アマゾネスシリーズ習作沈黙の女王
純白に淡い金の輝きをまとった人影とハシバミ色の背の高い人影が、ゆったりとした足取りで川縁を歩いていた。白い影の隣りに付き従う人物は、ときどき周囲を見渡しては何かを警戒している。
「いい日和ね、キーマ。雨が少ないこの時期の空はとても好きだわ。……お師匠様の瞳にそっくり」
「そうですね。今日は特にいい空色です。ですが、
賢者ラサ。そろそろ戻りましょうか? 皆が心配しますよ」
「……そうね。じゃ、湿布用の水草を採ってから帰りましょうか」
大人しく頷き返した娘に半ばホッとし、そして半ば残念に思いながら、キーマは白い娘の腕を取った。
一族の
癒し手カームに何かあってはいけないと、つい過保護にしてしまう。彼女が毎日の散策をどれほど楽しみにしているかキーマは良く知っていた。
集落の外れを一緒にそぞろ歩くときだけ、二人は主従の垣根をほんの少し低くすることができた。この僅かな時間だけ戻ることができるのだ。半人前のカーム見習いと
白戦士ブランナイツに成り立ての生真面目な戦士だった、あの頃に。
「キーマ。水辺に誰か倒れているわ!」
優しく掴まれていた腕を振り解くと、白い娘がやや離れた水際へと駆け出していく。急に駆け出した主人の姿にキーマの心臓が驚きに跳ね上がった。
「カームッ! 一人で行かないでください。カー……ラサ・モーリン!」
思わず主人の名を叫ぶと、キーマは彼女の後を追った。倒れている者が彼女に害意を持っていたらどうするつもりなのか。
「まぁ、まだ小さな子どももいるわ! キーマ、早く! こっちへ来て手伝ってちょうだい!」
倒れる人影に走り寄ったカームが若草色の瞳を大きく見開いた。彼女の足下には、自分とどれほども年の違わない娘と、腕に抱かれた幼子が寄り添うようにして倒れていたのだ。
「ねぇ、あなた。しっかりして!」
指先に
魔力グラマを集中させながら、年若い癒し手はオロオロと娘の頬に触れる。ピクリとも動かない娘の頬はひんやりと冷たかった。生き物の温みを少しも感じない。
「ねぇ、目を開けて! お願い。返事をして!」
「ラサ・モーリン……。駄目です……もう、死んでいます。赤子のほうも、たぶん……」
言いにくそうにキーマが切り出さなければ、カームは無意味に癒しの力を死者に与え続けていただろう。
ラサはキーマの言葉にショックを受け、娘の腕のなかにいる赤子をまじまじと見つめた。彼女の瞳は言葉をなくした彼女の内心を強く語っている。まだ小さな子どもなのに、こんなに簡単に命の灯火が消えてしまうなんて、と。
死者を見るのは初めてではない。戦いがあるたびに、一族の者の屍を見つめてきたのだ。病で亡くなる赤子だとて多く見てきた。
恐る恐る指を伸ばしたラサが愛おしむように子どもの頬を撫でる。その指先がふいに止まった。
「生きてる……! この子、生きてるわっ!」
「まさかっ! この状態でまだ生きている、と!?」
カームとしての力ゆえか、ラサは幼子のなかから僅かに立ちのぼってくる命の残り火の匂いを嗅ぎ取り、娘の腕をこじ開けて赤子を腕に抱いた。今まで以上に強い癒しの
魔力グラマ》を集中させ、ラサは子どもを強く胸に抱きしめる。
魔力の波動で彼女の周囲が陽炎のように歪んだ。
「カーム! 無理をしないでください。そんなに力を使っては、あなたのほうが倒れてしまいます!」
キーマの制止も聞こえないのか、ラサは額に汗を浮かべながら早口に
呪歌ガルドを唱える。彼女の必死な顔つきにキーマはそれ強く言うことができず、ただ心配そうに見守ることしかできなかった。
どれほどの時が経っただろうか。ラサの肩からふと力が抜け、安堵の吐息を吐いた。彼女が放出していた魔力が急激に退いていく。
「もう大丈夫よ。後は館で治療しましょう」
ラサの言葉をきっかけにしたように子どもがむずがり始めた。まるで眠っているところを無理に起こされて怒っているようだった。
時折、薄く開けられる瞼の奥から血色の瞳が涙に濡れて見えるが、それ以外は黒髪に白い肌をした普通の赤子だ。
「心配させないでください、ラサ・モーリン。寿命が縮まりましたよ」
安心してつい愚痴をこぼすキーマに、一族の白い母は穏やかな笑みを向ける。憂いのない優しい顔は見る者すべてを癒し尽くす効果があるようだった。
ホッと緊張感を解いたキーマは冷たい骸となった少女を見下ろす。横倒しになり、眠っているような静かな死に顔は、自分やラサと同年代の娘であることがすぐに判る幼さだった。
「可哀想に。わたしたちがもっと早く気づいていたら、助かったかもしれないのに。河原の片隅に埋めてあげましょう。このままだと獣に食い散らかされてしまうわ」
「そうしましょう。野ざらしにしておくのも哀れです」
キーマはラサの言葉に頷くと、娘の遺体を川縁から引っ張り上げた。ところが、キーマの動きが遺体の腕に巻かれたものを目にした途端に凍りつく。
「どうしたの、キーマ?」
不思議そうに彼女の手元を覗き込んだラサが息を飲み、キーマ同様に身体の動きを止めた。
少女の片腕には、色褪せてはいたが青地の布が……森の一族の宿敵、谷の一族の印が巻かれていたのだ。ラサの師匠、以前の一族の
癒し手カームを惨殺した一族の者の印。
顔を強ばらせるラサの様子を、キーマは恐る恐る伺った。ラサが誰よりも師匠の死を嘆いているのを、キーマはよく知っている。今でも夜中に師匠の夢を見てうなされていることがあるくらいだ。
ラサは腕のなかで泣く赤子と足下の娘の死に顔を交互に見つめ、知らず知らずのうちに唾を呑み込んでいた。ひどく喉の渇きを覚えたが、その渇きは唾を呑み込んだくらいでは収まらなかった。
「ラサ・モーリン、遺体は川に捨てましょう。……赤子も一緒に」
キーマは遺体から手を離すと、腰を伸ばした。ラサがしっかりと腕に抱えている幼子へ手を伸ばし、それを取り上げようとする。
ラサが弱々しく首を振った。視線は足下の骸に注がれ、怯えたように何度も何度も首を振り続けている。彼女の心がどこかへ行ってしまいそうな不安に、キーマは乱暴に赤子をむしり取った。
途端に、子どもは火がついたように泣き始めた。だが、それにかまうことなく、キーマは水辺へと歩いていく。このまま赤子を一族の元へ連れ帰れば、ラサが周囲の者になんと言われるか判ったものではない。
「待って……。お願い、待って」
泣き叫ぶ赤子を持ち上げ、川中に放り込もうとしたキーマの動きが止まった。背後からラサの弱々しい声が聞こえる。
「その子を、捨てないで……。わたしが……助けた子なのよ」
「しかし……。これは谷の一族の子どもです。我ら森の一族に仇なす者たちの子を助けてどうしようというのです?」
「助けて、と泣いているの。何も守ってくれるものがない、か弱い子どもなの。この子を唯一守ろうとした者は、今は力尽きて骸となり果てて……」
チラと視線を足下の遺体に向け、ラサは痛ましげに眉根を寄せた。小さく首を振りながら、自分のなかにある言葉を紡ぐ彼女の横顔には、深い深い嘆きと痛みが刻まれている。
「お願い。子どもを殺さないで。その子の命の火を絶やすのは、わたしたちではないわ。ねぇ、キーマ。その子を渡してちょうだい」
赤子を抱えたままキーマは一族の白い母とその足下に横たわる骸とを見比べた。同年代の少女の死に顔は死の鬱血でひどい有様だ。その顔立ちが数年前に亡くなった前の癒し手の死に顔と重なり、キーマも大きく心をかき乱した。
「森の一族も、谷の一族も、どちらも同じ
女族アマゾネスよ。月と戦の神々がいる限り、わたしたちは
同胞はらからではないかしら?」
今にも泣き出しそうな顔をしながら、年若き癒し手はキーマの腕に抱かれている幼子をじっと見つめる。その視線に根負けして、キーマはぎこちない動きで頷くと、一族の母の手に幼き者を委ねた。
「月が祝歌を唄い、竜は呪歌を授けるなり。この子らは幸いなり……」
受け取った子どもをあやし、ラサは誕生の
呪歌ガルドを囁きかける。密やかな声に耳を傾けるように赤子が泣き止み、自分を見上げる若葉の瞳をじっと見つめ返してきた。
「あぁ、この子の瞳、なんて綺麗な真紅なのかしら。竜も……“
戦いの丘アレオパゴス”も喜ぶわね」
ラサの呟きにキーマも子どもの瞳を覗き込み、そこに並んだ二粒の紅玉に感嘆のため息をつく。流れる血を、燃えさかる炎を連想させる鮮赤の小さな瞳は、最強の竜が持つべき瞳の色に似ていた。
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