつけながら考えていた。

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