黒竜街道物語
第三話:荒野
 黒竜街道は不思議な場所だ。あちこちに伸びた街道の全容を知っている者は誰もいない。黒々とした黒曜石が敷き詰められた広幅の街道を、誰もが竜の鱗のように美しいと褒め称えるが、それの尽きる果てを見た者はいないのだ。
 輝かしい夜空の下、黒竜街道を天と地の狭間に見ながら、荒野の中を小さな影が二つ彷徨っていた。
 一人は年の頃は五〜六歳と思われる子ども。黒曜石もかくやという黒髪は月光に濡れ光り、青白い肌は月の真白き輝きそのもののように冷たかった。血色の瞳が地面のあちこちを睨み、一心に何かを探している。
 今一人は年の頃十四〜五歳、白滝の髪と真珠の肌、夜の闇を駆ける白い狼のような少年だった。闇夜を切り取ったような黒い瞳が遠くの空に浮かぶ夜の雲を凝視する。
「本当にここだったのか? なんにもないじゃないか。お前の思い違いだろ」
 白い少年がうんざりした顔で辺りを見渡した。
「いいや! 確かにここにあった。……が、どうも移動してしまったらしい」
「移動だと? ふざけるな。動物じゃあるまいし、街が丸ごと移動するはずがないだろう! いい加減なことを言うな」
 イライラと怒鳴る少年を子どもは紅い眼で睨み上げる。
「本当にここに儂の故郷の街があったのだ。この儂がそんなことで嘘を言うとでも思っておるのか!」
「嘘は言わないが、真実も言わない」
 グッと言葉に詰まった子どもが頬を膨らました。大いに不満がある様子だが、あえてそれ以上の口答えはしないつもりらしい。あるいはできないのか。
 子どもは再び地面を睨んで失せ物を探し始めた。
 少年はその様子を近くでじっと見守るだけで、手伝おうとはしない。いや、手伝おうにもできないのか、手持ち無沙汰な様子でいかにも退屈そうだった。
「俺にも探せるものなら手伝うと言っているじゃないか。こんな何にもない荒野での探し物なら、すぐに見つかるだろ?」
「そう簡単に見つかるものか。だいたいだな、お前に手伝わせて見つけられるものならとうの昔にそうしておるわ!」
 ブツブツと口の中で文句を呟き、子どもは地面のあちこちを見回しては「ここにもない。あそこにもない」と繰り返している。
「まったく。勝手にしろ! 俺は眠いから寝るぞ」
 地面から手頃な大きさの石を拾い上げると、少年は荒野のただ中でゴロリと横になった。身体を隠すこともままならない場所でこの態度は剛胆なのか、向こう見ずなのか。
 寝息を立て始めた少年の背中をギヌロと睨み、子どもが小さく舌打ちした。
「おのれぇっ。こんなに手の込んだことをしてくれるのは、絶対にクルアンの奴だ。戻ったらただではおかんぞぉっ」
 小さな拳を固く握りしめると、子どもは遠くに滲む黒竜街道を振り返る。次いで傍らで眠りこける少年の顔を覗き込むと、こそこそと足音を忍ばせてその場を離れていった。
「うむ……。これくらい離れれば良いか」
 周囲に生き物の気配がないことを確認し、子どもが背中の麻袋を地面に落とす。そして着込んでいた長衣の腰帯を解いた。ふんわりと広がった衣装の裾をピラリと持ち上げれば、青白い膝頭までが露わになる。
「やっぱり脱ぐと寒いか……。いやいや、そんなことは言うておれんわ。サッサと済ませてしまおう」
 ブツクサと呟きながら、子どもは手早く黒い長衣を脱ぎ捨てた。貧弱な身体が夜風に吹かれ、寒そうにプルプルと震える。下着代わりの短衣と下衣だけになったが、それもサッサと脱ぎ捨てて真っ裸になった。
「か、風邪をひいたら……恨むだけでは済まさぬ!」
 ガチガチと歯を鳴らし、子どもは自分の腕をさする。血色の瞳は吹き荒ぶ風の先を見上げ、鴉の濡れ羽色の髪はうねり狂う空気の奔流に逆立った。
「擬態解除!」
 子どもは風に向かって唸り声をあげる。両手を大きく広げ、大地に踏ん張る。風に逆らって立ちはだかる姿は子どもとは思えぬ威厳があった。
 青白い子どもの肌の輪郭がぼやける。と、次の瞬間には掻き消すようにその姿が消え去り、突如として巨大な生物が姿を現した。見る者がいたならば、その伝説の姿に恐れおののいたかもしれない。
 黒き鱗を月光に鈍く輝かせ、紅玉色の瞳で大地を睥睨するその姿。
 遠くに霞む街道の名の由来となった闇の竜がいた。
 荒れ果てた地にぬっそりと立つ姿は遠き街道の上からでも見ることができただろう。が、真夜中の街道には人っ子一人いなかった。
 草木も眠る時刻だ。よほどの物好きでもない限り、こんな時刻に旅をする者はいまい。
 竜は首を巡らせ、辺りをじっと見回した。覇者の背中には薄い膜のような翼が広がり、呼吸をするたびに軽く上下に揺れ動く。
 紅く濡れ光る竜の瞳が荒野の一点を見つめた。安らかな寝息を立てている少年の寝顔を確認すると、低く轟くような鼻息を吐く。ホッと安堵のため息をついたように見えた。
「相変わらず不器用だねぇ」
 すぐ足下から聞こえた声に、竜が首を傾げるようにして自分の股ぐらを覗き込む。そこには小さな生き物がいた。天鵞絨《ビロード》のように滑らかな毛皮をした黒猫がゆったりとした仕草で毛繕いをしている。
 竜が優雅な猫に向かって荒々しい鼻息を吹きかけた。
「よくも儂の目の前に顔を出したな、この恩知らずめ」
 地の底から響く囁き声に黒猫が顔を上げる。ぴかぴかと光る水晶色の瞳が三日月型に細められた。
「ふふっ。君の要領が悪いだけだろう? 親父殿の器にはまだまだ遠く及ばないようだね。印を見つけることもできないなんて半人前の証拠だろ」
 カァッと竜が口を開く。大きく裂けた口元から槍の穂先のごとき牙が剥き出された。つり上がった紅玉眼と相まって、その形相は凄まじい限りだ。
「儂を愚弄するか!」
「僕に当たり散らすのはやめたまえ。悔しかったら石獣《ガーゴイル》の印を見つけて街に戻ってくることだね」
 猫が前脚で頬髭を撫でつける。もったいぶったその仕草に黒い竜は眼をギラギラさせた。
「戻ったら憶えておけ。絶対にただでは済まさぬ!」
「まぁ、そうね。やれるものならやってみな」
 黒猫は優雅に立ち上がると、ゆったりと大きくあくびをする。まるでこれから寝床に潜り込んで一寝入りするのだと言わんばかりの暢気な態度だった。
 竜の見守る中、黒猫は尻尾をゆうらりゆうらりと揺らめかせ、黒竜街道の方角へと歩いていく。ときどき挑発するように尻尾がピンと跳ねるが、それ以外は散歩をしているようにしか見えなかった。
「憶えておけよっ! 絶対に見つけだしてやるぞ!」
 轟々と吹き荒れる嵐のような声が周囲の空気を震わせる。それに合わせて、竜の背にある皮膜の翼が月光に乱反射した。
「お頑張りなさいませ、主様《ぬしさま》よぉ〜っ」
 瞬く間に闇の中に溶け込んだ猫の声がからかうように重なる。
 荒野を蕭々と流れていく風音に混じって、竜の咆吼と猫の鳴き声は聞き惚れるほどの交響楽を奏でていた。
 ふと月が夜の雲に隠される。静まった咆吼と鳴き声がないと、暗くなった荒野に生き物の気配はまるでなかった。風音さえ闇に呑まれそうだ。いや、風が止んだものか、シンと静まり返った大地は不気味なほどだった。
 ふと寝ころんでいた少年が伸びをして起き上がる。ポリポリと頭を掻きながら辺りを見回し、眠そうな眼を擦った。
「どこへ行ったんだ、あいつは」
 あくびを一つつくと、少年は大儀そうに起き上がる。夜風で強ばった身体を揉みほぐしながら少年は周囲の闇に呼びかけた。
「おぉ〜い。どこにいるんだぁ〜?」
 呼び声が聞こえたのか、聞こえないのか、雲に覆われていた月が顔を覗かせて周囲を照らす。サァッと視界が開けた一帯には茫漠たる荒野が変わらず広がっていた。蒼い青い闇が戻ってきた。
 どれほども離れていない場所で、小さな影がこちらへと歩み寄ってくる姿が見える。着古した黒い長衣に身を包み、憮然とした表情で地面を見ながら歩く子どもの姿に、少年は苦笑いを浮かべた。
「まだ見つからないのか? だから俺も一緒に探してやると言っているのに」
 歩み寄ろうと一歩を踏み出した彼の足裏に固い感触が当たる。
 何ごとかと見下ろしてみれば、淡い銀色の光を放つ石が地面から顔を覗かせていた。変わった石があるものだ。こんな不思議な光沢の石は見たことがなかった。
「なんだこれ?」
 少年は地面を掘り返すと、掌にすっぽりと収まってしまうほどの小さな石を目の前にかざす。
「あぁっ! それっ、傍観者の石!」
 少年の手許をふと見上げた子どもが絶叫を放った。血色の瞳が愕然と見開かれ、小さな銀石と少年の顔とを見比べる。
「どうしてお前が見つけられるんだ!」
「そんなこと俺に聞くな。いいじゃないか、見つかったんだから。ほら、手を出せ」
 子どもが信じられないといった表情で青白い手を差し出すと、少年は小さな掌に石を放り出し、眠そうにあくびをした。
 天にかかった月は、眼を細めた猫眼のように細く鋭かった。

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